Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

リーマンショック時に書いたブログ(書いた時は「インフルエンザと私」でした)

2009年05月11日 | 2005年からの過去のブログ(旧名:「グァテマラから」)

 

 日本にいる皆さんにひとつ質問をしてみたい。

──都市部に行けばいくほど、夜遅くあるいは24時間開いているのが多くなる店と聞いて、どんなタイプを想像するだろうか?

 飲み屋だのラーメン屋だのあるだろうが、やはりナカタはコンビニを連想してしまう。でもこの連想は、こっちのグァテマラやメヒコではしばしば異なってくる。

 案外、それは薬局なのだ。

 例えば調査などで、どこぞの知らない街に行くとする。一日バスに揺られて着けば夜だ。とにかくシャワーを浴びてスッキリすると、もうとにかく寝たい。だが飲み水は必ず確保しておかなければならない。夜中になくなりゃ大変だ。日本のように上水道は絶対やめておいた方がよい。貯め水を沸かすったって安宿のどこにもそんなモノはなく、もちろん表に出たって自販機があるわけではない。

 (第一グァテマラには自販機自体、ショットガンを持ったガードマンがいるような場所しかおいていない。それがガソリンスタンドとかショッピング・モールとか──「ショットガンを持った」ということもおかしいが──こちらはコカ・コーラの配送トラックですら、ショットガン持ったオニーチャンが荷台に座っている)。

 こういうとき、案外遅くまでやっていて、最低でもミネラル・ウォーター、うまくいけばクッキーやビスケット、ときにはタバコ(?!)までゲットできるのが薬局である。

 寝静まってシーンとなった街でも、遠くから煌々と電気を付けているのですぐわかる。ライフラインは確保、とホッとする。

 

 やや堅い言い方になるがこの点に関して、社会的な構造の違いからひとつの説明を加えることができる。

 周知のことだが、日本は世界でも稀にみる医療福祉国家である。もちろん近年の動向はこの見解をまったく裏切るものとして知られているが、例えばアメリカ合衆国などは国営の健康保険の制度はない。だから金持ちは自分で民間の保険に入る。そんな誰も彼もに国家が医療を負担しては瞬時に国家予算はパンクするだろう。だから日本はパンクしようとしているのだ。

 そしてグァテマラにおいて、そのような医療保険サービスを享受できる人口比率は、さらに格段に低くなる。いずれにせよ、日本のような健康保険制度がないので、医者にかかる、ということはとてつもなくお金の飛ぶことなのである。国の富裕層が利用する個人経営のクリニックなどは、ほとんど日本の保険なしでかかる医療費と変わらない。

 

 昔ナカタがエクアドルはキトでA型肝炎になったときなど、大使館の方にお世話になって首都の一番高級な病院に連れて行ってもらったが、その時などは金額未記入のクレジット・カードの控えにサインをさせられた。大使館の人も「それ、怖いと思いますがしょうがないのです」。(もちろんラテンアメリカのこれら諸国も、近代国家なワケですから地域には公立の病院はあります。しかしそれはキャパが全然足りていないので、問診ひとつにも何時間も待ったりします。施設もやはり問題があるでしょう)。

 

 話を戻そう。ゆえに総人口の大半を占める貧困層は、何かあったときには、まずは「気合いで治す」。そして次に、薬局で薬を買う、となる。だから薬局はよりその周辺の住民にとって不可欠なモノなのである。

 

 

 さて、グァテマラに暮らすナカタが、今この時期にこのような話をするからには、展開は自ずと決まっている──スペイン語で、アチェ・ウノ・エネ・ウノ──H1N1、例の豚インフルエンザである。

 そろそろ何人か日本の友人たちも気付いてくれたらしい──ナカタのいるグァテマラってメキシコの隣だろ?大丈夫なのか?

 なかにはこんなメールまであった──どうやって「水際」で防いでるんだ?

 

・・・防いでいるワケ、ねーだろ。

 

 ということで今日のテーマは、「インフルエンザと私」(2009年5月11日のアンティグアにおいて)、である。

 

 

 二日ほど前か。新聞にグァテマラではじめての感染者が確認されたと報道があった。もちろんメキシコが「すったもんだ」しはじめた頃から、インフルエンザはつねに紙面を賑わしてきた。本日付のグァテマラの筆頭全国紙『プレンサ・リブレ』でみても、相変わらずグァテマラは感染者一人、となっている。

 

・・・んなワケ、ねーだろ。

 

 先の医療に関する社会的な背景を、だから踏まえなければならない。メヒコかアメリカ合衆国に行って帰ってきて、「何か調子がおかしい」となって病院に行って。病院に行けて。感染して報告されるまでには、どれほどのグァテマラの社会階級のピラミッドを上昇しなければならないか。

 ちなみに10日付『プレンサ・リブレ』誌に載っていたWHOの報告によれば、感染確認者数:メヒコ1,364:米国1,639:カナダ242:エル・サルバドール2:グァテマラ3:パナマ2:英国34:スペイン88:南米8:ヨーロッパの残りの諸国48:アジア7:オセアニア6。

 まったくもうひとつの、すごい数の感染者がグァテマラにはいるはずだ。その「凄い数」の感染者における広まり方と、上のWHOの報告書が書き留める今回の病気の「世界的な広まり」は、まったく異なる社会の位相にある。

 

 病院に行くどころか、公に出ることすら許されない、メヒコや米国への不法移民たち。

 

 差しあたり今のところ、アンティグアで毎日十何時間キーボードを叩いているナカタには、インフルエンザは皆さんと同じようにまだ「メディアの向こうの世界」である。だって上に書いたように、実際にどのくらい身の回りに切迫しているかなど、わかるはずもないワケだから。

 確かに、首都の市バスに乗っても、その辺の青空市場に出かけても、マスクしている人もほとんどいない。

 ならいーじゃないか。そう言われるかもしれない。でも、そうなのだ──いま、おそらくここに暮らす人たちの多くにとっては、インフルエンザはまださしたる問題ではない。何がいいたいか──そんなこと、構ってる場合ではないのだ。

 

 もっとグァテマラは大変のなのである。

 

 

 

(続く)

 

 

 

AUTHOR: nakatahideki

TITLE: 「インフルエンザと私」(後半)

DATE: 06/07/2009 05:06:14

 

 「グァテマラはいま大変である」

 

 このようにここ、ナカタの暮らすグァテマラで言ったところで、だれもこう返すだろう──「なにも今にはじまったことじゃないがな」

 

 だが、十一年目の滞在に至ったナカタが、日本とグァテマラを往復し、僭越ながら上から観察したような言い方を許してもらえるなら、本当に思う──「いや、今回はホンマやって。グァテマラ、もう、もう、もうアカンで」。

 説明しよう。まずは国際的な大枠から。(※:これは現在(2021年)から説明すれば、リーマンショックの影響をリアルタイムで暮らしているなかでこのブログが書かれています。表現とか今からみれば違和感があろうと思いますが、当時の感覚そのままに、変更せずに残しました)

 今日は一ドル何円つけてるのかな。かれこれ一年ほど前からドルが急落しているのは、皆さんご存じだと思う。CNNだのBBCだのでは、毎日GMが倒産したとかCITIがどうのとか、バラク・オバマ、まぁ大変である。

 

 さて、もちろんそちらの日本も大変なのは知っているが、米国経済が落ちて円が上がるということは、日本経済が国際的に依然として相対的な自律力を持っているということだろう。

 対してグァテマラ。他の中米諸国が軒並み完全に、対米自国通貨の価値を下げてきたのに対し、グァテマラ通貨のケツァールだけは一ドル=7.5ケツァール前後を揺れてきた。メキシコのペソ並みである。コスタ・リカなんぞは、ナカタが留学していた十年前、一ドル=280コロンくらいだったのだがいまでは500半ばまで下がっている。こちらの研究者は、よく冗談で「ガンジャ(大麻)を輸出しているからだ」というが、まんざら当たってなくもないだろう。

 

 それがいま、8ケツァールを超えた。日本と逆なのだ。下がった米ドルに対してさらに自国通貨を落とす。それだけ米国の経済システムにガッチリ組み込まれているからだ。だから米国が落ちたら、グァテマラはその米国の経済システムのしわ寄せが一気に押しよせ、さらに落ちる。

 バスの運賃などは、名目の数字がほどんど倍に近くなった。給料いっこもあがらずでだ。ほとんど顎まで溺れかけていた大半の貧困層は、もはや完全に水面下となる。

 そういえば、前回のブログか。豚インフルエンザの話をしたときだ。あれには続きがある。同日付の『プレンサ・リブレ』誌には次のようなコラムが載った。大まかにいえば──「こうしてインフルエンザは確かに油断がならない。警戒して手を洗い、人混みを避けるべきだ。だがしかしグァテマラの現在の問題はそこではない」。

 

 グァテマラでは統計によれば一日に17人が殺されている。そちらの方がよっぽど問題だ、と。

 

 間違いない。日本の人口でいえば、一日170人だ。十日で1700人。一か月で約5000人。年間6万人。これに交通事故はおろか大量の行方不明者も入っていない。

 新聞ももはや、「昨日、国のあちこちで合計六人がいろいろと殺されました」と、まとめて小さく記事にするだけになった。ちょっとした腹いせで、その子供三人が仲良く小学校から帰る道すがら銃を撃ち込まれまくる。麻薬系シンジケートが腹いせに警察の詰め所を爆破する。高級住宅街を走っていたトヨタに五十発くらい機関銃。何からなにまで無茶苦茶だ。

 そして一月ほど前か。あるビデオがYou TubeやFaceboxに流れた。グァテマラのある弁護士のビデオである。彼は現大統領コロンの政治腐敗を調査していた。そして殺されると予感していた。だからもし本当に自分がある非誰かに殺されたとしたら、すべてを録画したこのビデオを公表して欲しい、と。そして彼は殺された。¥

 その後だ。コロン大統領を追求するデモが首都で起こる。アタリマエだ。そして、それに対抗してコロンを支持するデモが、それ以上に展開された。あちこちの地方都市からチャーターされた長距離バスに、住民が乗って首都で更新する。コロンはいい大統領だとテレビで新聞で、嫌という程政府広告が入る。彼らはいわゆる「顎足持ち」である。支持者には食事がただで振る舞われる。全部血税からだ。

 コロン。ビデオが公表されてから三日間で約二億チョイをこの支持キャンペーンに急遽投入した。

 おい、このことすでにオマエ、腐敗政治じゃないのか?何の名目でどこの国庫から引きだしてきたのだ?

 そして彼は結局現在、続投した。もはや彼は言う──「今回の国家安全を脅かした危機は乗り切った。私はしかし、今回一度も、この造反分子に恐れを抱いたこともなければ屈すると思ったこともない」──言いたい放題だ。

 要は地方のボスも、アタマのコロンが失墜して対抗勢力が大統領になれば、自分も失墜する。それだけの理由だ。どこにもその弁護士が命を捨てて発した言葉をめぐる議論はない。どこにも民主主義の匂いはない。ちょっとドブの蓋がひっくり返されただけだ。そこにあるのは完全に淀んだ腐った水の臭い。

 

 そしてこの大統領。先日、ある買い物をした。

 トゥカーンという鳥をご存じだろうか。グーグルあたりで検索したら「あぁ、これね」となるだろう。黄色のデッカイくちばしをした鳥である。で、コロンが買ったのは「スーパー・トゥカーン」。だがこれは「六羽」ではなく「六機」。つまり戦闘機を六機、百億くらいローンで購入したのだ。新聞では、あちこちの地方自治体で国家からの予算配分が滞り、片っ端から公務員の給料が何ヶ月も延滞している、とデモのニュースが毎日なのにである。

 もはや国家の行政すらが麻痺にある。雨期に入ってあちこちで下水管や堤防や崖が崩れても、どこにもそれに対応する行政メカニズムが機能しない。首都の第二区では数週間、上水道が止まった。

 いまやグァテマラの「国民」は次のどれかだ。まずはこの危うくなった腐敗まみれの自らの権力を何とか維持しようと躍起になっている特権集団。それに唯一対抗できる力をもつのが麻薬系のマフィア。これはもちろん上に述べた「完全に水面下」に入って溺れるしかなくなった者たちである。だからどんどん増える。そしてその中間層としてほとんど溺れかけた、何の声も上げることのできない超ド級の貧困階層。あとは、ただただ静かに静かに息をしてなにも見ない聞かないいわないでひたすら生き延びるバランスだけに集中する者たち。たまに図書館や大学に行く以外、部屋に籠もってグァテマラの本を書いているナカタも、この最後の部類だろう。

 

 この一か月ほど、こちらで、スペイン語で発表するナカタの本の締め切りにあまりにも追われた。そのなか、逆説的だが、だからこそ、できるだけキチンと毎日新聞を読む時間を作った。自動的にナカタは、このアンティグアの部屋に籠もりながら、グァテマラを上から鳥瞰する視点を強く備えるようになっていたのだと思う。

 昨日、久しぶりに首都のド真ん中、第一区に行った。編集長にスペイン語の第一草稿を提出しに行った。なぜか少し恐れている自分がいた。かつてはアパート借りて暮らしていた地区なのにだ。

 とにかくこのスペイン語版を急ぐ。それしかない。

 



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