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Nicomachusの園 Ⅲ

2007年度総合倫理の課題とコメント

第十回 夏川りみ「涙そうそう」から中森明菜「瑠璃色の地球」について

2007-10-05 13:38:57 | Weblog
今回はちょっと趣向を変えて、CMソング特集である。最近のTVCMを見ていると、懐かしの名曲とかヒット曲がCMに使われているケースが多い。理由はいろいろあるようだがそのことも含めて、なぜこの商品にこの曲が使われているのか考えてみたい。

たとえば、これは昨年も取り上げたのだが、ブルーハーツの曲がCMによく使われている。最近では、オリンパスのCMで、浅田真央姉妹の背景に「情熱の薔薇」が使われている。(オリンパスのCMはこちら)同じ浅田真央の出るオリンパスのCMでは、「リンダリンダ」も使われていたことがある。

この10月1日から、民営化をスタートした「日本郵政グループ」のキャンペーンCMでは、「ひとりを愛せる日本へ」というコピーで夏川りみの「涙そうそう」の曲が流れる。(日本郵政のCMはこちら)政治的にはげしい争点となった郵政民営化だが、そういう政治的な背景を考えるとこのCMはたんなるコマーシャルという域を超えたプロパガンダCMとでも言える要素を持っている。

次は、KDDIグループのauのCMである。携帯各社のCMは種類や量も多いが質も高い。その中でもちょっと異色の物語風CMのバックに「瑠璃色の地球」が流れる。それも中森明菜が歌うカバーバージョンである。(auのCMはこちら)「瑠璃色の地球」は松田聖子の持ち歌であるが、それをあえて中森のカバーを使ってひとひねりしている。

CMは短いシーンの中で商品の情報を伝えたり、企業のイメージを視聴者に伝えることを目的にしている。CMで使われる曲はもちろん歌詞の内容も大切だが、直接には曲のイメージの喚起力がCMの目的に合っているかが重要となる。

たとえば、数年前、日産のセレナのCMで、70年代のCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のヒット曲「雨を見たかい」が使われていた。この曲はベトナム戦争を批判する反戦歌として全米で放送禁止になった、いわくつきの曲であったが、そうした背景的な意味も換骨奪胎して、曲のイメージだけが使われた典型的な例であろう。まさに平和な時代にリバイバルしたスタンダードナンバーと言っていいだろう。最近こうしたスタンダードな曲がCMに使われるようになった理由も考えてみてほしい。


Have You Ever Seen The Rain?(「雨を見たかい」)

Someone told me long ago,
there's a calm before the storm.
I know, and it's been comin' for some time.

When it's over, so they say,
it'll rain a sunny day.
I know, shinin' down like water.

I want to know, have you ever seen the rain?
I want to know, have you ever seen the rain
comin' down on a sunny day?

Yesterday, and days before,
sun is cold and rain is hard.
I know, been that way for all my time.

'Til forever on it goes
through the circle fast and slow,
I know, and it can't stop, I wonder.

I want to know, have you ever seen the rain?
I want to know, have you ever seen the rain
comin' down on a sunny day?

(動画はこちら


(設問1)上の3つのCMに使われている曲について、それぞれ曲のイメージがどのようにCMの内容と結びついているか。

(設問2)「日本郵政」の民営化キャンペーンコピー「ひとりを愛せる日本へ」はどのような意図をもったCMだと思うか。また、このCMになぜ「涙そうそう」が選ばれたと思うか。

(設問3)懐メロやスタンダードナンバーがCMに使われるのはどういう理由からだと思うか。

Coccoの軌跡、「Raining」から「ジュゴンの見える丘」についての解説

2007-10-05 00:42:31 | Weblog
「Raining」はおそらくCoccoがいまも大切にしている曲のひとつだと思う。それは「Heaven's hell」のDVDの中で、こどもたちの前でこの曲を弾き語りで聴かせているシーンからもわかる。「大人になっても持っておけるものがある」というのはCocco自身のことばだ。それが何を意味するのか具体的には語られない。「Raining」では、学校でのイジメや愛する者と引き裂かれる体験のようなものが歌詞に表されている。Raining(雨が降っている)というのはCocco自身のこころの状態であろう。それでも「帰り道のにおい」、沖縄の美しい大地や海や自然が癒してくれる。それだけで「生きていける」と思ったと歌うのである。

Coccoの原点は子どもの頃から見てきたこのやさしく美しい沖縄の自然であった。彼女が突然、ひとりで海岸のゴミ拾いをはじめ、ついには「ゴミゼロ大作戦」のイベントを実現するまでになったのも、そういう行動を突き動かしているのはこの原体験なのだと思う。

Cocco自身が語っているように、基地反対を声高に叫ぶことにためらいを感じていた。「基地反対」というのはそれだけで政治的な行動に巻き込まれることでもあるけど、基地で生活している人たちもいる。沖縄から基地がなくなっても、ほかの地にバトンリレーされるだけだ。なにより基地を否定することは、アメラジアンだった大切な人の存在を否定することだと思った、と述べている。

しかし、ジュゴンが戻ってきたというニュースを見て、Coccoのこころは動かされる。Coccoは、この「ジュゴンの見える丘」をただ二頭のジュゴンのために歌いますとライブのステージで言ったそうである。ジュゴンからみれば正しいも間違いもない、基地反対も賛成もない、それは人間だけの争いなのだから。それでもジュゴンに象徴される沖縄の自然の運命を左右するのは人間の営みであり人為である。だからCoccoが訴え、伝えたいのは沖縄の人たちに対してなのだと思う。

「あなたに降りそそぐ全てが 正しい優しいになれ」の「あなた」とはジュゴンのことのようにも解釈されるが、ジュゴンに象徴される「沖縄」であり、同時にそれは沖縄の人たちなのだと思う。たんに「優しい」ではない、「正しい優しいになれ」ということばにはCoccoの強い気持ちが伝わってくる。こんなアジテーションのような歌があっただろうか。正しくないことをそのままに放置していて「優しい」というのはどうなのか。ジュゴンを守り、美しい沖縄の自然を守ることは無条件に正しい。だから「正しい優しいであれ」とCoccoは訴えたいのだ。正しくないことを放置し許そうとする沖縄の人たちへの悲しみと怒りのメッセージでもあるのだと思う。(だからこの歌を沖縄限定発売にしたのかもしれない)

※その後、CD「ジュゴンの見える丘」は11月に全国リリースが決まった。
なお、Coccoの公式HPで期間限定で幕張メッセでの「Live Earth」の映像と大浦湾に戻ってきた二頭のジュゴンをとらえたニュース映像が掲載されている。
(期間限定スペシャル映像はこちら

おわび

2007-09-07 15:25:03 | Weblog
本日は二学期最初の授業の予定でしたが、台風で休講のため授業は延期となりました。来週は文化祭準備、再来週は代休で、28日が最初の授業となります。

鬼束ちひろとアンジェラ・アキの「home」の意味についての解説

2007-06-28 13:53:17 | Weblog
今週で一学期の授業は終了です。新しい課題は9月からになります。今回は第八回の解説をしておきます。一学期のまとめをしておいてください。

鬼束ちひろの「月光」については、「神の子」という言葉やその宗教的な雰囲気の歌詞の内容からキリスト教との関係が論議をよんでいたようである。また、「腐敗した世界」といったこの世界に対する否定的な歌詞の内容から、「グノーシス主義」との関係を説く人もいる。(注1)

たしかに歌詞の内容は宗教的な信仰と無関係とは思えないが、正統派のクリスチャンが自分を「神の子」とよぶことはないし、この世界に「居場所」がないというのような世界否定の考えを表明するようなことはないように思われる。キリスト教への信仰としてとらえるには矛盾が多すぎるのである。

鬼束ちひろが高校時代に衝撃を受け、影響を受けたとされるのがアメリカのシンガーJewelである。彼女のヒット曲「Hands」は次のような歌詞である。(下に拙訳をつけた)

 「Hands」 

If I could tell the world just one thing
It would be that we're all OK
and not to worry 'cause worry is wasteful
and useless in times like these
I won't be made useless
I won't be idle with despair
I will gather myself around my faith
For light does the darkness most fear

My hands are small, I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

Poverty stole your golden shoes
But it didn't steal your laughter
and heart ache came to visit me
But I knew it wasn't ever after

We'll fight, not out of spite
For someone must stand up for what's right
'Cause where there's a man who has no voice
There ours shall go singing

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

In the end only kindness matters
In the end only kindness matters

I will get down on my knees, and I will pray
I will get down on my knees, and I will pray
I will get down on my knees, and I will pray

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken
We are never broken

We are God's eyes
God's hands
God's mind
We are God's eyes
God's hands
God's heart
We are God's eyes
God's hands
God's eyes
We are God's hands

(世界に告げることがあるならば、それはたったひとつ、
みんな大丈夫、心配はいらないということ。
心配は時間の無駄だし、こんなにも役に立たないのだから。
役立たずにはなりたくない。
絶望して空回りしたくはない。
信仰によって勇気を奮い起こしたい。
光は暗闇をもっとも恐れるのだから。

私の手は小さい。 けれどそれはあなたの手ではなくて、私の手なのだ。
そして私はけっしてくじけない。

貧しさがあなたの金のシューズを盗んだ。
けれども貧しさがあなたから笑顔を盗むことはなかった。
胸の痛みがわたしを襲った。しかし、それからずっと続いたわけではない。

わたしたちは戦うだろう。恨みからではなくて。
 だれかが正しいことのために立ち上がらなければらないのだから。
声なき人がいるところにわたしたちが歌を届けなければならないのだから。

私の手は小さい。でも、それはあなたのではなくて私の手なのだ。
 私はけっしてくじけたりしない。

 最後には優しさだけが大切なのだ。

ひざまずいてわたしは祈るだろう。

私はけっしてくじけない。わたしたちはくじけたりしない。

わたしたちは神の目 神の手 神の心)

この「Hands」のPV動画では爆弾テロで破壊されたと思われるような建物のがれきの中から人々が救い出される映像が映される。(PV動画はこちら
この曲が収録されたアルバムは1998年リリースだから、2001年の同時多発テロの前だ。まるでテロを預言するような映像だ。2001年のテロが起こったとき、全米のFM局に「Hands」のリクエストが殺到したという。(ちなみにブッシュ大統領もこの曲を絶賛して国民にリクエストをよびかけたらしい。)

この「Hands」の歌詞にはテロを予見するような内容は含まれてはいない。「信仰によって勇気を奮い起こす」とか「正しいことのために立ち上がらなければらない」といった言葉が同時多発テロで衝撃を受けた市民にストレートに受けとめられたことは想像できる。

鬼束が「Hands」を知ったのも同時多発テロ以前の高校生のときであった。その後、同時多発テロの直前に発表していた「infection」という曲に、事件を予見するような歌詞が含まれていて、急遽プロモーションを中止するという事態になった。(注2)奇しくもこの日米の二人の女性アーティストが世界の激動に巻き込まれてしまったのである。

鬼束が同時多発テロという事態にどのような思いをもったのかはわからない。その後、音楽活動を中止するに至った背景にこの事件が影響していたのかどうかもわからない。しかし、結果的に鬼束の創作活動に世界の情勢の変化が関与しなかったとは言えないように思う。

いまから考えると、鬼束の「月光」は同時多発テロ以降の世界の情勢を予見していたと思えなくもないからだ。

Jewelの「Hands」は、最後に「神の目 神の手 神の心」と歌う。つまり、わたしたちは「神と共に」ある。だから、自分を強くもって勇気を奮い起こそう、という内容だ。それに対して、鬼束の「月光」は、「こんな場所でどうやって生きろというの?」とか「こんなもののために生まれたんじゃない」というように、現実世界に対して否定的で絶望的ですらある内容だ。Jewelの歌詞がアメリカ市民の多くを勇気づけ、広く受け入れられる内容であるのに対して、鬼束のそれは、あまりに暗く絶望的だ。(もっとも「月光」というタイトルから、そういう絶望的な世界から一筋の光を見いだそうとする希求ないし祈りを感じ取れなくもないが)

それはたぶん、Jewlには絶対者としての「神」へのゆるぎない信仰が背景になったいるからだし、鬼束にはこの「絶対者」を希求していても、それが不在で見いだせないからだ。

鬼束の「everyhome」は、「月光」の世界のような絶望的な状態から少し変化をとげているように思われる。「一体何を信じれば?」と嘆き「どこにも居場所なんて無い」と歌った世界から、「まだ今は来ない次の列車を待つ」という心境の変化だ。それは「GOIN'ON GOIN'ON 確かな自分を守るのは everyhome」(「GOIN'ON」は前へ進み続けなければ、という意味なのだろう)というように、すこしだけ前向きな言葉が現れてくるからだ。

それにしても「everyhome」の歌詞は難解だ。というより解釈が不能といっていい。第一に、この詩の主体(主語)がない。たとえば「夢が醒めない事を きっと責め続けたのだろう」とあるが、「夢が醒めない」の主語はだれなのか、また、「責め続けた」のはだれなのか、わからない。(おそらく、この部分の主語はどちらも自分(私)なのだと思うが)主語だけではない。目的語も不明だ。「何処かへさらってしまうなら」とは何を「さらってしまう」のかがわからない。(この部分もおそらく目的語は自分(私)なのだと思う)歌詞だけ追いかけてみると、まるで統合する自我が喪われている言葉の羅列なのだ。かろうじて歌詞全体から感じ取れるのは、「誰か」「何か」や「何処か」という言葉が象徴するように、「月光」で希求した「絶対者」はここでも不在のままだということである。それでも「everyhome」(いたるところ安住の地、というような意味だろうか)というタイトルをつけた心境の変化は伝わってくる。

しかし、この「home」はどこか実態が見えない。それはアンジェラ・アキが歌う「home」が幼少期を過ごし、自分を育ててくれた温かい人々のいる「ふるさと」のことであるのと対照的だ。鬼束の「home」はそうではない。自分の経験の中にある「ふるさと」のことでも「家庭」のことでもない。言ってみれば、まるで修行者が求める境地のことである。(注3)

鬼束の心の軌跡がわからない以上、歌詞の言葉の意味にこれ以上こだわっても仕方がない。同時多発テロ以降、世界の情勢は変貌した。テロの衝撃は少しずつ薄れてきているけれども、その後の世界情勢が引き続き不安定で混沌とした状況であるのは変わらない。鬼束の楽曲が(たとえそれが彼女の個人的な心理状態に過ぎないものだとしても)そうした世界の現在を無意識に映し出していると思えなくもないのである。

(注1)グノーシス主義とは、初期キリスト教にも影響を与えたと考えられる世界観。この世界を悪や腐敗に満ちたものとして否定的にとらえる。人間の本質にある神性を認識することによる救済を主張する。のちに正統派キリスト教から異端とされた。
(注2)「infection」の中で何度も繰り返される「爆破して飛び散った 心の破片」というフレーズが同時多発テロの悲惨な状況を彷彿とさせることが自粛の理由となったようだ。もっともこのフレーズは鬼束の心象風景というかよくない心理状態を表現したものだ。
(注3)アンジェラ・アキの「home」の背景については、アサヒコムのBeにある連載記事が参考になる。(記事の内容はこちら

第八回 鬼束ちひろとアンジェラ・アキの「home」の意味について

2007-06-22 13:20:51 | Weblog
しばらく音楽活動を休止していた鬼束ちひろが新曲をリリースして復活した。活動を中止していた詳しい理由はわからないが、この休止期間はほとんどひきこもり状態だったという。新曲のタイトル「everyhome」だが、(そもそもこのタイトルからして辞書にない言葉だ。「どこでもドア」ではないが、「どこでもhome(安住の場所)」というような意味の造語だと思う。)歌詞は難解で、省略と倒置と暗喩に満ちた詩だ。

everyhome  作詞・作曲 鬼束ちひろ

夢が醒めない事を
きっと責め続けたのだろう
まだ今は来ない次の列車を待つ

弱さを許さないでと
誰かの想いが零れる時
世界は鼓動を重ねる まるで嘘みたいに

GOIN'ON GOIN'ON
何処かへさらってしまうなら
everyhome
それは小さな風のように

揺れる樹々の音は
とても貴方には頼りなくて
だから旅の終りさえ信じられない

GOIN'ON GOIN'ON
何処かへさらってしまうなら
everyhome
それは小さな風のように

それぞれの影 願い事が
何故夜を飲み込んで行ける
どれ程の景色を追い越せれば
降る雨を 咲く花を そこに連れて行ける

少しだけ何か話しを
そしてこの路を歩いて行く
帰る家を探すためなんかじゃなくて

GOIN'ON GOIN'ON
何処かへさらってしまうなら
everyhome
それは小さな風のように
GOIN'ON GOIN'ON
確かな自分を守るのは
everyhome
そっと在るだけの力で
ずっと誰かの隣りには
眠れないのを
それは言葉や理由にも
代われないでいるのを

<以下略>

(歌詞全部はこちら。PV動画は、こちら

ほとんど皮膚感覚でことばを紡ぎ出しているような詩だから、前後の脈絡がなく解釈を拒んでいるようにさえ感じる。しかし、よく見ると、「弱さ」「世界」「貴方」「理由」などのことばは、彼女のヒット曲「月光」にも使われている。つまり、この詩は「月光」で表現した世界の延長にあると考えれば少しは理解できそうである。


「月光」の歌詞はこんな風である。

I am God's child.(私は神の子供)この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field? (こんな場所でどうやって生きろというの?)
こんなもののために生まれたんじゃない  

突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのを この鎖が 許さない
心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって   
私はまだ上手に 片付けられずに
I am God's child. この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない

「理由」をもっと喋り続けて 私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけど
ここに声も無いのに  一体何を信じれば?
I am God's child. 哀しい音は背中に爪跡を付けて
I can't hang out this world.  (この世界を掲げる事など出来ない)
こんな思いじゃ   どこにも居場所なんて無い 
<以下、略>

(歌詞の全部はこちら。PV動画はこちら


「神の子」という言葉や独特の宗教的な雰囲気を漂わせる歌詞であるが、鬼束自身は歌詞の背景にある考えや宗教観について何も語っていない。ここでは特定の宗教観を示したものと解釈するより、この世界での「居場所のなさ」、自分の「存在理由」を自問する実存的な問いの歌と解釈してみたい。

そう解釈すれば、「月光」の世界が「everyhome」でどのように変わったのかを考えてみることができそうである。

さて、もうひとつはアンジェラ・アキの「home」である。こちらは日本人の父とイタリア系アメリカ人の母の間に生まれ、中学卒業まで日本で暮らしていた。この「home」は幼少期を過ごした日本の田舎のことである。

 HOME  作詞・作曲 アンジェラ・アキ

繊細な糸で素朴な町に
縛り付けられてた頃
見上げる度に空は映した
遥かに遠い世界を

小さな場所を後にしてから
どれくらいもう経つのだろう

Home is calling
ふるさと 心の中で今でも優しく響いてる
寂しさが染み付いた夢の無い夜には
あなたを呼んでいる

都会の空に夢を託して
心を犠牲にしてる
野心と愛の調和がとれず
誰もが彷徨っている

飾らなかった誠実な日々
この頃何故か恋しく想う

<以下、略>

(歌詞の全部はこちら。PV動画はこちらから)

ということで、今回はこの二人の女性アーティストの「home」をめぐって考えてみましょう。

(設問1)鬼束の「everyhome」の世界が「月光」の世界の延長と考えると、どのように変わったと思うか。

(設問2)アンジェラの曲で「都会の空に夢を託して 心を犠牲にしてる」という部分はどういうことを意味しているのか。

(設問3)鬼束ちひろにとっての「home」とアンジェラ・アキの「home」とではどのような違いがあるか説明しなさい。