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Nicomachusの園 Ⅲ

2007年度総合倫理の課題とコメント

鬼束ちひろとアンジェラ・アキの「home」の意味についての解説

2007-06-28 13:53:17 | Weblog
今週で一学期の授業は終了です。新しい課題は9月からになります。今回は第八回の解説をしておきます。一学期のまとめをしておいてください。

鬼束ちひろの「月光」については、「神の子」という言葉やその宗教的な雰囲気の歌詞の内容からキリスト教との関係が論議をよんでいたようである。また、「腐敗した世界」といったこの世界に対する否定的な歌詞の内容から、「グノーシス主義」との関係を説く人もいる。(注1)

たしかに歌詞の内容は宗教的な信仰と無関係とは思えないが、正統派のクリスチャンが自分を「神の子」とよぶことはないし、この世界に「居場所」がないというのような世界否定の考えを表明するようなことはないように思われる。キリスト教への信仰としてとらえるには矛盾が多すぎるのである。

鬼束ちひろが高校時代に衝撃を受け、影響を受けたとされるのがアメリカのシンガーJewelである。彼女のヒット曲「Hands」は次のような歌詞である。(下に拙訳をつけた)

 「Hands」 

If I could tell the world just one thing
It would be that we're all OK
and not to worry 'cause worry is wasteful
and useless in times like these
I won't be made useless
I won't be idle with despair
I will gather myself around my faith
For light does the darkness most fear

My hands are small, I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

Poverty stole your golden shoes
But it didn't steal your laughter
and heart ache came to visit me
But I knew it wasn't ever after

We'll fight, not out of spite
For someone must stand up for what's right
'Cause where there's a man who has no voice
There ours shall go singing

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

In the end only kindness matters
In the end only kindness matters

I will get down on my knees, and I will pray
I will get down on my knees, and I will pray
I will get down on my knees, and I will pray

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken

My hands are small I know
But they're not yours, they are my own
But they're not yours, they are my own
and I am never broken
We are never broken

We are God's eyes
God's hands
God's mind
We are God's eyes
God's hands
God's heart
We are God's eyes
God's hands
God's eyes
We are God's hands

(世界に告げることがあるならば、それはたったひとつ、
みんな大丈夫、心配はいらないということ。
心配は時間の無駄だし、こんなにも役に立たないのだから。
役立たずにはなりたくない。
絶望して空回りしたくはない。
信仰によって勇気を奮い起こしたい。
光は暗闇をもっとも恐れるのだから。

私の手は小さい。 けれどそれはあなたの手ではなくて、私の手なのだ。
そして私はけっしてくじけない。

貧しさがあなたの金のシューズを盗んだ。
けれども貧しさがあなたから笑顔を盗むことはなかった。
胸の痛みがわたしを襲った。しかし、それからずっと続いたわけではない。

わたしたちは戦うだろう。恨みからではなくて。
 だれかが正しいことのために立ち上がらなければらないのだから。
声なき人がいるところにわたしたちが歌を届けなければならないのだから。

私の手は小さい。でも、それはあなたのではなくて私の手なのだ。
 私はけっしてくじけたりしない。

 最後には優しさだけが大切なのだ。

ひざまずいてわたしは祈るだろう。

私はけっしてくじけない。わたしたちはくじけたりしない。

わたしたちは神の目 神の手 神の心)

この「Hands」のPV動画では爆弾テロで破壊されたと思われるような建物のがれきの中から人々が救い出される映像が映される。(PV動画はこちら
この曲が収録されたアルバムは1998年リリースだから、2001年の同時多発テロの前だ。まるでテロを預言するような映像だ。2001年のテロが起こったとき、全米のFM局に「Hands」のリクエストが殺到したという。(ちなみにブッシュ大統領もこの曲を絶賛して国民にリクエストをよびかけたらしい。)

この「Hands」の歌詞にはテロを予見するような内容は含まれてはいない。「信仰によって勇気を奮い起こす」とか「正しいことのために立ち上がらなければらない」といった言葉が同時多発テロで衝撃を受けた市民にストレートに受けとめられたことは想像できる。

鬼束が「Hands」を知ったのも同時多発テロ以前の高校生のときであった。その後、同時多発テロの直前に発表していた「infection」という曲に、事件を予見するような歌詞が含まれていて、急遽プロモーションを中止するという事態になった。(注2)奇しくもこの日米の二人の女性アーティストが世界の激動に巻き込まれてしまったのである。

鬼束が同時多発テロという事態にどのような思いをもったのかはわからない。その後、音楽活動を中止するに至った背景にこの事件が影響していたのかどうかもわからない。しかし、結果的に鬼束の創作活動に世界の情勢の変化が関与しなかったとは言えないように思う。

いまから考えると、鬼束の「月光」は同時多発テロ以降の世界の情勢を予見していたと思えなくもないからだ。

Jewelの「Hands」は、最後に「神の目 神の手 神の心」と歌う。つまり、わたしたちは「神と共に」ある。だから、自分を強くもって勇気を奮い起こそう、という内容だ。それに対して、鬼束の「月光」は、「こんな場所でどうやって生きろというの?」とか「こんなもののために生まれたんじゃない」というように、現実世界に対して否定的で絶望的ですらある内容だ。Jewelの歌詞がアメリカ市民の多くを勇気づけ、広く受け入れられる内容であるのに対して、鬼束のそれは、あまりに暗く絶望的だ。(もっとも「月光」というタイトルから、そういう絶望的な世界から一筋の光を見いだそうとする希求ないし祈りを感じ取れなくもないが)

それはたぶん、Jewlには絶対者としての「神」へのゆるぎない信仰が背景になったいるからだし、鬼束にはこの「絶対者」を希求していても、それが不在で見いだせないからだ。

鬼束の「everyhome」は、「月光」の世界のような絶望的な状態から少し変化をとげているように思われる。「一体何を信じれば?」と嘆き「どこにも居場所なんて無い」と歌った世界から、「まだ今は来ない次の列車を待つ」という心境の変化だ。それは「GOIN'ON GOIN'ON 確かな自分を守るのは everyhome」(「GOIN'ON」は前へ進み続けなければ、という意味なのだろう)というように、すこしだけ前向きな言葉が現れてくるからだ。

それにしても「everyhome」の歌詞は難解だ。というより解釈が不能といっていい。第一に、この詩の主体(主語)がない。たとえば「夢が醒めない事を きっと責め続けたのだろう」とあるが、「夢が醒めない」の主語はだれなのか、また、「責め続けた」のはだれなのか、わからない。(おそらく、この部分の主語はどちらも自分(私)なのだと思うが)主語だけではない。目的語も不明だ。「何処かへさらってしまうなら」とは何を「さらってしまう」のかがわからない。(この部分もおそらく目的語は自分(私)なのだと思う)歌詞だけ追いかけてみると、まるで統合する自我が喪われている言葉の羅列なのだ。かろうじて歌詞全体から感じ取れるのは、「誰か」「何か」や「何処か」という言葉が象徴するように、「月光」で希求した「絶対者」はここでも不在のままだということである。それでも「everyhome」(いたるところ安住の地、というような意味だろうか)というタイトルをつけた心境の変化は伝わってくる。

しかし、この「home」はどこか実態が見えない。それはアンジェラ・アキが歌う「home」が幼少期を過ごし、自分を育ててくれた温かい人々のいる「ふるさと」のことであるのと対照的だ。鬼束の「home」はそうではない。自分の経験の中にある「ふるさと」のことでも「家庭」のことでもない。言ってみれば、まるで修行者が求める境地のことである。(注3)

鬼束の心の軌跡がわからない以上、歌詞の言葉の意味にこれ以上こだわっても仕方がない。同時多発テロ以降、世界の情勢は変貌した。テロの衝撃は少しずつ薄れてきているけれども、その後の世界情勢が引き続き不安定で混沌とした状況であるのは変わらない。鬼束の楽曲が(たとえそれが彼女の個人的な心理状態に過ぎないものだとしても)そうした世界の現在を無意識に映し出していると思えなくもないのである。

(注1)グノーシス主義とは、初期キリスト教にも影響を与えたと考えられる世界観。この世界を悪や腐敗に満ちたものとして否定的にとらえる。人間の本質にある神性を認識することによる救済を主張する。のちに正統派キリスト教から異端とされた。
(注2)「infection」の中で何度も繰り返される「爆破して飛び散った 心の破片」というフレーズが同時多発テロの悲惨な状況を彷彿とさせることが自粛の理由となったようだ。もっともこのフレーズは鬼束の心象風景というかよくない心理状態を表現したものだ。
(注3)アンジェラ・アキの「home」の背景については、アサヒコムのBeにある連載記事が参考になる。(記事の内容はこちら

6 コメント

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コメント (sarut)
2007-06-28 21:59:27
everyhomeの歌詞は今までの楽曲以上に理解しやすい気がするのですが…
アンジェラアキさんと鬼束ちひろさんはよk比較の対象になるけれど、あくまで前者は表の世界を歌い後者は裏の世界を歌っているだけだと思います。
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Unknown (s/a)
2007-06-29 13:43:37
鬼束ちひろの歌詞の難解さは「本人の心情」とかではなく「彼女の歌詞の世界観」ではないでしょうか。
人の心にある影や悲しみをすごく巧みに表現していて私は好きです。それも一つの魅力だと思います。
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Unknown (stupid)
2007-06-29 13:47:16
この授業の後に鬼束ちひろを借りて聞いた。とても気に入った。僕はあからさまに希望を歌うようなアーティストが好きじゃない。世の中には本当にどうしようもないくらいに絶望してる人だっているのになぜそんなことがいえるにのかと感じる。聴いててとても嘘くさく思うからだ。その点でいうと鬼束ちひろというのは全く逆、どこまでも落ちていくような深い絶望を静かに歌う。こういうひとの方がリアリティを感じる。絶望を、弱さを、負の感情を歌えない人間にはリアリティは感じられない。
まあ、少し落ち込みすぎてるような気もするが。
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Unknown (jos)
2007-06-29 13:59:09
思えば、9・11テロは、僕が小学六年生のときに起きた事件であり、小学生ながら、何か底知れぬ深き闇のようなものを感じていたことを覚えています。そのような出来事が、鬼塚さんに与えた物、歌詞に現れた影響・・・。あえて言うなら、歌詞から垣間見られる、絶望とでも言うべきでしょうか。
 しかし、その絶望がいったいなぜこれほどまでに大きく現れているのかは、僕もわかりません。これはやはり、鬼塚さんだから感じ取れる感情なのかもしれないと思いました。
 
 
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Unknown (haniwa)
2007-06-29 14:03:22
彼女の歌はなんだかどんどん穴を掘って掘って掘り進んで・・・凄く暗いところから歌っているような感じが一時期とても好きでした。地面から沸き上がってるような苦しさがたまらなく好き。友人がものすごく好きで、それに影響されたのもあると思うけれど。
今回の曲は難解ではあるけれど、彼女にしては珍しく爽やかな感じも受けたが、こういう感じも嫌いじゃない胃です。
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Unknown (354)
2007-06-29 14:20:07
とりあえず鬼束の歌詞の本当の意味は本人に聞いてみないと分からないってことで。
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