癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■「八甲田死の彷徨」・・・・・・・・弔い訓練?

2008年02月13日 20時02分39秒 | ニュース

陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊(青森市)は13日、厳冬の八甲田山中をスキーで移動する恒例の「八甲田演習」を実施した。

 同演習は、日本山岳史上最大の遭難事故とされる明治35年の八甲田雪中行軍で兵士ら199人の犠牲者を出した旧陸軍歩兵第5連隊と所在地、隊番号が同じ陸自5普連が、遭難者の霊を追悼し、遺徳を検証すると同時に冬季の雪中行動の練度維持を目的に昭和40年から実施、以来5普連の恒例となっており、今年は39回目。

 今年一番の寒気が東北地方を襲った13日は、午前8時半の出発時の気温は零下10度、時折風速20メートルの猛吹雪で視界が遮られる悪条件の中、同連隊の連隊長、田草川茂人1等陸佐以下隊員約450人は約20キロの装具・小銃を担ぎ、八甲田連峰の八甲田温泉から増沢までの約21キロを8時間かけてスキーで走破した。
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 新田次郎『八甲田山死の彷徨』の映画を思い出す。
外套・革靴・「がんじき」「鍋・かまど」で、満足な予備食料を持たず、気候の急変で、一寸先が見えない吹き荒れる山の中を、幽霊のように出口を求めて彷徨い、後藤伍長が捜索隊の目印となるベく銃を支えに立ち、救助を待っていたと言う。
明治時代の兵士199人の遭難者の実話に基づく映画を思い出す。

山の天候の変わりようは目まぐるしい。現在は、事前の訓練・スキー・無線・食料等の装備からして違うと聞く。この明治時代の教訓を活かしての弔い訓練が毎年行われているようだ。21㌔を8時間かけての走行も安全を優先しての走破ということだろう。

特に、山の遭難ニュースがよく流れるが、「山を甘く見て」の遭難が多いようにに思えてならない。周到な準備と心構えが特に冬山には欠かせないと言う事が教訓のようだ・・・・


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