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癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

◇【長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳(2805m】・・・・・・・7名滑落3名死亡!

2018年03月25日 18時09分31秒 | 祈   り



25日午前8時35分ごろ、長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳(2805メートル)の南稜(なんりょう)付近で、複数の登山者が滑落したと、他の登山者から通報があった。県警茅野署によると、滑落したのは関西地方から来た、30〜60代の男女7人のグループ。

県警ヘリコプターなどで救助されたが、うち男女3人は心肺停止の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。

 死亡したのは、神戸市東灘区本庄町1丁目の会社員亀石安央さん(47)、京都市西京区大原野西境谷町2丁目のアルバイト従業員山下貴久子さん(39)、兵庫県伊丹市西野7丁目の建築士中澤恒雄さん(63)。

このほか、大阪府吹田市の男性(47)が左足の骨を折る重傷、男女3人が打撲などの軽傷を負った。7人は立場岳から阿弥陀岳に向かう途中で、ザイルでつながっていたという。

 長野地方気象台によると、午前8時半ごろの阿弥陀岳上空は高気圧に覆われて晴れており、風も弱かった。

 八ケ岳に詳しい地元の山岳ガイド高橋政男さん(57)によると、この時期の阿弥陀岳は、冬山登山の入門編として人気という。

立場岳から向かうルートは、登山者同士がザイルで体をつなぎ合って登るような急斜面がある。数日前に降った大雪の影響で、雪崩が起きやすい状況だった可能性もあるという。

 別の山岳ガイドの男性によると、阿弥陀岳は都心からのアクセスもよく、この時期はゴツゴツした冬山らしさが人気という。天候が穏やかであれば初心者を案内することもあるが、今回、7人が滑落したとみられる立場岳から向かうルートは、傾斜がきついところもあり、中級者以上でないと登れない。アイゼンやピッケル、防寒具など真冬と同様の装備が必要という。

 安全対策で登山者同士がロープで体をつなぎあって登ることもあるが、バランスを崩した人を支えきれず、一気に滑落することもある。突風や雪崩で将棋倒しに滑落する危険性もあるという。

 八ケ岳連峰は長野、山梨の両県にまたがり、主峰の赤岳(2899メートル)を中心に山々が連なる。阿弥陀岳では2017年2月に早稲田大学の登山パーティーがン遭難し、学生1人が死亡。このほかにも16年3月に雪崩で1人、15年2月に2人が死亡するなど事故が相次いでいる。(WEB引用)


◎登山を好きでするのも良いいけれど、他人に迷惑・
家族・知人などを悲しませない登山をしよう・・・・
            
合掌


◇【オウム死刑囚分散】・・・・・・全員一斉の執行はとても不可能。首謀者;松本死刑囚から執行することになるようだ!

2018年03月14日 10時44分44秒 | 祈   り

これで1995年に始まったオウム事件の刑事裁判は全て終結することになり、関心は松本智津夫(麻原彰晃)教祖(62)ら13人の死刑囚に対する刑の執行に移る。

 司法担当記者が説明する。

「オウム裁判では、菊地直子元信者に対する最高裁の結論が先月出たばかり。高橋被告が『オウム最後の被告』でした。二審の時は、菊地元信者の判決と高橋被告の判決の間に1年弱の時間差があったので、今回、わずか2カ月間で相次いで最高裁が結論を出したのには驚きました」

 これは最高裁が結論を急いだ結果なのか? 一説には、1人の最高裁判事の突然の退官が関係しているという。

 最高裁には3つの小法廷という“裁判体”があり、高橋被告の事件は第二小法廷が担当していた。各小法廷には5人の裁判官が所属するが、第二小法廷には長官が含まれる。

長官は通常、大法廷の審理にしか参加しないため、第二小法廷での審理は実質4人。その4人のうち、小貫芳信判事が健康上の理由で今月16日に退官したのだ。

「重要な裁判の場合、各小法廷では裁判官が集まって議論して結論を出すので、退官予定の人がいたら、なるべくその人の退官前に判断します。メンバー交代があると一から議論をやり直さないといけないからです。

今回、第二小法廷は小貫判事の突然の退官と後任判事の着任で議論が振り出しに戻ってしまうことを懸念し、残った3人だけで結論を下したのではないかとの観測もあります」(同前)

 刑事訴訟法により、共犯者の刑が確定するまでは死刑を執行しないルールがあるが、高橋被告の刑が確定すると13人への執行が可能になる。

ある法務省関係者は「執行の時期は慎重に検討しなければいけませんが、全員一斉の執行はとても不可能。首謀者とされる松本死刑囚から執行することになるでしょう。

後継教団の信徒による妨害行為などへの警戒も必要です」と語る。Xデーに向けたカウントダウンが始まった!     (WEB引用)
 
地下鉄サリン事件などで死刑が確定したオウム真理教の元幹部7人について、法務省が14日、収容先の東京拘置所から他の拘置所に移送を始めた事が分かった。

移送されたのは、サリン製造に関与した中川智正死刑囚(55)や、坂本弁護士一家殺害事件に関与した岡崎(現姓宮前)一明死刑囚(57)ら7人という。松本死刑囚は含まれていない。7人の移送先は仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の各拘置所・拘置支所。 

カナリヤの籠を下げて捜索に向かう機動隊員の姿が妙に脳裏から離れられない・・・・


◇【追悼式東日本大震災】・・・・・・秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相ら三権の長、遺族の代表ら計約820人が参列。

2018年03月11日 19時44分26秒 | 祈   り


秋 篠 宮 ご夫妻

東日本大震災から11日で7年となった。政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれ、秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相ら三権の長、遺族の代表ら計約820人が参列。地震発生時刻の午後2時46分に合わせて、黙とうをささげた。

 首相は式辞で、「7年の歳月が流れ、被災地では復興が一歩ずつ着実に進展している」と述べ、インフラの復旧や住宅再建が進んでいることを指摘。一方、今なお避難者が7万人を超えていることに触れ、「生活再建のステージに応じた切れ目ない支援に力を注ぐ」と述べ、復興の加速に全力を挙げる方針を強調した。

 秋篠宮さまはお言葉で、多くの被災者が依然として避難生活を余儀なくされていることを「心が痛みます」と気遣われた。その上で「困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念する」と述べられた。

 岩手、宮城、福島3県の遺族代表も追悼の言葉を述べた。

 岩手県代表の磯崎一元さん(73)は、同県釜石市で1人暮らしをしていた90歳の母親を震災で亡くした。安否を確認するため母の自宅を訪ねた時を振り返り、「がれきの山で、足がすくむほどだった。つい『おふくろ、おふくろ』と叫んでしまった」と語った。

 宮城県代表の小野寺秀俊さん(69)は、両親が犠牲となった。震災後、町内会の役員や観光ボランティアガイドなどを務め、「『ありがとう』の言葉を胸に、宮城の自然と共存しながら、一日一日を大事に前へ進む」と誓った。

 福島県代表の五十嵐ひで子さん(70)は現在、語り部として活動しており、「この震災を風化させず後世に伝えるため、『自分の命は、自分で守る』『逃げる意識』を伝え続けていきたい」との決意を明らかにした。

 参列者は昨年に続いて1000人を下回った。追悼式終了後、国立劇場には一般の参列者約680人が献花に訪れた。

 警察庁によると、9日現在の死者は1万5895人、行方不明者は2539人に上る。(WEB引用) 

合  掌         


〇【殉職自衛隊員の追悼式】・・・・・・安倍首相28日、防衛省で行われた⇔国の宝

2017年10月28日 19時47分05秒 | 祈   り



殉職した自衛隊員の追悼式が、28日、防衛省で行われた。安倍首相が出席し、「追悼の辞」を述べた。

 安倍首相「ただひたすら国民のため、それぞれの持ち場において、強い使命感と責任感をもって職務の遂行に全身全霊を捧(ささ)げた皆さまは、この国の誇りです。私たちは、その勇姿と名前を永遠に心に刻みつけてまいります」

 安倍首相はこの後、遺族らとともに防衛省にある慰霊碑に献花を行った。

 去年9月1日から今年8月31日までの1年間で、訓練や勤務中の事故などで亡くなった25人が、殉職と認定された。1950年に自衛隊の前身である警察予備隊が発足して以降、殉職者は、あわせて1934人となっている。(WEV引用)

 
「陸自慰霊祭」の画像検索結果    合   唱


〇【尼崎城で「一枚瓦記名会」】・・・・・尼崎城は、江戸時代初期に尼崎藩主・戸田氏鉄城で、明治時代の廃城令での廃城の再建⇔瓦一枚の成就を願って!!

2017年10月19日 17時52分35秒 | 祈   り

尼崎城は、江戸時代初期に尼崎藩主・戸田氏鉄(うじかね)が築いた城で、明治時代の廃城令により取り壊された。市制100周年を迎えた2016年、市発祥の旧ミドリ電化創業者・安保詮(あぼ・あきら)さんが「再建」し、市に寄贈すると発表。当時の場所から北西に約300メートル離れた同公園内で、当時の本丸の約4分の1サイズで建設が進み、2018年の完成を目指している。

 市では、一人でも多くの人たちに参画してもらうことで親しみと誇りを抱いてもらおうと、5月から「一枚瓦寄付」を募集。実際に使用する瓦の裏面に自身で名前やメッセージを残せるよう、4回にわたって記名会を開催する。

 第1回となる今回は、5月19日~8月13日に寄付した人を招待して行った。参加者は、名前と共に尼崎での思い出、尼崎城再建のお祝い、未来へのメッセージなどを思い思いに書き込んでいた。379枚分の記名が済んだという。

 家族で参加した松波優子さん(43)は「尼崎に暮らして5年、『このまちに城があったんだ』とびっくり。子どもたちが大きくなったら、この瓦の裏に名前があるんだよと伝えたい」と話す。松岡美紀さん(41)は「尼崎城プロジェクト出前講座で、寄付のことを知って即応募。かつて尼崎城の本丸があった場所に建つ小・中学校に通っていたので、城が建つのがうれしい。瓦の裏に名前があると思うと、さらに親しみが湧く」と笑顔を見せる。

 市外の寄付者もおり、埼玉県から始発で駆け付けた福島寛和さん(37)は「貴布禰(きふね)神社やフリーマガジン『南部再生』をきっかけに尼崎が好きになり、年4~5回ほど訪れる。5年ほど前からふるさと納税をし、今年は『一枚瓦寄付』『一口城主寄付』にした」と話す。

 城内まちづくり推進課の馬場章吾さんは「当日は雨だったので、参加者が少ないのではと不安だったが、城の完成を楽しみにしている人たちの笑顔でいっぱいだった。家族のお祝いや幸せを願うメッセージ、中には天守閣からの眺めを短歌に詠んでいる人も。尼崎や城への思いをたくさんの文字やイラストで書く姿を見て、多くの人たちに愛される、思いの詰まった城にしたいと思いを強くした」と話す。「尼崎城再建というまたとない機会に、記念として瓦にメッセージを書いてほしい」と呼び掛ける。

 「一枚瓦寄付」は1口3,000円で、10月16日の時点で1504口が集まっている。寄付金は内部の展示物の整備などに使う予定。2018年6月ごろまで受け付ける。

  • 「孫にメッセージを書いてもらった。ここを通るたび、思い出してもらえたらうれしい」と話す60代男性も
  • 幸せを願うメッセージを記した松岡さん
  • 家族で1枚の瓦に思いを書き合う姿もあった
  • 当日は雨だったが、市内外から寄付者が訪れた



尼崎城プロジェクト本格始動!

 🏯始めて聞く廃城令だが、城の再建を祝い1枚の瓦に込める願いが叶えられる事を祈ります🏯