芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

音楽雑話

2016年08月03日 | エッセイ

 私の音楽の好みはジャンルにこだわらない。当然のことだが、一流のジャズはいい、一流の演歌は素晴らしい、一流のクラシックは感動的だ。ジャンルなどは関係なく、一流は素晴らしいのだ。芸人も同様である。海老一染之助・染太郎は一流である。牧伸二も一流である。
 小野栄一という小柄なボードビリアンの芸を袖から間近に見た。その軽妙な司会ぶり、美空ひばりやチャップリンのものまねは見事だった。
 世間ではあまり知られていないが、辰巳ヒロシという司会者も間近にし、その達者ぶりに感心した。一緒に仕事をする機会が何度かあり、共に地方に移動するうち親しくなった。当時、山口百恵コンサートのほとんどどの司会を担当していて、彼女の素顔や知られざる逸話を楽しく聞いた。彼はいま北島三郎公演の司会をしているらしい。
 大物歌手のコンサートでは、衣装替えの間に、弟子の若い歌手や無名の歌手などが出てきて歌うことが多い。その中には紅白常連の大物歌手よりずっと 上手い歌手もいる。
 名前も忘れてしまったが、高校を卒業したばかりでデビューした女性演歌歌手がいた。瓜ざね顔の大変な美人で、和服がよく似合い、歌も抜群に上手かった。大いに期待したのだが、彼女はついに売れることなく消えていった。彼等の悲劇は、容易に人口に親炙するような持ち歌に恵まれなかったことにある。

 演奏者や歌い手の巧さ(上手さ)とは、楽譜通りに演奏したり歌うことではない。森繁久弥の歌は下手である。しかし彼の歌には深い味わいがある。実に巧い、 素晴らしい。田端義夫は下手くそである。ろくに声が出ない。しかし何とも味わいがあって懐かしい。彼こそは「流し」演歌の代表であった。彼が流しで確立したのは、揺るぎないその個性なのである。「いよっ!バタやん!」と声をかけたい。一節太郎の「浪曲子守唄」は素晴らしい。まさに一節太郎畢生の名曲中の名曲だろう。
 私は浅川マキの唄(決して歌ではなく、唄である)が大好きで、彼女を日本で一番上手い歌手と言った作家の五木寛之に賛同している。彼女は平気で音程を外した。でも日本一なのである。ジャズピアニストの山下洋輔は、日本のジャズボーカリストでは浅川マキしか認めていなかった(近年、綾戸智恵が加えら れたそうである)。
 浅川マキは決して演奏に合わせて唄わなかった。山下洋輔トリオが、浅川マキに合わせて演奏していたのだ。「あんな女は初めてだったのブルース」 を唄っていたが、唄で人を酩酊させるような、あんな女は初めてだった。

 綾戸智恵のコンサートのとき、会場に届いたレンタルのピアノは、かなり古いものであった。調律師が予定時間を超えて四苦八苦した。最後は首を傾げ て「投了」した。どうも調律がうまくいかないのである。「こんな古いピアノは初めてですよ」と彼は言った。
 リハでピアノを弾き始めた彼女が言った。「ええわァこのピア ノ…ええなァこれ」彼女は何度もそれを繰り返した。さらに真顔で何度も言った。「なあ、このピアノ売ってくれへん? ほんま、これエエわァ」 楽屋で彼女が言った。「きのうな、札幌の五百人のホールやったん。そのピアノがな、ピカピカの新品やったん。ありゃあかんわァ、小便くさい小娘やでェ」… そして本番である。彼女はゆっくりとピアノを弾き出し、会場に笑顔を向けてこう言った。「こんにちわァ、給食のおばちゃんやでェ」(笑)…彼女の弾き語りは会場を沸かし、泣かせた。歌は人生だ。彼女が学校給食のおばちゃんをやりながら子育てをし、夜はジャズバーで歌っていたのは事実なのだ。
 おそらく山下洋輔は聴いたことがないだろうが、私は日吉ミミが唄う土臭いジャズが大好きだった。また八代亜紀が歌うジャズやシャンソンは、彼女が 歌う演歌よりずっといい。彼女たちの長い下積み時代、ドサ回りをしていた頃、酔客の前でそればかりを歌い込んできたのだ。

 古謝美佐子のソロを聴いたとき、決して大袈裟でなく、全身を貫くような衝撃を受けたことがある。これは凄い! ネーネーズのときには気づかなかった。ちなみに「童神(わらびがみ)」を聴いてほしい。作詞は古謝本人である。「童神」は夏川りみも歌っているが聴き比べてみると分かる。これは仕方がない。やがて夏川も同じような凄みを出せるようになるかも知れない。夏川が一番尊敬している「唄者(うたしゃ)」は古謝美佐子なのである。いま二人はよく共演 している。ちなみに七、八年前に「オキナワなんでも事典」という文庫本に古謝美佐子に関する記述を見つけた。彼女は「『セジ高(だか)生まれ』で、幼い頃から 神々や精霊の世界との交信があったという」…。生まれながらに感応が強く、自然界と交信できる大巫女の能力を備えていたのだ。
 ※城南海が歌う「童神」も素晴らしい。奄美の発声法か彼女の声は楽器だ。以前、仕事で彼女のコンサートに携わったおり、リハでの歌を聴いて思わず「あなた、歌上手いね。それに良い声」と、彼女に対して失礼なことを言ってしまったことがある。

 私の好きな歌手等を列記したい。シャンソンならマリ・デュバ(ピアフが「ああマリ・デュバ、あなたは私の全てです」と言った)。ファドなら、いやもはや ファドではないが、マドレデウス。コロラトゥラソプラノならサイ イェングァンで、彼女のための曲と言われる「愛する小鳥よ」。その全盛期のアリアは絶品で、大曲、難曲を立て続けに歌える喉の持ち主である。彼女の声は素晴らしい楽器なのだ。
 ジプシーバイオリンなら天才ロビー・ラカトシュ。タンゴバイオリンなら喜多直毅。彼の音色には何とも言えぬ粋で苦み走った色気がある、艶がある。
 ジャズバイオリンでは寺井尚子。そして東京ホット倶楽部バンド時代の大矢貞夫。ジャンゴ・ラインハルトを継承したこのバンドは、一つ一つを取り上げれば、 図抜けて上手いわけではない。しかし何とも言えぬユーモアと猥雑さが素晴らしかった。つまり「音楽」そのもので、実に楽しい音だったのである。
 先に記した方たちも再び挙げよう。沖縄の唄者なら古謝美佐子。ジャズボーカリストなら浅川マキ、綾戸智恵。そしてピアニスト、作曲家なら加古隆。 ウォン・ ウィンツァン作曲演奏のピアノ曲「運命と絆」「勇気と祈り」「知られざる子供たち」。銀巴里出身の小泉源兵衛のピアノも好きだ。

 津軽三味線なら木下伸市(木之下真市と改名)。和太鼓なら御木裕樹。和風ロックバンドRYUGUも素晴らしく楽しかった。私はリーダーでボーカルの松浦金時の作詞も作曲も高く評価している。伊藤多喜雄の民謡ロックも、舞台を上手から下手まで目一杯走り回りながら歌う民謡歌手・岸千恵子の「千恵っ子 よされ」も好きである。胡弓ならヤン・シンシンとジァー・パンファン。フォークなら高田渡と山崎ハコ、りりィ、特に「お元気ですか」「ジュン」。中島みゆ き「ファイト」。それと、私といささかの縁もあった四畳半ロック、ハードフォークロックのエンケンこと遠藤賢司も、感謝の意をこめて挙げておきたい。特に「東京ワッショイ」は名曲だった。彼の「不滅の男」「歓喜の歌」も挙げておこう。
 変わったところで秦琴の深草アキ。彼の秦琴を聴けば不眠症などすぐ治る。α波あふれる究極の癒やしの音色だ。サティ弾きなら完全陶酔状態で弾く島田璃里。童謡なら「生」で聴く雨宮知子。CDなどの録音されたものでは、何故か彼女の声の素晴らしさは伝わらないのだ。何十年に一人の癒やしの声の持ち主である。

 演歌なら藤圭子、青江三奈、村田英雄。演歌と浪曲なら二葉百合子、三波春夫。さて、浅川マキ亡きあと、今一番上手い歌手は島津亜矢ではないか。無論ふたりの共通性は全くない。…島津亜矢はド演歌である。彼女のその声量、どんな種類の曲を歌わせても安定した音程、音感。品位を保った見事なこぶし、どこまでも 伸びる高音域と自然なファルセットは実に素晴らしい。まるで楽器だ。しかし彼女はあまり持ち歌に恵まれていないのではないか。よく「無法松の一生」や、美空ひばりの「柔」「佐渡情話」、三波春夫の「大利根無情」「元禄名槍譜・俵星玄蕃」を歌っているが、いずれも素晴らしい。特に「大利根無情」「元禄名槍譜・俵星玄蕃」は圧巻である。しかし何度も聴き、三波春夫と聴き比べるうち、彼女の瑕疵に気づく。低音域にいまひとつ響きと艶がないことだ。師匠の二葉百合子や三波春夫、村田英雄の低音域には響きや艶がある。浪曲師の発声法は何か独特のものなのだろうか。もうひとり、肝 (はら)にズンと響く低音域の持ち主は古謝美佐子であろう。その発声のコツを掴んだとき、島津亜矢はより最高の歌い手になるのではないか。いよっ 頑張れ! 亜矢ちゃ~ん!

                                                                  

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