
「ここには、全世界からの金の流れと共に死がやって来ます。精神の不在をこの地ほど感じさせる所はないでしょう。…私はこの目で、ドル紙幣の最後の滓、死んだ金の奔流が海に向かって流れていくのを見ました。いろいろ自殺した人とか気絶した人を見たことがありますが、この時ほど、真の死、希望なき死、腐食そのもの以外の何物でもない死というものを感じさせられたことはありません。」
1929年の夏、スペインの詩人が旅の途次にニューヨークを訪れた。彼はこの大きな都市、特にウォール街についてこう語ったのである。詩人の感性はまことに鋭い。
さて、詩人と歴史と時代と馬の、とりとめのない連想の物語である。
1936年。この年の2月、スペインでは選挙で人民戦線派が圧勝した。人民戦線は欧州で反ナチズム、反ファシズム、反ヒトラーを掲げた社会主義・共産主義の連帯的な政治運動だった。日本では2・26事件が起こった。
4月29日に開催された東京優駿(日本ダービー)に勝ったのはトクマサである。父 はトゥルヌソル(向日葵)である。トゥルヌソルは1926年にイギリスから日本に輸入された。毛色は鹿毛である。その子トクマサは明るい栗毛であった。
世界は全く異質で無関係なことどもも、当然のことながら、このように全く同時に進行しているのである。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが鋭く分析・予言したごとく 、国は資本家階級と労働者階級に分裂し、市民と軍隊の間も分裂し、カタルーニャやバスクの独立運動で国そのものが分裂していくのだ。その本質は、各集団が自己を部分として感じない。他者にも全体にも配慮はなく、自己の利益、自分が属する集団の利益のみが全てだと思いなすことにある。それらの実現のために、暴力や、軍事力や、民意という名の独裁が忍び寄る。その風は不意にやってくるように思われるが、そうではない。
時代は急を告げ、それは詩人の歌にも鋭く反映した。アンダルシアの、窓辺や壁に可 憐な花々が咲き乱れる、静まりかえったジプシーの町の、夜らしい夜である。
彼らの馬は黒
蹄鉄まで真っ黒
マントに光る
インクと蝋の染み
鉛製の頭蓋骨
彼らに涙はない
人造皮の魂ひっさげ
街道をやってくる
セムシで夜行性
どこでだろうと
ひっかきまわす命令
暗いゴムの沈黙
こまかい砂の恐怖
気ままにとおりすぎる
どろどろのピストルの
わけのわからぬ天文学
頭の中に隠して
戸をみんな叩いていた
重傷の馬一頭
ガラスの雄鶏
歌っていた
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
風は素っ裸で
不意打ちの街角まがる
夜 銀の夜 夜
夜々の深い夜
※ロルカ詩集(長谷川四郎訳 みすず書房)
傷ついた馬の、毛色は何色だったのか。夜陰にまぎれ、静かなジプシーの町、ヘレス・デ・フロンテーラに忍び寄るスペイン警察隊の馬の毛色は、闇の色に似た漆黒であるらしい。暴力と血と死の匂いが、夜らしい夜に、静かに眠るジプシーの町に忍び寄る。
7月、スペインに内乱が起こった。世界各地から人民戦線に参加する義勇兵がやって きた。アーネスト・ヘミングウェイもその一人であった。その後、彼は「誰がために鐘は鳴る」を書いた。スペイン内乱には何人かの日本人も参戦している。彼らは反ファシズム、反ナチズムに共鳴し、日本では不可能な自由と民主主義と社会主義の可能性を見たのかも知れなかった。
8月19日、ロルカが死んだ。
その報せをパリで聞いたダリは、勇敢で華麗な闘牛士に掛けるように、「オーレ!」と叫んだ。それが親友の壮烈な死への、サルバドール・ ダリらしい表現だったのだ。
ガルシア・ロルカの銃殺は、軍服を着た右翼のファランヘ党による。この政党は後に フランシスコ・フランコ将軍によって王党派と合体して、彼の独裁政権の元となった。
ヒトラーやムッソリーニはフランコを支持した。ムッソリーニやヒトラーが倒された後も、フランコ将軍はその独裁政権を強固に維持し続けていた。そのためスペインでは暫くの間、国民的詩人ガルシア・ロルカの詩は発禁の措置がとられたままだった。
ところで冒頭に挙げた言葉は、ロルカがある講演でニューヨークの印象について述べたものである。それは金融資本主義が人間の精神にもたらす、死の予言であった。
ロルカは漆黒の馬に不吉なイメージを重ねたが、ちなみに私は漆黒の馬が大好きある。 黒鹿毛より黒い漆黒の毛色、青毛である。青毛の競走馬は年に数頭しか生まれない。その深く黒光りする馬体は実に美しい。無論それは大好きな競走馬の話である。
しかし、かつてロルカが歌った不吉な漆黒の馬の連隊が、我らの日常にも忍び寄っているのではなかろうか。もう裸の風とともに街角を曲がったところではなかろうか。それは不意にやって来る。
…彼らの頭蓋骨は鉛製。だから涙も流さない。…
(この一文は2008年4月26日に書かれたものです。)

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