芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

祟ってやれ

2016年07月17日 | エッセイ
 
 軍人遺族会や神道政治連盟、軍人恩給連合会、全国戦友連合会、日本会議の方々が言う。
「あの大東亜戦争が侵略戦争だったと非難されることは、死んでいった英霊たちに酷である。認められない!」
…でも侵略戦争だったのだ。恨み辛みは昭和天皇やその統帥権をかざした参謀本部、軍官僚、戦争指導者、戦争推進者たちに言うべきだ。…軍人遺族会や神道政治連盟、軍人恩給連合会、全国戦友連合会、日本会議の方々が言う。
「あの大東亜戦争で死んでいった英霊たちは犬死だったと言うのか。承服できない!」
…でも犬死だったのだ。恨み辛みは参謀本部、軍官僚、戦争指導者、戦争推進者たちに言うべきだ。
 食糧もろくに持たせず、送らず、補給計画すらなく、「現地調達」を旨とする進軍は、現地住民等に軍票を使用したとしても、その軍票は全く信用がなく、強奪略奪をする外なかったのだから。
 食糧もなく薬もなく、武器弾薬すらまともになく、戦死した兵士の85%は餓死戦病死だったのだから、犬死ではないか。日露戦争時とさしてかわらぬ銃を持たされ、何百キロ、何トンもの重火器を運ぶ軍用トラックすらなく、牛や馬に引かせ、兵士に担がせ、砲弾は敵陣にすら届かず、圧倒的な重火器の威力差は彼らを吹き飛ばし、止むことのない雨のような銃弾を浴び、地上から頭すら上げる暇はなかったという…犬死ではないか。
 圧倒的に不利な戦況の中、隊を全滅させまいと退却して来た部隊を、耐え難い侮辱の言葉で罵り、制裁を加え、彼らは再び圧倒的な重火器の前面に送り出される、ただ死ぬために…犬死ではないか。それでも生き延びて傷つき退却してくる者は、「貴様ら、それでも皇軍か、恥を知れ!」と罵られ、自死を強要される。そうして死んでいった軍人兵士もたくさんいた。これを犬死と言わず何と言うや! 
 南方への兵員輸送でも、三割が比島に着けば作戦は成功だと、戦争指導者たちは言っていたのだ。七割は南溟に消えたのだ。比島にたどり着いた三割を待っていたのは、飢餓と病気だった。…彼ら、靖国に眠るや。

…そうやって何千何万もの軍人兵士を殺した、牟田口蓮也司令官中将や、花谷正師団長少将や、服部卓四郎参謀大佐、辻政信参謀中佐等、たくさんいた。全てが神懸かりの狂信的天皇主義者で、陸大の成績は優秀でも全く無能で、非合理的な狂気の大和魂主義者だった。
 彼らのほとんどは生き延びて、終戦時の混乱に乗じて軍需物資をどこかへ隠匿・横流しし、全く戦争責任も負わず、国会議員になったり、大手企業の役員を務めたり、GHQのウィロビーの配下となってかつての仲間を売ったり、反共工作機関をつくったり、後に自衛隊となる警察予備隊の創設に関わったり、軍人遺族会や軍人恩給連合会の会長、副会長、役員などを務めたり、自民党県連会長、副会長なども務めたり、皇太子の婚儀を見たし、新幹線の開通も、東京オリンピックも見た。
 死ねば青山斎場を数えきれぬ花輪と弔問者が取り囲み、吉田茂や岸信介や中曽根康弘や奥野誠亮や、悪相の政治家、右翼どもが長々と弔辞を読み上げるほど、天寿を全うしてしまうのだ。
…彼らに犬死させられた軍人兵士よ、あゝ靖国に眠るか。戦争責任者、A級戦犯とともに眠れるか。
 あゝ戦死ヤアハレ。二度とかくも悲惨な戦争に人々を赴かせてはならないはずだ。天皇の名において戦争に駆り出され、上官の命令は天皇の命令と思えと教え込まされ、上官たちに大した理由なく制裁を喰らい、武器弾薬も食糧もない戦場を逃げまどい、生きて虜囚の辱めを受けるなと叩き込まれ、死んで天皇の国体をお守りしろと殺されていった人たちよ。あなたたちの無念の犠牲の後に戦争が終わり、平和な時代が得られたのだ。もう戦争はしないと決めたのだ。
 無念にも死んでいった軍人兵士たちよ…戦争責任者、戦争指導者、戦争推進者たちに祟れ。そして今また妄動する者たちに祟れ。…そして、今の平和がいつまでも続くよう見守り、祈っていただきたい。

  

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