芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

兆民を再読す

2016年08月19日 | エッセイ
                                                              

 中江兆民は公布された大日本帝國憲法(明治憲法)を一読し、鼻先でせせら嗤ったという。

 兆民に関する本を何冊か読み直している。幸徳秋水の「兆民先生 兆民先生行状記」、井田進也編の「兆民をひらく」、そして「一年有半」。彼は癌を病み、医者からもって一年有半と言われたが、もっと短く宣告から九ヶ月で没した。
 それにしても、改めてすごい人だったと思うのだ。

「三酔人経綸問答」は、三人の男たちの政治鼎談である。哲学者で、西洋近代思想を理想主義的に語る紳士は洋学紳士である。
 国権主義的な国家の拡大と外への伸張を説く、絣の和服を着た壮士風の男は豪傑君である。
 この二人の客人に酒を出し、彼らを大いに語らせ、問われれば自らも語りながら彼らの話をまとめるのは南海先生である。
 この三人の中に、それぞれ兆民自身の、理路整然とした「西洋近代思想」や、領土拡大と国利のための政治学を披瀝する「国士的気分」や、「現実主義的な思考」が含まれていたと思われる。
 洋学紳士は小国主義が日本の取るべき道だと言い、豪傑君は大国主義をかざす。

洋学紳士「政治的進化の理法をおしすすめて考えると、自由というもの一つだけでは、まだ制度が完全にできあがったとは言えないので、そのうえさらに平等が得られて、はじめて大成することができるのです。なぜなら、人々がみないっさい各種の権利を欠けることなく持っており、またその権利の分量についても人によって多い少ないの差別がない、というのでないかぎり、権利の量の多いものは、自由の量もまた多く、権利の量が少ないものは、自由の量もまた少ない、ということになるのは、避けることのできない傾向だからである。それゆえ、平等にして自由、これが制度の最高法則です。…
 とるにたらぬちっぽけな国の国民が、今ごろになって、わずか十万ばかりの軍勢を出し、わずか十隻、百隻の軍艦を送って、はるか国外の土地を侵略し、本国経済の流通をたかめようなどというのは、バカでなければ気狂いです。もっぱらみずからを守り、自給自足するように努力する以外にないとすれば、そのための政策をなぜ考えようとしないのでしょう。
 民主、平等の制度を確立して、人々の身体を人々に返し、要塞をつぶし、軍備を撤廃して、他国に対して殺人を犯す意志がないことを示し、また、他国もそのような意志を持つものでないと信じることを示し、国全体を道徳の花園とし、学問の畑とするのです。…
 道徳の花園は、だれもが愛し、したう。破壊するに忍びないのです。学問の畑は、だれもが利用し、おかげをこうむる。破壊しようとするものはありません。…試みにこのアジアの小国を、民主、平等、道徳、学問の実験室としたいものです。ひょっとすると、私たちは世界でもっとも尊い、もっとも愛すべき、天下泰平、万民幸福という化合物を蒸留することができるかもしれないのです。」

南海先生「多くの場合、国と国とが恨みを結ぶのは、実情からからではなくてデマから生ずるものです。実情を見破りさえすれば、少しも疑う必要がないのに、デマで憶測すると、実にただごとならぬように思えてくる。各国たがいに疑うのは、各国のノイローゼです。青眼鏡をかけて物を見れば、見る物すべて青色でないものはない。外交家の眼鏡が無色透明でないことを、私はいつも憐れに思っています。
 こういうわけで二つの国が戦争を始めるのは、どちらも戦争が好きだからではなくて、実は戦争を恐れているために、そうなるのです。こちらが相手を恐れて、あわてて軍備をととのえる。すると相手もまたこちらを恐れて、あわてて軍備をととのえる。双方のノイローゼは、月日とともに激しくなり、そこへまた新聞というものまであって、各国の実情とデマとを無差別にならべて報道する。はなはだしい場合には、自分自身ノイローゼ的な文章を書き、なにか異常な色をつけて世間に広めてしまう。そうなると、おたがいに恐れあっている二国の神経は、いよいよ混乱してきて、先んずれば人を制す、いっそこちらから口火をきるにしかず、と思うようになる。そうなると、戦争を恐れるこの二国の気持ちは、急激に頂点に達し、おのずと開戦となってしまうのです。今も昔も、どこの国も、これが交戦の実情です。もし片一方の国が、ノイローゼにかかっていないときは、たいていの場合、戦争にまでならず、たとえ戦争になっても、その国の戦略はかならず防衛を主とし、ゆとりがあり、また正義という名分を持つことができるので、文明史のうちに否定的評価を記入をされることは、けっしてないのです。」

 いまの日本国憲法の起草者は、中江兆民ではなかったか? と錯覚しそうになってしまう。おそらく自由民権運動のさなかに数多く起草された私擬憲法草案や、兆民の思想、また後年の治安維持法で虐められながら憲法の研究を続けた鈴木安蔵、高野岩三郎たちの苗床があって、今の憲法が生まれ、受け入れられたのであろう。
 また、兆民を読むと、まるで現政権の対外政策、安保法制、9条をはじめとする壊憲への動き、自衛隊を超える目的を持った軍隊の創設、軍拡、場合によっては核武装も、という動きの愚かさを、叱り、諭しているかのように思われるのである。

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