このたびは心配をおかけし、まことに申し訳なく、また一部の方にはお見舞いにお越しいただき、
まことにありがとうございました。
無事すべてつつがなく…と申し上げたいところですが、いろいろと不手際等もあり、
形式上は「つつがなく終了」いたしましたが、本人の人となりが如実に表れたのが通夜でしたね。
会社関係者はともかくとして、通夜式に参列いただきましたご友人様、ならびに親族・親戚一同すべて、
そう、私ら兄弟3人(とその子一人)を除き、亡くなった父の兄弟に至るまですべて
「振る舞い料理だけ食べるだけ食べて、通夜には誰一人参加されずお帰り」くださいまして、
喪主の兄が0時ごろまで、以降私と妹が番をしていましたが、妹は「限界」と7時まで、
結局私が最終(告別式開始)まで、一睡もせぬまま線香を継がせていただきました。
おかげで私は葬式中にうたた寝しました。
いやはや、「居眠りした葬式」も、「誰もいない通夜」も、初体験でした。
他2組も同時進行で通夜をされていましたが、どこの家も0時を過ぎれば巻き線香に切り替え、
故人を祭壇に置いたまま早々に全員が別室で寝てしまう家ばかりで、
昔ながらの「故人の前で一晩中思い出を語り明かして夜明けを迎える」なんてスタイルは、
今やどこも行わないのかなぁ…と、少しさびしく感じました。
最終的に7時ごろから8時過ぎに式の打ち合わせが始まるまでの間は、
私と嫁だけが故人の前に椅子を置き、「年賀状の50円をケチって「もうあいつは切る」ばかりやってるから
こんな寂しい通夜になるんやで」と、こんこんと説教してやりました。
まぁ、そのおかげで(?)葬儀会場の写真は夜中に無人の状態で山のように撮影させていただきましたし、
故人と正対して話すことで、私もこれまでの無礼を反省し、また故人もこれまでの私に対する接し方を詫びてくれ、
※何しろあちらの人と話ができるのでね
「…やっぱり死ななわからんことって、あるんやねぇ…」と嫁と話しながら、
「あんたは私を邪魔者扱いにしつづけて「出て行け出て行け」といいつづけた。
なのになんで私はその言葉に何年も耐え、まったく家から出なかったか。
結局、最後の最期まであんたのお世話をしたのは誰?あなたのご兄弟でしたか?
遠くに住む自慢の長男でしたか?
時々帰ってきておいしいものを食べさせてくれる「親孝行な」妹でしたか?
「親不孝もの」の私が結局最期まで線香を継いだ理由、おわかりいただけたかな?」
と、故人に問い掛けました。
まぁ、多数の親族がわいわいいいながら通夜をしていたのなら、最後の最期に親と和解することもなく、
わだかまりを残したまま最期の別れをしたでしょう。
これはこれで、よかったのかもしれません。
久々に「涙の止まらない葬式」となりました。