春よ来い!

うつ闘病と母の介護。
穏かな春が訪れる日を待ちつつ
想いや出来事を綴ります。
母は2013年1月23日に永眠。

切れそうな“糸”

2009年03月31日 17時54分19秒 | その日の出来事
昨日は希望の糸だったのが
今日は一転今にも切れてしまいそうです。
市役所で聞いていた書類一式そろえて
今朝提出に行きました。

8時に行って提出してそれから会社に行けば
少しの遅刻で済むと思っていたのが
朝まったく起きる事が出来ず
結局1時間遅れの9時過ぎに市役所に着きました。

がっかりしたのは担当者の対応。
持って来るように聞いていないものがないとか
申請書類の書き方を聞いても満足に答えられない有様。
質問をしても的外れの答えしかかえって来ないし。
昨日の時点でもそういう傾向は感じていたのですが
今日はさすがにあきれてこちらの心が切れかけてしまいました。

でもここで自分が切れてしまっては
希望の糸も切れてしまうと思って
こらえにこらえて話を進めたのですが
結局ダメでした。

用心のために飲んでいった頓服も効果なし。
あまりのイライラに動悸も不整脈も出てきたので
冷静に話をすることが出来なくなってしまって
あきらめて出直すことにしました。


1時間以上も時間を無駄にして得たものは何もなし。



1時間分の給料を返して欲しい気分です。



こんな担当者相手に
生活保護の申請なんか
辞めてしまおうかなんていう気にもなってしまいました。



今朝の出来事なのにいまだに気持ちが落ち着きません。
しばらく日数をおいて気持ちが落ち着いたら
後悔のないように自分の考えを決めようと思います。


なんかまとまりのない日記になっちゃったなぁ~。



落ち着け 自分!





生活のため

2009年03月30日 17時52分08秒 | その日の出来事
今日は仕事は休みで通院日でした。
でも通院以外に出かけたところが
国民生活金庫と市役所。

国民生活金庫では子供の学資ローンの借り入れがあって
その返済についてお願いをしてきました。

結論から言えばうつ病で長期休職中のため
返済が不可能になってしまったという内容。
返済が不可能であることはわかってもらえましたが
返済をしなくても良いと言うことにはもちろんなりません。

死亡などの万が一のために信用基金の保障に入っていたので
債権がそちらに移るということでした。

これからは信用基金との話し合いで
返済額や返済期間などの
返済方法を再度検討しなければなりません。
でも一時的にしろ毎月の返済額が減ることは
とても助かります。



市役所では生活保護の受給が可能かどうかの
確認をしてきました。
始めは無理だと言われてしまったのですが
長い話し合いの末
とりあえず申請をしてみるというところまで
こぎつけました。

ほんのわずかですが希望の糸は切れずに残りました。

家に帰って申請に必要な書類はそろえました。
明日会社に行く前に市役所へ立ち寄って
書類を提出します。






生活のため

生きるため

今自分が出来ることを自分なりに一生懸命頑張りました。




どうかそれぞれの希望の糸が切れませんように!






一歩後退

2009年03月27日 17時49分17秒 | その日の出来事
昨日も前日と同じように

何とか出勤しましたが

今日はどうしても起き上がることが出来なくて

仕事を休んでしまいました。


一歩後退です。

昨日一昨日と二歩前進できたから

まあいいかとも思うけど

自分の中では休んでしまった自分を

攻めるもう一人の自分がいます。


「どうして行かなかったんだ。」

「もう少し頑張れば行けたんじゃないのか?」


そう言われればそのとおりなんだよね。

だから自分が情けなくて許せない。




だけどもう今日という日は帰ってこないから

もう一度朝からやり直すことなんてできっこない。


もうくよくよすることはしないって自分に言い聞かせたんだから

今日仕事を休んだことはもう考えないようにしよう。



明日からまた前に進めるように頑張るしかないよね。




あしたは自分の心が晴れたらいいね!




晴れますように!





今日の格闘

2009年03月25日 17時47分16秒 | その日の出来事
今朝も自分自身との格闘

一応6時半にセットした目覚まし時計で目は覚めた。

それから布団から出るまでに30分。


何とか起き上がったものの

身体は鉛のように重たくてまったく動いてくれない。


すぐに動悸がバクバクとひどくなって

不整脈も起きて脈が飛びまくる。


とても立っていられずにベッドに逆戻り。

そんなことを2度繰り返す。


それでも仕事に行かなきゃって思うと

泣けてくる。

こんな自分が情けなくて

涙が止まらない。


何とかもう一度起き上がって食パンをそのままかじって

水で胃袋に流し込む。

薬を飲んだら少し気分が楽になったような気がした。


そんな感じで 

それでも身支度を終えることができたのは

始業時間の10分前。

会社に電話して遅れることを連絡

会社に着いたのは1時間後。


あとは終業までデスクにしがみついて

時間が過ぎるのをひたすらまって

終了のチャイム。


今日も朝からひどい1日だったけど

何とか1日を終えることが出来ました。


お疲れさま 自分!

頑張ったよね 自分!



春よ来い!

2009年03月19日 17時27分27秒 | その日の出来事
一昨日と昨日の不調が

まるで他人事だったかのように

今日は気持ちよく起きることができて

何事もなく普通に出勤し

一日を終えることが出来そうです。


毎年冬の間は調子が下向き

春になって暖かくなるにつれて

調子も上向いてきます。


今日も暖かかったのが良かったのかな。

このまま春本番になってくれたら

自分の体調も維持していけるような気がします。


毎年同じことを思うだけで

なかなか実行できないんだけどねぇ~。



今日は調子が良いので画像のアップに初挑戦してみます。


この花はなんていう名前なんでしょうね

いつも花のこと何にも知らないで

写真だけ撮っています。





薄い和紙で作ったような花びらが

とても可愛い花でした。


先日行った名古屋の“ランの館”で活け花として

花器に植えられていました。


春らしいさわやかな花だよね。


穏やかな春が街にも心にも早く来ますように!



俺がこんなでごめん

2009年03月18日 17時24分45秒 | ささやかな想い
映画「明日の記憶」の中に出てくる
渡辺謙の台詞。

若年アルツハイマーが進行するにつれて
当たり前にできていたことができなくなっていく。
それを支えてくれる妻に向かって告げられた言葉。

「俺がこんなでごめん!」


この映画(DVD)を観た時
まったく同じ気持ちで妻に対して申し訳なく
この台詞を聞いた途端に涙があふれてとまらなくなった。



昨日今日とまた仕事を休んでしまって
今まったく同じ気持ちで
日記を書きながら涙が止まらない。

安定剤の頓服を飲んでから
PCに向かったのに
こんなザマだよ。



「俺がこんなでごめんね!」

俺がしっかりしなきゃいけないのに
休んでばかりでほんとにごめん。



休んでしまったことをくよくよしても始まらない。
以前日記に書いたよな。
分かっちゃいるけど

分かっちゃいるけどね・・・。

だめだよこんなんじゃ。

余計に駄目になっちゃうよ。


だから気持ちを入れ替えて


明日は仕事にいけるよう

頑張らなくっちゃね。





ジレンマ

2009年03月16日 17時22分58秒 | ささやかな想い
前にも書いたように私は今休職中です。
有給休暇はとっくに終わり
傷病手当も打ち切られ
実質の収入はゼロ。

観察(リハビリ)勤務という名目で
体調の良い日だけ出勤して
日当をもらって
それと妻の収入で生活しています。

二人が暮らしていくだけなら
それで何とか生活できるのですが
子供への仕送りのためにした借金と
住宅ローンの返済額を加えると
赤字になります。


今日は診察日で
医師に障害者年金の申請について
相談にのってもらいました。

完全に仕事についていない状態なら
受給できる可能性は「大」
現在は多少なりとも仕事にいってるから
受給の可能性は難しいと言われました。

以前の医師からは申請するのは
無駄だと言われましたが
今の医師は知人のケースワーカーと
どうすればいいか相談してみますとおっしゃってくれました。


生活のために無理して仕事に行けば
受給の可能性が低くなる。
でも
休んでばかりいれば
解雇の可能性が高くなる。



ものすごいジレンマに襲われました。



私はどうすればいいのでしょうか?



それを医師はケースワーカーと相談してくださると
言われるのです。
感謝の気持ちで涙があふれそうになりました。

やっぱり転院してよかった。


K先生ありがとうございます。



自分ができることは・・・・
とにかく今を一生懸命生きることしかありません。


明日も体調がよければ仕事に行こうと思います。


良い結果になることを信じて
今できることを一生懸命しようと思います。




どうにかこうにか

2009年03月15日 17時17分53秒 | 病気の経緯
楽勝とまではいかないけど
今日も何とか無事に出勤できました。

これで2連敗のあと3連勝です。(笑)

自分にとっては大きな大きな自信につながる
健常者にとっては小さな小さな当たり前のこと。

その小さな当たり前のことをひとつずつひとつずつ
繋いで紡いで大きな成果(回復)を編み上げたいものです。




明日は会社が休みなので仕事はありません。
2週間に一度の通院日です。

診療だけでなく
自立支援のことや障害者年金のことなど
いろいろ相談してくるつもりです。




格闘

2009年03月14日 17時15分09秒 | 病気の経緯
大げさに思われるかもしれないけど
毎日が自分との格闘です。

朝起きることに始まって
出勤のための身支度
そして家を出るまでが本当に苦痛です。
めまいがしたり
動悸や不整脈が激しく襲ってきて
動けなくなってしまうから。

昨日も今日も自分自身との格闘でした。

昨日は何とか定時に間に合うように
出勤できました。
会社までは妻に車で送ってもらいましたけど。

今日は1時間遅れの出勤です。
でも自分で運転して行けました。

幸いなことに勤務先には
フレックスタイム制があるため
出勤が1時間遅れたら帰りの時間を
1時間遅らせば1日出勤したことにしてもらえます。


そうして1日出勤すれば休職中で無収入の私も
1日分の日当をもらうことができます。
それがなければ妻の給料だけでは
とても生活ができません。


昨日今日と2日続けて出勤できたのは
今の自分にとってはとても意義のあることなんです。
このまま明日も頑張って出勤しようと思っています。
水木と2日続けて休んでしまったので
その分明日休日出勤して取り戻したいです。



明日の朝は良い体調で起きられますように!




身体と心

2009年03月12日 17時11分52秒 | ささやかな想い
生まれつき身体は弱かったようです。
小さいころからよく熱を出したりいろんな病気になったり
親を困らせていました。


保育園での出席率が低かったせいか
小学校は養護学級に編入されました。
登校拒否児童のはしりみたいな存在で
毎朝親にひきづられるようにして
集団登校の中に連れて行かれました。
下校時にはよくいじめにあいました。


強くなりたい!
そういう思いが日ごとに強くなりました。


通常2年間の養護クラス生活ですが
2年生になるときには一般クラスに編入され
いじめにあうことも少なくなり
高学年になるころには身体も大きくなって
6年生の時には陸上の選手に選ばれるほどに
体力も付いていきました。

中学では野球部に入部。
40人近くいた1年生部員が半数以下になるほどの
厳しい練習についていくことができて
ずっと補欠と下手なりに3年間やり通すことができました。

高校では山岳部に入って
南アルプスを縦走し3000メートル峰をいくつも登りました。


精神力さえあれば何でもできるようになると
そのころから思うようになりました。


大学を出て社会人になってからもその思いは変わりませんでした。
営業職に就いたんだけど常にトップクラスの成績を上げ
新会社設立にあたって出向しリーダー、店長となりました。

その絶頂期に椎間板ヘルニアを患います。
精神力があれば何とかなると無理をした結果は

手遅れ

医師からは
「もう一生歩けないでしょう。」と宣告。

それでも精神力があれば・・・とリハビリに励んだ結果
身体障害者下肢4級ながら奇跡的に歩けるようになりました。
このときのことは機会があれば詳しく書くかもしれません。

その後も後遺症で何度も入院しました。
胃潰瘍をわずらったり痔ろうで入院したりと
入院は片手では足りない回数しました。

そのつど気持ちだけは負けないように
精神力で頑張って来たつもりです。



いまはその精神が病んでしまいました。

何もできません。

昨日に続き今日も仕事を休みました。




私に

以前のような精神力 強い心は

いつか戻ってくるのでしょうか。