走るということ、2種。 

2007-12-24 14:29:32 | 最近、たまたま楽しいだけです。
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 昨日のことだけど、なんとなく全国高校駅伝をみた。僕は、昔を思い出すようなことは好きではないんだった。でも、思い出す思い出さないは別として、確かに、僕も走っていたんだった。だから、『なんとなく』の結果として、思い出したんだけど。思い出してしまった、という方が適切かもしれない。

 走るというのは、特にそれが競技になると、優劣の点で非常にシビアな感じになる。速いか、遅いか。それだけ。基本的に、健闘なんてもんは存在しない。速いか、遅いか…だけ。

 そんなことを思い出した。定刻通りにスタートラインに押し出されるような感じ。走り始めたら止まることができないという、圧迫感。速いか、遅いか、の舞台に上げられちゃう感じ。体調から、靴ひもの結び方に至るまでの、不安。脚の状態、呼吸器系の状態。ボアコートの質感。気温、湿度、風の強さと方角、路面の状態。

 駅伝の場合。タスキの順位、前走者が苦悶の表情を浮かべ、僕に向かってくる。苦悶を染み込ませてきたタスキは正直、呪いに近い。受け取ったら、走らなければならない。

 忘れる。走ることは、約束されている。いや、どっかで、好き好んで約束したのかもしれない。覚えていないけど。いや、すっかり忘れる。ボアコートのフードには、くだらない些末なことを吸収する素材が使われている。テクノロジー。


 タスキを受け取った僕は、意外なほどの笑顔を見せていたような気がする。そうして、走り始める。何度も繰り返し、路面を蹴る。不確かなものはない。


 十数年前の、映像(足音&呼吸音付き)。フゥーラッシュ…バアックゥッ!!


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 十数年後、2007年。僕は寝不足と二日酔いを押して、駅伝を走った。ローカルな大会の助っ人?を安易に引き受けただけだ。十数年前の、シューズ、ランニングパンツは、僕に期待していないようだった。それって、正解。殆ど知らない人になってしまった、かつての戦友の顔は、まだ…赤い。

 助っ人を期待され、助っ人ぽい走りを辛うじてしたんだった。後方に流れていく景色は、想像通り昔よりもずっと緩慢だった。そりゃ、そうだ。強く地面を蹴らなければ、速く地球は回ってくれない。強く蹴るから、向こうが早く僕の前に現れるんだ。自転車と同じ。ずいぶんの間、強く蹴ってこなかったから、仕方ない。

 後方に流れてく空気の中に、高校時代の粒が混じっている。特に身体に害はないだろうから、一緒に吸い込んだ。早々と訪れたふくらはぎの張りは、ただただ迷惑そうな感じだった。後で、ちゃんと謝らなければならないと思う。沿道での顔見知りの声援は、見たこともない表情の僕を励ましている。10%冷やかしているのかもしれない。彼らの派手な、少しふざけた応援は、確かに僕の苦しさを和らげた。十数年前にはなかった現象。生理的な現象。対抗するように、派手に笑ってしまった。嬉しかったのかもしれない。

 走り終わり、吐き気を抑えて振り返ってみると、4.4kmが、明らかに長くなっていた。十数年で、多分、倍くらいに。


 想像していたことで想像通りだったんど、ちゃんと確かめられて、良かった。
 そんなことが、ついこの間、あったんだった。


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 一年をまとめる感じで思い出すことが多い、師走。年末。暇なだけなんだろうけど、幸せだと感じる。天気が良いからかもしんない。

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