kathmandu市内の鳥瞰
羽田からbangkokまでの飛行時間は約6時間半、乗り継ぎで5時間待ち、bangkokからkathmanduまで3時間半かかる。以前のようにbangkokで一泊しなくてよくなったとはいえ、待ち時間の疲労はやはり蓄積する歳になってきた。
バンコクの天気は快晴で、外気温は30度程度あるようだが、空港施設内は冷房が効き過ぎていてむしろ寒いくらいだ。うっかりうとうと寝てしてしまうと風邪をひきそうだ。
TG319便は、ほぼ定刻通りにtakeoff。
飛行機は翼前の右窓側の席にしたので窓の外には雪を頂いたヒマラヤ山脈が良く見える。
インド・ダージリンとの国境沿いにそびえるカンチェンジュンガ、少し離れてエベレストを含むクーンブの8,000mを超える山々、その隣にはランタンの山々、その向こう側にはチベットレンジが広がっているのも見える。そして今回歩くマナスルからアンナプルナにかけての山塊が見えてくる。
機内から見る限りでは山に付く雪はまだ少ないように感じられる。
飛行機はカトマンズの空港上空を通過して、時間調整のためか反時計回りに大きく7回ほど旋回し、その度に美しいヒマラヤの山々を堪能させてくれた。ちょっとしたマウンテンフライト気分だった。
その後、南からカトマンズ盆地を囲む低い山スレスレに進入し、定刻より15分ほど遅れてカトマンズ/トリブバン国際空港の滑走路にランディング。
機内食のカリフラワー/ポテト/チキンカレーは美味しかった。
13:00 今回のnepal側のイミグレーションもすごく簡単で早かった!これには逆にびっくりだ。
今年から空港出口前の車溜まりに自家用車の浸入やタクシー待ちが禁止になったということで、写真でも何だかスッキリしている。黄色いベストを着ているのはタクシーの運ちゃんたちだ。許可を受けたタクシーだよ、というサインなのだろうか、けっこう目立つ。
13:40 空港外に出てガイドのラムさんと合流、タクシーでタメルにあるホテルに向かう。
相変わらず埃っぽく渋滞している道を走り、14:20 定宿化しつつある「kathmandu eco hotel」に到着する。
とりあえずcheck-inし、(イギリス式に2nd floor(3階)の205号室、thamelの通りに面した2bed room)、Lobbyでマサラティーを飲みながらラムさんに今回行きたいと思っているルートについて聞いてみるのだが、彼もnaar村にもphu村にも行ったことが無いということで、詳しい情報は引き出せなかった。
とりあえず、ホテル隣にある両替屋で少し多めに両替しておく。レートは9.75で¥40,000両替し、Rs39,000。(多めの両替と思っていたのだが、実際には帰りのジープ代などで出費がかさみ、これでも足りなかった。)
Trekking agentのHimalayan Activitiesのオフィスでガイドのラムさんを交えてトレッキングルートの変更・確認をする。
「どうしても行ってみたい村があってね、、、」と話しの冒頭から切り出し、今までmailでいろいろとやり取りをしてきたプランを一旦白紙に戻し、現地の地図を見ながらphu行きの予定を組み立て直すことにした。
AgentのOfficeから関係機関に電話をして確認してもらった結果、その地域に外国人が入域するには、kathmandu市内のimmigrationで特別なpermitを取得して行かなければならない、とのことだった。
本日はすでに役所の業務は終ってしまっているので、明日の朝 immigrationの窓口が開くのを待って、Himalayan ActivitiesのスタッフにPermit取得に出向いてもらうということにし、passportを預ける。とりあえず、明日早朝出発のジープの予定を昼過ぎまで伸ばしてもらう。
それにしても絶対に行けるという確証は(時間的な制約もあり)自分でもまだ持てないのだが、明日午前中にうまく取得出来てかつベシサハールに向けて出発することが出来れば、トライしてみる価値はあると思い無理を聞いてもらった。直前でいきなりの僕のわがままを聞いてくれたフットワークの軽いagentにただただ感謝!です。
その電話での問合せの中で、入域許可証の交付にあたっては外国人2人以上での行動が条件付けられている、という話しがあったので、(つじつま合わせで?)2人分の申請(us$75×2人=us$150)を行うことにした。予想外に痛い出費だがこればかりはしょうがないな。
明日朝のその結果次第でその後の動き方を決めよう、とThamelを散策しつつ地図など必要なものを買いに行く。Annapurna 周辺の山岳地図Rs500、mineral waterと大きなchocolate3枚(Rs700)を買う。
2015年4月に発生したnepal大地震でカトマンズ市内も周辺の村々も甚大な被害を受けた。でもこうして町なかをぶらぶら歩くと年を追うごとに少しずつ復旧してきているのを感じる。
ヒマラヤ山脈はインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して出来た地球上でも最も若い山脈のひとつだという。5,000万年前から続くこの造山活動は今でも絶え間なく続いている。Nepalが大地震の多発国である理由がここにある。ヒマラヤ山脈で貝やアンモナイトの化石が見つかるというのもこのプレートテクトニクス活動に要因がある。
夕食は近くの日本食堂「おふくろの味」でバフステーキ定食Rs550を食べる。
時差もあり、長時間の移動で疲れてもいたので23時にはバタンキューだ。
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