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WanderVogel、山歩きと自然観察

2018年12月 ネパールヒマラヤ(manang,nepal)・Phuへの旅-日記

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

2018年12月 ネパールヒマラヤ(manang,nepal)・Phuへの旅-日記

昨年12月のクーンブ(サガルマータ国立公園)トレッキング途中での断念・撤退にめげること無く、今年もヒマラヤを歩いて来た。

当初考えていたルート上で11月初旬に大規模な雪崩が発生し、急遽ルートをマルシャンディコーラ上流のマナンmanang周辺の小村巡りに切り替え、現地agentとやり取りを終えたのが11月末のこと。

 

出発までの数日間、なんとなく欧米人の書いたTrekking Blogなどをnetで流し読みしていると、すごく幻想的な光景の写真に行き当たった。

日本語で書かれたものはほとんど無かったのだが、Nar Phu Valleyのどん詰まりに位置しているPhuというチベット族の村の写真であることが解った。どうしても自分の目で見てみたくなり、出発間際に再度行き先を変更することにした。

あらためて現地のTrekking agentとmailでやり取りする時間も無かったので、カトマンズに着いてから話しをしようと、出来るだけ情報を集め、12月3日日本を発った。ただ、行きと帰りの飛行機はすでに決まっているので、この日程で果たして行けるのか?という不安を抱えながらの旅立ちとなった。

 

Phu・naar 渓谷について:

Phu村のある「Nar Phu Valley」はアンナプルナサーキットの東側、マルシャンディコーラの支流「Naar khola」「Phu khola」の作り出した渓谷のことだ。マルシャンディに合流するkotoは標高2,600mだが、phuは標高4,080m、Phu kholaの河川敷上の高台に造られた村だ。

 

現地のcheck postで手渡されたリーフレットによると、この地域が一般の外国人トレッカーに開放されたのは1991年10月からとあるが、別の情報では一般開放は今世紀に入ってから(2003年)だと記されている。いずれにせよ、つい最近まで一般旅行者の立ち入りが厳しく制限されていた地域、ということだ。

アンナプルナサーキットや内院/ABCなどの主要ルートと違い、設備の整ったホテルがあるわけでもなく、名のある山がどーんと見える!というわけでもなく、そのわりにけっこう日数を喰われるので、訪れるトレッカーが極端に少ないのかもしれないが、もともと情報が少ないが故に不安要素があるというのも大きな要因だろう。netで検索しても日本語での情報がほとんど見つからなかったのはそう言うことなのかもしれない。

(ただし、Phu村はHimlung (7,126m) 登山のBaseCampへのアプローチの出発点になっているので、一部のクライマーには以前から多少知られてはいたようだ。)

今回の山旅で目にし、体験した荒涼として殺伐とした乾いた大地、趣きのある大きなチョルテンとゴンパ、城砦のようなphu村の佇まい、風俗,暮らしぶり、囲炉裏端に吊るされたヤクの干し肉、などなど、以前歩いた「チベット高原」や「ラダック・ザンスカール」を思い出す世界だった。

 

今回、マルシャンディコーラ上の村Kotoから最奥の村・Phuまで3日かけて歩いた。出発点のKotoが標高2,600mで目的地のPhuが4,080mなのだが、3日かけてゆっくり歩いたので懸念していた高山病の症状は現れることはなかった。 トレッキング期間中、周りに広がる光景、チベット村の佇まいなどは期待以上に素晴らしいものだった!

 

・山旅の日程/概要・

………………………………

01:2018年12月  3日(月)金沢八景(自宅)→ 羽田空港(移動/出国)

02:2018年12月  4日(火)羽田空港 → バンコク(経由) → カトマンズ(到着)

03:2018年12月  5日(水)カトマンズ → ベシ・サハール(ジープ移動)

04:2018年12月  6日(木)ベシ・サハール → コト → チョンチェ(ジープ移動+トレッキング開始)

05:2018年12月  7日(金)チョンチェ → メタ → チャク(トレッキング)

06:2018年12月  8日(土)チャク → キャン → プー(トレッキング)

07:2018年12月  9日(日)プー → キャン → チャク(トレッキング)

08:2018年12月10日(月)チャク → メタ → チョンチェ(トレッキング)

09:2018年12月11日(火)チョンチェ → コト → ジャガット(トレッキング+ジープ移動)

10:2018年12月12日(水)ジャガット → ベシ・サハール(ジープ移動)

11:2018年12月13日(木)ベシ・サハール → カトマンズ(バス移動)

12:2018年12月14日(金)カトマンズ(出発) → バンコク(経由) 

13:2018年12月15日(土)バンコク(経由) → 成田空港(帰国)→ 金沢八景(自宅)

 

*Trekking 資料

 ・X01 Naar/Phu Valley についてのmemo

 ・X02 accommodation、meal、注意点など

 ・X03 旅の予算 2018(出費)

 ・X04 電気/充電、Wi-Fi、電話

 ・X05 現地トレッキングエージェント

 

 

 

 

Phuへの旅01・2018年12月3日(月)金沢八景 → 羽田国際空港(移動)

 

羽田空港国際線ターミナル、自宅から車でちょうど30分の距離だ。今日は弟たちに車で送ってもらっての空港入りだった。

今回もいつも通りにThai Inter・バンコク経由でカトマンズへ飛ぶ。

 

eチケットになってからというもの、チケット検索、購入、発券、座席指定からチェックインまでの一連の作業が自宅に居ながらにして非常に簡単にできるようになった。ネットチェックインしているので一般カウンターの長い行列を横目にすんなりと手続きを終えることが出来た。

初めてひとり海外放浪の旅に出た1979年当時と比べると全く想像出来ないほどの変わり様だ。

 

羽田の出国手続きも顔認証システムだけで係官と顔を合わすことも無く、パスポートへの出国スタンプの押印すら無くなっている。肩すかしを食らったように手続きは非常にスムーズだった。

出国ロビー内のPC電源の数も昨年よりぐっと増えている気がするし、空港内どこでもFreeWI-FIになっているのにも驚きだ。

これもひとつの2020 Olympic/Paralympic 効果、なのだろうか?

 

・・・・

20歳の頃から続けてきた 僕の「ヒマラヤの村々を歩く旅」も、60歳になった今回で13回目となった。

これまで“ヒマラヤの山村“を旅するのに訪れた国は、アフガニスタン(カラコルム山脈)、パキスタン(カシミール、ヒンドゥークシュ山脈)、インド(ラダック/ザンスカール、ダージリン/シッキム)、中国(チベット高原、天山山脈)など複数の国にわたるが、ネパールは今回で6回目となり、さすがは「ヒマラヤの国・ネパール」だな、一番回数が多い。

そのネパール・ヒマールの中でも今回歩く「アンナプルナ山群」はこれで3度目の山旅になる。

 

「ヒマラヤ」は広い意味ではカラコルム山脈やヒンドゥークシュ山脈、天山山脈、崑崙山脈、チベット高原などを含めたわりと広い範囲を指すが、狭義ではパキスタンのナンガ・パルバット(8,125m)から東にインド・ネパール・シッキム・ブータンを経て、ヤルンツァンポ川が山脈が分断するあたりまでの、長さにして2,400km余りの範囲を指す。

「ヒマラヤ」とはサンスクリット語で「雪の住みか」という意味だ。どの山もその頂は万年雪に覆われ、足元にはいく筋もの氷河と氷河湖が広がっている。


Phuへの旅02・2018年12月4日(火)羽田国際空港 → バンコク(経由) → カトマンズ(移動)

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

 kathmandu市内の鳥瞰

羽田からbangkokまでの飛行時間は約6時間半、乗り継ぎで5時間待ち、bangkokからkathmanduまで3時間半かかる。以前のようにbangkokで一泊しなくてよくなったとはいえ、待ち時間の疲労はやはり蓄積する歳になってきた。

バンコクの天気は快晴で、外気温は30度程度あるようだが、空港施設内は冷房が効き過ぎていてむしろ寒いくらいだ。うっかりうとうと寝てしてしまうと風邪をひきそうだ。

TG319便は、ほぼ定刻通りにtakeoff。

 

飛行機は翼前の右窓側の席にしたので窓の外には雪を頂いたヒマラヤ山脈が良く見える。

インド・ダージリンとの国境沿いにそびえるカンチェンジュンガ、少し離れてエベレストを含むクーンブの8,000mを超える山々、その隣にはランタンの山々、その向こう側にはチベットレンジが広がっているのも見える。そして今回歩くマナスルからアンナプルナにかけての山塊が見えてくる。

機内から見る限りでは山に付く雪はまだ少ないように感じられる。

 

飛行機はカトマンズの空港上空を通過して、時間調整のためか反時計回りに大きく7回ほど旋回し、その度に美しいヒマラヤの山々を堪能させてくれた。ちょっとしたマウンテンフライト気分だった。

その後、南からカトマンズ盆地を囲む低い山スレスレに進入し、定刻より15分ほど遅れてカトマンズ/トリブバン国際空港の滑走路にランディング。

機内食のカリフラワー/ポテト/チキンカレーは美味しかった。

 

13:00 今回のnepal側のイミグレーションもすごく簡単で早かった!これには逆にびっくりだ。

今年から空港出口前の車溜まりに自家用車の浸入やタクシー待ちが禁止になったということで、写真でも何だかスッキリしている。黄色いベストを着ているのはタクシーの運ちゃんたちだ。許可を受けたタクシーだよ、というサインなのだろうか、けっこう目立つ。

 

13:40 空港外に出てガイドのラムさんと合流、タクシーでタメルにあるホテルに向かう。

相変わらず埃っぽく渋滞している道を走り、14:20 定宿化しつつある「kathmandu eco hotel」に到着する。

とりあえずcheck-inし、(イギリス式に2nd floor(3階)の205号室、thamelの通りに面した2bed room)、Lobbyでマサラティーを飲みながらラムさんに今回行きたいと思っているルートについて聞いてみるのだが、彼もnaar村にもphu村にも行ったことが無いということで、詳しい情報は引き出せなかった。

 

とりあえず、ホテル隣にある両替屋で少し多めに両替しておく。レートは9.75で¥40,000両替し、Rs39,000。(多めの両替と思っていたのだが、実際には帰りのジープ代などで出費がかさみ、これでも足りなかった。)

 

Trekking agentのHimalayan Activitiesのオフィスでガイドのラムさんを交えてトレッキングルートの変更・確認をする。

「どうしても行ってみたい村があってね、、、」と話しの冒頭から切り出し、今までmailでいろいろとやり取りをしてきたプランを一旦白紙に戻し、現地の地図を見ながらphu行きの予定を組み立て直すことにした。

 

AgentのOfficeから関係機関に電話をして確認してもらった結果、その地域に外国人が入域するには、kathmandu市内のimmigrationで特別なpermitを取得して行かなければならない、とのことだった。

本日はすでに役所の業務は終ってしまっているので、明日の朝 immigrationの窓口が開くのを待って、Himalayan ActivitiesのスタッフにPermit取得に出向いてもらうということにし、passportを預ける。とりあえず、明日早朝出発のジープの予定を昼過ぎまで伸ばしてもらう。

 

それにしても絶対に行けるという確証は(時間的な制約もあり)自分でもまだ持てないのだが、明日午前中にうまく取得出来てかつベシサハールに向けて出発することが出来れば、トライしてみる価値はあると思い無理を聞いてもらった。直前でいきなりの僕のわがままを聞いてくれたフットワークの軽いagentにただただ感謝!です。

 

その電話での問合せの中で、入域許可証の交付にあたっては外国人2人以上での行動が条件付けられている、という話しがあったので、(つじつま合わせで?)2人分の申請(us$75×2人=us$150)を行うことにした。予想外に痛い出費だがこればかりはしょうがないな。

 

明日朝のその結果次第でその後の動き方を決めよう、とThamelを散策しつつ地図など必要なものを買いに行く。Annapurna 周辺の山岳地図Rs500、mineral waterと大きなchocolate3枚(Rs700)を買う。

 

2015年4月に発生したnepal大地震でカトマンズ市内も周辺の村々も甚大な被害を受けた。でもこうして町なかをぶらぶら歩くと年を追うごとに少しずつ復旧してきているのを感じる。

ヒマラヤ山脈はインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して出来た地球上でも最も若い山脈のひとつだという。5,000万年前から続くこの造山活動は今でも絶え間なく続いている。Nepalが大地震の多発国である理由がここにある。ヒマラヤ山脈で貝やアンモナイトの化石が見つかるというのもこのプレートテクトニクス活動に要因がある。

 

夕食は近くの日本食堂「おふくろの味」でバフステーキ定食Rs550を食べる。

時差もあり、長時間の移動で疲れてもいたので23時にはバタンキューだ。


Phuへの旅03・2018年12月5日(水)カトマンズ → ベシ・サハール(ジープ移動~トレッキング開始)

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第1日目):カトマンズ kathmandu(1,300 m) → ベシ・サハール besi sahar(760 m)

車移動:約7h (besi sahar泊)

 

昨夜早めに寝たせいか、トレッキングルート変更の期待で気持ちが高ぶっているせいか、朝4時に目が覚めてしまった。

地図を見ながらiPhoneに入れているgeographicaというアプリでcheckを入れる。WI-FI未接続でも衛星GPSで位置情報を表示できるようなので今回試してみようと思っている。

 

kathmandu市内は6時になってもまだあたりは真っ暗だ。思っていたより日の出が遅い。早く目が覚めたわりに結局bedでうだうだしていたので昨日の体の疲れも回復できた。

7:00過ぎにベットを抜けて浴室で熱いシャワー浴び、7:45 1階のrestaurantで朝食をいただく。このホテルの朝食は別に特別なものがあるわけではないが、何を食べても美味しい、口に合うのでついつい朝から食べ過ぎてしまう。僕にとってkathmanduではこのホテルがベストだ。

 

9時過ぎにホテルをいったんチェックアウトする。us$30.5分のルームチャージをnepal Rsで支払う。

AgentにPermit取得に行ってもらっているので、午前中時間が余ってしまった。ホテルにやって来たラムさんと共にThamel界隈をぶらつき時間をつぶす。途中でスーパーでYak  cheese(200g=Rs415)を買うが、絶対ヤクの乳から作られたチーズでは無いだろうな。「Yak  cheese」という商品名の水牛チーズなんだろうな、きっと。一昨年行ったゴサインクンド途中の村にあったチーズファクトリーで食べた本物のヤクチーズとは比べ物にならないほど薄い味?だった。

 

いったんホテルに戻って役所に行ったスタッフからの連絡を待っていると、今回同行してくれるポーター(歳若いマダンくん)がホテルにやって来て合流。

この特殊なpermit申請に思った以上に時間がかかっているようで、午前中ほんとにやきもきしながらホテルロビーで連絡を待つ。

permit申請に関しては入域する本人のpassportの現物を持参する必要があるということなので、TIMSなどの一般のpermitと違って事前申請はできないようだ。まあ、今回そのあたりも含めてまったく事前情報がなかった。

 

12時、無事にpermitを取得することができた、と電話が入った。それにしても(何度も言うけど)Permit Feeが高いよなぁ。

とにもかくにも、agentの迅速な手配のおかげもあって、12:30にはホテル前からジープに乗って、kathmanduを出発することができた。

でもこの時間だと、今日の目的地のbesi saharに着くのは日がとっぷり暮れてからだな。でもまぁそれはそれで、たいした問題ではないのだけど。

 

22年前に製造されたトヨタのランドクルーザーにドライバー、ガイドのラムさん、ポーターのマダンくんと僕の4人が乗ってbesi sahar目指して走る。

車は頑丈そうなのだが、カトマンズ市内はあちこち工事中でとにかく道が悪い。加えてトラック、バス、タクシー、自家用車、バイクなど多くの車がけっこう猛スピードで走っていて、まぁ酷いもんである。

 

13:40ドライブインでチョウメン(焼きそば)、 パコラ(ポテトの入った大きな揚げギョウザのようなもの)、チャイ(マサラ入りミルクティー)の昼食を取る。

14:20出発するも大型トラックがけっこう多く、途中で動けなくなる車もけっこうあってなかなかスムーズに進むことが出来ない。

16:20トイレ休憩+チャイ。カトマンズとポカラを結ぶ主要幹線道路といっても、その実、舗装はガタガタで乗っているだけでもけっこう疲れる。このあたりで今日の行程のちょうど半分くらいの距離を走った感じだ。16:35出発。

17:10 diesel 軽油 給油 1L=99Rs 他の物価に比べてガソリンや軽油の料金は高い。途中でミカンを7個ほど買う(Rs150)、甘くて美味しい。

17:25 デュムレで分岐、主要道路を右に折れ、besi sahar まであと42kmだ。

日が落ち暗くなってくると気温も低くなってきた。長袖のキャプリーンシャツにダウンジャケットという格好でちょうど良い感じだ。

 

陽が暮れて街灯の無い真っ暗な中、車はガタガタ道を走り続け、19:00過ぎにbesi saharの町に到着。

1軒のホテル&レストランに入る。ここはまだ電気も来ていてトイレも水洗で、まだ文明社会にいる感じだ。free WI-FIも問題なくOK。ちょっとつながりにくいが通信状態は特に問題なし。

標高1,300mのkathmanduから550mも低い、標高760mにbesi saharはある。なので昨夜よりもだいぶ暖かい。

 

夕食はドライバー、ガイド、ポーター、みんなでダルバートだ。

(山中に入って行くにつれてダルバートのおかずが一品ずつ減っていくので、ここのは豪華なほうなのだ)

明日はマルシャンディ・コーラ(川)を遡ってkotoという村を目指す。そこからいよいよ山歩きが始まる。

 

22時には寝る。シュラフを掛けて寝たが暑くて夜中に起きてしまう。


Phuへの旅04・2018年12月6日(木)ベシサハール → コト → チョンチェ

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第2日目):ベシサハール besi sahar (760m) → コト koto (2,600m) → チョンチェ chhongche (3,000m)

車移動:約5.5h、Trekking:3.5h (chhongche泊)

 

5時前から外が騒がしく目が覚めてしまった。室温17度、湿度75%、寒くはない。

6時までに身の回りのことを終わらせて、荷物をpacking。6時では外はまだ真っ暗だ。外気温は18℃程度あり暖かい。

6:30 朝食、7:00 昨日と同じランクルでベシサハールを出発。

 

天気は晴れ、出発してすぐにランジュン ヒマール Lamjung Himal(6,983m)が見えてきた。今回のルートでは実際にきちんと目にすることが出来るannapurna山系の名のある山としてはこのランジュン ヒマールくらいなものだ。

7:30クディバザール手前のチェックポスト通過(TIMSとACAPのpermitを提示)、クディの支流の橋を渡って今度はトラフィックチェックポストで車のcheckがあった。。

マルシャンディコーラを渡って右岸側を遡っていく。中国開発の大きな水力発電施設が目に付く。

8時過ぎに左岸側に渡って遡る。かなり酷いガタガタ道、というよりも、もはやこれは車の走る道ではない。

 

ベシ・サハールからコト村までのジープ移動(特にjagatからtalまでの区間)はかなりの冷や汗ものだ。

 

僕のヒマラヤ3大アドベンチャーロード・ランキングでも、3位の「カイバル・パス(峠)」を押し退けて堂々のランクインだな。

1位のカラコルムハイウエイ(イスラマバードからフンザ間のベシャムあたり)、2位のスリナガルからラダックへの道、この2つよりは多少なりとも安心出来たので3位となった。何しろ1位と2位は公共の(木製フレームの)おんぼろバスでの移動で、しかも30年以上も前のことだからなおさらアドベンチャー度がハンパではなかった。

 

それでもランクルはガタンガタン車体を揺らしながら進み、9時過ぎにjagatを通過し、黙々とMarcyangdi khola左岸を走る。

 

大型の重機を入れ、岩肌を削り車道作りをしている最中なので、今後道路の状態はどんどん良くなるだろう。途中でマナン方面に歩いて向かう若い欧米人トレッカーを何組か見かけたが、延々と続く車道歩きではほこりまみれでちょっと可哀想な感じだ。こんな車道を歩いていく分にはトレッキングの価値・魅力はないだろうさ。これも時代の流れと言ってしまえばそうなのだろうが、一昔前のような素朴で味わい深いアンナプルナトレッキングの風情は遠い昔の話になってしまった。車道がきれいに整備されれば途中の村々はただ単に通過するだけになってしまい、昔からあるバッティやお店などもじきになくなっていくのだろう。

 

9:45 Tal 村(の向かい側:左岸)に到着し、しばし休憩。アップルパンケーキw/ハニーを食べ、チャイを飲む。

蜂蜜はこのあたりのオーバーハングした岩壁に垂下がるように巨大な巣を作るヒマラヤオオミツバチの蜂蜜/honeyなのだそうだ。そう言えばテレビか何かでも見たことがある。「ハニーハンター」と呼ばれる蜂蜜取りの名人がロープ一本で垂直の岩壁にぶら下がって採取するのだそうだ。

蜂蜜自体も普通のものよりかなり濃い~感じがする! うん、なんだか力が付きそうだ!

バッティ前の車道にはひっきりなしに大型の工事車両やトラックが行き来していて、情緒も何もあったものではない。

 

10:45 Tal 村を出発、Dharapani 11:20 到着。そこで再びACAPなどのpermit check をした。正面谷間からAnnapurnaⅡがかろうじて見え始める。

12:05 Timangを通過、12:40 koto村に到着した。

 

2日間お世話になったドライバーにチップを渡し、 kotoで車を降りる。

ここからは歩きとなる。渓谷入口にあるpermit check postで今回取得したNaar・Phu渓谷一帯の入域Permitをのcheckを行なう。

 

時間的にまだお昼を過ぎたばかりなので、出来るだけ歩みを進めておこう、ということで、渓谷に向かう入口に建てられているチベット族独特の門をくぐり、Koto村を出発する(13:00)。

 

垂直の岩壁を削り取って作られた山道を歩き、Naar kholaを遡って行く。

樹林帯を構成しているのはヒマラヤゴヨウやヒマラヤハリモミ、ツガなどの針葉樹だ。今回歩いたルート上ではヒマラヤマツやヒマラヤスギは見られなかった。

 

両岸を巨大な岩壁で挟み込んだような狭いV字谷を遡る。

 

2回ほど休憩を挟んでNaar Kholaの狭い渓谷をひたすら歩き続け、16:30 chhongche という場所まで歩いた。ここは「村」ではない。岩陰に粗末なバッティが1軒だけ建っている場所だ。カトマンズで買った地図上にはここを含めここに至る途中にも4カ所のバッティ(簡易宿泊+食堂)の印が記されていたが、実際にはchhongcheという場所に来るまでそれらしき建設途中の建物はあったが、人気(ひとけ)はまったく感じられなかった。

 

ここchhongcheから次のバッティまで歩くと周りは真っ暗になってしまうので、ここに1軒だけあるバッティに泊ることにした。

 

このバッティには電気は来ていない。かまどの火だけが暖房だ。標高は3,000m近いので陽が落ちると寒くてかまどの前から動けない。

持ってきた衣服を全部着るとさすがに暑いが、風邪が怖いのでそれくらい用心した方が良いだろうな。

かまどの前で大量のチャーハンをヘッドランプの明かりで食べる。最後はお茶で流し込んだ感じだが完食した。大量のニンニクが高山病予防に効果があるのだそうだ。口の中が強烈にニンニク臭くてたまらないが、これも薬と思って我慢しよう。

 

食堂から離れたところに2室の石積みの小屋が建っている。石積み壁にトタン屋根を載せただけの小屋、日本だと避難小屋でももう少しまともかな?と思えるような簡素な出来ばえだ。当然室内には天井もないので基本的には外気温と室内温度は同じだ。19時現在で+3℃、標高が高いわりにそれほど寒くないのでいくらか助かる。

真っ暗なのでやることも無く、ラムさんと明日の予定を確認し合って、19時に就寝。ラムさんに湯たんぽを作ってもらい、シュラフの中はすこぶる暖かだ!エアマットも威力を発揮しているし、けっこう快適なものだ。シュラフに入り人心地つくと外の渓流の音がけっこううるさく響いてくる。

 

うとうとして、20時ころにトイレに行こうと外に出てみるとなんと雪が降っているではないか!いきなり不安になるが、21:40に再度外に出て確かめてみるともう雪は止んでいた。


Phuへの旅05・2018年12月7日(金)チョンチェ → メタ → チャク

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第3日目):chhongche (3,000m) → meta (3,560m) (昼食)→ chyakhu (3,800m)

Trekking:8.0h (chyakhu泊) 

6:30起床。室温は1℃とそれほど寒くはない。昨夜のうちにテルモスにお湯をもらっていたので歯を磨くことは出来るが、水は無いので顔を洗うことが出来ない。ウェットシートで拭くぐらいで我慢しよう。7:15 岩陰にへばりつくように造られた台所の建物に行く。

 

囲炉裏端は暖かいけど、積雪のこと考えるとこの先の行程が心配だ。バッティの人の話しだと、naar村もphu村も本格的な冬に向けて村人は順次下の冬の村まで下りてくるのだという。

そう言った情報も、歩き始めてその時々にバッティの人などに聞かないと正確なところがわからないのが不安材料ではある。12月に入ればいつ何時ドカッと雪が降るかもしれないのだから、雲の状態やこれから歩く山道の状況を注意深く見極めながら進むことが大切だ。

地図上にプロットされているバッティやホテルのマークも信頼出来るわけでも無いし、そもそも12月に入り営業しているのかどうか(人がいるのかどうか)もすこぶる怪しい状況だということがだんだん解ってきた。

朝食、チベッタンパンケーキw/ハニー、チャイ。ミネラルウォーターを買うが、1本=Rs200と平地の8倍から10倍の価格に上がってきている。

この先、もっと高いものになっていくのだろうが、こればかりはしょうがないな。

 

8:10chhongchを出発、陽の当たらない暗くて狭いV字谷の渓谷の中を上流目指して遡行して行く。時おり谷間から遠くの山が見える。

 

9:30 水飲み休憩をする。周りの景色はだんだんダイナミックな光景が広がり出し、素晴らしいものだ!

大きな滝の裏の岩壁を削って山道がつけられている箇所では、地面(岩)はガチガチには凍りついていて怖かった。滑れば狭くて深い渓谷に真っ逆さまだ。

 

10:40 狭い渓谷にやっと陽が差し込んできた! 陽が射すといくらか暖かくなってくるのでうれしい。

急勾配の丘を休み休み登りきるとnaar渓谷の全貌が見えてきた。休憩後、12時出発。思っていた予定timeより遅れているなぁ。体力不足かなぁ。

ちょっとしたアップダウンの登りがけっこうつらいのだが、進むたびに景色はだんだん素晴らしいものへと変化していく。

 

登りきった丘の上がmetaの村だった。

12:15、かろうじて人の気配のする1軒のバッティに入り、昼食を取る。良かった!1件だけでもバッティがあって。

 

年間を通じても外国人トレッカーがあまりいないのだろう、食堂のメニューも地元優先で種類は絞られている。というか、何が出来るかのかを先に聞いてそれを注文するという感じだが、食べられれば文句は言わないよ。ありがたくいただきます。

高山病に効く?と言うガーリックスープに玉子を追加して落としてもらい、あとはチャパティをたのむ。カトマンズで買ったチーズと共に完食はしたが、あんなに固いチャパティは僕でも初めての経験だった。(ラムさんも後日言っていたが、あれはもはやチャパティではない。ベニヤ板だよ。)

 

ラムさんとマダンくんはツァンパ(麦焦がし)とヤクスープを大量に食べていた。

ストーブの上には天井からヤクのいかにも硬そうな干し肉が何本もぶら下がっていたが、これをもどしてヤクスープに入れるのだから、まぁ美味しいはずは無かろう。

(後日談なんだが、今回のトレッキング中での食事はどこで食べたものもすべて”激マズ”だったそうだ。チベット族の味と相容れないということなんだろうけどね、、、)

僕はツァンパもヤクスープもパスです。で、昼食を終え、13:45 metaの村を出発。

 

対岸の山の上にあるnaar村へ渡る吊り橋・naar phediを通過し、phu村へと続く道を進んでいく。ここで、naar khola渓谷は分岐しphu kholaの渓谷を遡行していくことになる。

ここまでくると、針葉樹林帯の渓谷はすっかり影を潜め、荒涼とした”チベットらしい” 谷の姿に景色は一転する。ほんとうに素晴らしい景観がずーっと続いている。まったく感動的な光景だ!

 

そこここに点在するヤクカルカやいくつかの石積み陸屋根のチベット集落を抜け、山肌に付けられた道は永遠に続いているかのように谷の向こうに延びている。実際、この道はkyangやPhuを通り抜け、中国国境の峠を越えチベット高原へ・ラサへと続く道なのだ。

14:50 水分補給の休憩を入れ、さらに歩き続ける。

 

15:35 jhunum 着、休憩後、15:40発

谷の上流側は雲ひとつ無い快晴なのだが、歩いて来た方向を振り返ると何やら雪雲のような怪しい雲で覆われている。

 

16:30 chyakhu(標高 3,800m)の村に着くが、見渡す限り人の姿が見られない。家々からの煙すら認められない。でも、カルカにはヤクがたくさん放牧されわずかに生えている枯れたような草を食んでいる。

 

どうしよう?! ちょっとこれはマズいか? この先のKyang村まではまだけっこうな距離とアップダウンがあるぞ。引き返すと言っても昼食を取ったmeta村までの間には満足な家屋は無かったぞ。と、3人が顔を見合わせちょっとアセる。

村の上の方で、一軒だけ煙の出ている家を見つけたので、ラムさんが先行して話を付けに行く。

 

外観はバッティというか山小屋風だが、食堂と呼べるような施設も無く、囲炉裏端というかストーブ脇というか、火の燃えているそばで夕食を取る。

なんだか、高山病ぽい感じなので薬(ダイアモックスを半錠)を飲んで早めに寝ることにしよう。またしても湯たんぽがありがたい!


Phuへの旅06・2018年12月8日(土)チャク → キャン → プー

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第4日目):チャク chyakhu (3,800m)  → キャン kyang (3,887m) 昼食 → プー phu (4,080m)

Trekking:8.0h (phu泊)

 

朝6:30に起きて朝の準備をして、あまり変わりばえのしない朝食を済ませ。chyakhu村を8:00に出発する。

天気は快晴だ!雪は初日の夜だけであとは毎日快晴で、今日は雲の様子も雪雲らしき姿・兆候は見られない。この分だとあと数日は大丈夫そうかな。

 

ヒダのような支尾根を巻いてアップダウンを何度も繰り返しながら道は延々と渓谷の奥に続いている。

美しい景色に元気づけられリズム良く歩き、9:30 kyang村に到着した。

 

朱色に塗られた基壇の上にブルーで彩色された石に梵字が刻まれたマニ石が並んでいる。ここだけに見られる独特の意匠だ。乾いた色の岩山をバックにしてとても幻想的な光景だった。

 

kyang村でもひとけが無く、かろうじて一軒だけやっていたバッティに入る。朝食から間もないのだが、ここでしっかりと食べておかないと今日はphu村まで村もバッティもないのだ。

とりあえず白米だけを頼み、ふりかけをかけお茶をぶっかけて無理矢理胃の中に流し込んだ。

食事をすると言ってもオーダーを聞いてからおもむろにご飯を炊き始めるわけなので、けっこう時間がかかるものである。圧力鍋で炊きあがったご飯をガバガバっと掻き込む。 

 

昼食が出来るのを待っている間と昼食後、村の古い家屋群を見て回る。

kyang村には、チベッタン風の石積み壁に陸屋根の家屋が多く残されている。普段使われていない感じが見受けられるので、やはり冬期間だけの使用なのだろう。また、家畜小屋として使われている家屋も多く見られた。

 

家屋は周りの岩を砕いて壁などの建築材料としているので、完全に景色に溶け込んでいる。色彩的に完璧にカモフラージュされているので、遠望からはなかなかその全貌が見えてこない。ところどころに立てられているタルチョーの鮮やかな三色の旗が村の存在、家屋のありかをアピールしているかのようだ。

屋根は陸屋根で土をかぶせ、中には植物が自然に生えてきている家屋も見られるが、これは意図したものではなく、単に管理がなされていない証拠だろう。本来陸屋根上では収穫物を干したり、作業場として使われることが多いので、土を敷いたままきれいに掃除がなされているはずだから。

 

聞いてみると、この村はここよりさらに奥のphu村の冬の村として使われてきたということだが、石積みの外壁が崩れかけている家もけっこう目に付いた。

高台に広がる草地はヤクなどのカルカ(草地・放牧地)として使われていて、多くのヤクや馬が草を食んでいた。

 

11:00 kyang村を出発する。

渓谷右岸の切り立った岩壁をくり抜いて作られた道をひたすら進む。

 

周りは圧倒的な景色で、とにかくすごい光景だ!

岩山ばかりで放牧地としてはまとまった広さの場所が取れない。荒れた台地の狭いテラスのひとつひとつを無駄無くカルカとして使っているいるのだろう、対岸にもヤクの道らしき踏み跡がたくさん付けられている。

 

11:40 phu川のloha kholaの分岐点を通過。

冬道への分岐点の橋を通過し、しばらくしてまた合流の橋がある。冬道は、積雪などで右岸沿いの道が閉ざされた場合、左岸の河原沿いの道を通るということなのだろう。

 

その先のチョルテンの見える河原で水分補給の休憩を入れる。標高は4,000m近くになっているので、水分補給を意識しながら歩く。

登りの一歩一歩が息切れしだしてきている。

13:40 美しい大型のチョルテン群が見えてきた。

すごく魅力的な姿で引き込まれてしまうがここは帰り道に立ち寄ることにして通過、puh村目指してさらに歩き続ける。

 

河原に降りたところで、灌木などの柴を拾って歩くphuの村人に出会う。このルート上では滅多に人の姿を見かけなかったので、ガイドを通していろいろ話しを聞く。

 

このあたりはヤクの放牧地のまっただ中の様で、通過する人のことなど気にするでも無く草を食んでいる。すれ違う時に目が合うとジッとこちらを観察しているような可愛らしい目を向けるのだが、ヤクはかなり体格が良いので近くで見るとけっこう怖いものだ。

 

河原をしばらく歩くと、phu川をせき止めるように打ち込まれた巨大なピナクルが見えてくる。地図上でもPhu Rock Pillarの表記がある。

ピナクルの右脇の隙間を巻くように通過すると目の前にきついつづら折りの急登がドーンと現れる。

はるか上に門らしき建造物が見えるが、これからあそこまでこの急な岩壁を登るのかと考えるとさすがに精神的に堪える。

ヒーヒーハーハー息切れしながらやっとこさ急坂を登りきると、そこにはphu村への古式ゆかしい門が設えてあった。

 

14:25 phu村の門をくぐり、マニ石の列を右手にさらに奥へ進む。このあたりの光景も感動的だ。

 

草木のまったく無い岩山・土山の山肌をトラバースするようにけっこう立派な道が造られている。

 

極端に狭い渓谷の対岸にはphu村を外敵から守ってきたのだろう古い城跡の石積み擁壁が見えてくる。地図上でRulned Fortと記されている城砦跡だ。つぶさに見てみるとけっこう手の混んだ造りをしている。

でもいったいどうやってあんな孤立した狭くて危険な岩の上にあのような城塞を築くことができたのだろう。魔術でも使ったのだろうか?と思えるほどの不思議な光景だ。

城塞跡を左に見ながら道をさらに進む。

 

谷の奥には雪を頂いた高山が見える。Pokarkang(6,372m)だろうか? それともその奥にあるチベットレンジなのだろうか?

頭上の丘の斜面には行列を作って進むヤクの一隊が見える。河原で合った村人からの注意で、ヤクの落とす石に注意するように!とあったのはこのことだったのね。確かに上から小石がパラパラ落ちてきている。

 

16:00過ぎ、日が傾きかけた頃にphu村に掛かる吊り橋脇に到着した。対岸の馬蹄形上に凹した台地に造られた割りと大きな村・phuと隣接するゴンパ群が見える。

このような荒涼とした世界を歩き続けて、いきなり大きなゴンパを持った村に行き当たれば、きっと旅人の目にはシャングリラのように見えたのだろうなぁと想像してしまう。

吊り橋を渡ると、古ぼけた村の門が設えてある。そこをくぐり、村に入る。

 

ここも今まで通過してきた小村同様にあまり人気(ひとけ)が感じられない。ん?どうしてひとけが無いんだ?とちょっといぶかしむ。

なんとか一軒のバッティを見つけ中に入る。

それにしても今日はまったく疲れ過ぎていて、夕食すら食べたくない。荷物を置き、ベットにシュラフなどを設え、日が落ちる前にphu村を散策して来ようと外に出るが、すぐに日が落ちてしまいロッジに戻る。

睡魔に襲われているということでもないのだが、昨年のような体調不良に陥らないように、今夜は暖かくしてひたすら睡眠を取ることにした。

毎晩ラムさんが湯たんぽを用意してくれるので、極寒の室内でもベッドの中は暖かだ。う~ん、やはり湯たんぽはありがたい!

で、何だかよくわからない”悪夢”にうなされながらバタンキューと寝てしまう。


Phuへの旅07・2018年12月9日(日)プー → キャン → チャク

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第5日目):プー phu (4,080m)  → キャン kyang (3,887m) (昼食) → チャク chyakku (3,800m)

 Trekking:6.0h (chyakku泊)

 

朝7時起床し、7:10朝食を取る。なんだか今朝は、寒気がすると言うよりも身体の芯からゾクゾクするイヤな寒さだ。

朝食の時に聞いてみるとこのバッティの一家も含めて、村人はだいたいみな今日中に下のkyang村まで下るのだそうだ。

いやそうだとすると、昨夜いきなり来て泊まることが出来て、ホントにラッキーだった! というか、1日ズレていたらどうなっていたことか!ほんと今回も冷や汗ものだな。

phu村では冬は、年寄りは動物たちを連れてkyang村あたりまで下って「冬ごもり」をするのだそうだ。若い人はカトマンズまで出稼ぎに行くという。

12月以降の冬期間は、まとまった積雪があるとkyang村からphu村までの山道(生活道)が閉ざされてしまうので、村人はみな下の村に下るとのこと。そうなると、我々のような外国人がこの間にトレッキングをすることなど到底 ”無理”ということだ。なんとか村までたどり着いても泊る場所もなく、食事すら手に入らないというのでは、命にも関わる問題だ。

ひと雪ドカッと降ればそれこそ言葉通り「進退窮まる」事態になりかねない。

 

村人と共に下って行くロバや馬、ヤクの隊列を眺めながら、ガイドのラムさんと「いやぁ~、ギリギリセーフ!という感じだったな。到着が一日遅れていたら途方に暮れていただろうな」などとしみじみ話しをした。

 

7:30~8:30頃までphu村を散策。村自体はそれほど大きくないので1時間もあればぐるっと一周することが出来る。

すり鉢状の地形に沿って家屋が展開しているphu村の裏山頂上に建てられている古いゴンパまで登ってみる。

上からの村の俯瞰もなんとも幻想的で不思議な光景だ。チベット族独特の形状の陸屋根の家屋がすり鉢状に積層し並んでいる都市(村)の姿というのは他では余り見たことのないゾクゾクするほど独創的な光景だった。(僕が出発間際に見た写真がまさしくこれだった。)

 

チベット族独特の静かで凛とした小村の佇まいと厳しく絶望的な自然の美しさがここには混在している。

小さな村の規模に不釣り合いなほどの大きなゴンパ(チベット仏教僧院)と道々に点在するチョルテン群。寒風にたなびくたくさんのタルチョー。

見れば見るほど「なぜこのような厳しい地をわざわざ選んで村を造った?」という素朴な疑問が頭をよぎる。いや、これはここだけに限らず、チベット族の村の中には「どうしてこのような過酷な地に住み続けるのか?」というところが案外多い。

 

4,080mのphu村でも夏の間は(種類は解らないが)”麦”が収穫出来るのだそうだ。逆に荒れた地でも育つ”蕎麦”は標高が高いゆえに育たないのだと言う。この乾燥した地だと青菜類も採れそうにないだろうし、耕作の条件としては最悪な土地の部類だろう。食料にせよ他の物資にせよ、ヤクや馬、人の背を利用して運び込むしか方法が無いのだが、交易の民「チベット族」ならそのあたりはno problemなのだろう。

 

その光景は有機的で先進的な一群のテラスハウスを思わせるものだった。

 

9時を回ると河原まで太陽の陽射しが射し込み、phu村全体に陽が当たり出す。

昨夜泊ったロッジも各扉に外から大きな錠が掛けられ、旅立ちの準備をしている。ロッジの一家はみな今日中にkyangに下るのだと言う。

 

phuを出発すると、あとは基本的に下るだけだ。道々のバッティーやロッジの事情も解っている。そう思うと昨日までと違い精神的にけっこう楽なものだ。快晴の天気に気分も良く、鼻歌まじりで歩いて行ける。

 

昨日時間が無くパスした彩色鮮やかな古いチョルテン群もつぶさに見て回ろう。

それにしても、この荒涼とした世界との対比はどうだ!何度も言うが、なぜにこんなにも荒涼とした絶望的な地をチベット族はあえて選ぶ?

道脇のところどころに建つ立派な城砦跡はなぜに? と疑問は尽きない。

  

道に点在する無数のマニ石たち。ひとつひとつにはお経が梵字で緻密にていねいに掘り込まれている。

なかば崩れかけて土に帰ろうしているチョルテン群も見られる。

世界中にあるさまざまな宗教の建造物や造形物のなかでも、チベット仏教のそれは群を抜いて特異なものだと感じてしまう。

 

12:45 陽当たりの良い丘の上に造られたkyang村到着する。しかし、昨日昼食を食べたバッティにはすでに住人はいなかった。

その下に見えるもう一軒のバッティに村人が出入りしているのがチラリと見えたので行ってみる。

地元の村人とヤクの放牧に来ている人が、今まさに食事を取ろうとしているところだった。ラッキー!です。

我々もそこでなんとか昼食にありつけることが出来る。面倒なオーダーはやめた方が良かろうと、トマトスープとチャパティを頼む。それと手持ちのチーズで僕は簡単に昼食を終える。ガイドのラムさんとポーターくんは地元の人たちと同じようにチベット風に味付けされたダルバートを食べる。

(後日、今回のトレッキング中の食事の話しになった時、ネパールの国民食・ダルバートでさえチベット風に味付けされてしまうと苦手なようで「超マズかった~↓」 と吐露していた。)

 

そこで、(いつ製造されたものかわからない)ミネラルウォーターを1本買う。1L=Rs350、山ではなんでもバカ高い。kathmandu市内でなら1本 Rs20~30程度なのにねぇ。

他の観光地トレッキングコースの場合、車やヘリでの大量輸送が可能だが、この渓谷上にあるいくつかの小村の場合、一昔前と同じように基本的に馬や人の背に背負われて運ぶしか選択肢が無く、かつ滅多に外国人トレッカーが訪れない地なので余計に高く付くのだろうな、と理解は出来る。

 

昼食を終え、14時にkyangを出発。

快晴で陽が射してはいるのだが風がひどく冷たく、ダウンジャケットとハードシェル、バラクラバ、ウールの帽子と手袋は離せられない。

オーバーミトンを持ってこなかったことをちょっと後悔する。ひたすら風が冷たく手先が凍えて冷たい。

 

そうこうしているうちに上空には雲が湧いて来始め、山に掛かるようになってきた。雲の動きも速い。来る時も標高の低いところの方が天気が不安定だったな。

うす暗くなりかけた時、chyakkuのバッティに到着した。今日も良く歩いた。

で、今夜もバタンキューと寝てしまう。


Phuへの旅08・2018年12月10日(月)チャク → メタ → チョンチェ

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第6日目):チャク chyakku (3,800m) → メタ meta (3,560m) (昼食) → チョンチェ chhongche (3,000m)

Trekking:7.0h (chhongche泊) 

 

朝7時起床、朝食、パッキングを済ませ、早々に出発(8:15)

比較的開けた丘の上にあるchyakkuだが、朝のうちは岩山の陰になってしまいなかなか村まで陽射しが落ちて来ない。

 

野生のシカの姿も見られた。その他、姿は見られなかったが、足跡でキツネやウサギが歩き回っているのがわかる。

ヤクはここではすでにお馴染みの動物になってしまった。

 

naar村への分岐吊り橋のあるnaar phediを対岸に見る。ふたつの支流に挟まれた丘の向こう側にnaar村(標高4,200m)はある。

大きなゴンパや修道院群、巨大なチョルテンなどのチベット仏教施設が対岸からでも良く見える。

今回は時間的な制約でnaar村には行けなかったが、道は標高5,320mのkang la (峠) を越えてmarcyangdi khola側にあるNgawalに通じている。

Ngawalは歩き1日でmanangに達する位置にある。時間と体力があれば、このルートを歩くのも魅力的だ。

 

10:50 metaに到着、昼食はあらためて何か作ってもらうのも時間がかかるので、(袋入りのネパールラーメン)ララヌードルスープとブラックティーで簡単に済ます。

12:15出発、行きと同じくガチガチに凍り付いていて、岩天井からツララのぶら下がった滑りやすい滝裏を通過。

凍りついて危ない岩壁をへつる道を通り抜けると樹林帯に入る。やっと標高が下がってきたことを実感する光景なのだが、風はまだ冷たくなかなかハードシェルのジャケットが脱げない。

相変わらず、下は冬用の山用タイツに冬用トレッキングパンツ、上は冬用の山用シャツにパタゴニアのR1ミドルウエア+ダウンジャケットの上からハードシェルという完全防寒の出で立ちだ。ウールの手袋だけでは指先が凍える。頭にはバラクラバ+ウールの帽子とこれまた本格的な冬山装備だよ。

 

chhongcheのバッティには15:00ちょうどに到着。行きの時に泊まった同じバッティだ。というよりも、人がいるところがここしか無いのでこちらに選択肢はまったくない。

部屋のベッドにシュラフを用意して少し休憩する。壁は石を積んでトタン屋根を載せただけの簡単な家屋なので室温と外気温はまったく同じで、風通しは抜群だ!

18:00夕食を取るが、これまたあまり選択肢は無く、油多めのベタベタしたチョウメンとベジタブルスープとブラックティー。

今夜も湯たんぽがホントにありがたい。


Phuへの旅09・2018年12月11日(火)チョンチェ → コト → ジャガット

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第7日目):チョンチェ chhongche (3,000m) → コト koto (2,600m) → ジャガット jagat (1,300m)  

Trekking:3.0h + ジープ4h (jagat泊)

7:30起床、用意を整えて朝食:チベッタンパンケーキとマサラティー(このルート上で飲むマサラティーはどこで飲んでもマズかったなぁ!)、ブラックティー

今朝は歩く距離が短いので、9時過ぎになって陽が射し込んで来てからのんびり出発する。

 

標高が下がってきているので苦しいわけではないが、時間があるので休み休みのんびり下って行く。

 

周りはヒマラヤゴヨウとヒマラヤハリモミの樹林帯だ。その中をテンポ良く下って行く。

現状、naar phu kholaには頑丈な鉄製の吊り橋が何本も架かっているが、中には昔ながらの簡単な木の橋が残っているところもある。まぁ、無理して渡らなくとも少し歩けば立派な吊り橋があるのだけどね。

 

11:45 koto村に到着する。行きにくぐったチベット風の門がゴールを出迎えてくれる。その脇にあるチェックポストで再びpermitのチェックを行なう。係官は総じてみな親切だ。

 

koto村にある一軒のレストラン&宿屋に入り、まずは昼食を食べることにする。

12:00 バッティでスチームドベジタブルモモ(10個)とトマトスープを食べる。水餃子のような感触の蒸しギョウザで、付け合せのタレよりも醤油の方が合う。久々に美味しかった。完食です。

 

明日のbesi sahar行きのジープの手配をしなければならないので、僕が食事をしている間にラムさんがジープ(乗合いまたはチャーター)の手配に走る。今日はここkotoに一泊して明日の朝besi saharに向けて出発する予定だ。

… だったのだが、ラムさんが仕入れてきた情報では、途中のchyamcheかjagatあたりで道路工事が行なわれていて車の通行が出来ず、歩いて向こう側で再び車に乗り換える必要がある、とのことだ。

先の道路の状況がイマイチハッキリ分からないので、今日中に行けるところまで(chyamcheあるいはjagatまで)ジープをチャーターして行ってみよう、ということした。

といった具合で、慌ただしいが昼食後すぐにチャータージープで出発することにした。3人でRs13,000!とバカ高なのだが致し方ない。

おまけに、明日の状況もよく解らない。まぁ、その場の状況に応じて対応していくことにしよう。(カトマンズに着くのが1日でも遅れるとマズい。飛行機に乗り遅れてしまうので、是が非でも明後日中にはkathomanduに着かなければならない。)

 

で、荷物を積みいざ出発という段になって、そのチャーターしたインド製ジープが寒すぎて?エンジンかからないと言う。坂道で4人で押しがけ。やっとエンジンがかかる。大丈夫なのかねぇ、道の酷さと別の意味でちょっと心配になってきた。そんなこんなで、13:30 koto村を出発する。

 

酷い道に酷い車、ガタガタと車体を揺らしながらインド製のジープは進むのだ。途中何度も道路工事でストップし、1時間以上も足止めをくらいなかなか先に進めない。ホントにネパールでは何事も予定通りにはいかないものだ。

 

16:00ダラパニのチェックポストを通過、16:35タール村を通過。

chyamcheも通過し、対岸に大きな滝の見えるバッティでちょっとお茶休憩にする。いいぞ!順調だぞ!

この先どこまで行けるのか?を聞いてくれているが、よくわからない。17:15 再び走り出すも、17:20 jagat手前でとうとう通行止めで行き止まり。車を降りて歩くことにする。

10分ほど歩いて、17:30 jagat村に無事に到着する。

 

一軒のホテル&レストランに入る。久しぶりに村人以外のヨーロピアンのトレッカーの姿を見かけた。ここは電気も来ていて照明も付くし、標高が低いので部屋内は15度と暖かい。

18:30 夕食:チキンカレーを頼むが、期待していたものではなく、まあまあな味で特にどうということもなし。残念!

 

食事をしながらラムさん、マダンくんと今回のコース上での食事の話になったのだが、ラムさんたちも今回食べたバッティでのダルバートやツァンパはどこをとって激マズ!で閉口した、とのことだった。やっぱりなぁ、僕は朝のパンケーキ以外ほとんど食べられなかったからなぁ。

地元ネパール人にとっても「チベッタンの作るネパール料理」は激マズ!だったのか。今回はガイドたちにもいらぬ苦労をかけてすまなかったな。

 

食事に関しては確かに最低の旅だったが、アップダウンを繰り返すたびに次々に現れる荒々しい不毛の大地、遠くには雪を頂くチベットレンジ、チベット族の村の持つ独特の景観・風情、高い標高と厳しい自然環境下での暮らしぶりなど、圧倒的な迫力に言葉を無くすほど感動した旅でもあった。

当初計画以上に交通費や許可費用に出費がかさんでしまったが、無理して行って良かったなぁ。ほんと素晴らしい旅だった!

 

何はともあれ、今夜は暖かく眠れそうです。jagat村を貫く道路上ではまだ工事をしているようで、機械や車の騒音がいっこうに鳴り止まない。

この調子で道路工事が進んでいけば、2~3年後にはけっこう立派な道路が完成しているだろう。工事看板に中国語が多く見られるので工事は中国資本なのかもしれない。水力発電施設も作られつつあるが、これも中国資本なのだろう。

今でもそう感じられるのだが、アンナプルナサーキットのトレッキング自体、情緒を失いつつある。すでに失っているといってもよい。

山の姿は昔と何も変わらないが、周りの村々の持っていた風情や個性はまったく感じられなくなってしまった。

 

夜10時を回ってやっと静かになった。


Phuへの旅10・2018年12月12日(水)ジャガット → ベシ・サハール

2018年12月31日 | WanderVogel Nepal

(第8日目):ジャガット jagat (1,300m)  → ベシ・サハール besi sahar (750m) 

Trekking:ジープ3h  (besi sahar 泊)

朝6時起床、身の回りのことをして、7時に朝食:パン、チーズ、目玉焼き、ブラックティー。ミネラルウォーターは1本=Rs100と値段はだいぶ下がってきた。さすがにここまで下ってくると朝の寒さに震えることはなくなる。

7:30 バッティーを出て、車の走れない区間を歩く。どうやらjagat村の中心を通る道に舗装をかける工事をしていて、そのためにその区間、いっさい車の通行が出来ないということだったようだ。

15分ほど歩き、そこでまたジープをチャーター(jagat~besi sahar ジープチャーター Rs9,000 / Rs3,000×3人)し出発する。またしても激走に次ぐ激走。途中、動けなくなってるバスやトラックをなんとかやり過ごし、走り続ける。

学校に間に合わないのか乗せて行って欲しいという男の子を乗せて走る。9:25 チェックポストを通過し、再びbesi saharを目指して走る。

9:50 besi saharに到着。

我々を下ろしたジープは、ここで帰りの客を乗せてjagat方面に向け爆走していくのだろうな。

 

ただ車に乗っているだけなのに、2時間も乗ると身体がガタガタになってけっこうな運動量です。身体はガタガタでヘトヘトな状態です。

車を降りたところの茶屋で本物のマサラティーとポテトサモサを2個食べる。いや~ 美味しい。今までの食べ物はなんだったんだろう?と思えるほどだ。

なんだか急に都会が懐かしくなり、このままkathmanduへ一気に戻ってしまおうか、とも思ったが、身体は疲れているし、besi saharで一泊して予定通り明日の朝 kathmanduへ移動することにした。

行きに泊まった同じホテルにチェックインし、久しぶりのホットシャワーで髪の毛と身体を洗い久しぶりにサッパリです。お昼までゆったりと旅のまとめとmail checkなどをして過ごす。

ホテルの食堂で昼食。なんとチキンバーガー/wフレンチポテトがあったので思わずオーダーしてしまう。ブラックコーヒーはインスタントだったが、ハンバーガーは割とイケた。ハンバーグがパコラ風ではあったが、これはネパール風ということだな。

昼食後、ひとりbesi saharの町中を散策して歩く。町のメインロードを端から端まで歩いてみる。ネパールやインドの地方都市の町の雰囲気いっぱいでバックパッカー時代の懐かしい感覚に包まれた。2時間近く歩き回り、ホテルに戻ると疲れが出て、うとうととひと眠りしてしまった。

 

その後、ホテルの食堂でラムさんにムスタンへの行き方やルート上の景色、ローマンタン村の様子などを聞いたり、明日のkathmandu行きのticketを買いに行ったりして過ごす。

besi saharからkathmanduまで公共の直行busはRs800/人×3=Rs2,400 とのこと。朝8時頃出れば15時頃に到着するとのこと。

夕食はダルバートと日本茶、WI-FIでニュースなどチェックして21:30 寝る。