Bran's Diary

ありのままの日々の生活やイギリスでの生活、神様からの恵みを分かち合いたい。

タンブリッジ・ウェルズの花

2010-04-29 18:20:00 | タンブリッジ・ウェルズ(Bexhill)

先ほど、いろいろな写真を見ておりました。そしたら、いくつかタンブリッジ・ウェルズにあった花の写真を見つけました。とっても素敵なので、お見せしたいと思います。



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タンポポです。日本より、高さが2倍ぐらいあると思います。あまりにもでかくてびっくりしちゃいました。





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チューリップなどが咲いていました。太陽に向かって咲いています。あまりにもきれいでしたので、撮りました。





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桜です。この桜はムースですよね?パッと咲いてました。







最後に、ホストファミリーのおばあちゃん。Dsc00021



おばあちゃんは、私の耳が不自由だということを理解してくれていました。私が聞き取れないとき、面倒でも紙にわざわざ書いてくれました。感謝しています。でも英国で生活する上で、生活基本を学ぶことが出来なかったのは、残念です。おばあちゃんは、私を気遣って、”何もしなくていいの”みたいなことを言われました。この先の生活のためにいろいろ教えてもらいたかったけれど、何も言わずに従うことにしました。



けれども、感謝なことに、お祈りとデボーションの時間をより多く持つことが出来ました。











ここに書いても良いのか迷いますが、少しだけお話をします。







主人は耳の不自由により、いろいろな苦労がありました。ホストファミリーの理解がなかったというと、失礼のような気がしますが、私は最初、主人のホストファミリーとお会いしたとき、主人とホストファミリーとのコミュニケーションのやりとりに、多少、不安を覚えました。私は主人のことを理解していますから、ホストファミリーと生活していく中で、うまくやっていけるのだろうかと心配しました。



私たちは別々の家で生活していましたので、主人と会うのはスクールバス、学校の中で会うわけです。そして、”昨日はどうだった?ホストファミリーとのやりとりは大丈夫?”など聞いていました。



主人は”大丈夫だよ”と答えるのですが、毎日聞くたびに、少しずつホストファミリーとうまくいっていないことを私は感じ取りました。そして、私は心の中で悲しみを覚えました。主人は”大丈夫だよ。気にしないで。”と、辛さを隠しているかのように見えました。



そして、私は毎日のように悲しみを覚え、神様に祈りました。このままでよいのだろうか、神様の御心はどうなのでしょうか、と祈り求めました。デボーションの中で、御言葉が与えられました。



聖書 ルカの福音書1章58節



「近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。」



その箇所の中にある、「主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった」というところから、神様は哀れみをおかけになるお方であることを教えられました。私が悲しみを覚えたように、神様も哀れみを覚えておられるということを気づかされたのです。そして、私は泣きました。神様の哀れみは、私以上であることを思わされたからです。



神様は私たちを導きつつ、この先どうなるのかわからないままではありましたけれど、全てをおささげして、”神様の御心のままに成してください”と祈りました。それからも、主人に対する悲しみを覚えつつ、過ごして来ました。



そして、神様は私たちに大きなあわれみをおかけになり、デフファミリーの家へと導かれたのです。デフファミリーの家に導かれるまでは、いろいろな問題、いろいろな壁が多くありました。けれども、神様は ”不可能から可能へ” と変えてくださいました。私たちが思っている以上に、全て備えられていました。



聖書 ルカの福音書1章37節



「神にとって不可能なことは一つもありません。」





今では、私たちはただ神様に感謝、感謝の気持ちであふれています。



少しのつもりが、長くなってしまいました。





今日からゴールデンウィークに入る方々もいらっしゃると思いますが、楽しんでくださいね。





God Bless You !










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