私がオーティスを知ったのは、高校一年の時だった。
そこで初めて「リズム&ブルース」というジャンルを知った。
それまではエレキギターの「ベンチャース」だの
映画音楽だのをもっぱら聴いていたものだ。
「ドック・オブ・ベイ」を耳にしたとたん、私はしゃがれた
哀愁漂う男の歌声に魅了され、夜毎聴いていた。
この「ドック・オブ・ベイ」はツアーにに向かう飛行機が墜落、
帰らぬ人となった三日前に録音されたものだ。
この曲のヒットにより、次々アルバムが発売されることなる。
私はそれらを購入し夜毎となり、当時新聞委員をしていた
関係から、学校新聞にレコード評を特権で載せてしまった。
もっとも田舎の高校、誰だか知らない方が大部分で、全く
評判は良くなかったが・・。
私は輸入板も、折を見ては専門店をあさり買い求めた。
写真のジャケットは、輸入板のそれである。
これはスタジオ録音の「ドック・オブ・ベイ」前の、
アルバムだ。
それにしても死後、その人のレコードを聴いて、はまるのは
なんとも歯がゆさがあるものだ。
新譜はないのだし、この後の成長の楽しみはない。
それでも数多く残された曲を聴くたび、レコードと記憶では
生き続けるのだから・・。
スタジオ録音とライブ録音のレコードを聞き比べると、
断然ライブの方が、聴き応えがある。
ロックバンドでも、スタジオ録音はさえないのに、
ライブだと、同じバンドかと疑うような演奏を
繰り広げる者達もいるのに、いささか戸惑う。
まして同じ曲でも、演奏や歌によって、全く
違って聴こえ、その曲の魅力がアップすることもある。
オーティスのアルバムにも、カバー曲が含まれ、
それらを聞き比べると、断然オーティスの方が
魅力を持って聴こえてくるのだ。
そんな中にローリング・ストーンズの
「サティスファクション」があり、オーティスの歌を
大人だとすれば、ストーンズの歌い方は、子供に聴こえて
しまう。
それがライブだと、より顕著でオーティスの方は
オリジナルかと見がもうできである。
この曲の録音を勧めたのは、友人のスティーブ・クロッパー
で、オーティスは、楽譜を見て歌いだし、原曲を全く
知らなかったらしい。
そこになんとも、黒人になりたい白人と、もともと黒人の
違いがあるようで、にたりとしてしまう。
そういえば、オーティスが、サンフランシスコのフィルモア
オーディトリアムに三日間、出演した時、その最前列で
かぶりついてみていた中に、これまた今はなきジャニス・
ジョプリンがいて、憧れの目でみていたらしい。
その後、二人はモントレー・ポップで競演することとなるが、
その時には、観衆の注目はジャニスであり、オーティスは喉を
痛め、声が出ない状態になっていくのだ。
そしてそんな調子になって、歌った曲が「ドック・オブ・
ベイ」で、ナンバーワンになるのだから・・。
オーティスの命日は十二月十日である。
ジョン・レノンは覚えていても、オーティスを知らない人は
多いだろう。
何しろ死んだ後、ファンになる人も居るのだから・・。
そこで初めて「リズム&ブルース」というジャンルを知った。
それまではエレキギターの「ベンチャース」だの
映画音楽だのをもっぱら聴いていたものだ。
「ドック・オブ・ベイ」を耳にしたとたん、私はしゃがれた
哀愁漂う男の歌声に魅了され、夜毎聴いていた。
この「ドック・オブ・ベイ」はツアーにに向かう飛行機が墜落、
帰らぬ人となった三日前に録音されたものだ。
この曲のヒットにより、次々アルバムが発売されることなる。
私はそれらを購入し夜毎となり、当時新聞委員をしていた
関係から、学校新聞にレコード評を特権で載せてしまった。
もっとも田舎の高校、誰だか知らない方が大部分で、全く
評判は良くなかったが・・。
私は輸入板も、折を見ては専門店をあさり買い求めた。
写真のジャケットは、輸入板のそれである。
これはスタジオ録音の「ドック・オブ・ベイ」前の、
アルバムだ。
それにしても死後、その人のレコードを聴いて、はまるのは
なんとも歯がゆさがあるものだ。
新譜はないのだし、この後の成長の楽しみはない。
それでも数多く残された曲を聴くたび、レコードと記憶では
生き続けるのだから・・。
スタジオ録音とライブ録音のレコードを聞き比べると、
断然ライブの方が、聴き応えがある。
ロックバンドでも、スタジオ録音はさえないのに、
ライブだと、同じバンドかと疑うような演奏を
繰り広げる者達もいるのに、いささか戸惑う。
まして同じ曲でも、演奏や歌によって、全く
違って聴こえ、その曲の魅力がアップすることもある。
オーティスのアルバムにも、カバー曲が含まれ、
それらを聞き比べると、断然オーティスの方が
魅力を持って聴こえてくるのだ。
そんな中にローリング・ストーンズの
「サティスファクション」があり、オーティスの歌を
大人だとすれば、ストーンズの歌い方は、子供に聴こえて
しまう。
それがライブだと、より顕著でオーティスの方は
オリジナルかと見がもうできである。
この曲の録音を勧めたのは、友人のスティーブ・クロッパー
で、オーティスは、楽譜を見て歌いだし、原曲を全く
知らなかったらしい。
そこになんとも、黒人になりたい白人と、もともと黒人の
違いがあるようで、にたりとしてしまう。
そういえば、オーティスが、サンフランシスコのフィルモア
オーディトリアムに三日間、出演した時、その最前列で
かぶりついてみていた中に、これまた今はなきジャニス・
ジョプリンがいて、憧れの目でみていたらしい。
その後、二人はモントレー・ポップで競演することとなるが、
その時には、観衆の注目はジャニスであり、オーティスは喉を
痛め、声が出ない状態になっていくのだ。
そしてそんな調子になって、歌った曲が「ドック・オブ・
ベイ」で、ナンバーワンになるのだから・・。
オーティスの命日は十二月十日である。
ジョン・レノンは覚えていても、オーティスを知らない人は
多いだろう。
何しろ死んだ後、ファンになる人も居るのだから・・。