はやてこまちのブログ 2nd

東北復興と愛車のカムリハイブリッド(AVV50)や車、鉄道、日本酒、ネコも登場します。

2012年夏・釜石出張滞在記③「朝日の三陸海岸」

2012-11-01 22:40:00 | 出張

釜石滞在の最終日、昨日の打合せ通り協力会社のsadaさんと早朝にホテルをチェックアウトして再び三陸沿岸を北上するドライブに行きました。

昨日は日没で時間切れになった山田町の船越半島まで国道45号線を一気に走ります。

 

 

●ご注意
  ここから先は震災による津波被害にあった施設や建物の画像が多く登場します。
この様な画像は見る方によっては「強い精神的ストレス」を感じる場合があります。
「精神的ストレスを感じるおそれのある方」、「震災・津波被害の画像をご覧になりたくない方」はこの時点でお帰り下されば幸いです。


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ーーーーーーーーーーーーーーー記事はここから始まります。ーーーーーーーーーーーーーーー

船越半島は北側の海岸から津波が上陸して陸地を走り施設を破壊した後半島南の海岸から再び海に抜けた、と昨日sadaさんとkatsu君から聞いた時、「そんな事があるのか!」とかなり驚きました。上図の紫矢印から赤矢印への方向と思われます。今日、実際にその場所を見てみることにしました。

 

 地図①の地点、陸橋の上から見た北側の海岸。

 

 同じ位置から南側、右のドーム状の建物が鯨と海の科学館です。周辺ではガレキ処理が行われています。協力会社のsadaさん、2回目の登場。

 

 ②の地点から見た海はとても穏やかです。

 

 使用不能になって集められた車達、ほとんどが真っ赤に錆びています。

 

③の場所。防波堤が海の方向に向かって倒れています。津波はこの場所から再び海へ抜けたのでしょうか。

 


 

津波の被災地を訪れる度に、「もし、当日この場所に自分が居たらどの様な行動を取るだろうか?冷静に避難行動できるだろうか?生き残ることができるだろうか?」と考えるのですが、残された残骸から津波の破壊力にあらためて背筋が凍る思いでした。

船越半島を後に、釜石に戻りつつ浪板海岸を再び訪れました。

 

昨日は日没で見る事が出来なかった浪板海岸のシンボルでもある、「浪板観光ホテル」にも立寄って見ました。sadaさんは宿泊したことがあったそうです。

 

ホテルの脇を通り海岸の前まで降りてみました、やはり砂浜は見えません。


 

ホテルとは国道を挟んで内陸側にある、JR山田線・浪板海岸駅付近の鉄橋は線路が流され無惨にも橋桁だけが残されてました。



この、鉄橋の橋桁の脇で偶然見つけた石碑です。昭和8年3月3日に発生した地震と津波被害の記録と先人の3つの文言が記してありました。

 

これまで、何箇所もの津波被災地を訪れて思うことですが、TVやマスコミであまりクローズアップされない小さな町の復興作業はあまり進んでいないと感じました。復旧・復興作業が速やかに進んでくれる事を願うばかりです。

 

そろそろ仕事場へ向かう時間となりましたので、釜石へ向かいます。
ところで、昨日まではホテルで朝食を取っていましたが、今朝はチェックアウトしたので朝食はどうしましょうか?既に釜石駅前の橋上市場内にある食堂の朝定食¥500-を調査していたので、そちらに向かう事に、この店の吉次定食は絶品で「焼き魚は吉次だったらラッキーだね」等と期待していました。

 

ところが、店に到着した私達二人を待っていたのは一枚の貼紙でした。

なんとタイミングが良いのでしょうか、結局朝食はコンビニで済ませました(涙)

 

*sadaさんから、10月31日の岩手日報(岩手県の地元新聞)に浪板観光ホテルが

 来年春営業再開の見通しである、との記事が掲載されていたと連絡がありました。

 

 2012年夏・釜石出張滞在記 <完>
 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

settai [2012年10月31日 12:32]
JR山田線・浪板海岸駅の橋桁だけ残っているのを私も見ました。
津波の恐ろしさを垣間見る事が出来ます。
特に岩手海岸の復興は遅れております。
原因の一つですが基本的に町作り計画から始めなければなりませんので本格復興はまだまだ先のようです。
はやてこまち [2012年11月1日 22:40]
settaiさん、おばんです。
橋桁がなくなっているのも驚きましたが、頑丈そうな防波堤が
倒れている姿をみて正直「ゾっ」としました。確かに町作り計画が決まらないと復興作業は始まらないのかも知れませんね。
車好きオヤジ [2012年11月2日 2:21]
軽々しくコメントするのも憚られますが、
きっと復興出来ると信じたい気持ちです。
北のはげおやじ [2012年11月2日 7:14]
 幾度も幾度も津波災害に遭いながら、その度に復興を遂げて来ているので、復興はするのでしょうが、2度と同じような被害に遭わない工夫が求められているのでしょう。 
 日本人は、つらい過去・思い出を忘れやすい民族性があるように思います。それが時にはいい方に作用するのでしょうが、同じような被害に遭わない工夫を是非知恵を出し合ってしてもらいたいと思います。
~アキラ~ [2012年11月3日 9:06]
③の場所の防波堤が海へ向かって倒れている写真には本当に驚きでした。はやてこまちさんがおっしゃるように、この場に居たらと思うとゾッとします。
先日私の役場からも東北復興のお手伝いに2名が3月末までの期間で大槌町へ出発しました。
小さな町でも復興予算が行き渡って、少しでも早く元の姿に戻ることを祈っています。
はやてこまち [2012年11月4日 20:04]
車好きオヤジさん、こんばんは。コメ遅くなりスンマセン。
津波被災地に行くと小生も言葉が出ないことがほとんどです。

はやてこまち [2012年11月5日 12:27]
北のはげおやじさん、こんばんは。コメ遅くなりすみません。昭和8年の大津波では石碑という形で先人は記録や教えを残してくれた様です。現代は文明が進み多種多様な形で記録を残す事ができますので、それらを駆使して知恵を出し合い将来同じ様な被害・悲しみに合わない様願うばかりです。

はやてこまち [2012年11月5日 12:29]
~アキラ~さん、こんばんは。コメ遅くなりすみません。
お勤め先からお二人の方、大槌町へ応援に行かれたのですね、大変ご苦労様です。おそらく、応援のお二人も私が見た同じ光景を目にされると思いますし、反対に天気がイイ日は本当に穏やかな海を眺めることもできます。


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