私の命はまだまだ先まであるかも知れないが、お金がもたない。今のうちに、文章にできることは文章にしておきたいと思う。
世の中の人の心を迷わせるものとして、色欲にまさるものはない。人間はついつい色をむさぼってしまう。人の心とは愚かなものだよ。空を飛んでいた久米の仙人が、洗濯物を足で踏んで洗っていた女のふくらはぎが白く美しいのを見て、神通力を失ってその女の前へ落ちたという話が「今昔物語」の中にある。その話など、女の手足や肌が美しくて、ムッチリ、ピチピチしているのは、飾っているから美しいわけじゃなく、肉体自身の美しさなんだから、どうしようもないことなんだなあ。」(「徒然草」吉田兼好作、清水義範氏訳)
世の中の人の心を迷わせるものとして、色欲にまさるものはない。人間はついつい色をむさぼってしまう。人の心とは愚かなものだよ。空を飛んでいた久米の仙人が、洗濯物を足で踏んで洗っていた女のふくらはぎが白く美しいのを見て、神通力を失ってその女の前へ落ちたという話が「今昔物語」の中にある。その話など、女の手足や肌が美しくて、ムッチリ、ピチピチしているのは、飾っているから美しいわけじゃなく、肉体自身の美しさなんだから、どうしようもないことなんだなあ。」(「徒然草」吉田兼好作、清水義範氏訳)
道に達した人は、いっさいのわずらわしさを断っているから、何をか思い、何をか慮(おもんぱか)るで、何のわだかまりも心配もない。また、愚かな人は、いうまでもなく、はじめから余計な知識などいっさい持っていない。両者は賢と愚の両極端ではあるが、その心は両者ともに何のこだわりもない自然のままであるから、ともに学び、ともに事業に取り組むことができる。これに反して、中途半端は知識人は、なまじっか学問や知識があるだけに、すべての憶測をたくましくして疑ってかかったりするので、一緒に仕事をするのはむずかしい。(「菜根譚」齋藤孝氏訳より)