小生もいよいよこの4月から年金生活に突入。長年付き合ってきたSQLServer・Accessともお別れしシステム開発とも縁がなくなるのかなと思っていた矢先、インフォースの浜松氏よりメールが入りAS4閉鎖のお知らせが・・・。寂しくなるなと、内容をよく読むと新たなスタートではないか、これまでお世話になりっぱなしだった小生も新しい交流会で微力ながらお役に立てるかもしれないと勝手な思い込みをしているところです。
思えば長く投稿をしていなかったのですね。これからは時間はたっぷりあるので、溜め込んだものをじっくり書いていこうと思う。ところで、前回(と言っても1年も前か)はワインの関連で「相棒」が話題になっていました。 season12 の最終回が3月12日に放映されたこのタイミングですから、「相棒」について書いてみよう。
相棒は平日の午後4時から再放送をしてるのでご覧になられる方も多いかと思われますが、小生はタイトルを見ただけで内容がすべてわかってしまうほどの相棒ファンである。再放送とはいえ、単純に過去のものを順番に放送しているわけではなく、人気のあるものを選んで放送しているようである。ただし、そこにはある意図が隠されているように思われる。というのは、小生の勝手な憶測というか願望がそう思わせているだけなのかもしれないが、その辺りを書いてみる。
再放送も、現シーズンOA中のものとリンクするよう、過去の事件と関係のあるものを水曜の再放送にぶつけていることは皆様方もご承知であろう。さて、今回の最終回でキーとなる人物は元衆議院議員・瀬戸内米蔵である。当然その日の再放送では瀬戸内米蔵の犯罪が絡んだものであった。しかし、これは単純な表向きのキーマンであって、本当の意味でのキーマンは誰あろう、小野田官房長なのである。ことある毎に小野田官房長の存在が見えてくるのである。最終回での杉下右京のセリフも意味深である。「かなうのであれば直接聞いてみたいですね、官房長が何ておっしゃるのか、どう反論するのか。まあー、もはや望むべくもないことですがね。」
望むべくもないことなのであろうか、であるならばこんなラストシーンを演出する必要もないのである。みんなが望んでいることは小野田官房長の復活なのであろう、小生もそれを望んでいる一人であるが、果たして復活はあるのであろうか。
小生の答えは、「復活あり」である。死んだ人が復活?そんなバカなと思われる方もいらっしゃるでしょうが、そんな人には問いたい。「官房長が死んだところを本当に見たんですか」と。確かに劇場版Ⅱで刺されたシーンはありましたが、死んだ場面はありません。葬式の場面があっただけで、死んだのだと思っているだけ(思わされているだけ)ではないのか。
つまり、さすがに臨終の場面を作ってしまうと復活は難しくなるけど、復活の余地を残すために劇場版Ⅱではあのような作りをしたのではないか。では、復活がある場合どのようなストーリー展開を考えるかが問題となる。それは、劇場版Ⅱの中に火種があると思われるわけで、背景には警察庁と警視庁の対立があり、さらにその裏には政治的な大問題が絡んでいるため、官房長が死んだことにして背後に蠢く人物たちを安心させておいて陰謀を暴きやすくすることに狙いがあったとする展開である。
さて、復活の時期(小生の希望的観測)は劇場版Ⅲではないかと見ている。完全な復活ではないにしろ、それを示唆する何かがあるのではないか、遅くてもシーズン13の初回2時間スペシャルがチャンスと見ている。ここでなければ、永遠に復活はないのであろう。これまでの杉下右京のセリフは単なる思わせぶりにすぎなかったということになる。
思えば長く投稿をしていなかったのですね。これからは時間はたっぷりあるので、溜め込んだものをじっくり書いていこうと思う。ところで、前回(と言っても1年も前か)はワインの関連で「相棒」が話題になっていました。 season12 の最終回が3月12日に放映されたこのタイミングですから、「相棒」について書いてみよう。
相棒は平日の午後4時から再放送をしてるのでご覧になられる方も多いかと思われますが、小生はタイトルを見ただけで内容がすべてわかってしまうほどの相棒ファンである。再放送とはいえ、単純に過去のものを順番に放送しているわけではなく、人気のあるものを選んで放送しているようである。ただし、そこにはある意図が隠されているように思われる。というのは、小生の勝手な憶測というか願望がそう思わせているだけなのかもしれないが、その辺りを書いてみる。
再放送も、現シーズンOA中のものとリンクするよう、過去の事件と関係のあるものを水曜の再放送にぶつけていることは皆様方もご承知であろう。さて、今回の最終回でキーとなる人物は元衆議院議員・瀬戸内米蔵である。当然その日の再放送では瀬戸内米蔵の犯罪が絡んだものであった。しかし、これは単純な表向きのキーマンであって、本当の意味でのキーマンは誰あろう、小野田官房長なのである。ことある毎に小野田官房長の存在が見えてくるのである。最終回での杉下右京のセリフも意味深である。「かなうのであれば直接聞いてみたいですね、官房長が何ておっしゃるのか、どう反論するのか。まあー、もはや望むべくもないことですがね。」
望むべくもないことなのであろうか、であるならばこんなラストシーンを演出する必要もないのである。みんなが望んでいることは小野田官房長の復活なのであろう、小生もそれを望んでいる一人であるが、果たして復活はあるのであろうか。
小生の答えは、「復活あり」である。死んだ人が復活?そんなバカなと思われる方もいらっしゃるでしょうが、そんな人には問いたい。「官房長が死んだところを本当に見たんですか」と。確かに劇場版Ⅱで刺されたシーンはありましたが、死んだ場面はありません。葬式の場面があっただけで、死んだのだと思っているだけ(思わされているだけ)ではないのか。
つまり、さすがに臨終の場面を作ってしまうと復活は難しくなるけど、復活の余地を残すために劇場版Ⅱではあのような作りをしたのではないか。では、復活がある場合どのようなストーリー展開を考えるかが問題となる。それは、劇場版Ⅱの中に火種があると思われるわけで、背景には警察庁と警視庁の対立があり、さらにその裏には政治的な大問題が絡んでいるため、官房長が死んだことにして背後に蠢く人物たちを安心させておいて陰謀を暴きやすくすることに狙いがあったとする展開である。
さて、復活の時期(小生の希望的観測)は劇場版Ⅲではないかと見ている。完全な復活ではないにしろ、それを示唆する何かがあるのではないか、遅くてもシーズン13の初回2時間スペシャルがチャンスと見ている。ここでなければ、永遠に復活はないのであろう。これまでの杉下右京のセリフは単なる思わせぶりにすぎなかったということになる。