
今日は絶賛事務仕事日。ざんざんの雨も午後には上がり、ひと息いれに野菜ボックスまで。お金を入れると鍵が回り、中の野菜を買えるボックスが近くにある。近くといってもチャリで10分弱、今は胡瓜、トマト、茄子がメインで、時々とうもろこしや枝豆も出ている。
昨日、蛍を見ていた時に何かに刺されたようで、何ヶ所か刺し跡のあった左のふくらはぎが真っ赤に腫れてきた。刺された時に気づかなかったから、蚊よりも戦略的な虫だろう。気づくのが遅かったかもしれないが、ドクダミをすり下ろし、炙ったユキノシタを揉んでラップしておく。
事務仕事をしながら、ハラスメントとハンディキャップについて、考えるともなく考える。外国暮らしの友人が、かの地では言葉がうまく通じない状態などをソーシャルハンディキャップという、と書いていた。私も先週ちょうどnoteに書いたところで、ハンディキャップとは状態、というところに共感する。サポートが十分ならば改善される可能性がある。
「伝聞方式への試み タップで文学Ⅱ 嵐が丘 tap drama with movie 」作品デモ UPLINK映像WS作品
昨日、蛍を見ていた時に何かに刺されたようで、何ヶ所か刺し跡のあった左のふくらはぎが真っ赤に腫れてきた。刺された時に気づかなかったから、蚊よりも戦略的な虫だろう。気づくのが遅かったかもしれないが、ドクダミをすり下ろし、炙ったユキノシタを揉んでラップしておく。
事務仕事をしながら、ハラスメントとハンディキャップについて、考えるともなく考える。外国暮らしの友人が、かの地では言葉がうまく通じない状態などをソーシャルハンディキャップという、と書いていた。私も先週ちょうどnoteに書いたところで、ハンディキャップとは状態、というところに共感する。サポートが十分ならば改善される可能性がある。
では、バリアとは、意識が生み出す壁だろうか。リアルな壁もきっと意識から生まれた。立ちはだかる壁、どうにもならない壁。壊すのか遠回りするのか、壁への対処法も色々編み出されている。ハラスメントが起きるのは、バリアのこちらとあちらに上下関係が生じた時か。何か対等ではなくなった時、それは起きる。
ハラスメントは連鎖する。だから、一概に片方を悪者に祭り上げれば終わるわけではない。遡れば、ハラスメントを続けてきた土壌が現れるだろう。個人を擁護する意ではない。でも、これは、みんなの意識がつくってきたことと自覚しよう。
ハラスメントは連鎖する。だから、一概に片方を悪者に祭り上げれば終わるわけではない。遡れば、ハラスメントを続けてきた土壌が現れるだろう。個人を擁護する意ではない。でも、これは、みんなの意識がつくってきたことと自覚しよう。
面倒だからと見逃して受け入れてきた小さな圧迫。声を上げる勇気を叩く態度、傷つけてきたことを受け入れられず攻撃してしまうこと。胸に手を置いて考える。日常の中に潜む。
今だって、夜の街が悪者にされている論調で、満員電車は咎められない。どちらにも、生業の必然はあるのだが。また、国から補償がわり(多分)の緊急支援募集が始まろうとしているが、まず初めに、舞台と映像は、本来違う媒体である。映像として出すならば、その専門性が必須。
「あいこうる〜タップで文学Ⅱ嵐が丘」の舞台作品準備段階でつくったデモ映像は、映像を共演者として舞台をつくる試みの第一歩だった。“記憶”という共演者。
「あいこうる〜タップで文学Ⅱ嵐が丘」の舞台作品準備段階でつくったデモ映像は、映像を共演者として舞台をつくる試みの第一歩だった。“記憶”という共演者。
アップリンクの映像WSは、参加者がつくった映像をみんなで見て、ほめたりダメ出ししていくものだった。高いカメラがなくてもスマホで撮れるなら参加できる。お互いに学び合って、みなそれぞれに伝わる映像をつくろうとしていた。実践がいちばんの学びになる。これも、映画を愛する人を増やしたいという試みだったと思う。その最中にも潜んでいたかもしれない日常的な圧迫に、私は気づかなかった。おそらく、映画への愛の方だけみていた。自分の日常にも近い空気で違和を感じにくいかったのだろうか?
そういえば、嵐が丘も、愛情がねじれすり変わってしまい世代をまたぐ。
「伝聞方式への試み タップで文学Ⅱ 嵐が丘 tap drama with movie 」作品デモ UPLINK映像WS作品