美味しいお散歩。

すべては必要でうまくいっている。
だから大丈夫。
「命」は「いのち」。

大阪府立弥生文化博物館2。

2009年10月18日 20時25分50秒 | あっちゃこっちゃ

平成の銅鐸

「滋賀県小篠原で出土した、わが国最大の銅鐸(高さ135cm)を
青銅で復原したもので、金色に輝いています」



模型「復原・卑弥呼の館」です。
「横5m、縦3mの大型模型に、3世紀の卑弥呼の住まい、
高殿・政所・倉庫群・環濠・物見櫓や、他国の王の使者・裁きの様子・兵士、
市のにぎわいなどの情景をことこまかく描きだしました。」



卑弥呼はどこにいるでしょう。


ここにいました!!



「弥生人は、ヒスイ・鹿の角・イノシシの牙・木・貝など、
縄文時代から引き継いだ材料に加え、ガラスや青銅などの
新しい材料もつかって、かんざし・ヘアバンド・櫛・ネックレス
ブレスレット・リングなどのアクセサリーをつくりました。
ただ、身に飾ったのは特定の人々に限られていたようです。」






弥生時代の墓
「弥生時代の墓は、地域によって異なった姿をみせていました。
弥生時代も終わるころになると、階層や政治的な地位によって、
同じ地域の墓にも違ったものがあらわれ、一人のための墓も造り始めました。」

木の棺(大阪府・巨摩遺跡)



土器の棺・甕棺(福岡・藤崎A遺跡)



第二展示室の前には「高床倉庫」の模型が。

「高床倉庫には稲を納めていたと考えられています。
稲は穂摘みの状態で保管され、必要に応じて脱穀・精白されていたと考えれれています。
柱は一本の木を上のほうだけ四角くし「ねずみ返し」をはめこんでいます。」




子供を埋葬した壺(日明山式土器)





「縄文時代の人々は土器という水が漏れず燃えない容器を使って、
お湯を沸かし、食材を煮ることで、より多くの食料を生み出しました。」

「続く弥生時代になると現在の炊飯につながる米を炊く調理も始まり、
食物はより食べやすく、消化しやすくなったと考えられます。
そのため、今のお粥のように身体の弱った者や幼児でも
食べやすい食べ物が増えたと思われます。」

「また弥生時代には使い方にあわせて土器の種類が増え、その多くは、
炊飯ジャー・鍋・やかん・土鍋・茶碗・皿などに形をかえながら、
現在まで受け継がれています。」



Mameshiba 


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 近畿情報へ にほんブログ村 その他日記ブログ 雑感へ ポチッとクリックよろしくです


最新の画像もっと見る

コメントを投稿