リニューアル☆姐さんの日記帳 gooバージョン

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものこそ思へ

障害も障害ではない人たち。

2016-03-27 08:04:39 | みんなの生活
メアリーたち、知的機能の障害はある。
生物としては障害がある状態。

しかし、生活していく上での障害、というと、意見が分かれると思う。

通常学級に行けず、特別支援教育を必要としている。
手帳で様々なサービスを受ける。
そして、その最たるモノが障害者雇用。
一般の人と、同じ条件で働くのは無理だと思われる。

しかし、普通に社会参加が出来て、家庭生活に大きな支障もなく
一人で登下校でき、友達と遊んだり出来る。
メアリーだけはまだ、言葉の大きなおおきな壁があるが、
その他の子たちは言語にもそれほど不自由はない。
生活には配慮は必要だが、それほどの支障はなく、

普通の学校に行けず、普通の仕事が出来ない、
というのを障害だとすれば、障害なのだが、
一応、学校に通って、青春を謳歌し、一般ではないとはいえ、社会参加可能、
というのを障害としなければ、障害とは言えない。

障害も障害でない人たち。本当は誰でも、どんな障害者も
社会参加に制約を受けることがない、というのが、理想と言えば、理想だと思う。

しかし、現実はそうではない。
メアリーたちは障害だけど、障害ではない。
そして、その代表格が今、話題の乙武洋匡氏、だと思う。

彼は何を言われても仕方ないよ。

社会参加、という意味では、彼に、障害はない。
仕事をして、結婚をして、子どももいる。
褒められたことではないにせよ、不倫まで出来る。
しかし、機能的には、生物学的には四肢欠損という重大な障害を負っている。

さて、彼は何を言われても仕方ないよ。
公人だしね。

ただ・・・彼の障害を障害じゃない、と思えば、
「何、浮気する男の勝手な言い分を『奥様の責任』にするわけ?
ふざけるな!!」
「妻が母親になって、夫婦の時間がない。何、甘えたこと、言ってんだよ?!
おまえの子だろ?!」
「子育てを奥さんに任せっきりなのに、いい加減にしろ!!」
と思う人はいるだろう。

しかし、それは、五体満足な男性が言った場合、私もそう思うが、
乙武氏には機能的には障害がある。

育児は手伝えない。
奥さんが「ちょっとおむつ変えて」「今、手が離せないからちょっと子どもを見ていて。」
と言われたところで、彼は何も出来ないのである。
妻が病気で、育児どころではなくても、
彼は妻の看病も子の世話も出来ない。
自分のことすら、無理な部分がある。

そうすると、どうなるか???

お金だけあれば、いい。
亭主元気で留守がいい、となるわけだ。
いなければ、少なくても亭主の世話はしなくていい。
性処理の問題も含めて、何もしなくていい、というのは、
育児に集中できる、ということであって、
はっきり言って、「いない方がいい。」状態、ということも十分考えられる。

だから、妻公認のプロの女性、という線があり得るのだ。
自慰も出来ないのだから、つきあいきれない。
外で発散して。
私はお金だけあればいいの。
という特殊な夫婦の形になってもおかしくはないと思う。

もっともそれに乙武氏はのっかって、図に乗ったところもあれば、
元々相当スケベだった、というのもあるし、
障害でも障害ではないところを自慢、というか、誇示したかったのも見え隠れする。

すべてが混ざり合った形・・・

奥様の謝罪は
「私たち夫婦はそれでいいんです。特殊な形でやっているんです。
でも、世間的にはまずいところまで、夫は図々しくやってしまいました。
家庭ではシメたいと思います。
私も野放しで、自由にさせすぎて、夫につきあいきれないので、
許してやっていたところがあるから、責任を感じているんです。」
というのもある気がする。

もっとも、人の心の内は分からない。
これは、私の憶測である。

ただ、こういう障害も障害ではない人たちの問題がいろいろと出てくる時代になったんだ!!
とは思う。

障害はある。メアリーたちも乙武氏も。
だから、サービスも受けられるし、一定の配慮の元でしか生活は出来ない。
でも、社会参加、という意味では、本人の努力で克服した部分も含めて、障害ではない。
だから、一般人と同じ扱いを受ける。

さあ、障害があって、でも、障害がない人たちの今後、
いろいろ面白くなってきた。

不謹慎ですみませんが、やっと、そういう時代になったんですから、
いろいろ見させてください。
興味深いです。



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