Accumulation journalière

とある社会人の日常と夢への道のり。時々月に還ったうさぎ🐰のことも。※画像を使用する場合はひとことコメント下さい

夏休み最後の日

2019年09月01日 02時20分30秒 | 日記
先ほど、NHKのEテレで8月31日の夜にという番組がありました。
夏休みが終わる最後の日。
学校に行きたくない子供たちの想いを紹介するという内容でした。
その内容があまりにも胸にくるものばかりで、共感せずにはいられませんでした。
思わずついったーに、当時の出来事を投稿してしまいましたが、思い出したら憎悪が激しくなるばかりだったのでこちらで一連の呟きを書こうと思います。

“高一のとき学校行きたくないことあったからほんとに気持ちがわかる…。休みたくても家族にも先生にも言えないし校舎入って教室に入るまでが恐怖で動悸がひどかった。一部の人間のせいで。笑い声とか全部自分を嘲笑ってるように聞こえてたし人とすれ違うときは俯いて歩いてた。
#8月31日の夜に”

“悩みを打ち明けられる友達はいたけど、いつでも守ってくれるわけじゃないから、一人でずっと耐えてた。
先生も親にも言えなかったから頼れるのは自分しかいないと思って。
嫌われるようなことはしてなくても、あいつらにとってネタになればそれでよかったんだと思う。こっちにとっては地獄だったけど。”

“でもあいつら全員バカばっかだったから2年から特進クラスに行ってサヨナラしてやったw”
(↑この辺りから憎悪が沸き起こるw)

“勉強しない奴は平気で人を傷つけて笑うんだと身に染みて思ったから。
何の未練もなかったしやっぱバカは色んな意味でバカなんだなと思った”

“思い出しただけでもムカついてくる。から思い出さないようにしてるけど、この時生まれて初めて人を憎悪した。でもこれが最初で最後だと思う。
人を嘲笑って傷つけてる人に言いたい。
傷つけられた方は一生お前の顔と名前を覚えてるしずっと不幸になれって思ってるよ。”


今でこそ普通に口汚く喋ってる私ですが…ぶっちゃけそれはこの時の出来事のせいです。
これがなければもっと清らかに生きていたかもしれない(笑)

当時、私を馬鹿にして笑ってたやつらはバカでした。
だから私はバカが嫌いです。大っ嫌いです。
バカは勉強が苦手な人という意味ではありません。真性のバカなんです。

知る努力や想像する能力を持たない人のことです。つまりバカです(落ち着け

高校を卒業してすぐの頃、私はバカの真の意味を勘違いしていました。
偏差値の低い人間がバカだと。
だから、そういう人たちを一概に見下していましたし、関わり合うことを避けていました。
でも今、大学生活や社会人生活を通して、バカの意味を取り違えていたことに気付きました。
学歴に関わらず、きちんと人の気持ちを考えられる人はいるし、物事や将来をしっかり考えている人もいるんだと。

じゃあ私を傷付けてきた人間は何なのか。
人の気持ちを知ろうとする努力をせず、人が何に傷付いているのか気付かない人です。つまりバ(ry

あいつらが私を笑ってることは知っていました。耳だけは良いので。
でも私はずっと無視してたので聞こえてないと思ったのでしょう。聞こえとるわ。●ね。

少しでも人の気持ちを考えられたなら、私が明らかに人に怯えてることに気付けたでしょう。
でも私が学校も休まず、大人にも相談しなかったので、傷ついているとは思わなかったのだと思います。
回りに助けを求められる人なんてそうそういません。傷ついている方はほとんど一人で闘っているんです。

今思えば成績は良い優等生()だったので見せしめに一人ぐらい殴っておけばよかったと思いました。
ま、争いは嫌いなんで(^^)、しなかったですけど。

今でこそ、こんな凶暴な冗談を言えるようになりましたが、当時は本当に深刻な悩みでした。本当に辛かった。人が異常に怖かった。


こんな歪んだ嫌な性格になってしまったのもあいつらのせいだと思ってます。この性格は一生治らないと思います。
今更心を改め、誰にも尊敬される人間になろうとしても無理なんです。根底にこの時の出来事があるから。人を憎み、人に怯えた過去があるから。
人に対して無条件に優しくすることなんて出来ないんです。

私は一生消えない傷跡を残されたんです。
許すわけがないでしょう。
何があっても許しませんよ。

ま、私を嘲った罰かどうか知りませんけど、当初のグループから、ある日一人がハブられ、一人が退学し、空中分解しましたけど。
でも、どうでもよすぎて気にもならなかったですね。ざまぁwとしか。

私は2年から特進クラスに行くことを心の支えとして1年間その日々に耐えました。
でも、心の傷が癒えたのはずいぶん後になってからでした。何年もかかりました。

高校2年から今までに出会ってきた、たくさんの心優しい方々のおかげでほとんど普通どおりの自分に戻ることができました。
あれだけ怖かった“人”も、また好きになることができました。

だから、このブログのタイトルを考えるとき、着想を得た高屋奈月さんの『星は歌う』のセリフを、
今死にたい、或いは学校に行きたくないと思ってる人に届けばいいなと思います。

…見限らないでくれ
この世界を 
捨てないでくれ


私はたまたま運が良かったから乗り越えられたのかもしれない。憎しみを糧にすることができたから、今も生きてるのかもしれない。

でもどうかこの世界を見限らないでほしい。

傷が癒えるのはとても長い時間がかかります。後遺症も残ります。
一生消えないこともあります。
ふとした拍子に当時を思い出してフラッシュバックすることもあります。

それでも、未来には希望や可能性は必ずあります。どんなに小さくても。
そのことをどうか信じていてほしいと思います。

私みたいに性格が歪んでもいいし、憎しみを糧にしてもいいので、自分を生かす原動力を見つけてほしいと思います。

見つかるまで学校は二の次でいいです。
伝説を残すくらいがちょうど良いです。
応援してます。

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