母親の葬儀を司っていただいた浄土真宗本願寺派 堺・圓龍寺の法話が届きました。
《自分で自分に「誓い」をたてるといった経験はだれにでもある。
そしてそれが、どの程度実行されたかとなると、その答えは、「誓い」がいつのまにかくずれてしまったとか、実行されたにしても当初の半分以下ぐらいである。
もちろん例外はあって、たてたとおりにきちんと守られる人もいるが、そういう人はえらい人であるが、人間離れしたような感じがする。
自分と自分に「誓い」をたてる場合、どうしても自分に対するあまえがあることは事実である。また、他人との「誓い」が口先だけの時は、多少の差はみとめられてもたいしたちがいはないと言える。
つまり、「誓い」などというものは、それほど頼りにならないものである。
「誓い」というものは、せめて「誓い」をたてて縛りつけなければならぬほどに、人間というものは誠実さ欠いた存在だということである。
誠実でありたいという願いは尊いが、その前に自らが不誠実な存在であるとの自覚を持つことである。》
圓龍寺のグループ「直枉会」のカレンダーです。
龍大カレンダーです。
《北斎漫画 葛飾北斎画文化11年(1814)~明治11年(1878)
本書は『冨嶽三十六景』と並ぶ葛飾北斎の代表作である。生涯に3万を超える画を発表した北斎は、狩野派、土佐派、琳派、さらに唐絵や洋画の技法を学んで独自の画風を確立し、黄表紙や読本などの挿画を手がけ、戯作者の曲亭馬琴とコンビを組んで『新編水滸伝画伝』『近世怪談霜夜之星』などの作品を発表し名声を確立した。
そうして全国にできた門人に対して、いちいち手本を描き与える手間を省き絵を学ぶ者のために図案をまとめたものが『北斎漫両』である。旅先の名古屋の門人宅で描いた約300図余りの画を基に、その2年後の文化11年(1814)に『伝神開手 北斎漫画』と題して発刊、歿後の明治11年(1878)にかけて全15編が刊行され、3900図余の画を収録する。
北斎白ら、森羅万象を気の向くまま筆の進むまま描いたので「漫画」と名づけたというように、人々のさまざまな姿や生活、道具、動植物、風景、歴史上の人物、妖怪などあらゆるものが描かれており、江戸の庶民から大名まで広く親しまれ大ベストセラーとなった。そして偶然、日本から輸出されていた陶磁器の包紙に使われていた『北斎漫画』を見て、そのデッサンの秀逸さに驚嘆したフランス人の版画家が画家仲間に伝えたことがきっかけになってジャポニスムの流行が起こり、後の『冨嶽三十六景』も相俟って、マネやドガ、セザンヌ、ゴッホなど印象派の画家にも多大な感銘と影響を与えた。》
お正月の雀さん。
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