空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

麗水の史跡巡りバスツアー

2018-06-02 23:14:00 | 日記

今日も快晴。

麗水市は、順天市と同じようにシティーツアーバスが走っています。

土曜日にある「土曜日遺跡コース」です。

運行コース: 麗水エキスポ駅⇒麗水忠愍祠⇒鎮南館⇒姑蘇台⇒李舜臣広場⇒全羅左水営亀甲船⇒昼食(自由)⇒麗水船所遺跡⇒孫良源牧師殉教記念館⇒興国寺⇒麗水総合水産市場⇒麗水エキスポ駅
運行日時:土曜日(1日1回)
所要時間: 約7時間20分所要
出発時間&場所:9:30 麗水エキスポ駅前

麗水市の南にある向日庵(향일암)」を含むコースは、人気で予約が取りづらいです。

しかし土曜日遺跡コース」は、外国人の場合当日受付でも大丈夫です。

集合の麗水エキスポ駅には、鉄道です。順天(08:32)発で、08:55に到着します。

駅前の観光案内所で、シティツアーバスを聞くと、横の黄色いバスを指さしてくれました。

    

料金は、9000₩でした。(一カ所だけ入場料が、いりました。3000₩)

大型バスに10人ほどでした。

ガイドさん付きで、出発です。

まずは、麗水忠愍祠(여수 충민사)です。

「忠愍祠(チュンミンサ)」は馬来(マレ)山(385.2メートル)のふもとに位置しています。1601年に体察使(非常時の軍務総括官)である李恒福(イ・ハンボク)が王命を受けて壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後の民心を探り、統制使(水軍の総指揮官)であった李時言(イ・シオン)に命じて建立させたものです。1993年6月1日に国家史跡第381号に指定されました。

    

    

ガイドさんは、この岩の曰わくも話されていたようですが、私にはわかりません。

    

博物館です。入ると、立派な銅像。

    

表には、武器が展示してありました。

    

次は、鎮南館(여수 진남관)です。

麗水 鎮南館(여수 진남관)

国宝第304号である「鎮南館(チンナムグァン)」は現在までに伝えられて来た全羅左水営城の唯一の建物です。壬辰倭乱が終わった翌年1599年、李舜臣の後任統制全羅左水営の李時言が、壬辰倭乱で焼かれてしまった鎮海楼に建てた75間の大規模な宿です。南側を鎮撫する意味から「鎮南館」と言われています。その後、1664年、節度使の李道彬が多少の修理をしましたが、1716年に節度使の李如玉の時に大火災で消失してしまいました。その後、1718年に李載冕水使(水軍の節度使)が再建したものが今日まで残っている建物の骨組みです。1911年、麗水普通公立学校をはじめとし日帝強占期には麗水中学校と夜間産業中学校として使用されました。
建物は全面15間(54.5メートル)、側面5間(14メートル)、面積240坪の大型の建物です。八角形の屋根がついている1階建てで支柱が68本あります。鎮南館の正面に建っている望海楼は、日帝強占期に撤去されたものを1991年4月、改築した2階建ての楼閣です。2009年9月に新しく丹青を施しました。鎮南館の付帯施設として鎮南館の歴史と壬辰倭乱について一目でわかる遺物展示館があります。また、週末には麗水市文化観光解説者が常駐し、詳しい説明をしてくれます。(既存のチケット売り場に、解説者の連絡先が掲示されています。)全羅南道の有形文化財第33号である麗水石人像が境内に建てられていて周辺の紫山公園、梧桐島、突山大橋、忠愍祠、万聖里海水浴場などがあります。

残念ながら今全面改修中でした。


すぐ先に、李舜臣広場と全羅左水営亀甲船が展示してあります。

    

ここで昼食です。

私一人ですので、コンビニでマッコリを買って、日本からの缶詰で簡単に済ませました。

気持ちよくなり、すこしうとうとしかけたら、酔っぱらいの声が聞こえます。

赤服のおっちゃんが酔って、なだめている黄服のおばちゃんや周りのおっちゃんを無視して大声出してました。


次に行ったのは、李忠武公の母親社シドンところ(李忠武公者当期乞食)(麗水市のHPからの訳)

    

    


次は、麗水 船所遺跡(여수 선소유적)です。

麗水 船所遺跡(여수 선소유적)

「麗水船所遺跡(ヨスソンソユジョク)」は、全羅南道麗水市柿田洞に ある遺跡で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、李舜臣(イ・スンシン)将軍が、造船技術を持っていた羅大用(ナ・デヨン)と共に亀甲船を作った場所です。
現在、この場所には、自然の地形を生かして、亀甲船を隠した掘江や亀甲船を繋いだ繋船柱などの遺跡が残されています。

    

    

孫良源牧師殉教記念館(손양원목사 순교기념관)は、改装中のため行きませんでした。

最後に、興国寺(唯一入山料が必要でした)

「興国寺(フングクサ)」は、その名からもわかるように「国家が栄えればお寺も栄える」という言葉通り、国の繁栄を祈願するために建立されたお寺です。麗水国家産業団地の近くにある霊鷲山の深い森に1195年(高麗時代)に創建された興国寺境内には大雄殿をはじめとし、円通殿、捌相殿などの文化財があります。興国寺大雄殿(宝物第396号)はピッサル門をつけて全部開放することができるようにしたことが特徴で、大雄殿の後仏丁書は宝物第578号に指定されていて興国寺の入口にある虹橋の立派な姿は宝物(第563号)の価値を遺憾なく見せてくれます。
それ以外にも興国寺盧舎那仏掛仏丁、水月観音図、十六羅漢図など3点の宝物があります。興国寺は壬辰倭乱の時、境内に約300名の僧兵海軍が訓練をした場所として有名です。毎年4月初め頃から1ヶ月間は、興国寺大雄殿の後ろの海抜439メートルの霊鷲峰と510メートルの進礼峰に続く尾根全体がツツジの花で真っ赤に染まります。この時期に「霊鷲山ツヅジ祭り」が開催されます。

    

    

中に入ってみると、

    

大雄殿です。

    

    

    

麗水総合水産市場から、麗水エキスポ駅まで戻りました。

順天へのムグンファ号は、20分待ちでありました。

順天でも多くの人が降りました。

しっくり歴史に触れた一日でした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 街歩きで、少しくたばる | トップ | 順天のバスツアー »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事