【パリ10日(日本時間11日)=藤塚大輔】陸上女子やり投げの北口榛花(26=JAL)が悲願の金メダルを獲得した。1投目で今季自己ベストの65メートル80で首位に立ち、そのまま逃げ切った。日本の陸上女子では、史上初のマラソン以外の金メダル。男女の全種目を通じ、5大会ぶり8人目の金メダリストとなった。昨夏の世界選手権に続き、2年連続での世界一。身長179センチのスロワーは、自分の体と向き合いながら新たな歴史を切り開いた。

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そこにいたのは強くなった北口だった。世界女王として臨む五輪決勝の1投目。「6投目ぐらい集中していた」。今季8試合のうち、最終6投目でその日の最高記録をマークしたのは5度。勝負強さの証しではあるが、ずっと「序盤から良い記録を出したい」と高みを目指してきた。この日はその通り、1投目で放ったやりが大きな放物線を描いた。競技人生で初めて、最初の投てきで65メートル台に乗せてみせた。

重圧を感じたライバルたちは、なかなか65メートルラインを越えられない。貫禄の先行逃げ切り。6投目の前に金メダルを決めた。感情が交錯し、涙ながらに笑った。「信じてこれたからこそ、今日の結果があった」。自分と向き合うことから逃げずに歩んできた。

3歳で競泳を始め、小学1年から打ち込んだバドミントンでは小6の時に全国大会団体で優勝。肩の柔軟性を生かして高校からやり投げを始めると、高3ではユース世代で世界一となった。小6で170センチ、中3で175センチの体格はどのスポーツでも武器となったが、実はコンプレックスを抱えていた。試合では「大きいから投げられる」と思い込まれ、レストランでは「たばこ吸いますか?」と尋ねられたことも。体を小さく見せようと、いつしか背中を丸めるようになった。

それに気付いたのは17年11月。右肘の痛みが長引き、知人の紹介で訪れた都内の治療院だった。端のほうでおとなしく座っていると、現トレーナーの上野真由美さんらから「体にコンプレックスがあるのでは?」と言われた。「はい…」と元気なく答えると「それではいけない」と諭された。「コンプレックスを持っていても、世界と戦えない」。北口は覚悟を固め、自分の体と向き合うと決めた。

検査で重度の猫背と分かると、日常生活から見直した。学校などの椅子は後ろに3度傾いていて姿勢が崩れやすいため、長時間座らないように心がけた。東京五輪後には座面が18度前傾した椅子を導入し、骨盤を前傾させるように徹底。19年から拠点とするチェコへも持ち込んだ。猫背を矯正することで、胴体のひねりを伴う投てき動作が安定。22年に世界選手権で銅メダルを獲得し、23年は同選手権で金メダルをつかんだ。

この日の決勝でも、自分の体と向き合っていた。他の選手の投てき時は、待機所の高さの合わない椅子には座らず、ストレッチやジョグを繰り返した。3投目後にはトラックにうつぶせで寝そべり、捕食のカステラをパクリ。これもおなかや背中を伸ばす目的があった。「理解されにくい中で自分がよいと思ったことを信じるのは簡単ではない」と葛藤しながらも、決しておろそかにしなかった。

歩みを止めずにつかんだ金メダル。それでもまだ、強くなりたいという思いは変わらない。試合終了から2時間。北口は言った。

「五輪の金メダルを取ったら満足できるのかなと思っていたんですけど、65メートルではまだ満足できない。もう頑張れないと思う時もあったけど、また頑張る理由ができた。満足できない理由があるのはとても幸せだと思う」

もう小さくなることはない。胸を張って生きていく。

◆陸上日本女子のマラソン以外のメダル 競技場内で行われるトラック&フィールド種目でのメダルは、1928年アムステルダム大会女子800メートルで人見絹枝が銀メダルを獲得して以来、96年ぶり2人目。フィールド種目で女子は初。これまでは32年ロサンゼルス大会女子やり投げの真保正子、36年ベルリン大会女子円盤投げの中村コウ、52年ヘルシンキ大会女子円盤投げの吉野トヨ子の4位入賞が最高だった。

でした。

 

 

 西 逈さんのコメントです。

笑顔と涙のオリンピック (西 逈)

 喜び満面の笑みで、鐘を鳴らし続ける北口さん。オリンピック悲喜こもごも。メダルを首にした選手の嬉しそうな顔、誇らしげな表情。国旗を胸に闘ったのだ。女子バドミントン、小さなスペインの国旗を手にして表彰台に上がった中国の何選手‥‥。オリンピックって素晴らしいです!》