相田みつをさんの書 6回目を御覧ください。
相田みつを「新版 いちずに一本道 いちずに一ッ事」角川文庫 より
【子規365日】■5月26日
一人居る編輯局(へんしゅうきょく)や五月雨(さつきあめ) 1898(M31)年
夏井いつき【子規365日】朝日文庫
《五月雨 さみだれ》の俳句
さは皐月の略。みだれは水垂れともいう。梅雨期の霖雨。五月雨(さつきあめ)。
・さみだれや大河を前に家二軒 蕪 村
・さみだれや青柴積める軒の下 竜之介
・あひふれし五月雨傘の重かりし 汀 女
横田正知編「写真 俳句歳時記 夏」現代教養文庫 より
谷口 璽照さんのコメントです。
《お説教から (谷口璽照)
私の本名は幸璽(こうじ)と言いますが、狸小路でも袋小路でもない、ましてや紅こうじでもない、本当の実の名前は「凡夫」。欲張りで、すぐに怒って腹を立てるのに暇(いとま)なし隙間なしの、ろくでなし。煩悩に煩悩を重ね、悪に悪を作る我々の心を、一から十まで十から百まで、百から千まで千から万まで万から億まで。心の奥の奥底まで、見抜いて見抜いて見尽くしたゆえ、「凡夫」と名をつけなされたのです。
「しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」
しかるに、如来さまの御本願は誰がため? 五劫の思案は誰がため? 永劫の修行は誰がため? できた南無阿弥陀仏の六字の名号は、誰のためでもなかった、みんなこの私(わたくし)一人(いちにん)がためだった! この私(わたし)が助からなきゃ、いったい誰が助かるのか。
「他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」》
「しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」
しかるに、如来さまの御本願は誰がため? 五劫の思案は誰がため? 永劫の修行は誰がため? できた南無阿弥陀仏の六字の名号は、誰のためでもなかった、みんなこの私(わたくし)一人(いちにん)がためだった! この私(わたし)が助からなきゃ、いったい誰が助かるのか。
「他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」