空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

阪大歯学部附属病院で受診しました

2024-01-16 19:31:06 | 日記

今日は阪大歯学部附属病院で、二科受診しました。

午後診だったのでゆっくりしました。

13:00から41番顎口腔機能治療部(がくこうくうきのうちりょうぶ)でした。

睡眠もしっかり取れているので、問題はなさそうです。

年度末近づき担当の先生が退職なので、新しい先生を紹介していただきました。

と言っても産休等の交代があった先生が参度目の返り咲きです。

次回予約は、これからゆく1階15番予防歯科(よぼうしか)の先生次第で、もう一度戻るつもりです。

14:001階15番予防歯科(よぼうしか)の先生は、今日から新しい方です。

始めに、次回の相談がありました。予防歯科は、患者さんがすごく多いそうです。

私は、4ヶ月に一度見ていただきたい希望を言いましたが、先生の予約は6ヶ月待ちです。

先生の方から、「4ヶ月にとして、次回は他の担当でもいいですか?」

勿論私は、OKです。

しっかり時間をかけて見ていただきました。

15番と41番、予約の調整です。

15番先生から「8ヶ月後、見せてください。」という言葉をいただき、他の先生を挟んで2階分予約できました。

それに合わせて、41番も予約できました。

出来たら今後も8ヶ月先の予約をお願いするつもりです。

 

【子規365日】■1月16日

うそのような十六日桜咲きにけれ     1896(M29)年

夏井いつき【子規365日】朝日文庫

 

さてさて十六日桜とは? 松山市のホームページ見てみました。

《御幸1丁目の天徳寺境内と桜ヶ谷の吉平屋敷跡とにあり、ヤマザクラの早咲きの品種で、旧正月16日ごろに開花するというので、この名がある。

 この桜については、伝承が種々残されているが、老翁がもう花を見ることもあるまいと嘆いたことから、これに感応した桜が早く咲くようになったというもの、長く病床にあった父が桜の花を見たいと願うので、子の吉平が庭の桜に祈ったところ、寒中の1月にもかかわらず、16日に花が咲いた。この奇跡によって老父は以後長寿を保ったというもの、の2種に大別される。小泉八雲が著書『Kwaidan』の中で、正岡子規の「うそのよな 十六日桜 咲きにけり」を引用し、『文藝倶楽部』第7巻2号に掲載された前者の伝承を元に英訳再話したことでも有名。 

 十六日桜の古いものは戦前山越の龍穏寺にあったが、戦災で焼け枯死した。現在、前記2ヵ所のものは、龍穏寺からの株分けが元であるといわれているが、花期も遅く、十六日桜の形質を保ったものではなく、実生による変異品種のようである。

 十六日桜(拡大写真)

 

西 逈さんおコメントです。

うばザクラ (西 逈)

 こう異常気象だと、桜が秋に咲こうが冬に咲こうが、珍しいことではない。人だって、姥桜が狂い咲こうが乱れ咲こうが「頑張んなはれ」てなものである。藤原為家(父は藤原定家)の側室・阿仏尼に『十六夜日記』がある。その「うたたね」から、一首の歌。
 嘆きつつ 身を早き瀬の 底とだに 知らず(魂が)迷わん 跡ぞ(死後のこと)かなしき》

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うばザクラ (西 逈)
2024-01-16 12:29:18
 こう異常気象だと、桜が秋に咲こうが冬に咲こうが、珍しいことではない。人だって、姥桜が狂い咲こうが乱れ咲こうが「頑張んなはれ」てなものである。藤原為家(父は藤原定家)の側室・阿仏尼に『十六夜日記』がある。その「うたたね」から、一首の歌。
 嘆きつつ 身を早き瀬の 底とだに 知らず(魂が)迷わん 跡ぞ(死後のこと)かなしき
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