今日は阪大歯学部附属病院で、二科受診しました。
午後診だったのでゆっくりしました。
13:00から41番顎口腔機能治療部(がくこうくうきのうちりょうぶ)でした。
睡眠もしっかり取れているので、問題はなさそうです。
年度末近づき担当の先生が退職なので、新しい先生を紹介していただきました。
と言っても産休等の交代があった先生が参度目の返り咲きです。
次回予約は、これからゆく1階15番予防歯科(よぼうしか)の先生次第で、もう一度戻るつもりです。
14:001階15番予防歯科(よぼうしか)の先生は、今日から新しい方です。
始めに、次回の相談がありました。予防歯科は、患者さんがすごく多いそうです。
私は、4ヶ月に一度見ていただきたい希望を言いましたが、先生の予約は6ヶ月待ちです。
先生の方から、「4ヶ月にとして、次回は他の担当でもいいですか?」
勿論私は、OKです。
しっかり時間をかけて見ていただきました。
15番と41番、予約の調整です。
15番先生から「8ヶ月後、見せてください。」という言葉をいただき、他の先生を挟んで2階分予約できました。
それに合わせて、41番も予約できました。
出来たら今後も8ヶ月先の予約をお願いするつもりです。
【子規365日】■1月16日
うそのような十六日桜咲きにけれ 1896(M29)年
夏井いつき【子規365日】朝日文庫
さてさて十六日桜とは? 松山市のホームページ見てみました。
《御幸1丁目の天徳寺境内と桜ヶ谷の吉平屋敷跡とにあり、ヤマザクラの早咲きの品種で、旧正月16日ごろに開花するというので、この名がある。
この桜については、伝承が種々残されているが、老翁がもう花を見ることもあるまいと嘆いたことから、これに感応した桜が早く咲くようになったというもの、長く病床にあった父が桜の花を見たいと願うので、子の吉平が庭の桜に祈ったところ、寒中の1月にもかかわらず、16日に花が咲いた。この奇跡によって老父は以後長寿を保ったというもの、の2種に大別される。小泉八雲が著書『Kwaidan』の中で、正岡子規の「うそのよな 十六日桜 咲きにけり」を引用し、『文藝倶楽部』第7巻2号に掲載された前者の伝承を元に英訳再話したことでも有名。
十六日桜の古いものは戦前山越の龍穏寺にあったが、戦災で焼け枯死した。現在、前記2ヵ所のものは、龍穏寺からの株分けが元であるといわれているが、花期も遅く、十六日桜の形質を保ったものではなく、実生による変異品種のようである。》
西 逈さんおコメントです。
《うばザクラ (西 逈)
こう異常気象だと、桜が秋に咲こうが冬に咲こうが、珍しいことではない。人だって、姥桜が狂い咲こうが乱れ咲こうが「頑張んなはれ」てなものである。藤原為家(父は藤原定家)の側室・阿仏尼に『十六夜日記』がある。その「うたたね」から、一首の歌。
嘆きつつ 身を早き瀬の 底とだに 知らず(魂が)迷わん 跡ぞ(死後のこと)かなしき》
嘆きつつ 身を早き瀬の 底とだに 知らず(魂が)迷わん 跡ぞ(死後のこと)かなしき