この冬最大の寒波が去ったと思ったら、今週末にもまた来るそうですね。
こんな夜は、やっぱり熱燗が恋しくなるのでしょうが、日本酒を飲まない私は「お湯割り」です。
朝日新聞デジタルを眺めていると、
と言う連載を見つけました。
雪の北海道の呑み屋さんです。
一番思い出すのが、映画「駅station」です。
留萌だったか増毛だったか、終着駅の倍賞千恵子が女将の小さな呑み屋で、
高倉健が八代亜紀の「舟歌」を聞きながら呑む。
そんなことを思い出させてくれた稚内の呑み屋さんです。
極寒の稚内、ネオン街の食堂で一杯
10年前、日本最北の地、北海道稚内に勤務していた。朝日新聞稚内支局(1人勤務)である。札幌から約500キロ。特急列車に乗っても6時間半かかる。
特に旭川から先の「名寄(なよろ)」という街を過ぎたあたりからは、ほとんど人影のない駅が続く。亜寒帯の寒々とした空気の中に入っていく感じ。遠いロシアの荒野へでも迷ってしまったような錯覚さえ覚える。
厳寒期のこれからは、日中でも最高気温は零下。最低気温は零下10度、内陸部になると零下20~30度にも下がる。立っている足の裏から冷たさが血管の中にのぼってきて、痛みが全身に走るような感覚である。
寒ければ人は人が恋しくなる。思い出すのはJR稚内駅のひとつ手前、南稚内駅近くの「オレンジ通り」と呼ばれるネオン街。名前を上げることはできないが、「O」というオカマバーがあった。カラオケ歌い放題で3千円だっただろうか。訳あって店を開いたというマスターの軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)なおしゃべりが面白かった。まさに「日本最北のオカマバー」である。
同じく何度か飲みに行ったのが「FBI」という名前のキャバクラ。こちらは「日本最北のキャバクラ」だ。稚内でFBI。何とも怪しげな感じだが、「フラッとビールで1杯」と地元の人は言っていた。あとは想像にお任せしよう。
塩ラーメンとおでんが名物の「庄内食堂」はいまも健在だ。山形県出身の佐藤定子さん(83)が1958年に始めた。私がいたころは年中無休。朝方の4時半まで営業していた。
創業約60年の老舗「庄内食堂」の名物はおでん。かっぽう着姿の佐藤定子さんが笑顔で迎えてくれた=2006年11月、北海道稚内市大黒2丁目
あれもこれも思い出す。
スナック「南フランス」は、雪明かりに浮かびあがる青と白の看板が印象的だった。映画が大好きなママさんの池田美恵子さん(67)が南仏へのあこがれを込めて、太陽と海をイメージして考えた看板である。「海の向こうの遠い世界にいつか行きたいと思っていました」と言っていた。
「南フランス」のママ、池田美恵子さん=北海道稚内市大黒2丁目
子どものころ、稚内には「稚内劇場」「日本劇場」「名画座」「宝映」と映画館が4軒もあった。初めて見た映画は小学生のとき。スペイン映画「汚れなき悪戯(いたずら)」だった。修道院でキリスト像と対話する純真無垢(じゅんしんむく)な孤児を描いた作品だ。
池田さんは高校卒業後、東京や沖縄で一時暮らしたが、家族がいる稚内に戻ってきた。スナック「南フランス」を始めたのは40年前である。
浜に活気があった時代。大漁旗を掲げた漁船が港にひしめいていた。「沖で死ぬような思いをして稼いだ金だもの。陸(おか)に上がったときぐらいパァーッとやらんと」。どの漁師も威勢がよかった。通りは、肩がぶつかりそうになるほど漁業関係者でにぎわったという。
ホテル工事に伴う立ち退きで約200メートル離れた現在地に店を移したのは89年。稚内でも最古参のスナックとなった。
急に懐かしくなり、庄内食堂にも南フランスにも電話をしたら、佐藤さんも池田さんも元気だった。「どうしてるのさ。たまにはおいでよ」。稚内なまりの温かな言葉が返ってくる。今年の冬はぜひ訪ねよう。晴れた日には宗谷海峡の向こうにロシア・サハリンが見える稚内。まぶしく白銀に輝く真冬のほうが本当の稚内に出会えるのだから。
寒いけど行ってみたくなりました。大阪もありました。
新世界、銭湯経由で立ち飲みへ
大阪で何度か飲んでいるうち、瓶ビールの呼称が東京と違うことに気づいた。大瓶は「おおびん」ではなく「だいびん」。中瓶は「ちゅうびん」だが、小瓶は「こびん」ではなく「しょうびん」なのである。
東と西の文化の差なのだろうか。
「でも大阪はユーモラスに聞こえます。オシャレで歯切れがいい言い方を意識する東京とは明らかに違うのです」と酒場詩人・吉田類さん。大阪の喫茶店ではアイスコーヒーを「レー(冷)コー」と縮めて言う人もいる。本当かどうかはわからないが、クリームソーダを「クーソー」と呼ぶ人もいるそうだ。
さて、今宵(こよい)めざすはディープな下町、新世界。土手焼きや串カツのソースのにおいがぷーんと路地に漂う古典的な酒場スポットである。「二度づけお断り」のはり紙。立ち飲みのおっちゃんたちが焼酎のお湯割りをちびちびやっている。
大阪のシンボル通天閣が見えてきた。その足元には何と銭湯がある。「新世界ラジウム温泉」。露天ぶろから通天閣が見える。温泉じゃないのに温泉。細かいことにこだわらないも大阪らしい。微弱な電流が流れ、筋肉痛や腰痛に効くという電気風呂もある。
風呂上がり、銭湯の近くで、八代亜紀のヒット曲「立ち呑(の)み『小春』」(2007年)と同じ名前の店を見つけた。
知らない人のために説明すると、新世界の立ち飲み屋に通う男が、東京から戻ってきた女性「なっちゃん」を励ます歌である。「ボチボチいこうや」「気楽にやりな」「笑顔を見せろ」……。挫折を体験した人や、うまく立ち回れない人への思いやりと励ましにあふれた歌詞が続く。
3年前の師走、大阪在住の作詞家・もず唱平さんと一緒に新世界を歩いた。「つらいことがあっても、涙をこらえ空をあおぐと、その視線の先にネオンに輝く通天閣があるのです。真っ暗やったら、つらいやないですか」と言っていた。
さて、居酒屋「立ち呑(の)み『小春』」。立ち呑みとあるが、店内に椅子がある。カウンターでは常連がグラスを傾けていた。「立ち呑みでもなんでもええや。酒がうまければええ」。カラオケ1曲100円。
このあたりは、大阪弁で言う「ええし(いいところ)」の人はあまり立ち寄らない場所だ。「庶民の街や」と小春のママ、福島千律子さん。仕事があまりうまくいかない人も温かく迎えてくれるだろう。
通天閣の下に立ち食いうどん屋を見つけた。広さ9坪の「三吉」。通天閣に勤めていた先代店長が空き地を利用し、将棋棋士・阪田三吉から名前をとって昭和44(1969)年に開いたという。
かけ170円。油揚げ、天ぷら、生卵の3点が入った「デラックス」は350円。ズルズル、ズルズル。うどんをすする音が店内に響く。汁を飲み干してフーッ。立って食べる男の背中に哀愁がにじむ。
「おおきに」。見送る店主の笑顔が優しい。湯気の向こうにぬくもりがあり、丼の底に明日がある。
昨年末の記事だから、行って見ましょうか。
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