はんたろうのがらくた工房

えーと、えーと…。

葬式と鯛

2011-12-19 22:52:30 | その他
父が亡くなった。
92歳だから、大往生と言っていいと思う。
前夜祭(仏教で言うところの通夜)と葬儀が、しめやかに、というよりは、和やかに執り行われた。



実家に帰り着いて喪服を脱いだところで、葬儀屋から大量の「食材」が届けられた。
葬式の折、亡父の祭壇に供えられた品々だ。



神式の葬儀の祭壇は、仏式のそれとはかなり趣が異なる。
野菜、果物、餅、卵、乾物、そして、立派な鯛が、それぞれ三宝に載せられ、供えられる。

手向けられた花は葬儀のあと棺に入れられるが、これらの供物は皆、遺族のもとへ戻ってくるわけである。

故人へのお供え物であるから、なるべく無駄にしないように。
それから、祭壇に常温で長時間置かれていた鯛は、決して生で食べないように。
葬儀屋はそう言い残して帰っていった。



一大事である。



餅や乾物は日持ちする。
いよいよ寒くなってきたので、野菜や果物、それと卵も、まあなんとかなる。

ただ、鯛だけは。

刺身で喰うなと名指しされた上に、とてもじゃないが冷蔵庫に収まるサイズではない。

そこで。

以前にも鯛をさばいたことがある私に、白羽の矢が立った。



そんな手順、何年も前のことだから忘れてしまったのだが、とにかくそういうわけで、斎場から遺骨を持ち帰ったその日に、鯛をまるまる1尾、さばくことになった。

「なまぐさもの(*)」全開である。

ヨメさんには、鯛のさばき方を再度検索してもらう。
兄嫁には、昆布締めのレシピを当たってもらう。
その間に、日の暮れた庭に出て、鱗を取る。

皆でわあわあ大騒ぎしながら、三枚におろし、腹骨を除き、薄く切って、酢で拭いた昆布に挟み、重石をして、寝かせる。
半身分を仕込んだところで昆布のほうが尽きた。
残る半身と中骨は、明日、兄嫁が鯛めしにしてくれることになった。



翌朝。

昆布締めは、たいへんおいしくできた。
驚くような化学変化はない、
ただ素直に、鯛の味と昆布の味が濃縮されていた。
兄嫁が土鍋で炊いてくれた鯛めしも、これまた美味であった。



かくして、供え物の鯛は、見事、遺族の血肉となった。
終始笑いが絶えなかったことは、父の供養にも、また母の慰めにもなったと思う。



さあ、あとは、大量の野菜と、卵と、餅だけである(え?)



* 昔の仏教は、僧の殺生や肉食を禁じた。葬儀の折などは、遺族もまた「精進」、つまり肉や魚のない食事で過ごし、四十九日が明けたら「精進落とし」をして、普段の食生活に戻っていた。
現代ではこれらの風習は廃れ、「精進落とし」も葬儀(兼初七日法要)のあとの会食を指す、たんなる「名前」になっているが、それでも、仏式の葬儀では祭壇に生魚を供えることはなく、そのあたりに名残りを見ることができる。



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