明日で、能登半島地震からちょうど8ヶ月になる。
ほぼ半年ぶりに能登を訪れた。
「テープがない」
阿岸本誓寺に到着して、私は声を上げた。
阿岸本誓寺のことは、私のブログではこれまで一度も書かなかった。
被災した姿をじっさいに見てきて、私の言葉では正しく伝えきれないと思ったからだ。
それを、書こうと思う。
地震のあと、実際に見てきたという記事には、被害がわりと軽かったように受け取れるものもあった。
たしかに、本堂も山門も、倒壊せずにそこにあった。
ぱっと見では、殆ど無傷に見えた。
しかし、どちらも「立入禁止」の黄色いテープが張られていた。
山門は、一尺はあろうかという柱が、ほぞ組みのところから4本すべて折れ、やっと立っていた。
その脇にある塀は、土台の石積みが崩れて倒れかかり、つっかえ棒で支えてあった。
おそらく、本堂の内部も似たような状態であったろう。
倒壊しなかったことが奇跡かもしれない。
ただ、一大観光資源でもある総持寺祖院がいち早く拝観を再開したのとは対照的に、殆ど報道されることがなかった。
地元の集落を見守るように、静かに耐えていた。
5月、仮設住宅が出来て公民館の避難所が引き払われたあとも、阿岸本誓寺は殆ど手がつけられていないように見えた。
今、目の前にある山門からは、あの無粋な黄色のテープが消えていた。
折れた柱はそのままだったが、ともかくもきちんと調査され、然るべき補強がなされたのだろう。
石積みと塀は修復され、山号を記した石碑はぴかぴかに磨き上げられていた。
嬉しかった。
茅葺き屋根の美しい本堂は、いまだ立入禁止のままだった。
すっかり古びたテープが8ヶ月という時の経過を示していた。
それでも、初めて、再生への希望が見えて、泣けた。
来年の春、阿岸小菊桜をかならずまた見に来ようと思う。
ほぼ半年ぶりに能登を訪れた。
「テープがない」
阿岸本誓寺に到着して、私は声を上げた。
阿岸本誓寺のことは、私のブログではこれまで一度も書かなかった。
被災した姿をじっさいに見てきて、私の言葉では正しく伝えきれないと思ったからだ。
それを、書こうと思う。
地震のあと、実際に見てきたという記事には、被害がわりと軽かったように受け取れるものもあった。
たしかに、本堂も山門も、倒壊せずにそこにあった。
ぱっと見では、殆ど無傷に見えた。
しかし、どちらも「立入禁止」の黄色いテープが張られていた。
山門は、一尺はあろうかという柱が、ほぞ組みのところから4本すべて折れ、やっと立っていた。
その脇にある塀は、土台の石積みが崩れて倒れかかり、つっかえ棒で支えてあった。
おそらく、本堂の内部も似たような状態であったろう。
倒壊しなかったことが奇跡かもしれない。
ただ、一大観光資源でもある総持寺祖院がいち早く拝観を再開したのとは対照的に、殆ど報道されることがなかった。
地元の集落を見守るように、静かに耐えていた。
5月、仮設住宅が出来て公民館の避難所が引き払われたあとも、阿岸本誓寺は殆ど手がつけられていないように見えた。
今、目の前にある山門からは、あの無粋な黄色のテープが消えていた。
折れた柱はそのままだったが、ともかくもきちんと調査され、然るべき補強がなされたのだろう。
石積みと塀は修復され、山号を記した石碑はぴかぴかに磨き上げられていた。
嬉しかった。
茅葺き屋根の美しい本堂は、いまだ立入禁止のままだった。
すっかり古びたテープが8ヶ月という時の経過を示していた。
それでも、初めて、再生への希望が見えて、泣けた。
来年の春、阿岸小菊桜をかならずまた見に来ようと思う。
ごらんのように、個人が立ち寄って、山門をくぐり、境内に入ることはすでに可能でした。
今年3月に訪ねた時には、本堂にも修理の業者さんが入っていたようですから、拝観再開の日も遠くないかもしれませんね。
輪島市観光課に直接問い合わせてみれば、より新しい情報が得られるかと思います。
百寺巡礼で阿岸本誓寺を知りました。輪島市のホームページを読むと、まだ阿岸本誓寺は立ち入り禁止のようですが、実際のところはいかがでしょうか?もしご存知であれば、ご教示いただけると幸いです。
能登の復興を祈願しております。