石丸日記

反原発運動半世紀
バックは福島第一原発事故を伝える福島民報2011年3月13日号

大地震 原発過酷事故から13年・・・No267号

2024-03-26 11:23:43 | 脱原発情報

大地震 原発過酷事故から13年・・・
誰も責任を取らない現状に怒りを覚える!

「3.11原発大震災」から今年で13年になった。心魂と共に、この事態をもたらした東電と国に限りない怒りを覚える!1971年3月の運転開始から“嘘と隠ぺい”の限りを尽くし、この事態に至った。


[資料1 原子炉建屋が崩壊し燃料プール危機は増した]

 2011年3月11日、14時46分、M(マグニチュード)7.9の短周期地震動が約3分間続いた。
 時間の経過と共に(資料1)の事態となり、原発建屋最上階にあった「燃料プール」が危なくなり近藤原子力委員会委員長は、半径250㌔・5千万人避難の「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」を出すにいたった。
 更に、福島県内の半分以上が1平方㍍当たり4万Bpの「放射線管理区域」と同等になった!

[資料2 「避難指示」の市町村.関連死数とビッグパレットの現状     ]

 東日本大震災の死者・行方不明者は2万2,318人、負傷者は5,400人、震災関連死は3,739人となり福島県が最多の2,286人に達している。
 (資料2)のように関連死を報じた既報No222(2020.6.25)の調査を改めて見てみたい。「避難指示」が出された13市町村の人口と関連死の現状で最も多いのは川内村で30人に1人の割合だった。更に、郡山市のビッグパレットで6ヶ月間、避難生活を送ったある人物はこう語る。「当時、若かったから耐えられた!避難所の朝は早い…5時…パッと、やたらまぶしい電気が点く…洗面、トイレ…食事もすべて並んで順番を待つ…トイレは汚れが酷い。高齢者、障害者など様々で…ほとんどの人は“すぐ帰れる”と思い、何の準備もなく避難バスに乗った。薄い布団にゴツゴツした床…今思うと“三密状態”だった。4月にはノロウイルスが発生!暑くなりかけた時期だから爆発的な発生だった…いつ帰れるか、希望もなく極限状態だった!」
 この実態に耐えられず各地に避難した人の中には転居を10回もした人もいた。 この実態をもたらしながら誰も責任を取らない日本!これだけではない…子ども達の甲状腺がんや疑いは370人に達している。巷では、がん患者が多くなり「何故だろう!」の思いは強くなっている。

脱原発情報No267号 PDF版はこちらから

 

P2~3  再開後77回 東電交渉
        仮設ホースを5年間使用した理由は何か?

P4   東芝他を狂わせた…
    「原発ルネサンス」と原子力業界の実態!

P5   「被ばく影響を否定する100mSv論」に反論する原告   

P6   (故)川上義孝さん追悼記    

 

 

 



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