華灯り

障害年金を辞退することに

今月から、検査入院が毎月ではなくなった。
私はめきめき回復していると思う。

今日は少し体調が良くなかったけど
以前ほどは、ひどい状態にならない。

この節目で
障害年金の受け取り拒否が出来ると知り、
世情を鑑みて、年金機構に支給停止希望を
出すことにした。

成人以降の病気や障害は、収入に関わらず
障害年金を頂ける。
でも、私は1人で暮らせる程度には
講師の仕事での収入がある。

障害年金は子供がいると、プラスの
お金を頂ける。
娘を私だけの収入で食べさせて行けるか
というと、かなり倹約すれば可能。
大学に行かせるとなると、大変だけど
私立でなければ私だけの貯蓄から大丈夫。

今の世の中で、物価も上がって
生きていくのがどれだけ大変か
わかる。
明日の生活が心配な人もいる、
家のローンがきつくて、家を売る人も。
教会でも、献金が減っている。

障害年金は、人の税金。
国庫負担だとしても
まぎれもなく、国のひとりひとりに
重税が課せられて、社会保障が実現している。

私は20代で乖離性同一性障害の時にも、
国民年金を支払っていれば障害年金が
出ますよと医師に言われ(アウトリーチ)

行政書士に依頼して手続きして頂き、
生活のために障害年金を受給した。

姉には「税金泥棒よ。恥ずかしい」
と言われた。
子供の頃、義理の父が身障者で
障害年金と生活保護を得て、ギャンブルに
使い込んでいたために
良いイメージがなかったってこと。

そして、ひどい言い分だけど
それが一般的な納税者の、正直な気持ち
だと思う。
楽してお金を貰いやがって、と。
特に今みたいな世の中では尚更。

実際に痛みや苦しみが勝れば、お金なんか
要らないけどね。
本当に死んでも良いやと思う瞬間がある
ものだから。
お金じゃないんだよね。お金だけでは
生きられない。
愛情や、達成感がないと。

けれど会社員が、
どれだけ天引きをされているか。
自営業者が、どれだけ国民年金と社会保険料を払っているか。
大変なのは、みんな同じ。
人間関係に悩んだり、具合が悪くても働いている。
楽しく働いている人は、あんまりいないと思う。

社会は助け合いの歯車。
高額納税者がある程度、負担するのは
仕方ないことと多嘉良は言う。
それが社会のシステムだって。

多嘉良は毎年、数千万円を税金として収める。とんでもない額。所得税だけで。
全ての労働者の、0.025%程度と言われている。

それは、ある意味では凄いね〜って話だけど、先々を考えたら、派手な生活が出来るわけでもない。
そんなのは、後先考えない人しかしない。
子供、孫に少しでも資産を残したいと考えるから。

たまに、子や孫が調子乗りにならないように、自分で稼いだお金は自分のもの!
という人もいるけど。



話を戻して…
その後、私は精神的な病気が回復して
年金を頂かない(頂けない)ことになった。

月日が流れて心臓のことがあり、
今度は多嘉良が
けっこうな面倒くさい手続きを
してくれて、また障害年金を頂くことに。

当然の権利だから貰うように
と、多嘉良に言われて
半分寄付して、半分娘の教育費に
貯めていた。

が、私の考えではやっぱり嫌なんだ。

夫婦でも、多嘉良に食べさせて貰ってる
のが嫌だ。
働けるから働く。
働けることが嬉しい。
誰かの役に立って生きないと、魂が
しぼんでいく。

生きているだけで良い、一緒にいて
くれさえすれば良いと多嘉良は言うけど
甘やかさないで欲しい。
もっと言うと、みくびらないで欲しい。

病気の人や、障害がある人にどう接すれば良いかわからないと思う方々がいる。

どうすれば良いかの答えは、
対等に接すること。

どうしても出来ないことは、相談するから
もし可能なら、手伝って欲しいことも
あるかもしれない。
それは、どんな人でも同じこと。

赤ちゃんや小さい子、お年寄りは
出来ることが狭まる。
そんな感じ。
でも、赤ちゃんや小さい子に威張っては
いけないし、お年寄りを軽んじてはいけない。

誰でも、老いたらいつかは病気を
いくつかする。
最後は寝たきりになる。

お年寄りが病気経歴自慢みたいなのを
することがあるけど、あれはちょっと
違うんじゃかと思う。
病気がアイデンティティなんて、寂し過ぎる。

孤独なんだなあ、と思い
病院のロビーで話を聴くことがある。
誰かに言いたいし、存在を伝えたいんだよね。

何か、他のことをして発散出来ないの
だろうかとも思うのだけど。

人に甘えたい、寄りかかりたいと
思った時点で、真理からは離れる。
人は自立して生きることが自然だから。
その上で、助け合いをするけれど
人を頼りにして生きたら依存になる。

ひどい風邪を引いたり
事故や何かで骨折などをすると、
人に甘えたくなるよね。
それは一時的なもの。
甘えが続くなら、改めて自分を見つめ直さないといけない。

三浦綾子さんという、私が尊敬している
クリスチャンの作家(故人)が
結核と脊椎カリエスで寝たきりの時期に、
卸売りの手配をして仕事をしていた。
心臓発作や癌を経験して、パーキンソン病でもあった。

小説家にまでなったのは、彼女の研ぎ澄まされた感性や、純粋な観察眼からだと思う。
文才というのは、文の巧さじゃない。
結局は魂。

これまた尊敬している中村久子さん(故人、このかたも作家活動をされた)は
両手足がないのだけど、虐待を経ても
見せ物小屋や執筆で働き続けて、社会保障にすがることはなかった。

前に書いた、視覚障害があっても
ゴゼという仕事で、苦しくても立派に
生き抜いた方々を尊敬している。

6月からは、生涯手放せない薬で免疫不全の状態でも時々検査入院があっても、
社会の助けというものがもう必要ないと
いう姿で、しっかりと立って歩いていきたい。



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