華灯り

ヨシタケシンスケ展に

新潟で、現在開催中。
もうすぐ終了ということで、
キャシー(姪)も連れて出かけた。

20日は仕事が15時までで、
病院(整形外科)にも行った。
19日も内科に行ったのに、まったく
面倒な…。

というのも、ディズニー内で
けっこう歩いたのだけど
靴が意外にヒール高くて、
足が痛いなあと感じていた。

が、放置していたら
なんと爪下血腫という状態になっていて、
右足の親指が真っ赤っ赤!!
で、多嘉良が19日の夜に先に気づいて
翌日、病院へ行くことになった。

今更気づいた。
ディズニーに行ったのは14日。

靴の圧迫感を無視して、
たくさん歩いただけで
大変なことに。

私は骨粗鬆症があり
下手すると足指が骨折することも
あるという。長く歩いていたくらいで。
怖いことだ。

整形外科の先生には
「痛かったでしょう?」と聞かれたものの
曖昧な顔でフニャフニャンと適当に
首を振っておいた。
意識していなかったため。

多嘉良が痛覚鈍いオバケなんだけど、
私も微妙にそうなのかも。それは困る。

多嘉良は、何かの障害?なんじゃないか
というくらい変で、痛みがよくわからない
らしい。
脳に伝わりにくいというか…。

人の痛みに対しては、
「痛いんだろうな」って思うくらいで
「かわいそう」とは思わないみたい。
↑多嘉良が昔の特高警察みたいな所に
いたら、めちゃくちゃ非道な
取り締まりをやりそう。
(小林多喜二のエピソードのように)

無痛症という障害がある。
でも、これは知的障害などを
伴う場合が多くて
出血多量なども感知しないので、
凄く危ない。生命維持が。

でもターチン星人である
多嘉良は「痛みがなくても
違和感で怪我に気づく」そうで
「お前のほうが変だ」と言う。

まあ、目くそ鼻くそを笑うって感じ?
と言ったら
「何て下品な喩えか」と言われた。

前置きはともかく、
展覧会だ。
遊びながら回れる計らいになっていて
すっごく楽しかった。

写真はOK。
動画とフラッシュがダメ。

どっちがキャシーで、
どっちが私でしょう?


顔を認識すると
マークが現れる。







玉入れゲーム的なやつ。
多嘉良、上手い。

あっ、おじさんだ。


最後に
将来にこんな感じになるかもよ的な
カードを引ける。
娘が、どうぶつカメラマン。
姪が絵本作家。
私がトライアングル奏者。
多嘉良が物知り博士。
姉の分を引いたら、
着ぐるみ警部だった。












姪にぬいぐるみをプレゼントしたら
とっても喜んでいた。

レジの可愛い店員さんに
「Tシャツ素敵ですね〜」と
ナンパ師的なノリで
話しかけるバケネコ。
とっても可愛い女の子だったので、
つい…。(オヤジの心)

娘にも文房具を。
楽しかったって。

このマット、「土足で大丈夫です」と
係員さんに言われて
後から除菌シートで
タイツの裏と靴の中を拭いたわ。

姉を迎えに行ってから、
キャシーが行きたいというロイホへ。
※キャシーはロイホが異様に好き。

英国フェアをやっていて、
あちらのビールを飲んだ。
その前はハイボール。

そう言えば、昨日は
多嘉良おすすめスコッチを
ハイボールにしたのだった。
イギリスかぶれになっている。

デザートも
しっかり食べた。
栗のシリーズが出ていた。

姉の家の猫、ルーク。






姉の旦那さんは、
未練がましいLINEを姉に
毎日大量に送って来ていて、
離婚まで時間がかかりそう。
なかなかストレスがひどそう。
私達は姉を見守る。


美術館までの道のり、車の中で
キャシーと話していたことがあり。
海外の人と英語で談話するサイトで
英語力を向上させよう、と。

海外版の「斎藤さん」と呼ばれる
「Omegle」というサイト。
TV電話のような。
もちろん文字だけの
チャットの人もいる。

多嘉良が
出会い系のような要素があるから
ダメと言うのだけど。

あとは、ちょっと変な人というか
海外版変質者がいたり
日本人だと差別されたり
中国人だと思われて
やっぱり差別されたり、
英語が怪しいとバカにされる風潮が
ちょっとあるっぽい。

キャシーは短期のカナダ留学を
していて、小学校に上がった辺りから
英語塾(だけ)力を入れていたので
多少は話せる。
 
でも、堂々と日本語も遣って
サイト内で話したそうな。
逆にスゴい。
インドの人は、日本人が好きみたいで
話したり写真を一緒に撮ると
ラッキーだと思っているのだって。
(全ての人には当てはまらない)

私が目指しているのは、
英語だけ英語塾でも教えられるレベルに
達することと、
日常会話だけで良いので
フランス語とスウェーデン語、
フィンランド語を覚えること。

多嘉良には、日常会話だけでは
話せる内に入らないと言われた。
だから、多言語を話せますという
スタンスでYouTubeやTikTokに
いる人々は、レベルが高いわけじゃない
と。

外国人は、いくつかの言語を
話せる人が多い。

多嘉良もそうで、
英語とフランス語で
オフィスの仕事が出来る。

実はターチン、地球人じゃないから
ドイツ語・イタリア語・スペイン語・
ロシア語は簡単な内容なら話せる。

英語はゲルマン系、
ドイツ語もゲルマン系。

フランス語とイタリア語、
スペイン語はラテン系。

それと、フランス語と英語は少し似てる。

ルーツが同じだから、
学びやすいそう。
ポルトガル語も同じく
ラテン語系だから
ずっと聴いていると
わかるらしい。

ロシアだけスラブ語系だけど、
興味があるって。
多嘉良は、とにかく耳が良いのと
記憶を忘れないので
語学にも強い。

けれど、それらの言語で
政治経済の話をするレベルじゃないし
オフィスワークをするとしたら、
頭で変換しやすい英語が出て来る
と言う。

多嘉良の面白いところは、
何かをイメージする時に
フランス語なこと。
心の中でフランス語で自分と対話してる。
それは英語じゃないんだって。
フランス語の発音が綺麗だから、
気に入っているそうな。

もう何なんだよ、この人。と思う。
そんな時に、私は多嘉良と競ったり
並んだりが出来ないため、
自分1人で生きられるようにしていたい
と常に思う。

何でこの思考になるかと言ったら、
決定的に多嘉良には出来て
私には出来ないことが多すぎるために
いつもいつも、
多嘉良(夫)の影で隠れて
身を潜めていることになる。

それは、社会的な面で。
税金とか。防犯とか。医療関係とか。
何らかの手続きとか。何にでも。
何というか、多嘉良が偉いのだ。

それって、安心じゃないの?
ボケッと生きてりゃ良い話では?
と他の人は思うかも。

確かに、安心感って確実にある。
守られているというのは、
悪い感覚じゃなく
むしろ心地よいもの。

でも、私は嫌なんだ。
これが多嘉良(人間)じゃなく
神様からの愛や祝福なら、
受け入れるままだろう。

多嘉良を疑っているのではなく、
じゃあ夫が先に死んだらどうするの?
ということね。
死ぬというか、介護などが必要になったら
私は妻として多嘉良を守らないと。
その時、何も出来ない状況が
自分で許せないの。

ってのは、極論なのだけど。
殺そうとしても、ご長寿なターチン。

つまり、対等でありたいという願いね。
何度も書いているけれど。

夫婦にしても、
友達にしても、
親子にしても、
同僚にしても、
お店の人とお客さんでも、
誰とでも対等でいたい。

何でも任せていたら、
多嘉良は一般的な人より
カトリックの教義や知性を重んじていても
絶対に調子に乗る。
欲が出る。これは人の業。

実際、娘が
「パパってちょっと俺様というか
強い言いかたをしない?」と
言って来たことがある。
それは、多嘉良に話したら
ものすごい反省していたけれど。

ミーさん時代、
モラハラ(DV)だったので
私は警戒心アンテナが
バリバリと立っている。

そして、
子供時代に虐待の嵐であったため
反動なのか何なのか、
1人で生きられる力をつけねば
という自立心が、そりゃもう
ひどい。

そんなわけで、仕事に関しても
「この仕事さえ出来ればOK」
じゃなく色々な能力を鍛えたい。

福祉施設で働けなくなっても、
英語塾。
英語塾がダメでも、
オンライン家庭教師。
それだけで食べられないなら、
マッサージ師。

占い師は、ご飯を食べるための
仕事ではないので
ちょっと意識が違う。
画家も同じく。
だいたい、画家は職業としては
あまりにもバランスが良くない。
この、今の社会だと。

英語塾って、子供向けなら
英検2級レベルで良いけど
本格的な塾は、
ネイティブの先生と同等くらいの
能力が必要だ。
(でもネイティブには
大人になってからは
なれないと言われている)

塾の先生同士が英語で会議するから
英検1級を求められ、
更にTOEIC900点以上なんて
めったにいないレベルを求めて来る。

英語は、出来て当たり前くらいだから
他の言語が出来るとか、
信頼出来る証明(資格)が多いほうが
良い。それと、経験も。

だから、今の私では全くダメ。
話にならない。
自分を長く食べさせて、
暮らして行ける収入を得たいと
考えたら、ちょっとした技能じゃ
雇って貰えない。

常に、職場や家庭から
生身で放り出されたら、
どうするかを考えている。
どうやって生きるかを。

危機感が離れない。
これはもう、育った環境の悪さ。

夢の1つは、発展途上国に
カトリックの理念を持った
孤児院を建てること。
お金だけ出すのじゃなくて。
そこで働きたい。
だから、いくつか言葉を話せたほうが
良い。フランス語は、アフリカでも
話されているし。

親を亡くしたり、紛争で精神的に
傷ついた子たちが
カトリックの教えを軸に
魂のケアを出来るように。

信教は、救いになる。
私も多嘉良のお父さんと
お母さんとカトリックの教会に
行ったことが、支えになったから。

多嘉良のお家がお寺でも、
それは同じように支えになった
と思う。

でも、カトリックで良かったんだよな。
合っているというか。
要は愛だけで大丈夫というか、
シンプルだから。


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