濱カラ通信

四季折々の花や自然風景、そして横浜の街風景を撮ってます。

横浜 夜 散歩19

2011-06-27 | 横浜

みなとみらい21地区の北側に富士ゼロックスの特長のある丸いビルがあり、近くには日産本社もあります。ポートサイド地区に伸びる「みなとみらい大橋」を渡ると写真の撮影場所となる、ベイ・クオーターに出ます。前回の記事にある、ベイサイド公園は今回撮影場所の近くです。

横浜ポートサイド公園の花

2011-06-26 | 初夏・夏の花

アジサイ


ネジバナ


ラベンダー


アジサイ


横浜駅東側の横浜ポートサイド地区にあリ、運河に面した水際にある公園です。運河沿いは木製のデッキになっており、「みなとみらい21」の風景を望むことが出来ます。波をイメージして手入れされた芝生にはネジバナや花壇にはアジサイなど季節の花を楽しむことができます。

コレクション・ポラロイド190

2011-06-23 | コレクション

テレビ局などで当時使われていたものはフルオート機能のものしかなく業務用としては使いにくかったようです。そこで、富岡光機に限定で完全マニュアルのポラロイド180を国内向けに製造依頼したそうです。レンズは富岡光機製のtomiron 114mm/F4.5 ツアイス・イコン社製のレンジファインダーで、シャッターはセイコー社製です。
写真のポラロイド190は1974年に発売されました。ポラロイド180との違いはレンズの開放値F3.5のレンズに変えられたぐらいで、仕様はほぼ同じだと思われます。フイルムはピールアパ^ートタイプでフジフイルムで市販されてます。

多摩川台公園(その他の花)

2011-06-21 | 初夏・夏の花

昼咲月見草



「あじさい園」の北西側には「野草園」と「水生植物園」が隣接していて、「野草園」には四季の野草が植えられており、通年楽しめそうです。「水生植物園」には池が設けられ、花菖蒲・睡蓮などが植えられています。池には木道が渡り、池の植物をまじかに見ることが出来ます。

多摩川台公園・アジサイ2

2011-06-20 | 初夏・夏の花



アジサイ園
多摩川台公園南東奥に位置する、「アジサイ園」は隣接する「野草園」や「水生植物園」と共に1987(昭和62年)に開設され、園内には7種類、3000株ほどのアジサイが植えられています。アジサイ園は今回初めてでしたが、多摩川台公園は桜の名所でも有名で、38年前に職場の花見で訪れたことを思い出しました。

多摩川台公園・アジサイ

2011-06-19 | 初夏・夏の花




アジサイ

公園は多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750メートルにわたって展開しています。面積は66,661平方メートルと広大なうえ、自然林の道、古墳、展望台、水生植物園、四季の野草園、あじさい園、山野草のみち、ふたつの広場など見所は豊富です。桜(約300本)、あじさい、ホタルブクロ、彼岸花など四季折々の花も楽しめます。

今回行ったアジサイ園は東急東横線、多摩川線、多摩川駅が最寄駅で徒歩1分の所に4枚目の写真の入口があります。


コレクション・カメラ

2011-06-16 | コレクション

STAR METER
1960-1965に製造され、レンズはKoder f8を使用、固定焦点・赤窓式フイルム送りの簡素な作りながら、STARシリーズは何機種かあり、普及機として人気があったようです。50年前の物ですがポップなデザインは今の若い人にも受け入れられると思います。ちなみにプロフイールの写真のカメラです。

ブローニー127
1954-1959に製造され、合成樹脂のベークライト製で弁当箱のようなBOXカメラです。名前の127はフイルム127を使用することからでしょうか。

横浜大倉山記念館

2011-06-14 | 横浜

東急東横線、大倉山駅を下車して線路沿いに坂を500m余り上ると、記念館が見えてきます。
実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦により、1932年に「大倉精神文化研究所」の本館として創建されました。設計は重厚で格調高い建築を数多く手がけ、日本建築史に大きな足跡を残した古典主義建築の第一人者、長野宇平治です。古代ギリシャ以前の”ブレヘレニック様式”という世界的にも希少な建築様式を取り入れて創りあげました。
1931年3月に「大倉精神文化研究所」は敷地を横浜市に売却し、研究所本館を横浜市に寄贈しました。横浜市は土地を公園として整備、建物を改修し、1984年10月に「横浜大倉山記念館」として開館しました。



吹き抜けのエントランスホールの上部に薄褐色のステンドグラスがあり、その下部には獅子と鷲の彫刻が交互に配置されてます。

思い出の写真

2011-06-13 | 家族


祖母が102歳の天命を全うし、今年の三月に永遠の眠りに就きました。そんな元気な頃に良く話をしていたのは、息子を実家に二か月間預けた時のことです。自分でも気づかない仕草を幼いひ孫が、真似て坂を上っています。その写真を見ては嬉しそうに話していたのを思い出します。