沖縄に来たという伝説があります。
保元の乱に敗れた為朝は伊豆大島に流され、
その後伊豆大島を脱出しましたが、途中で嵐にあい、
運を天に任せて漂着した所が今帰仁村の運天港だという伝説です。
(「運天港」の名前の由来と言われています)

運天港を見下ろす丘には為朝上陸碑が建っています。
石碑は、日露戦争の時にロシアのバルチック艦隊を
撃破した東郷平八郎の書によるもので、
横に「元帥伯爵東郷平八郎書」と刻まれています。




その後、為朝は大里按司の妹と結婚して
男の子が生まれました。
そして、妻子と一緒に日本に帰ろうとしましたが、
嵐にあって二度失敗。
女性が船に乗っているからだということで
最後は一人で日本に帰りました。
為朝が船に乗って旅立った港が浦添市の牧港で、
母子はそこで為朝の帰りを待っていたと言われています。
「待ちわびていた港」ということで、
「牧港」と呼ばれるようになったそうです。
母子が待っていたという「牧港のテラブガマ」が
今も浦添市牧港にあります。




為朝は二度と帰らず、残された子供は、
後に琉球の王となった「舜天」だと伝説では言われています。