先週の「秘密のケンミンSHOW」→こちら
どうしても
補足をしておきたい箇所がこれ
大阪では、お客さんが店員さんに
「ありがとう」と言う習慣があるという。
→本当。言う人は結構多い。
バスを降りるときなんて、そう。
ちなみに神戸もそうだが、
大阪ほどの頻度ではない。
それは、いつも「ありがとう」の
気持ちを忘れないからとか。
→というか、そういう習慣である。
挨拶の一種である。
ちなみに、大阪で「ありがとう」にぴったりな人物といえば、
多くの人が浜村淳を思い浮かべるらしい!?
→ポイントはここ。
テレビでは「ありがとう」と言えば?
とレポーターは聞いていた。
通常大阪では「ありがとう」という。
(コンサートの、谷村新司を思い出されたい)
「ありがとう」の
アクセント、イントネーションで使うのは、
「ありがとう浜村淳です」
しか、ないんで
(※「ありがとう」の後に、まだ文が続く場合)
結局
そういう答えになる・・・
関西の長寿番組
「ありがとう浜村淳です」→こちら(実際に聞けます)
これはこちら
さて大阪独特の使い方としては
考えときますわ
をご紹介しておきましょう。
あなた「これをこの価格で納入できます。
是非御社でも、ご使用いただけないかと
思いまして」
相手 「なるほど、判りましたわ。
ほな、考えときますわ」
あなた「あ、ありがとうございます」
~後日~
あなた「先日の件、いかがでしょうか」
相手 「ああ、あれね。
こないだ「考えときますわ」返事しましたやろ」
あなた「ですから、その検討結果を
お聞かせ願いたいと」
相手 「せやから
「考えときます」言うたやないかい。
まだこれ以上、返事要るんか?」
あなた「?????」
「考えときますわ」は
やんわりとした
「NO」
です。
しかし最近はコレを知らない
関西の人も多くなりました・・
どうしても
補足をしておきたい箇所がこれ
大阪では、お客さんが店員さんに
「ありがとう」と言う習慣があるという。
→本当。言う人は結構多い。
バスを降りるときなんて、そう。
ちなみに神戸もそうだが、
大阪ほどの頻度ではない。
それは、いつも「ありがとう」の
気持ちを忘れないからとか。
→というか、そういう習慣である。
挨拶の一種である。
ちなみに、大阪で「ありがとう」にぴったりな人物といえば、
多くの人が浜村淳を思い浮かべるらしい!?
→ポイントはここ。
テレビでは「ありがとう」と言えば?
とレポーターは聞いていた。
通常大阪では「ありがとう」という。
(コンサートの、谷村新司を思い出されたい)
「ありがとう」の
アクセント、イントネーションで使うのは、
「ありがとう浜村淳です」
しか、ないんで
(※「ありがとう」の後に、まだ文が続く場合)
結局
そういう答えになる・・・
関西の長寿番組
「ありがとう浜村淳です」→こちら(実際に聞けます)
これはこちら
さて大阪独特の使い方としては
考えときますわ
をご紹介しておきましょう。
あなた「これをこの価格で納入できます。
是非御社でも、ご使用いただけないかと
思いまして」
相手 「なるほど、判りましたわ。
ほな、考えときますわ」
あなた「あ、ありがとうございます」
~後日~
あなた「先日の件、いかがでしょうか」
相手 「ああ、あれね。
こないだ「考えときますわ」返事しましたやろ」
あなた「ですから、その検討結果を
お聞かせ願いたいと」
相手 「せやから
「考えときます」言うたやないかい。
まだこれ以上、返事要るんか?」
あなた「?????」
「考えときますわ」は
やんわりとした
「NO」
です。
しかし最近はコレを知らない
関西の人も多くなりました・・
井上陽水の曲?
チャンスを回してくれたからなのか・・
>考えておく
こういわれた時は
相手が乗り気がどうかよく見れば
判断できます。
こういうケースは
気のない返事になってるはずですから
「なにがありがとうだ?」と突っ込むのがわたしの常識になってます。
それってあたしだけ?
>「考えておきます」
なるほど、勉強になります
「仏さんへの信心の深さ」を
思い出しました。
的外れかも、
と思って書きませんでしたが
やはりあったんですね。
森元首相が初当選できたのは
火事で燃える家に入り
仏壇を助けたエピソードで当選できたと
聞いたのですが、それだけ信心深い土地だと
いう理解です。
>大阪
信心深いとは
あまり思えないですね・・・
某作曲家の頭部とともに
関西人「皆が知ってる秘密」といえましょう。
こう呼ぶ人も有ります(URL)
>たけし
ある部分をテッテ的にいらいますね。
村田英雄の「デカ頭」を
思い出しました。
(頭にバスタオルを巻いていた、とか)
果たしてどこまで納得できる説かはわかりませんが、確かに真宗王国の石川県では年寄りほど
「あらきのどくな」
「ありがとう」
を使いますし、相手がかなりの高齢だと場合によっては拝まれることがあります。
ただ信仰に篤いのは現在では70代以上の人に限られるので、それより下の人は信仰に基づくというよりは「習慣」でしょう。この「習慣」もだいぶ薄れつつあると思います。
大阪の場合の「ありがとう」を言うのとはまた違った土壌があるかもしれません。
浜村淳氏と言えば、昔は良く映画の解説をされており(関西では今でもされているのでしょうね。)、決め言葉が結構在りました。そう言えば、サザンの桑田氏が監督した作品「稲村ジェーン」が大ヒットした際、ビートたけし氏が「それなら浜村淳さんを起用して、『浜村ジューン』という作品を作ろうかな。」と言っていたのを思い出します。たけし氏は浜村氏がかなり好きな様で、良くネタにされていましたね。浜村氏がロンドンブーツの愛用者だったのをネタに、「この前楽屋に浜村さんが来たんだけど、入り口で靴脱いでたと思ったら、急に居なくなっちゃった。『あれ?浜村さん何処行ったの?』って大声で呼んだら、下の方から『此処に居ますよ。』って声が聞こえて。ロンドンブーツ脱いだら、判んないっつーの。」と。
そうかもしれませんね。
人情味がさらにのこっているような
気がします。
>「あらあんた」「体に・・」
なかなか立ち去れません(笑)
それともう一つ、
彼のモノマネといえば(URL)
御年70ン才
しゃべりは、あいかわらずです。
>考えときます
関西でも
使わなくなりつつあります
50代以上だと、この「ありがとう」に加え、
「あらあんた、きのどくな」が付いてきます。
挨拶語ではなく本心から言っている場合はそれに加え、「身体に気いつけて」まで言う場合もあります。
今回の記事、個人的にはかなりツボを突かれました。浜村淳氏のあのイントネーション、彼を知った頃から気になっていたし、良く真似をしたもの。
関東圏での生活が長い自分ですが、店員には結構「有難う。」と言いますね。まあ自分の場合は、単に気が弱いだけなのですが(笑)。
「考えときますわ。」に関しては、関西の方との商取引で「ハッキリ『NO!』と言う事で相手を傷付けないという、関西の文化なんだろうな。」と感じたもの。良く喩に出されるのに、京都での「もう少し(うちに)居らしたら?」というのが在りますよね。それを真に受けて「じゃあ、もう少し。」ってなっちゃうと、相手から「判ってないなあ・・・。」と思われてしまうと。(「ぶぶ漬け」の喩も。)まあこれも状況によって異なるのでしょうが。