カフェバー・ハーフタイム

above us only sky 人の上にあるのは空だけ みんな平等って意味だろ ジョン? 

ユニフォーム・コレクション

2005-05-25 19:24:15 | Weblog
何とか入国したイングランドだけど当時は大英帝国は今と正反対の不景気の真っ只中!理由はいつか書くけどリバプールへも行けず日本人観光客と化して観光の鬼!買い物に徹した。その頃から集め始めたユニフォームもかなり減ったけどまだ37種類約90枚かな。


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あこがれのイングランドへ

2005-05-25 19:12:06 | Weblog
ドーバー海峡は波が高く真っ青になってイングランド到着!それなのに服装や髪形が気に食わないって何だよ!あわや入国拒否にーそれって差別!偏見!許せねーって騒いだらスタンプ押してくれたぁ!裸にされなくて良かったなー。その時のパスポート写真ですが前髪は垂れてヤンキーバリバリーやっぱ拒否される?



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リバプール戴冠

2005-05-25 18:50:12 | Weblog
1977年の5月25日、27年前の今日ローマでチャンピオンになったリバプールは68年のマンU以来のカップを母国に持ち帰った。このときの決勝はイギリスと西ドイツのクラブだったのでパリでは確か放送されなかったらしい。オレはこの頃は一時帰国していて東京で結果を知った。試合から3週間後にバリに帰ったオレは9月にロンドンへのバスツアーに申し込んだ。


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新たなる旅立ち

2005-05-25 13:41:55 | Weblog
1976年に日本出国のスタンプ。出発空港がHANEDAだよ!まだ成田は完成してなかったな。パリまではアエロフロートでアッという間に着いた。ただ通路をはさんで片側3席の細長いソ連製イリューシンジェットは天井からポタポタ水滴がずっと落ちてたなぁ。
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初めてのチャンピオンズリーグ 1975-76

2005-05-25 13:25:39 | Weblog
 当時はリーグではなくチャンピオンズカップと呼んでいたな。
75-76シーズンの決勝は3連覇を目指すバイエルン・ミュンヘンとフランスリーグ3年連続優勝のサンテティエンヌで、これがオレにとっての初めてのチャンピオンズの決勝だった。あれは5月の半ば(12日だ)暑かったー!

 その年のパリは猛暑で100年ぶりの暑さとか言ってたな。オレは4月18日にパリに着いてようやく慣れて来たころで、毎日フランス語の外国人向け語学学校に通っていたのだけど、まあ話題は毎日サッカー、フットボール、カルチョ、フスバルだったな。
第二次大戦が終わってまだ30年だから年寄りは実際にドイツ人とその辺で撃ち合った経験があるし、子供も爆撃を受けて逃げまくった記憶があるもんだから、その憎しみ恨みたるやそりゃーこの前のアジアカップの騒ぎなんてもんじゃーないぜ。
「ナチどもを殺せ」とかベッケンバウアーにナチスの親衛隊のかっこさせた風刺画とかさ、まあサッカーでは完璧に当時は2流国のフランスのリーグチャンピオンが74年のワールドカップを制した西ドイツ代表の主力で構成されたバイエルンと戦うわけだから盛り上げるためにはマスコミはこのくらいは煽るよな。
 まあこの2チームは前年の75年に準決勝でも戦って0-2でバイエルンなんだけど、先制がベッケンバウアーで、もうひとりのDFにも決められての敗北だったな。フランス人にしてみればこの年の決勝の舞台がパリだっただけにかなり悔しかったらしい!決勝の相手はリーズで試合終了後にリーズサポーターがスタジアムの周辺でかなり暴れた映像もテレビでやってたな。とにかくフランス人にとっては何がなんでもドイツ野郎に勝って、優勝カップをもってシャンゼリゼを行進して欲しかったんだな。

 56年と59年にレアルにランスが連敗して以来のフランスのクラブの決勝進出だったけど、グラスゴーでの戦いは前半はスコアレスで、後半にバイエルンのフリーキックが決まってこれが決勝点だった。翌日準優勝の選手たちはシャンゼリゼを行進したらしいけど、オレたち外国人は誰も見にいかなかったなーそういえば。
 とはいえ、フランスに暮らし学ぶオレは当然フランスのクラブを応援したよ。翌76-77シーズンにもヴェール(緑=サンテティエンヌ)は準々決勝でワーォついにレッズと激突したんだ!

 ベスト8には4連覇を狙うバイエルンと西ドイツリーグチャンピオンのボルシアがいた。ヴェールはなんとホームでのファーストレグを1-0で勝ちアンフィールドに乗り込んだ。当時のリバプールのエースはケビン・キーガン!そのスピードとテクニックはイングランドNo.1であり、いかに彼を封じるかがポイントだった。が、キックオフ直後にキーガンに先制され一度は同点に追いついたものの追加点を奪われ最後は1-3で敗退。フランスのクラブチームはその後は低迷して、ナント、モナコ、ストラスブール、ボルドー、パリサンジェルマンが挑戦するも早期敗退が続き、フランスのクラブがタイトルを獲得するのは93年まで待たされることになる。

 キーガンの敵ながら素晴らしいテクニックとゴールセンスを見せつけられたオレはすっかりリバプールのファンになってしまった。だいたいオレは英国がどーも嫌いで英語に対する反発もありフランス語を始めた?くらいだから、いやーまさかキーガン、よもやリバプールの応援に回るとは思ってもいなかったさ!
 この年の決勝はレッズ対ボルシアメンヘングランドバッハ。ドイツチームはバイエルンを破ったキエフを沈めて西ドイツ勢4連覇に向かっており下馬評は互角だった。ローマでの決勝はリバプールが先制して前半終了。後半に同点とされるもリバプールが2点目、キーガンが倒されたPKも決まり3対1で勝った!リバプールか・・・一度はいきてえな・・・そう思ったおれは9月になってアンフィールドへの遠征を決めたんだ。



 
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リバプール勝てよ!

2005-05-25 11:36:11 | Weblog
いよいよ今夜だ。フジテレビで放送してくれるなんて嘘のような話しだぜ。ヨーロピアンに無料で見れるとメールで知らせたら羨ましがるだろうなぁ。リバプールに勝ってほしいかなオレとしては。


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