カフェバー・ハーフタイム

above us only sky 人の上にあるのは空だけ みんな平等って意味だろ ジョン? 

英国で「プレーボール!」の声は響くか?

2005-10-28 02:01:15 | Weblog
野球の日本シリーズはロッテが、アメリカのワールド
シリーズはホワイトソックスがそれぞれ無敗の4連勝で
日米のチャンピオンとなった。
しかしその熱狂が野球に全く興味を示さない英国で開催
されるロンドンオリンピックの公式競技に採用されるか
を検討するIOCの理事会が昨日からスイスで始まった。

前回の理事会の投票で落選したのは日本がメダルが期待
できる野球とソフトボールだ。
野球は賛成50反対54。ソフトは賛成反対ともに52
だったらしいし、女性の競技には好意的という情報もあり
ソフトは野球よりも票差以上に有利らしい。
ロンドンでは上限28競技のうち26競技が決まっているが
残り2席の椅子を争った空手やスカッシュなどが過半数の
支持を集められず未だに空席があることも幸いしている。

野球、ソフト復活にはまず理事会で競技数を上限の28に
する決定が必要だ。日本にとってメダルが期待できる競技
ということもあり、日本人のIOC副会長は、まず28競技
という上限一杯にすれば参加者が増え、五輪推進運動にも
プラスであり、またスポンサーの露出も増えることをアピ
ールしていくようだ。
そして28競技となれば、残りの2競技を決める再投票が
おこなわれる。
五輪の野球にはアメリカが消極的だし、欧州の多くのIOC
委員も反対しているという。(産経新聞26日1面)今後は
再投票が可能となるように国際野球連盟(IBAF)の理事が
IOC委員を説得していくという。

英国で野球か。。。
JJBなどの英国の大手スポーツショップでバットやグローブを
みた記憶があるが、それはマンチェスターかリバプールだった
ような気がするな。
ロンドン市内のJJB、JDなどのスポーツチェーン、リリーホワ
イツやハロッズで野球、ソフト用具が豊富に揃う時代になれば
英国の芝生に「カーン!」という日本人にはなじんだ音が響く
日が来るのだろうな。
開催国でありクリケットの国である英国でのIBAF委員のパフォ
ーマンスがうまくいけば、野球やソフトの五輪競技復帰は十分
可能性があると思うんだよね。
それにさ、プレーボールって英語なんだし、用語が開催国の
言語と同じなんだから英国民の興味をひきやすいはずだよね。
英国での宣伝活動と米国の協力があれば、きっとうまくいくよ
思うな。英国でもヤンキースグッズはけっこう売れてるしね。

とにかく結論はトリノ(イタリア)で開かれる来年2月のIOC
総会。その日に決戦投票が開かれれば50:54の差は逆転
できる数字じゃないかな。2012年への努力は2016年の東京五輪
招致運動にも追い風になるんじゃないかな。

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元気ハツラツ!ゴール、GOAL!

2005-10-27 23:54:34 | Weblog
日本代表・東欧遠征の失望感と自分のヨーロッパ
出張の疲労や仕事の忙しさ、5年に1度のピアノ
コンクールが開催されたこともあって、今月は
サッカーから気持ちが遠ざかっていた気がする。
こうしたとき、いってみれば得点の入らない試合で
気分を盛り上げてくれるのは、これしかない!
ゴール!GOAL!ゴォ~~ル!
ヒデと松井に続いて、今度はイナが俊輔が決めて
くれたね!

英国ブリテン島でプレーする3人の日本人プレー
ヤーがこの1週間で全員がゴールを決めたね。
まずは中田英だ。
深夜のテレビ放送で試合を見れた人も多かったか
な?オレも運よく観戦できたし、ゴールシーンも
見ることが出来た。
中田のFKのゴールというのはヨーロッパでは初かな?
思い出すのは雨のコンフェデで決めたガッツポーズ
だね。現在レンタル移籍中の身だけど、この日の
パフォーマンスでかなり完全移籍に傾いたのではない
かな?1月に移籍が決まる可能性UPしたね。
噂ではアーセナルもワールドカップ後の獲得を狙って
いるようだけど、獲得条件として今季中に公式戦で
6-7ゴールは決めていることらしいね。
中田は自身のHPで語っているけど、攻撃は比較的自由
にやれるようだし、今後もこのFK効果でゴールを狙い
やすくなるだろうな。体力に自信のあるオレが
持つかな?というくらい走ってるらしいね。ほんと
献身的なプレーも多く、いろんなところに顔を出すし
消えていなかったね。いい試合だった。

FKといえば俊輔の代名詞になりつつあるけど、スコッ
トランドではポストやバー直撃、相手キーパーの攻守
に阻まれていたよね。
しかし、とうとう決まったね。俊輔今季2点目、FKでは
は初ゴール。これはまたすごいゴールだよ。
実況で「ワンダフルゴール!」といってたけど、左足から
放たれたボールはゴール右上隅に向かってカーブを描き
右サイドネットにズドーンだ!

これは最近テレビでも流れ始めた例の
「密着効果」ではあるまいな?
「もしも私が~だったらシリーズ」第2弾は校長先生
に続いて上戸彩が取材記者になって上司から命じられた
密着取材に徹するため、俊輔と自分を同じベルトで縛り
移動中もプレー中も離れないという笑えるものになって
いる。
このオロナミンCのCMは現地グラスゴーでも有名なようで
日本の人気アイドルと俊輔の共演というよりも、キーに
なったベルトが別名「しま(もよう)」=縞といえば
セルティックということらしいのだけどね。
俊輔いわく「FKは技術よりもメンタル的なもの」らしい
精神的な充実感がゴールを生み、ゴールがまた充実をより
いっそう深いもの大きなものにしていくんだろうな。
「すんげぇハツラツ!」じゃねーの。

FKが俊輔なら、「オレはミドルだぜ!」とチームを
リーグカップべスト16に導いたのがイナだ。
所属チームの監督に「攻撃参加後に守備にもどらない
こと」を不満の理由に先発はおろかベンチにも入れず
退団の危機もあったが、どうやら問題は解決しつつある
のかもしれない。
2-2から延長に入った試合で、30mの豪快なミドル
シュートを古巣フルハムのゴールに突き刺した。
稲本のヨーロッパ公式試合でのゴールは1年8ヵ月ぶり
の通算10点目。

英国の3人だけでなくフランスでも松井が今季初ゴール。
中盤の4人が次々とゴールを決めはじめた。ここは決める
のが本職のFWである高原、柳沢にもそろそろ欲しいところ
だね。




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眼と耳 サッカーと音楽

2005-10-26 10:32:29 | Weblog
眼で楽しむものがサッカーなら、耳で悦ぶのが音楽
(特にクラシック)って思ってる。
サッカー中心のこのブログだけど、音楽も好きな方
だよ、顔の前と横についている器官が人並なおかげで
人生で2つの大きな感動が味わえる幸運を手にしてい
るからね。
まあ、そういえるのはさ、生まれてきた時代に恵まれ
たってことや生まれた土地(国)が良かったと感じてる
からなんだろうね。

よく衣食住っていうよね。人間の生活に必須なものと
してさ。ではその次に人間が求めるもの、必要って
思ってるのもは何だろうね?
っていうとオレはスポーツと音楽だと思ってるんだけど
どうかな?
人間は世界中でいろんなものを発明してきたけど、
大きく分けるとさ2つになるよね。
そのひとつ、まずは文明的なものって呼ばれるもの
だよね
  通信(電話、郵便、インターネットなど)
  交通(車、電車、航空機など)
  情報(テレビ、ラジオ、コンピューターなど)
  ライフライン(ガス・電気、水道、医療など)

もうひとつ、文明的と並ぶものってあるよね。それは
  
  音 楽
  スポーツ
  映 画
  美 術

っていうさカルチャー、つまり文化的なものだよね。
現代人はさ誰もこの2つ、文明的なものと文化的なもの
がないと生きていけない気がしない?
文明的なものは誰にも平等にっていうのが基準だけど
文化的なものっていうのは個人の趣味だから好き嫌いや
知識に差があるし、またあっていいものだよね。
音楽はクラシックだけじゃないし、スポーツもサッカー
だけじゃない。つまりさ個人の趣味、好みで選んでいいし
互いにそれを尊重すべきだよね。
映画だって、絵画だってさ、恋愛ものからサスペンス、
印象派が好きな人もいれば現代ものを壁に飾りたい人が
いてもいいよね。

ただね、最近思うんだけど。ライブ!っていうとニュアンスが
異なるかもしれないけど。
スポーツって会場で見てるかな?それともテレビ?
音楽ってライブで聴いた事あるかな?それともCD?
同じスポーツや音楽が「好き」でも、スタジアムに足を運ぶ
ファンとテレビで観戦するファンでは同じファンでも実は
大きな違いがあると思わない?
スタジアムで野球を見ていてオレが楽しいのは、ヒット&
ランや盗塁。そういう走塁系が好きだな。テレビではあの
スリルは味わいにくい。
サッカーで楽しいのはいろいろあるけれど、ボールを持って
いない選手の動き、動き出しの前、休んでいるときの態度
そんなのが楽しめるのはスタジアムなんだよね。
あとは手をあげてボールを要求する選手や長い距離を走って
きたのに無視されたときの態度とかもいいなぁ。
「オレにくれー!」というアピールが届かなかったときの
怒り、嘆き、また自分のポジションに長い距離を帰っていく
姿がある意味で微笑ましい。
テレビに映らない場面、表情、態度。それを眼にできるのが
ライブのよさだよね。

先日から3回クラシックコンクールを話題にしたよね。
ショパンピアノコンクール。このコンクール、実はネットで
配信されたんだよね、それも無料で。
かなり多くのクラシックファンが3週間睡眠不足になったん
じゃないかな。
なんともありがたい文明の恩恵だよね。でもねオレは聴かな
かったし見なかったんだ・・・

なんかね運よく過去に2回ワルシャワで生でコンクールを聴い
ているからだと思うけど、ネットで音楽?それがクラシック
以外なら聴いたと思うよ。でもピアノをショパンをネットでは
聴きたくないって思ったんだな。
オレは自分の耳に自信がないからね。ホント、いやみでも何で
もなく、ピアノのことは全然わからないからね、弾かないし。
ただ、最初にすごく、きっといい演奏に運よくあたったせいかな
なんか楽しかったんだよね、最初のクラシック。だからあの時が
標準、基準になってさ、素人だから、ちゃんとホールで聴きたい
んだよね。約2時間。集中して聴きたいんだよね。
家でPCの前で、ちょっとお茶も飲んで、なーんてことは無理だわな。
ジーンズで部屋着で聴きたくないって思うんだよね。
本当は、ネットだろうがCDでだろうが感動したいけどさ、なんか
オレはそういうレヴェルには達していないみたいだ。
いつかCDで感動したいなーって思うねえ・・・

来週はサッカーナビスコカップの決勝かな?もう11月だもんね。
去年はスタジアムで観戦したけど、延長までの間に20分は眠って
いたような試合だったな。
サッカーみながら眠くなる?はい!ありますとも!ないの?
クラシックもサッカーもライブで困るのは、突然眠気が襲ってくる
ことなんだよねぇ・・・
まだまだ修行が足りないってことでしょうかねぇ・・・













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2010ショパン生誕200年 コンクール part-3

2005-10-23 08:08:08 | Weblog
2005年の第15回ショパンコンクールは幕を閉じた。
でもそれは、記念すべき2010年のコンクールへの
スタートでもあるよね。
次回開催される予定の2010年はショパンの生誕から
200年の節目をむかえる記念すべき回になるのだから
さ。
この時期にはシューマン、リストに確かメンデルスゾーン
も同じく生誕200年を迎えるはずだよね。
ということは、つまりクラシック界、特にピアニストや
ピアノ関連業界にとっては、100年単位で考えれば
生涯に一度の大きな追い風が吹く季節がやってくるという
ことになるよね。
生誕を祝うイヴェントはそれこそ世界規模で行われるだろ
うし、次回のコンクールはどう考えてもかってないほどの
盛り上がりが想像できる。
そして記念すべき生誕200年目のショパンコンクールに
優勝するのは・・・part-1,2を書き終えて、今回の3では
2010年のショパンコンクールではぜひとも日本人ピアニスト
に優勝してもらいたいと願うけど、それにはピアニストだけ
でなく家族や友人だけでなく、きっともっと周りの多くの
人や企業の支援があると勇気がでたり、苦しい練習に耐えれ
るかもしれないよね。

まず、その第一歩は今回入賞した日本人男性ピアニスト2人
には留学先のパリとワルシャワからぜひ凱旋帰国して頂いて
全国縦断リサイタルをお願いしたいものだね。
4位タイで入賞された2人がコンクール中に使用していた
ピアノは関本氏はカワイ、山本氏はヤマハという日本の2大
ピアノメーカーのピアノに運よくわかれたのだから、ここは
ぜひ両社にもご協力いただいて、過去にも同様の企画リサイ
タルシリーズはメーカーごとに行っているし、たとえば関本
氏は南から、山本氏は北からというように日本全土をカバー
してもらいたいものだ。
こうして日本中で頑張っている未来の参加者に強烈な刺激を
あたえたいよね。
さらにここは業界発展のため、クラシック音楽普及のために
も業界がそれこそ一丸となってショパンチーム、シューマン
グループ、リストの企画などを作り、多くのピアニストにも
協力していただいて2010年に向かう道、流れを作っていって
毎月のように全47都道府県でできれば低料金のリサイタルが
開かれたらどんなに素晴らしいだろうなあ。

ショパンコンクールに入賞するっていうだけでもすごいこと
で、オリンピックの銀・銅メダルには匹敵するのは間違いない
はずなのに、どうも一般の評価はメディアが大きく取り上げ
ないせいか低い気がするなぁ。
やはりここは次回の生誕200年に日本人に優勝してもらって
園遊会への招待はもちろん、首相官邸で祝賀リサイタルでも
開いてもらわないとメディアは相手にしてくれないかもね。

2010年はぜひ現地へ聴きにいきたいものだなぁ・・・
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ショパンコンクール part-2 

2005-10-23 07:29:09 | Weblog
ショパンコンクール1985-1995-2005

中級編とか上級編とかって表現はなんか適切じゃない感じが
したので、単にpart-2にしてみた。偉そうだよね、初級とか
とかいったらさ。そんな言葉、文字ひとつで不快になられたら
残念だしね。

ということでpart-2の始まり。
まずはホテルの話からしようかな。
オレが始めてワルシャワを訪問したのは1982年の夏。
翌83年そして85年の夏、そして秋のショパンコンクールと
なるのだけど、この間の宿泊はすべてヴィクトリア・インター
コンチネンタル。ワルシャワではまあトップクラスの快適な
アメリカンスタイルのホテルだった。
85年の秋はショパンコンクールの審査員も同じホテルに宿泊
していた。彼らが泊まるほどの、それほど不備のない、少ない
ホテルだった。確かにいいホテルだったと思う。
ただひとつ食事以外は・・・。
なにしろ、時は80年代。今でこそ何でもあるポーランドだけど
当時はまだベルリンの壁は冷酷に東西ベルリンを分断して
いたし、82年の頃はホテル前には戦車や装甲車が配備され
ていたからね。空気がまだまだ重苦しい時代だったよ。

85年のコンクールは朝が10時くらいから始まったかなぁ
ということは朝食を8時には摂り始めるんだけど、これが
あんまり記憶にないんだな。どんな朝食だったか・・・
だけど夕食は覚えてる。あれはちょっと忘れられない体験
だなぁ。とにかくコンクールの夜の部が終わると会場から
猛ダッシュでホテルへ帰ることになる。
時間はもう10時にはなってたかな。それまではショパンの
音楽に耳を傾け、心を・・・なんて世界から一変して
みんなコンクール聞き終わったら、今度は審査員も聴衆も
自分の胃袋のための戦いが始まるんだ。
ホールから徒歩12分。激走であった。タクシー?
そんなもん、まともなのは20年前にありません!”
ワルシャワ中で10台もあったかどうか・・・
だから走るしかない。審査員もオレも同じホテルのただの
宿泊客同士のそりゃあ壮絶なバトルでしたわな。
これってホントの話。

とにかくまずはナイフとフォークを確保する。
席につくなり注文しても15分遅れて同じテーブルについても
出てくるスープの時間が同じ事はしょっちゅうある。
とにかく長い。待たされる。
だいたい注文して食べ終わるのに2時間かかったかなぁ。
だからだいたい部屋に帰ると12時とか12時半。
そして相席当たり前!何度も審査員の先生が空いている席
を探して右往左往しているのを見たなぁ。
だいたいこの時間から食事しようっていうのは、みんな
ホールから帰ってきた聴衆ばかりだから、みんなそこで
今日は誰が良かった、彼は3次までいくとか、彼女の演奏
は素晴らしいとか、わいわいガヤガヤ、なんか今では
想像できない平和な話だなぁ。
85年のワルシャワでは最高級ホテルでもこんな風景だった
から、当時のコンクール参加者は大変だったんじゃないかな。
まあ何人かの日本人ピアニストと当時話したけど、みんな
いい性格っていうかタフっていうか、覚悟して来てたんだね。
缶詰、レトルト食品、うーん何を食べてたんだろうね。

これが95年になるとね、かなり状況も変わってた。乳製品は
あんまりなかったけど、レストランのメニューにあるものは
まず何でも注文できたし、食事も普通に1時間もあれば終える
ことできるようになったね。タクシー?きれいなのがたくさん
走ってたよ。審査員もバスで送迎されてたと記憶するな。
コンクール参加のピアニストの宿泊するホテルの食事も朝、夕
食ともに十分な量だったはず。
会場まで徒歩7分くらかな。途中にはピザハットにケンタッキーも
あったし、85年に比べればまあ格段の進歩、日本レストランも
音楽院のそばにあったし、中華料理もあるし、こうして徐々に
ワルシャワで戦う準備は整ってきたんだよね。

つまりオレがなんでホテルや食事の事にふれたかっていうとね
結局、アジア人が欧米の特にヨーロッパのコンクールで勝ち残
ろうと思ったら、この寝食の部分ってすごく大きいと思うんだよね。
ショパンコンクールって3週間に及ぶ長期戦だから、ちょっと
カップラーメンを2つとレトルトの何かでも・・・てわけには
いかないんだな。
3週間ともなれば、そりゃ体調の管理も大変だし、昔は下痢との
戦いがあったからね。現地の水は・・・なんてガイドブックに
書いてあるの当たり前だったし。
参加者がコンクールを制すには、鑑賞のための旅行者が演奏に
集中できるには、快適な寝場所、衛生的で十分な栄養のとれる食
事は必須条件だよね。よく寝れない、おなかが空いたでは、悔いが
残ってしまいそうだよね。

2005年のショパンコンクールは日本人男性が2人も入賞した。
これは1990年の3位入賞以来の快挙だな。なにしろピアノでは女性
が圧倒的に好成績を残しているからね。
過去入賞者は前回まで8人かな、そのうち女性7名男性1名だから
ね。モスクワのチャイコフスキーコンクールも含めて東欧圏のピアノ
やヴァイオリンのコンクールで(失礼ながら)劣悪な環境でも実力を
発揮できるのは女性?って思ってしまうよね。

ショパンコンクールで日本人が優勝するには、やはり過去のアジア人
で1位になった2人のようにヨーロッパで留学しているか(ユンディ
はドイツ、ダンタイソンはモスクワに留学だったよね)もしくは現地
ワルシャワに自分のアパートがあるような状況からしかチャンスが
ないように思えるなぁ。
数年留学して、ポーランド語も話し、10月の空気も吸って土地の食べ
ものや水に慣れた体でないと、あの3週間の激戦を生き残るのは
至難ではないかと思ってしまうなぁ・・・

ピアノを題材にした漫画「ピアノの森」の作者が今回のショパンコン
クールに取材に訪れていたらしい。この漫画はなかなかおもしろいから
もしショパンやピアノコンクールに興味を持っていただけたら、ぜひ
読んでほしいと思う。
もうひとつ女性が主人公の漫画もある。こちらはパリに留学中かな
たしか「のだめカンタービレ」だったかな。
どちらの主人公も2010年のショパンコンクールを目指す事になるんだと
思うな。
次回5年後はショパン生誕200年。日本人初の優勝者が生まれてほしい
と願うな。ショパンコンクールは過酷で、一度入賞(今回は12人)して
しまうと再挑戦できないんだよね・・・そして年齢制限がある。
もし18歳から28歳までとなれば、現在13歳から23歳までの若者にしか
チャンスがないことになる。
厳しい話だよね。
だから、次があるって安易にいえない。
参加資格、ルールが変更になることあるしね。85年は年齢制限が確か
32歳までだったのに95年は27か28になったしね。次回だって27がコン
クール開始時なのか、2010年の1月1日の時点なのかで運命がかわって
しまうだろうしさ。

2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールへの戦いはもう始まって
いるんだよね。



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ショパンコンクールってなんだ?初級編

2005-10-22 21:20:49 | Weblog
このコンクールをワルシャワで2回聴いたことが
あるんだよね。1985年と95年。
スポーツファンにとってもわかりやすく書いてみよう
と思うので、ちょっと読んでみない?
ワールドカップやオリンピックは何年ごとに行われる?
4年ごとだよね。でもこのコンクールはなんと5年に
1回なんだ!それも年齢制限があるから一生で一度しか
参加のチャンスがないかもしれないんだよ!
まずは初級編。読んで興味をもってくれると嬉しいなぁ。

まずこのショパンというのは作曲家兼ピアノ演奏家でね、
現代では作曲家とするのが一般的だけど、当時は自作自演
の活動だったんだよね。
生まれは1810年現在のポーランド領首都ワルシャワの郊外
で誕生日は3月1日とも2月22日ともいわれている。これはね
教会での洗礼日をとるか生まれた日なのかということなんだ
けど最近は3月1日が多いかな。
父親はフランス人、母親はポーランド人だ。ハーフという
ことになる。父のニコラはフランス語教師だったかな確か。
契約切れか失業してそのままポーランドに残る事に決め結婚
するんだ。
ショパン少年、あまり体が強いほうではなく、まあ病弱ね、
しかし音楽の才能にはあふれていたようで20歳になる前に
すでにポーランドでは名の知れ渡った音楽学生だった。
この1830年頃の欧州はさ、ドイツ、ロシア、オーストリア
なんかが強くてね、彼が20歳の頃は今のポーランドはロシ
ア領かな。植民地というか、支配下におかれていたわけ。
つまり、現在ポーランドと呼ばれている土地はドイツなど
の周辺列強(政治的・軍事的大国)の思うままに、勝手に
切り取られ翻弄され、そこに住む人々=ポーランド人は
独自の文化・言語の最低の部分に自由は与えられたものの
彼らの魂、心の部分はその環境、立場にものすごい抵抗を
感じていたのは想像つくよね。
そんな彼らの悔しさ、悲しみ、そして誇りでもあり希望の
光がショパンという青年のピアノ演奏家としての才能、
成功であり、また彼が作る曲にあらわれるポーランドの
民謡をベースにしたマズルカ、ポロネーズと呼ばれる作品
なんだな。
抑圧されたポーランド、そしてポーランドにとってショパンが
ピアニストとして成功することで、ヨーロッパに名が知れ渡る
ことで、「あの素敵なピアニストは誰?ショパン?へー
ポーランド?それってどこ?」「ポーランド人にもあんな
素晴らしいピアニストがいるんだ・・・」
「なんか応援しよう」「私がパトロン=スポンサーになるから
もっと曲をつくってほしい」などというような
こうしたショパンへの賛辞、活躍を目に耳にすることで
ポーランドの人々は自分たちの土地や尊厳が一時的に奪われて
も、彼がいれば、曲を作り弾き続ければ、ショパンによって
ポーランドの名は残る、魂は生き続けると思ったんだな。
だから、ワルシャワ市民がロシアに対して抵抗運動を行う直前
に、彼は周囲の勧めでフランスへ脱出することになるんだ。
そして2度と祖国に生きて帰ることはないんだけどね。

ショパンの国外脱出計画はフランス以前に一度オーストリアで
試されたけど、ウィーンとは相性が悪かったのか本人も失意の内
に帰国してる。やはりポーランドの田舎者がピアノで才能だけで
成功するのは難しく、特に同胞の支援者のいない土地では困難な
ことがわかって、次に選ばれたのは必然だけど父の国フランス。
ドイツ、ロシアが右といえば左を選ぶような政治バランスの国
フランスだったからロシアの手を逃れたポーランド抵抗勢力を
受け入れていたからねパリに。
それでポーランド亡命政府、貴族が多く暮らしていて、ショパン
には好都合な環境が整っていたんだな。
ショパンはロシア国籍のパスポート(移動証明書)を持って密かに
ワルシャワを離れたんだ。ほらワルシャワでさロシアの占領軍に
対して抵抗運動が起こると脱出しにくいし、国境を閉鎖される前
にね、ポーランドの宝を危険から遠ざけたわけだよね。
ロシア側もポーランドの象徴、人気者のショパンを押さえにくる
だろうしさ、反政治的だとか難癖つけて牢獄にでもつながれたら
大変だからね。
脱出資金は直前の演奏会や寄付があったようで、ショパンはとに
かくドイツ南部のシュツットガルトまでたどり着く。そこでワル
シャワの抵抗運動がロシアによって鎮圧されたことを知るんだ。
自分を送り出した家族、友人、愛する祖国が踏みにじられた思い
その悲しみと怒りが交錯する中で作られたのが「革命」のエチュ
ードと呼ばれている作品だ。
ワルシャワにポーランドに帰りたい思いを胸に封じ込めてショパンは
フランスに到着する。サロン文化が華やかなパリでは、若き天才
ピアニストであり作曲家ショパンはサロンの寵児、つまりアイドル
だな、その状況を受け入れながらも、演奏会、レッスン教師をしな
がら、生きること、作曲すること、そして演奏することが、自分に
とっての「ポーランド」なんだ!って使命なんだって信じていたの
ではないかなぁ。


1810年に母の国ポーランドで生まれたショパンは1849年に父の国
フランス・パリで39歳の生涯を終えるんだ。墓はパリのペール
ラシェーズ墓地にあるが、心臓は遺言で取り出されワルシャワに
帰った。生きて帰ることはなかったショパンだが、せめて心だけ
はワルシャワに帰りたかったんだろうね。
心臓はワルシャワ市内の聖十字架教会の柱に埋め込まれた。この
教会に向かって右隣の建物の最上階に一時期ショパンは住んで
いてね。そこは今では博物館になっていて当時の部屋が再現されて
いるんだ。きっとあの部屋で過ごした時間、悩み、語った時間を
遠いパリで思い出したのかな。

そろそろ初級編は終わりだよ。
ここから下には中級編への予告っていうか、コンクールについて
触れていくね。中級編はいつできるかな。今夜やってみるけどね
実は今回のコンクールからインターネットで演奏が配信されてさ、
それが時差の関係で夜になるでしょ。
だからさ、ブログを作る時間と重なるかもしれないんだよね。
でも、たぶん今夜は中級編つくれるはず。

あれ?ひょっとして先週ヨーロッパにいった理由?
ひょっとして?いやー違いますよ”そりゃドイツまでいってたから
それも考えたよ。でもね今回は仕事でした!はい!いきたかったけ
どね。

バッハ、ベートーヴェン、モーッアルト、シューマン、リストに
ラヴェルにドビュッシーに、ロシアにはチャイコフスキーやラフマ
ニノフとか作曲家っていっぱいいるんだけど、楽器によって名前の
あがる作曲家が異なるんだよね。
オールラウンドな、つまりオーケストラが演奏するものから楽器を
つかうもの、声によるものもあるでしょ。フルートやヴァイオリン
で有名な作曲家がピアノ曲でもそうかというと、そうでもないし
だから正確には、ピアノ(鍵盤作曲家)、ヴァイオリン・チェロの
場合は弦楽作曲家なーんて名乗ってくれると助かるんだけど、
世界中どこでもそんなこといわないんだよクラ(シック)の世界で
はね。
それでショパンは?っていうとこれがもう完璧にピアノオンリーと
いっていいほどの作曲家なんだよね。
だからこのショパンコンクールというのは、だからピアノ部門しか
ないわけ!よってピアニストにとって最高峰のコンクールともいわ
れる理由にもなっているんだ。もちろん、このコンクールの入賞者が
その後世界で活躍しているのも大きいんだけどね。
でもオレが一番好きな、ショパンコンクールって何?の答えはこれ!


「ピアニストとしての才能を発見するのがショパンコンクール
  力量を認めてあげるのがその他のコンクール」っていうとこかな


異論反論はあるだろうけど、誰がどんな解釈、理解でコンクールや演奏
をとらえているのか、発言し、応援し時には批判から誹謗中傷している
のか?その根拠が明確であればいいなって思うことあるな。
誰が発見するのか?認めるのかって?それは上級編あたりで・・・

初級編 おわり



中級編の前に

ショパンコンクールは最初は生誕日の頃、つまり2月から3月に行わ
れていたのだけど。冬の厳しい時期であることやさまざまな理由も
あってか途中から10月開催に変更になったんだ。
そしてだいたい上旬に始まって、3回の予選が終わり、これが16日
かな?というのは17日はショパンの命日なんで、1日本選の前に
休憩を入れる意味もあってね、もちろん最大の理由はショパンへの
敬意だよね。
そうそう音楽の世界では演奏を鑑賞というんだな。(スポーツは観戦
だけど音楽の世界では鑑賞となるね、演奏も「聞く」ではなく「聴く」
になるんだ)
それで17日は聖十字架教会で、朝は入賞者による献花の行事が行わ
れる(今年はしたかはしらないが85年と95年はオレもそこにいたか
らね)当時は本選に出場するコンクール参加者=ファイナリスト=
入賞者は6人だったんだ(今回は12人)。入賞者はこの朝のセレモ
ニーに義務だったようだけど、95年は6人のうち何かともめたロシア
人がいてね、彼はいなかったような記憶があるね、まあどの世界にも
いるタイプだけど、このときから「ふーん!」って思ってたよ。
審査員も歩いて5分のホテルに20人以上泊まっているのに10人も来て
いなかったな。5人くらいかな。まあ連日の審査で確かにお疲れだった
と思うけどね。夜には追悼ミサがあってモーツァルトのレクイエム。
これはパリのマドレーヌ寺院でショパンの葬儀がおこなわれたときと
同じ。ショパンの遺言だったらしい。

命日の翌日からはコンクール再開。いよいよ本選だ。
本選、さいごに選ばれた6人が2日間、一晩に3人がショパンの
作った協奏曲(オーケストラと競演するもので確か5曲あったかな)
でもだいたいは、このうち有名な1番と2番のどちらかを演奏する
んだ。今年も2曲からの選択だった。95年だけ1番か2番から1曲
とその他の3曲から1曲を弾いたね。つまり一晩で2曲続けて弾く事
になっていた。
この2日間は決勝だからね、世界からも王族や首相クラスが来賓とし
て聴きに来るんだ。
今回の2005年コンクールはホント聴きにいってないし。ルールも
大きく変わったのでここでは過去のケースではなすよ。その前に少し
会場のこと話そうかな。

会場のワルシャワフィルハーモニーホールはわずか1100くらいしか
座席がなくてさ、まあ現代の音楽ホールは2000っていうのが大ホールの
標準なんだけどね。それにしても小さいよね。
特にクラシック好き以外は収容人数1000ちょっとの場所ですんの?
って驚くもんね。まあそういうものなんよ。スポーツイベントと芸術は
こんなとこでも大きく異なるよね。
だから当然チケットの入手も大変でさ。だってね1100っていっても1階
700,2階350、3階100くらいなわけよ、ここは。
2階は凹こんな形で座席があるんだけど両サイドは一列目は体を乗り出
すようにすれば見えるが座席に背をつけるとまずほとんどステージは
見えない。
このあたり6-8列あるけど座席の向きが斜めとはいえず、姿勢も
かなり苦しいもので鑑賞することになるのだ。
へこんだ部分、ステージの真正面は審査員席だ。2から3列に審査員が
座っており予選の点数が累積されて、本選分を加えた合計点数で基本的
には順位が決定する。

基本的に?
うん、そこが芸術のねぇ・・・
スポーツと芸術の違いってさ何かな?
そんなこと中級編でもふれてみようと思ってるから、よかったら見てね









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ソウルから

2005-10-19 18:00:27 | Weblog
実はこの1週間ヨーロッパにいってました!
今はソウルの仁川空港のラウンジにおります。
あと20分で成田行きのゲートに行かなくてはならない
のですが、PCがあると我慢できませんねー

今回の出張は急に決まったもので、あわただしく出発と
なりました。くわしいことは日本に帰ってからゆっくりと
と思ってます。

行きは成田からソウル、ソウルからフランクフルト
帰りはロンドンからソウル、そして今から成田の、この
4区間を大韓航空を利用なんだけど、いやーなかなか
サービスいいすねー
大韓航空に乗るのは2001年の夏にソウル往復、長距離は
1989年以来だけど(チューリッヒーソウル)たまには
違う航空会社を利用するのも新たな発見があっていいかも
しれないと思いましたねぇ。
この10年では一番多いのはKLMオランダ航空(50回)
ついでエールフランス(25回)ノースウエスト(10回)
大韓航空が今回で2回目、日本航空1回。ルフトハンザ1回
かな?
KLMは乗り継ぎがいいし、個人的にはアムステルダムは
ヨーロッパで一番便利な空港だと思ってるからどうしても
利用回数が増える。
ただし空港は最高だけど、機内サービスは普通ですな。ごく
ごく普通だし、乗務員の笑顔は少ないし態度もいいとは言え
ないなぁ「仕事してる」って」感じかな。
その点、大韓航空はいいですよ。ちょっと評価UP!
サービスの本質というか、「お客様のために!」というのが
伝わってきますな。
これからも利用することがあるかも!って思った。
食事もいいほうだし、椅子もやや広めに感じる。
もっともっといろいろ褒めてあげたいけど
そろそろゲートに向かう時間がきてしまった。

今夜から、または明日からまたブログ書いていくので
また遊びに来てください。
この1週間更新がなかったのに、また普段もたくさんの方に
遊びに来てもらって感謝しています。
ありがとうございます。

ソウルにて
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PKも欠場も「想定内」でしょ!対ウクライナ戦

2005-10-13 03:30:32 | Weblog
予想通りシェフチェンコは出なかったな。ボロニンも
ショフコフスキーも風邪かぁ・・・まあ日本代表も
なめられたもんだね。というよりも日本のサッカー協会
はこのラトビアとウクライナで何をしたかったのかな?

9月27日の記事「史上最悪の日本代表・東欧遠征」で
シェフチェンコは出ないから宮本も中澤も行かないんだ
と予想した。シェフチェンコどころか主力はどこにいる?
W杯予選のメンバーは何人プレーしたのかな?

あのスタジアムの入りのひどいもんだね。
雨のせいではないよ。この入場者数もオレが予想できた
くらいだから、まあみんなもわかっていたよね。
平日の5時前に誰が行けるんだよ?
今夜はだって!(え?今夜何があるか今はいわない?)
日本のテレビ放送に合わせるため?そういうことかい!

テレビ朝日も哀れだな。この前までさんざんシェフチェンコ
VS日本代表みたいにCMであおっておきながら、おれの知る
限り、あそこまで放送中に意図的にシェフチェンコの名前を
封印するとはねぇ?
出ないとわかっていたから名は出さないってことね?
もともと出ないと知っていたから発音もしないんだよね?
発熱が事実なら、そういうことなら、あの名物?アナと
松木氏ですよ!
シェフチェンコ見たかったですねー!と10回いっても
不思議ではないだろう。
シェフチェンコの名をオレのみた時間内では選手入場から
試合終了まで「1度も発音しなかった」のはなんでかなぁ?
出ないとわかっていたら視聴率が・・・ってことだよね。
なんか哀れな話だな。

代表も何をしにいったのやら、メディアも大人になれない
選手のインタビューも大変だし、彼が自身のネットで
前回のラトビア戦のインタビューについて書いているが
「意見を書いたことはいい」
でも中田英はもうインタビューやめたらどうかな?
できないでしょ?あなたは?
協会からの命令で?するでしょ?
なら、ちゃんと相手が下手でも答えるべきだよ。
それとも協会に反抗してインタビュー拒否してみるかな?
中田は自分のためにサッカー選手をしているのなら
何度も言うが「代表は引退すべきだろ?」
お金をもらっているクラブには従順だけど
名誉だけの「代表」は不満なのかな?

PKに関しては、日本のサッカー協会が派遣した審判が
旧ソ連の仲間に対してやったことの報復だろ?
もともとひとつの国だし、ウクライナも選手を出さないのは
誤審への報復さ。当たり前だな。審判はラトビア人だろ。
うんうん。まあこんなもんでしょ。
あれはPKじゃない?なんてそういうことはどうでもいい。
「やったらやられる」ってことだな。

まあこれで日本のFIFAランクもまた下がるだろ。
ラトビアに引き分けでウクライナに負けたからね。
日本のサッカー協会派遣した審判がワールドカップアジア題
代表決定戦のウズベキスタンとバーレーン戦で誤審して、
結果としてウズベキスタンが勝利を奪われたことへの報復って
とるのは変ですか?

変?そうかな?なんでだめなのかな?オレは理解できるよ。
そのくらいやりたいでしょ。
だって日本のサッカー協会はその審判を謹慎させずに第5代表
決定戦が終わる前に笛をふかしているからね。
ふざけんな!じゃない?
理解できる?
ウズベキスタン協会のオレが会長だったら、ラトビアとウクライナ
の会長に電話して、日本に勝ってくれ!っていうよ。
第1戦を1-1で引き分けたウズベキスタンはアウェーで
バーレーン戦だ。いつって?これからだよ。今日だからね。

さて、旧ソ連の今夜のサッカーは
リュクセンブルグ-エストニア、ポルトガル-ラトビア
スロバキア-ロシア、カザフスタン1-2デンマーク(終了)
ベラルーシ-ノルウェー、ウェールズ-アゼルバイジャン
リトアニア-ベルギーってとこかな。
カザフスタン以外は試合はこれから。もちろんアジアプレーオフ
もね。日本は午前4時でも欧州はまだ午後8時~10時だからね。
ニッポン?そんなの興味ねーってことで
日本の試合が5時試合開始っていう、まあ前座になるのも仕方ない
わな。

ラトビアの審判が「へぼ?」そんなこと言ってはいかんぞよ
日本の審判はどーなのさ!”っていわれて何てこたえるの?
それに答えられないのなら黙っていようよ。
どうせ意味のない遠征だったんだし、いいじゃん。
てめーの国の審判より「まし!」っていわれるだけだよ。

すべて想定内のことだったんだし。ね!オレのなかではだけど。
そう思ったら怒る気にもなれないだろ?






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その後の「ホテル・ルワンダ」

2005-10-12 04:37:24 | Weblog
広島平和式典後のインタビューに答えていた外国人が
「ヒロシマとその場所を日本人は見るべきだ」という言葉が
きっかけで、実際にその場所を訪れたという福島県在住の
69歳の女性の投稿を読んだ。
読売新聞の読者投稿欄「気流」にあったその記事はオレを
ポーランドの、ある荒涼とした土地に瞬時に連れ去った。

ここは「見るべき場所」かどうかオレには今でもわからない。

その周辺には草木がはえていない。
実際はそうではないのかもしれないが、オレの心に焼きついた
建物の跡地には今でも生きるものの存在が感じられない。
数多くの命が不当に消し去られた場所は、
「その空間が永遠に切り取られている」ような
またはあの日から、その場所だけ
「時計の針が進むのを止めたような場所」である。
ポーランドではオシフェンチウムと呼ばれるその土地をオレは
「静寂、そして自分の心臓の音が聞こえる場所」と呼んでいる。
ドイツ語ではアウシュビッツという名で日本では知られている
場所だ。

ポーランドを南へ、やや西に向かいながらドナウを過ぎ、アル
プスを越えて、陽光きらめく地中海を渡ると、そこには「胎児」
の形に見える大陸・アフリカが現れる。その心臓があるかと
思われる場所に「千の丘」の国ルワンダがある。
フランス語でその名をつけた「ホテル・デ・ミル・コリンヌ」は
映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となった場所だ。
ここで1994年におきたこと、それは何だ?

ルワンダから隣国のザイール(現コンゴ)に飛び火したこと。
それは知識はあるが書きたい意欲がわいてこない。
その原因は写真である。

今週号の週刊朝日、巻頭カラーグラビアをみたせいだ。
その写真の少年たちは一日中はだしでスコップを使いながら赤土
を掘って運んでいる。
そこは金山で、少年たちの報酬は、バケツ数杯の土だ。
うまくいけばそこから輝くかけらがみつかる。
それは多分地上で最も安い値段で買い取られ、人手に渡りながら
それは輝きを増し、加工されて戦争や飢餓とは無縁の国で
愛や資産の証明となっていく。
「コンゴの少年」彼らの掘るものは昔はダイヤモンドだった。

コンゴのダイヤモンド鉱山で働く少年の顔を忘れてたのに
今も昔もダイヤモンドと金は苦手である
アウシュビッツでも、それは・・・

ホテル・ルワンダを見るのなら、オレも知っていることを書いて
いくので、公開前にもっといろいろ知ってほしい。
オレよりもっといろんなことを学んで生きてほしいと思う。

















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映画「ホテル・ルワンダ」を見たいと思ったら

2005-10-10 18:51:04 | Weblog
日本での公開が決まったようだけど・・・

映画「ホテル・ルワンダ」は1994年にアフリカの
小国ルワンダでの大虐殺の際に、部族に関わらず
殺戮から逃れて助けを求めた人々をホテルにかくま
ったホテルマネージャーの実話を映画化したものだ。

映画とはなんだろう?

この映画を見たいと思った動機は何なんだろう?

まだ多くの人が「ホテル・ルワンダ」については
くわしく知らないのではないかな?
同時に大虐殺についても情報は少ないはずだ。

「ホテル・ルワンダ」についてネット上で語るのは
悪い事ではない。むしろ多くの世代が現在地球で起こ
っていることではないことにも興味を持ち、どうして
そのようなことが起こったのか、そこから何を学んで
行くべきなのかを考えるのは大いに意義があることだ。

でもさ、せっかくそのような気持ちがあっても、その
気持ちを誰かに伝えたいとブログで記事にするときに
どうだろう。ちょっと気にしなきゃいけないことって
あるよね。

ブログ上で、ホテル・ルワンダをまるで恋愛映画かアク
ションものを楽しみにするかのような表現をするのは
控えたほうがいいように思うんだよね。
大虐殺は実際起こったことであって、これはホラー映画
ではないし、だから、虐殺シーンがどの程度怖いのか、
公開が楽しみという表現はちょっと不適切であると思うん
だよね。考えすぎかな?
オレも自分のブログで似たような記述をしたかもしれない。
だから何もみんなのブログを責めるのではなくて、オレも
反省する事はあるし、多くの人に映画を見てもらいたいから
表現に気をつけていきたいと思ってるんだ。

明日はテレビで杉原千畝(ちうね)の物語「6000人の命の
ビザ」が午後9時からかな?放送されるはずだ。
ユダヤ人を救った日本人外交官の実話がドラマ化された。
映画では「シンドラーのリスト」もいいが、オレは虐殺という
人間の悪行を直視するなら
「キリング・フィールド」を勧めるよ。
ちょっと旧い映画だけど、まだレンタルビデオ店で借りれる
はずだと思う。

1994年、千の丘の国と呼ばれるルワンダでおこった悲劇。
11年前の春、何をしてたかな?
思い出せるかな、あの頃。
11年前の4月から7月の100日間だよ。
いくつだった?何をしてた?小学生かな?社会人だった?
そうやって1994年の春から夏を思い出せば
他人事とはちょっと違ってこないかな?
遠い国の話ではなくて、あの頃の自分はどうだった?
いじめられていたかい?苦しんでいたかな?
死のうと思ったこともあったかな?
平和ではなかったかもしれないけど、あの日々を生き延びた
から、今も生きているよね。
誰にも銃で撃たれずに、ナイフや棍棒で殺されていないよね。

9月14日にブログでアフリカの民族対立について記事にした。
犠牲になった野生動物のことも書いた。
早ければ今夜か、遅くとも今週中にはもう一度ルワンダのこと
この国で起こったこと
周辺の国でその後に起こったことを
書いてみようと思ってる。



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新聞(再試合)は正しいかって?

2005-10-09 22:19:27 | Weblog
新聞に書いてあることは正しいのかな?
正しいとはどういう意味だろうねぇ?

元日本代表の選手が誤審がきっかけで再試合となった
ワールドカップ・アジア第5代表決定戦ウズベキスタン
対バーレーン戦について第1戦の前日7日の毎日新聞
夕刊に意見を寄せていた。

元女子代表の野田朱美選手は「再試合は正しいか」という
タイトルで自身が選手だった気持ちで再試合の空しさを
「もしウズベキスタンが負けたらと考えると選手が
かわいそうでならない」と表現し、サッカーにおいては
選手は常に審判の目をあざむくプレーや言動を心がけて
いるのですから、サッカーにおいての誤審というのは
「誤り」ではなく「かけ引き」といったほうが正解かも
しれませんと書いている。

なるほど、選手がそういう「あざむく行為を心がけている」
のであれば、サッカー協会も同じかもしれないな。
野田氏は再試合になったのは審判の誤審と思っているようだが
きっかけはそうであってもFIFA(国際サッカー連盟)が
再試合を命じたのは、そういう「あざむく行為」に対する
不快感からだろうとオレは何度も書いた。
誤審のあった試合で1-0で勝利したウズベキスタンは2戦
合計の勝利数、得失点差で決まる第5代表の座を前に、その
1点リードというスコアによるアドヴァンテージに満足せず
FIFAは1-0で勝利したウズベキスタンがアジアの審判
(この場合は日本人)では大事な試合がまたぶちこわされる
のは困るから欧州の審判にしてほしいとだけ願えばいいものを
同時に審判のミスでPKの蹴りなおしが認められなかったから
こういう試合中、終了後に問題が発生したケースなどで適応さ
れるスコアである3-0でウズベキスタンの勝利にしてくれと
と抗議、要求したわけだ。
野田氏や以前の日経のコラムにも再試合はおかしい、変だという
記事があったが、どうしてウズベキスタンの3-0という抗議や
要求に触れずに、またそれをFIFAが不快ととって再試合を
命じたと思わなかったのだろう?
予想されるのは、主審を派遣した日本のサッカー協会がこの件を
あいまいにしているからかな?
なぜ再試合になったのか、プレスリリースが協会のHPには無く
というよりも誤審に関する記事も長い間なかったと思う。
最近になってきっと出ているはずであろうが、確認していない。
誤審試合から1か月たっても、この件に触れていないなんて
そんなことあるわけない?と思ったら協会のHPを見てほしい。

野田氏のコラムだけ読めば、なるほど再試合を命じたFIFAは
残酷かもしれない、なにしろ昨日おこなわれた再試合は1-1で
終わったのだからね。
野田氏の記事を夕刊に掲載した毎日新聞は翌日の朝刊23面でこの
結果を伝える記事では野田氏が悲しむ記事を載せている。
「(ウズベキスタンは)FIFAに3-0の認定勝ちとするよう
要求。FIFAは誤審を認めたうえで要求を退け、異例の再試合
を命じた(共同伝)」
朝日では「抗議がアダ」というタイトルで誤審でPKを取り消さ
れたから3-0でウズベキスタンの勝ちにと抗議した事が再試合
となり結果はこうなった。と伝え、
「ウズベク やぶへび」と評したのは読売。自らの抗議を機に
ホームの勝利が引き分けに「格下げ」となった。
「抗議裏目?ホームで1-1」は日刊スポーツ。
サンスポは単に「ドロー」という表現。
コラムでFIFAの決定を変だと書いた日経は「ドロー」と勝った
方が北中米カリブ海地区4位チームとワールドカップ出場をかけて
戦う日程を記した。

オレのブログを何度も読んでくれている方には、またこの関係の話
と思われたかもしれないが、今回この再試合をとりあげたのは別の
理由がある。
野田氏の署名で7日の夕刊に上記のような記事が掲載され、それを
読んだ方が「確かに不条理な話だ!」と思ったかもしれない。その
翌日の朝刊で「だが後になって3-0にしろ!と要求していたと
知ったらさ、野田氏は「何いってるの?」と読者は思わないかな?
ウズベキスタンの3-0要求に触れなかった野田氏も甘いが、翌日
の記事で、どうして再試合になったかのヒント(理由ではない)を
与える毎日もちょっと身内(記事を寄せた野田氏)に酷な記事では
ないかぁ?
日経のようにサラッと流してしまえばいいものを、と思ってしまうな。

ということで「いつもと違う理由があった」と書いたよね。それはさ
「ネット時代こそ新聞」という日経の9日の記事が理由なんだな。
新聞社が新聞は重要な情報源ということをアピールしたいのはわかる。
ただ、新聞のニュースも新聞社や記者、コラムに寄せる文化人や識者
などによって「いろいろ」であるというのもよくわかる。
今回は新聞の持つ影響力について、この「再試合」で考えてみた。
オレが野田氏だとしたら、翌日に同じ新聞に「ああ書かれたら」
「なんだよ、ウズベキスタンがそういう要求したことを教えてくれよ!」
って思っただろうな。
新聞に書いてあることは・・・

新聞協会の「全国メデイア接触・評価調査2003」で聞いた各メディアの
印象・評価によれば
    新聞は情報源として欠かせない 58.2%
    社会に対する影響力がある    55.8%

同じく新聞協会が8日に「新聞の評価に関する読者調査」では2年前の
調査と同様、

    日常的に新聞を読んでいる   90.0%
    
    月ぎめで新聞を購読している  88.0%
    とにかく新聞を読んでいる    89.4%
    
男性の91.4%が新聞を読んでおり、女性は87.4%だそうだ。
あなたは日常的に新聞を読んでるよね?だって90%だもんね。
新聞とってるよね?88%だよ。

新聞協会もサッカー協会も、その「協会発表」というか、どーもさ
なーんか「いいの?ほんとに?」って聞きたくなってしまうなぁ

まぁ書いてあることをどこまで信じるか、うのみにするなってこと
だよね。
90%の人が新聞を読んでるって・・・そう新聞に書いてあっても
オレは大笑いするだけなんだけどなぁ。

事実と意見と広告が新聞には一杯混ざってて、どれが真実か探すのは
楽しいもんだよ。ぜひアナタも90%の仲間入りを!うひひ!


関連記事
9月22日「報道が伝えるものはなんだ・あわや大惨事」
9月11日「なんていったのさ-2 受賞コメント報道」
9月10日「勘違い?誤審?何ていったのさー1 再試合の原因は?」


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10月8日の「明と暗」

2005-10-09 16:20:53 | Weblog
ラトビアで日本代表が「なんかした」8日は、リガの
サッカーファンは土曜日午後の早い時間の試合開始に
興味は示さず、ラトビアのチームも自分たちが出場し
ないW杯に世界で最初に切符を手に入れた日本相手に
こちらもやる気がなかったようで、どうやら両チーム、
まばらな観客の凡戦のなかで熱かったのは
リガの陽射しだけだったようだな。

日本のチームが試合を終えた夜は世界各地ではドイツへ
の道を賭けた「死闘」が行われ、欧州では早々と出場を
決めたウクライナに続き、オランダ、イタリア、ポーランド
が決まり、逆転でクロアチア、グループ2位でも高い勝ち点
をあげたイングランドも出場が決まった。
南米ではアルゼンチン、ブラジルとともにパラグアイと
エクアドルがドイツ行きが決定。

アフリカでは前節の直接対決で3-2の激闘でコートジ
ボワールを逆転し首位に立ったカメルーンがエジプトと
引き分けて勝ち点21。2位に落ちたコートジボワール
が3-1で勝利して勝ち点22でワールドカップ初出場が
決まった。
イタリア、スウェーデン、クロアチアに断られた11月の
試合相手がこれでようやく決定か?アフリカの国とは
やってないのでというが、もともとやる予定でなかった
対戦、まあアフリカ連盟とは仲がおかしくなっていたから
(ブログ8月23日「戦後60年特集6 サッカーとアニメが
日本を救う)これをきっかけに・・ってことはないかな。
まあ、アフリカ連盟と仲良くするにはカメルーンが勝って
くれて、ハヤトゥ理事が来日すればっていうこともあった
が・・・

この結果を日本で一番喜んだのは代表のディフェンス陣
かもしれないな。
今回の日本代表東欧遠征に参加出来ず、大分でのオール
スターを優先させられ、12日のウクライナとの試合にも
遠いし疲れるし、所属クラブへの配慮で来なくてもいいと
言われ、シェフチェンコと対戦できない宮本や中澤もイン
グランドのプレミアリーグで首位を独走するチェルシーの
エースでコートジボワールの星、ドロクバと戦える事が
決まれば気分転換にもなるだろう。
あとは協会が本当にコートジボワールをドロクバを11.16に
国立のピッチに立たす事ができるかだな。
オールスターと東欧遠征の日程が重なるという、どう考え
ても協会のミスで代表強化の貴重な機会にベストメンバーを
組ませる事が出来なかったのだから、せめて11月には国内組
しか参加しないにしても強い相手を連れてきてほしいもんだ。
オレとしてはプーチン来日記念にカチェリーナ嬢とともに
国立での対ロシア代表というのも悪くないと思っていたが
(ブログ8月10日:11月の国立競技場にカチェリーナと父親を
呼ぼう!)コートジボワールも歓迎だな。

なんかオールスターも終わったようだな。結果はしらないし
なんか中山がMVPとか言ってたな。
F1見終わってからのチャンネル移動では、見る気もない
証拠かな。

ところで12日にはウクライナと対戦するが、本当にシェフ
チェンコはでるのかな?まあ欧州代表の1チームとしては
ドイツで戦うことになるであろうアジアのチームと
「やっておくか!」とは思うかもな。
対戦相手の日本は汚いプレーをやりそうもないし、怪我の
心配もなさそうだし、前の6人は欧州でプレーしているが
DFはたいしたことないだろう。このラトビアとのビデオを
見てほしいなぁ!気軽にさ、出ておくれシェフチェンコ!

この試合のビデオを見て、シェフチェンコが出る気になって
くれれば、なんだラトビア戦にも意味があったじゃん!
さすがジーコだ。この遠征は代表フォワードの落選者決定シ
リーズと前の6人の連係やコミュニケーションのためだけだ
と思っていたが、うーんいろいろあるんだねー

ラトビアに引き分けてシェフチェンコ出場決定のほうがさ
ラトビアに勝って、シェフチェンコ抜きでウクライナと対戦
よりはいいでしょ?
エ?ラトビア戦の結果に関係なくシェフチェンコは出ることに
なってるって?
そ、そんな~!オレがせっかくこのアホな東欧遠征とラトビア
引き分けショックから立ち直るネタを見つけたのに!
そんな最初から出るなんていわないでくれ!

ラトビアに引き分けて、練習になりそうな、たいしたことない
アジアのチーム相手に本国のファンへの顔見せにシェフチェン
コは出るんだよなんて、そんなこともいわないでくれ~


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東欧遠征 ラトビアよくやった!

2005-10-08 22:37:44 | Weblog
日本代表に2点を先行されながら終わってみれば
2対2で試合終了。
いいねー引き分け。
日本にしてみれば「負けに等しい引き分け」って
とこだろうな。
最悪の遠征は最高の結果で始まったわけだ。

すでに2度、怒りの記事を書いた。
先月末はこの遠征で何をしようとしているのか
わからん!と思ったし
先日の記事では日本代表は負けてこい!と書いた。
負けることで、どうして負けたのか?
敗戦につながる、または敗北に等しい結果が出たら
この際とことん考えてほしいと願った。

2対2。
なんと素晴らしいスコアだろう!
それも2-0から追いつかれるとは、こんなに落胆
させる良く出来たシナリオはないかもね。

今夜のオレは仕事を優先させた事で、テレビ観戦は
後半の20分か、そのへんからだった。
ビデオもとっておらず、「見れなくてもいいや」
くらいの気持ちだった。
その時点で画面のスコア表示は2対1で日本のリード。
このあと日本が2点追加しても、ラトビアが逆転しても
おかしくないゲーム内容だなぁと思ったが、そのどちら
にもならずに2-2。

中田英のインタビューは相変わらずの「ヒデらしさ」で
しかしどうしてこうなのかねぇ彼は?
何度か彼の態度については書いているが、どうしてわざ
と不快な顔をみせるのかなぁ。
いっそのこと中田は日本代表を辞退すべきだな。
そんなにインタビュアーが毎回不愉快なら、代表でサッ
カーをしなければいいのではないかい?
中田を不快にさせる相手が悪いなんて、そんなこと思う
人はぜひインタビュアーになってほしいものだな。
だってさ、あそこで何を聞けっていうのさ?
どう聞けばいいのかな?
あのテレビ朝日のインタビュアーは「普通」だろ?
それでいいではないか、それがテレビサッカーだよ。
テレビ局もいい加減あの選手のインタビューやめたらいい
のに!って思うよ。どちらも学習できないんだからさ。

ところで小野は出たのかな?
松井はどうだった?
といっても今夜のオレの興味はヤンキースの松井であり
ホワイトソックスの井口だなぁ。
今日のところはメージャーリーグの圧勝というのが正直な
感想だ。
サッカーの日本代表より、日本人野球選手の活躍や在籍チ
ームの勝利が気になるなんてね・・・
そんな気分になるなんて思いもしなかったなぁ・・・

ラトビアのおかげなのか、誰のおかげか考えたくないが
今夜はオレの望んだ結果になったことは間違いない。
あとはウクライナが勝ってくれれば言う事なしだな。

がんばれウクライナ!あんな日本に負けるなよー








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ブラジル人のユーモアと喜び方はねぇ・・・

2005-10-07 05:11:47 | Weblog
ロナウドやロビーニョがオレがブログを目の静養で
休んでいる間に何やら笑わせることをしているよう
だね。
彼らがゴールを決めると、その喜びを表現するため
に、ゴキブリや馬、カンガルーや他になんだっけ?
なんかマネをやるらしいね。

ロナウドは8日のボリビア戦、12日のベネズエラ戦
での新パフォーマンスを予告しているらしい。
2日のマジョルカ戦でカンガルーのポーズ、馬とび
を披露したが「代表でゴールを決めたら他の小動物
のまねをして遊ぶかも」と言ったとか。(日刊スポ
ーツ5日)
リーガのアラベスの会長から批判されても、余裕の
ロナウドだが、6日のスポーツ報知によれば、レアル
マドリッドの同僚、エルゲラからも苦言が飛び出した。
FWのロナウド、ロビーニョら4人はここ2試合で
ゴキブリ、カンガルー、馬のマネを披露しているが
「もし自分が相手選手ならばバカにされたと感じるだ
ろう」と語った。

ロナウドは所属のクラブから「動物ポーズを止めろと
いわれていない」と母国の記者に語ったというが
ブラジル人の喜びを表す感情表現はヨーロピアンにも
アジア人にもちょっとわかりにくい気がする。
6月にドイツで行われたコンフェデレーションカップで
も表彰式の最中で、ドイツ代表が壇上に並びメダルを
授与されている間も、選手たちはピッチの上で踊って
いたよね。
優勝の喜び、ゴールを決めた興奮はわからないことも
ないが、対戦相手に敬意を払わない態度、そうした慢心
はやがて大きなしっぺ返しとなって・・・

まあ彼らはサッカー選手である。
だがブラジルの国民でもある。
同じブラジル人はどう思っているのかな?
やはり、オレは中田や稲本が、ゴールの後にピッチに
背中をつけてゴキブリのまねをしたり
高原がすしを握るポーズをするのはヤダなぁー
同じ日本人としてもだが
オレはやはり恥ずかしいなあ・・・
とっても笑えるけど
やっぱそういうのは身内のパーティーぐらいの余興に
してほしいもんじゃない?



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「トヨタと日本サッカー界の救世主」はカズだ!

2005-10-06 16:36:43 | Weblog
9月15日にカズは豪州へ行くだろうと記事にしたが
あれから3週間、ようやく契約がまとまったらしい。

契約期間は予想通り3カ月。ただしオレは年内までと
予想したが、契約が遅れたせいか、1月31日までに
なったようだ。カズにはオーストラリアで活躍して
ぜひ日本にいい笑顔でもどってきてほしいと願う。
やはりこの移籍話、といっても期間はたった3カ月の
豪州で4試合+世界クラブ選手権での1+アルファで
しかない「助っ人」だ。
それも優勝を目指すための戦力としての助っ人ではなく
興行面の客寄せである。しかしそれはカズもわかってい
るだろうから、ここは奮起して
「おお!やるなー!カズ!」
というところを見せてほしいものだ。

表面的には移籍先のシドニーFCが戦力としての評価と
いうが、それがリップサービスであり、実は日本好きの
あそこの監督に日本サイドがお願いして、人気のでない
「世界クラブ選手権」の話題作りやチケットの売り上げ
を狙ったものであると思っているのはオレだけではない
よね。
それは前のブログでも書いたがオレは主催者にとって
当然の営業上の計算だと思っている。興行的にもカズに
とっても悪い話ではないのでオレはこのレンタル移籍は
大正解だと思っている。

ただ相変わらず不快なのは、協会の手口である。
あのクラブ選手権の大スポンサーに気を使いすぎ、というか
情けないほどの低姿勢は見ていて気分が悪くなるではないか!
サッカーファンなら「そんなに怒るなよ!」というかもしれ
んが、選手権で利用する3会場、豊田スタジアムは許そう!
トヨタカップというサブタイトルのついた大会だ。地元で
愛知博覧会に続いて「トヨタ」の名前を誇示できるからね。
スポンサー名を全世界に宣伝したいのは当たり前のことだ。
国立で行うのもいいよ。だが、気に食わないのは3試合を
開催する横浜の会場である。

ここはニッサンが命名権を購入して現在はなんと呼ばれて
いる?「ニッサンスタジアム」だろ?
それがなんでクラブ選手権のチケット販売広告では会場名を
旧名で表記するんだ?
それって日本のNo.1企業がやることではないでしょ?
主管の協会にリクエストして、いまからでも遅くないから
会場名はちゃんとお金を払って命名権を獲得した企業名で
表記する、それが社会常識ではないかなあ?
味の素スタジアムの場合でも、東京スタジアムと表記させ
ましたかトヨタさん?

協会の会長は試合日には「ニッサン」の文字をわざわざ
マスキングしてテレビに映らないようにすると言っている
けど。でも普通は「せこいなートヨタ!」って思われますよ!
協会のキャプテンがそういったなんて思いませんよ!
みんなトヨタサンが「げ!えげつない!」って思うでしょ!
かっこ悪くないですかね?
いくらマスキングするっていうけど、みんな知ってますよ
会場でトヨタの文字の下がNISSANって書いてあること。
他社のマークを隠す条件ならということで横浜開催を承諾
したトヨタも情けないが、受け入れたニッサンもどうかと
思ってしまうなぁ。その日に強い風が吹いて、アレレ!”
なーんてならないことを祈りますよ。しかしまあ、こういう
提案でまとめて上手くいったと思ってる人が一番恥ずかしい
けどね。

日本代表・応援ポーズの朝日新聞が昨日の朝刊でカズの移籍は
「各方面からの政治的な働きかけがなかったとは言えない」と
横浜FCの関係者が明かしたと書いているね。
以下記事を引用してみよう。
「昨年までのトヨタカップを拡大する形の世界クラブ選手権は
国際サッカー連盟から半ば押し付けられての日本開催。
日本のチームが出場権を逃した事で、入場券の売れ残り、テレビ
の低視聴率などの懸念が広がる。そんななか、三浦の移籍話は
大会関係者にとって願ってもない話。一方、レンタル料はなく
横浜FCへの実入りはほとんどないという。」

カズ効果が出ていたJ2にとっては今回の移籍が短期間であって
も痛いものだ。
7月30日のカズの横浜FCデビュー戦以降、札幌、湘南
福岡、甲府など6クラブが横浜FCを迎え、そのうち4つの
クラブが今季のホームゲームで最多の観客数を記録している。
甲府や平塚の場合は平均の2倍以上であり、その2つの街は
横浜に近く、クラブ選手権のチケット販売がこの地域で伸び
る可能性があるよね。

 8月 2日 札幌(平均10,472人→今季最高 20,374)
 8月13日 鳥栖(平均 8,210人→カズ欠場 11,132)
 8月20日 仙台(平均15,849人→ベンチ外 19,094)
 9月 4日 平塚(平均 5,993人→今季最高 14,203)
 9月10日 福岡(平均 9,814人→今季最高 16,280)
 10月1日 甲府(平均 6,738人→今季最高 14,234)

このタイミングの移籍会見に?を感じるマスコミもあったよ
うだ。確かに横浜FCはJ1昇格が絶望的であり、総合的に
判断したと奥寺社長は言うが、条件の細部が未定な条項が
多いようで、どうやら正式決定ではないようだ。
最終的な契約では「レンタルはクラブ選手権終了まで」に
短縮されるのではないかと思っている。

サッカーでは、少なくとも現在のJリーグでは、個人で客が
呼べる選手は日本にほとんど残っていない。
カズ効果といってもそれはJ2でのものでしかない。今まで
「生カズ」を見るチャンスがなかった地域、または昔ながら
のサッカーファンの郷愁のようなものかもしれない。
が、それでいいんだ。理由はどうであれスタジアムに観客を
呼べるその魅力がある限り、彼はスターである。
スターであることに変わりはないからね。

「自分を必要としてくれるところなら、どこへでも行く」
カズの移籍会見の言葉だ。
サッカー以外でも、輝く空をどこにでも見つけられそうな
男の言葉が、くだらない企業の見栄や組織のエゴ、調子の
よさを忘れさせてくれる。
カズはホント「トヨタにとっても、サッカー界にとっても
昔ほどのカリスマではないが、救世主である」ことには
変わりないな

オレはカズの姿を「ニッサンスタジアム」で見れることを
楽しみにしているぞ!スポニチが5日の紙面でクラブ選手権の
試合会場を「日産ス」と書いたのはおもしろかったぞ!
え?あれは校正ミス? へーそうかー
そういうことにしておこうではないか。 ニヤリ!
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