大阪水曜ほっと集談会一世です。
いつも少し世の中を斜めから見ている天邪鬼な私です。
ここのところ同世代の友人、知人から入院したとか、検査の結果、手術をすることになったという連絡が頻繁に入るようになりました。
ところで最近「生きづらさ」という言葉をよく耳にしませんか?
ニュースを見れば無慈悲な虐待や金銭目的の殺人事件、目を覆いたくなります。
ブラック校則や ブラック企業、複雑な親子関係や賃金が上がらないのに物価はどんどん上昇しています。
コロナが落ち着いたかと思えばどこに行っても人だらけ、人手不足地獄に疲弊する庶民の生活。
どうすりゃいいのかと天を仰ぎたくなります。
確かに私も日々生きづらさを実感しています。
でもそれは今に始まったことではなく、10代から生きづらさを感じてきました。
生きづらいと嘆いているだけで、周りが解決してくれるのでしょうか?
生きづらいのが当たり前で、時々予想しない偶然が重なり楽しいことがあるという感じです。
あらためて、今年82歳になる両親の人生を見ていますと、生きることは決して簡単ではないと思うのです。
順調で平坦であることが不思議なくらいです。
むしろ舗装されていない道路のように凸凹としており苦しみが大半で、何もないことが幸せだとも感じるのです。
このような開き直りを作家五木寛之氏は「居直りのエネルギー」と表現されています。
確かに周りの人や社会が何とかしてくれると思うとあたふたしますが、自分で引き受けるしかないと思うと火事場の馬鹿力のようなものが湧いてきた体験が私にもあります。
そのギリギリのところで思いがけない助け舟が働いたこともありました。
神経質タイプは、小賢しい見せかけに心を注ぐより誠実に出来ることをその瞬間に精一杯やればそれでよいのではないでしょうか?
それを否定されたり更に、要求してくる輩とは、家族であっても離れるべきだと思うのです。
今日の心に響く言葉
私はのたうちながら、ギリギリのところで生き抜いてきました 。
それは真っ暗闇の先にある光を頼りに、とも言えますし、ネガティブ 思想の果てに芽生えてきた、居直りエネルギーによって、とも言えます。
こうしたことは私だけが特別ではないでしょう 。
おそらくこの世に生きる全ての人がそれぞれ形は違えど、ギリギリのところで生きていってるのではないかと思います。
不条理さのない人生など、きっとないのです。
2023.8.5 一世
※五木寛之氏著
※ただ生きていく、それだけで素晴らしい。
※PHP 研究所