怠惰なひな菊

漫画家・萩原玲二(はぎわられいじ)の怠惰なブログ(2006~2019)

トラ、トラ、トラや!(CV:田村高廣)

2014-01-16 00:47:45 | 映画
黒沢明―天才の苦悩と創造 (キネ旬ムック)

『トラ・トラ・トラ!』黒澤明版をめぐって
全絵コンテ
座談会|斎藤孝雄+村木与四郎+渡会伸+松江陽一
インタビュー|大澤豊/佐藤純彌/久米明
『トラ・トラ・トラ!』シナリオ(黒澤が撮影で使用していた最終稿)

キネマ旬報社


『解説「虎 虎 虎」~根本的には悲劇であることが土台だ』(浜野保樹)

ふと、↑のような電子書籍に出くわし、読む(無料)。

内容的には、黒澤の『トラ・トラ・トラ!』〔1970〕降板事件の決定的書物『黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』(田草川弘)の概略版というか、映画秘宝版?といった印象だろうか。

ジョン・フォードが『トラ・トラ・トラ!』の監督を望んでいたというジョゼフ・マクブライドの著作(『Searching for John Ford』)からの伝聞は、どの程度真面目に受け止めればよいのか(!)。

それはともかく、驚愕したのは、この電子書籍からリンクが貼られたflickr Voyager Archives' Photostreamにアップされておる、画像群の貴重さである。

『酔いどれ天使』〔1948〕以降の(『デルスウザーラ』〔1975〕を覗く)黒澤映画全作品の美術を、実質的に担当した村木与四郎氏や、長門と赤城の実物大セットを制作した近藤司氏の所蔵資料からスキャンされたもののようだ。

黒澤が実際に撮影した『トラ・トラ・トラ!』のシーン(6~15分間程度)の、ここまで鮮明なスチルというのははじめて見た。

連合艦隊旗艦長門での、福留参謀長軍令部転出歓送会と宇垣参謀長の歓迎会をかねた会食のシーン。

有名な、近衛邸での近衛首相の問いに山本五十六が「それは、是非やれと言われれば、半年や一年は存分に暴れて御覧に入れる。しかし二年、三年となっては、全く保証出来ません」と答えるシーン。

久米明がタイプライターを打つ芝居で数10回リテイクされたという在米日本大使館のシーン。

『トラ・トラ・トラ!』以外の画像も、興味深いものばかりで、これは『七人』の撮影時だろうか。
三船のなんとまあかっこええこと!!!!


※追記

『解説「虎 虎 虎」~根本的には悲劇であることが土台だ』の、なにが「解説」なのかと思っていたら、『シナリオ準備稿「虎 虎 虎」』というのが、同サイトで2年前に無料公開されておったのだな。
これの「解説」であると。

知らなかったわー情報弱者だわー。

『準備稿』は『黒澤明vs.ハリウッド』でも、PDのエリモ・ウィリアムズが激賞し、最終稿には残らなかった3つのシーンが採録されているが、当然、全編もすごく読みたい!
しかし、現在は公開されてないような‥‥‥


※追記2

ぐぐっておったら『シナリオ準備稿「虎 虎 虎」』は2013年12月26日!までの限定公開(2年間)だったとのこと。
おれが不覚すぎる!


黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて

田草川弘(著)

文藝春秋


木で軍艦をつくった男

1967年4月28日、東京プリンスホテルの大宴会場でエルモ・ウィリアムス・プロデューサー、黒澤明監督出席のもとに、映画『トラ・トラ・トラ!』の製作発表が行われた。この映画の日本側制作の美術監督は村木与四郎だった。そして村木のもとで美術チーフをつとめたのは近藤 司だった。『トラ・トラ・トラ!』は、クランクインまもなく、黒澤明監督の解任という事態となり、初期方針を変更しながら完成、公開されることになったが、この映画に最後まで一貫して従事したのは美術スタッフのみだった。近藤 司は、村木与四郎美術監督の直下で働く美術チーフとして、福岡県遠賀郡芦屋町海岸に建造された二隻の軍艦、戦艦長門と空母赤城を担当した。

ボイジャー


黒澤明脚本集『七人の侍』 (黒澤明脚本集 電子版)

 

株式会社ボイジャー


Searching for John Ford

Joseph McBride(著)

Faber & Faber




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