紫丁香花色の夕暮れ。
枯れかけ乾いた糸杉の影は程なく、星の狭間へとける。
砂漠の夜、地上は闇。
天空の底に湧く諍いとは懸け離れた…遙かな天上の星。
…星は幼い頃に姉と私に母がみせてくれた宝石のよう
ランプブラックの天鵞絨を広げてね。
その上に並べるのよ。 笑
白い手の指から真珠の指輪を抜き、そこへ置いてみせた。
覚えがあるのは、それだけ。
美しい微笑みの人。
姉も私も亡き母の面影をよく受け継いでいるのだとか。
同じ顔なら残る者が入れ替わっても良さそうなものだ。
…。
かはたれ刻はしめやかに、物静かなる死の如く…
砂を踏む軽い足音が忍び寄ってくるが、気配を隠す気はないらしい。
詩人ですね 笑
投げ掛けられた声に振り向かず、私は(うふん)と口角だけを上げた。
首尾は?
上々です。 笑
ひそめても声の調子は明るく、弾んでいる。 彼は、そういう男なのだ。
笑 では行こう。
私は、立ち上がって砂を払い、薄地のヴェールを巻き直して顔を覆った。
口調には、気を付けて下さいね、ヘリオス。
花嫁さんなんですし仮にも… ぶくく … 失礼しました。 笑
仮… 偽というか、そう言って彼は身体をくの字に折り笑いを堪えている。
笑いすぎてるわよ。 笑
振り返りながら仰ぎ見る星空。 冴えた砂漠の夜気。
星読みであったら、この空に何を読み取るのだろう…
み空の花を星といひ わが世の星を花といふ…
なんですかぁ?と、聞こえなかったらしいジアーが聞き返してきたが
なんでもないわよぉ と笑って、私は返事をかえした。
それで… 戻す物は鍵だけ? ジアー?
そうです。もう合い鍵はあります… これを。
持参金があれば二人をどこにでも逃がせます。
そうね。 笑
請求された持参金のうち、半分はあの娘の財産だから渡さないよ。
あれは当主だったの亡き父親から正しく譲られたものだ。
花嫁が攫われても金品が残っていれば、あの業突張りは動かない。
その半分の金が己が財産を売り払われた代金とは、すぐには気づくまい。
猶予数日でも逃しきるには充分だろう。 ははは 笑
ジアーにまた釘を刺される。
ヘリオス、だから喋りには気を付けてくださいって 笑
あ、そろそろ…では後ほど合流しましょう、その声を背に花嫁のテントへ滑り込んだ。
中では晴れがましい衣装に似合わぬ不安げな眼をした娘とその母が、私を待っていた。
お待たせ。 笑
大丈夫だから心配しないでいてね。
ええ。でも…と、言いかけるのを止めさせ、これからのことを言い含めて聞かせた。
乳兄弟のお前の想い人が、私の一の友では、これは協力しない訳にはいかないのだ。
大丈夫だ。 笑
彼は向こうで万端整えて、あなた方を待っている。
縁切りの身代に、付けられた持参金の内、半分は置いていってね。
それで双方に五分と五分、あなた方の遺産は全て取り返したから。
さ、着替えを。急いで…
*
薄暗く閨の灯りを絞った頃。
庭の虫が小さく鳴いた。
庭への扉をそろっと開き、外の気配を探る。
月のない夜。瞬く音が聞こえそうな星々…
耳に手をやり飾りをシャリンと鳴らし合図する。
思いがけない近くの暗がりから応えがある。
おはいり 笑
するっと、影のようにジアーが室内へ滑り込んできた。
顔を黒い布で覆い、全てを黒い装束に身を包んだ彼は
生きた闇のように見えた。
鍵は上手く戻せたよ。ジアー 笑
そちら、…彼女らは?
受け取った装束に手早く袖を通しながら、彼に聞いた。
またまた上々ですね。 笑
隊商に預けましたよ。
鍵に触られた気配がないとなれば、そこ
油断するだろうなぁ。 クスクス 笑 … あ 来ます。
鋭く足音に気づいたジアーが、入り口の際に貼り付き闇に溶ける…
…私も寝台の縁に腰を降ろし、初夜の夫君を待つ花嫁を装った。
何も知らない主が、部屋に入ってくる。
同時に私は、灯りを消し悲鳴をあげた。
たじろいだ主の脇腹にジアーが拳を叩き込み、後ろ手に押さえ込む。
私は主のほうへ歩み寄った。この男…。
ジアーに首を締め上げられて、声も上げられない主の耳へ低く囁く。
申し訳無いが、あの娘の身代は私が先口なのだよ。
お前さんは騙された。私も騙された。悲しい事だ。
しかし、騙されたほうが悪いのだ。そう思うだろ?
言いながら私は、そいつの腹を膝で何度か蹴り上げる。
だからさ、花嫁は私に譲ってくれよ。
全部寄こせなんて酷いこと言わない。
持参金は、そちらへ譲るからさ。笑
呻いて俯せに転がり床を這う主の、縛られた腕の上に膝をついてのしかかり、髪を掴んで頭を引き起こし首筋に刃を沿わせ、私は交渉を快諾して貰った。
気の毒な主には、ジアーがもう一度当て身をしっかり喰らわせ、寝台に縛り付けてから、私達は館を抜け出した。
引き揚げる途中に見た夜空は、まだ降るほどの星であふれていた。
*
砂漠の夜が明ける。
岩を背に緩い傾斜に寝転がり、徐々に明るさを増す地平を眺める。
あ~あ 疲っかれたなぁ ♪
大の字に伸びているジアーが嬉しそうにそうぼやいた。
お疲れさんだ。 笑
お蔭で助かったよ。
放り出した夜具に肘をつき、彼に労いの言葉をかける。
弾みで紐が解け巻き込んでおいた衣装ぱらっと広がる。
夜具に攫う花嫁を巻いて、担ぎ出した体を装っただけ。
それで、ジアー。
今回の報酬のことだけど…
あ、でしたら、ヘリオス。
耳のソレください。
と、ジアーが指さしたのは、私の耳に下がっている耳飾り。
暇がなくて外せなかった、婚礼用に用意した艶やかなもの。
勿論もちろん。ご要望とあれば。笑
これも渡すけれど、他にきちんと報酬は出すよ 笑
別に遠慮はいらないよ? 耳飾りを外しながら彼に言った。
いいんですよ 笑 ヘリオス
…乳兄弟さんへお祝いにしてください。 笑
それに面白いもの沢山見たし、…ぶはは 笑 思い出してまた笑える
きゃーきゃーって、悲鳴あげなから誰かと揉み合ってるふりをして…
実際は夜具を丸めてるんだもの … 器用だ くくく… 笑
笑い転げている彼につられて、私も空に向かって笑った。
あはは 笑 ありがとう。ジアー
…あの娘、幸せになるといいなあ。
そうですねえ 笑 ヘリオス
大丈夫ですよ きっと。
もうすぐ陽が昇る地平の眩さに眼を細めながら、ジアーの太鼓判に私も頷いた。
うん。笑 そうだね。 きっと、大丈夫。
紫丁香花(むらさきはしどい) / ライラックの和名
詩 / 土井晩翠 「星と花」 ・ 上田敏 「海潮音」より一部
※友人提供の写真につき転載を禁じます。
枯れかけ乾いた糸杉の影は程なく、星の狭間へとける。
砂漠の夜、地上は闇。
天空の底に湧く諍いとは懸け離れた…遙かな天上の星。
…星は幼い頃に姉と私に母がみせてくれた宝石のよう
ランプブラックの天鵞絨を広げてね。
その上に並べるのよ。 笑
白い手の指から真珠の指輪を抜き、そこへ置いてみせた。
覚えがあるのは、それだけ。
美しい微笑みの人。
姉も私も亡き母の面影をよく受け継いでいるのだとか。
同じ顔なら残る者が入れ替わっても良さそうなものだ。
…。
かはたれ刻はしめやかに、物静かなる死の如く…
砂を踏む軽い足音が忍び寄ってくるが、気配を隠す気はないらしい。
詩人ですね 笑
投げ掛けられた声に振り向かず、私は(うふん)と口角だけを上げた。
首尾は?
上々です。 笑
ひそめても声の調子は明るく、弾んでいる。 彼は、そういう男なのだ。
笑 では行こう。
私は、立ち上がって砂を払い、薄地のヴェールを巻き直して顔を覆った。
口調には、気を付けて下さいね、ヘリオス。
花嫁さんなんですし仮にも… ぶくく … 失礼しました。 笑
仮… 偽というか、そう言って彼は身体をくの字に折り笑いを堪えている。
笑いすぎてるわよ。 笑
振り返りながら仰ぎ見る星空。 冴えた砂漠の夜気。
星読みであったら、この空に何を読み取るのだろう…
み空の花を星といひ わが世の星を花といふ…
なんですかぁ?と、聞こえなかったらしいジアーが聞き返してきたが
なんでもないわよぉ と笑って、私は返事をかえした。
それで… 戻す物は鍵だけ? ジアー?
そうです。もう合い鍵はあります… これを。
持参金があれば二人をどこにでも逃がせます。
そうね。 笑
請求された持参金のうち、半分はあの娘の財産だから渡さないよ。
あれは当主だったの亡き父親から正しく譲られたものだ。
花嫁が攫われても金品が残っていれば、あの業突張りは動かない。
その半分の金が己が財産を売り払われた代金とは、すぐには気づくまい。
猶予数日でも逃しきるには充分だろう。 ははは 笑
ジアーにまた釘を刺される。
ヘリオス、だから喋りには気を付けてくださいって 笑
あ、そろそろ…では後ほど合流しましょう、その声を背に花嫁のテントへ滑り込んだ。
中では晴れがましい衣装に似合わぬ不安げな眼をした娘とその母が、私を待っていた。
お待たせ。 笑
大丈夫だから心配しないでいてね。
ええ。でも…と、言いかけるのを止めさせ、これからのことを言い含めて聞かせた。
乳兄弟のお前の想い人が、私の一の友では、これは協力しない訳にはいかないのだ。
大丈夫だ。 笑
彼は向こうで万端整えて、あなた方を待っている。
縁切りの身代に、付けられた持参金の内、半分は置いていってね。
それで双方に五分と五分、あなた方の遺産は全て取り返したから。
さ、着替えを。急いで…
*
薄暗く閨の灯りを絞った頃。
庭の虫が小さく鳴いた。
庭への扉をそろっと開き、外の気配を探る。
月のない夜。瞬く音が聞こえそうな星々…
耳に手をやり飾りをシャリンと鳴らし合図する。
思いがけない近くの暗がりから応えがある。
おはいり 笑
するっと、影のようにジアーが室内へ滑り込んできた。
顔を黒い布で覆い、全てを黒い装束に身を包んだ彼は
生きた闇のように見えた。
鍵は上手く戻せたよ。ジアー 笑
そちら、…彼女らは?
受け取った装束に手早く袖を通しながら、彼に聞いた。
またまた上々ですね。 笑
隊商に預けましたよ。
鍵に触られた気配がないとなれば、そこ
油断するだろうなぁ。 クスクス 笑 … あ 来ます。
鋭く足音に気づいたジアーが、入り口の際に貼り付き闇に溶ける…
…私も寝台の縁に腰を降ろし、初夜の夫君を待つ花嫁を装った。
何も知らない主が、部屋に入ってくる。
同時に私は、灯りを消し悲鳴をあげた。
たじろいだ主の脇腹にジアーが拳を叩き込み、後ろ手に押さえ込む。
私は主のほうへ歩み寄った。この男…。
ジアーに首を締め上げられて、声も上げられない主の耳へ低く囁く。
申し訳無いが、あの娘の身代は私が先口なのだよ。
お前さんは騙された。私も騙された。悲しい事だ。
しかし、騙されたほうが悪いのだ。そう思うだろ?
言いながら私は、そいつの腹を膝で何度か蹴り上げる。
だからさ、花嫁は私に譲ってくれよ。
全部寄こせなんて酷いこと言わない。
持参金は、そちらへ譲るからさ。笑
呻いて俯せに転がり床を這う主の、縛られた腕の上に膝をついてのしかかり、髪を掴んで頭を引き起こし首筋に刃を沿わせ、私は交渉を快諾して貰った。
気の毒な主には、ジアーがもう一度当て身をしっかり喰らわせ、寝台に縛り付けてから、私達は館を抜け出した。
引き揚げる途中に見た夜空は、まだ降るほどの星であふれていた。
*
砂漠の夜が明ける。
岩を背に緩い傾斜に寝転がり、徐々に明るさを増す地平を眺める。
あ~あ 疲っかれたなぁ ♪
大の字に伸びているジアーが嬉しそうにそうぼやいた。
お疲れさんだ。 笑
お蔭で助かったよ。
放り出した夜具に肘をつき、彼に労いの言葉をかける。
弾みで紐が解け巻き込んでおいた衣装ぱらっと広がる。
夜具に攫う花嫁を巻いて、担ぎ出した体を装っただけ。
それで、ジアー。
今回の報酬のことだけど…
あ、でしたら、ヘリオス。
耳のソレください。
と、ジアーが指さしたのは、私の耳に下がっている耳飾り。
暇がなくて外せなかった、婚礼用に用意した艶やかなもの。
勿論もちろん。ご要望とあれば。笑
これも渡すけれど、他にきちんと報酬は出すよ 笑
別に遠慮はいらないよ? 耳飾りを外しながら彼に言った。
いいんですよ 笑 ヘリオス
…乳兄弟さんへお祝いにしてください。 笑
それに面白いもの沢山見たし、…ぶはは 笑 思い出してまた笑える
きゃーきゃーって、悲鳴あげなから誰かと揉み合ってるふりをして…
実際は夜具を丸めてるんだもの … 器用だ くくく… 笑
笑い転げている彼につられて、私も空に向かって笑った。
あはは 笑 ありがとう。ジアー
…あの娘、幸せになるといいなあ。
そうですねえ 笑 ヘリオス
大丈夫ですよ きっと。
もうすぐ陽が昇る地平の眩さに眼を細めながら、ジアーの太鼓判に私も頷いた。
うん。笑 そうだね。 きっと、大丈夫。
ながれのきしのひともとは、 みそらのいろのみづあさぎ、 なみ、ことごとく、くちづけし はた、ことごとく、わすれゆく…
紫丁香花(むらさきはしどい) / ライラックの和名
詩 / 土井晩翠 「星と花」 ・ 上田敏 「海潮音」より一部
※友人提供の写真につき転載を禁じます。