はーちゃんの気晴らし日記

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悪夢---屈辱の日

2012年08月16日 | 雑談
鳥調べが朝まで続き、私はそのまま高地されました。
そして、眠る間もなく朝食の時間になりました。
朝食は仕出弁当のようなものでした。
食欲もなく、箸をつける気持ちにはなりませんでした。

夕べからの鳥調べ中に何度も母親であろう相手から携帯電話が鳴っていたのが気になり、カン守に母に連絡してくれるように頼みました。
後から母に聞いた話ですが、9時ごろ、ケイ察ショから携帯に連絡があったそうです。
母のところへケイ察ショの人間が行ったのが早朝だったので、電話があった時は、母はすでに自分の事態を知っていたようです。

10時ごろになって、セッ見があると言われました。
母が頼んでくれたベン護士さんが来てくれたようです。
私は母の手回しの早さに驚くと共に感謝しました。

ベン護士さんとセッ見しましたが、私には全く身に覚えはなく、悔しさでただ泣けて泣けて自分の潔癖を訴える以外、話ができませんでした。
ベン護士さんは、何とか拘留を解いてくれるように頼んでくれると言ってくれました。
でも、ベン護士さんの努力も効果がなく、その日も私はコウ留されたままでした。

会社の事が気になりました。
家族の事も気になりました。
親戚の事も気になりました。

リュウ置場には、同じ部屋に3人が入れられました。
一人は窃盗、一人は傷害容疑でした。
二人とも自分より年下でした。
それぞれが自分の生い立ちや今回のリュウ置に関しての話をして過ごしました。
私が全く身に覚えのない置換行為でタイ捕されてしまったことを話すと、
「そういう時は、絶対に事務所へ入ってはいけない。」
と言われました。
事務所へ行ってしまったら最後だから、身元を明らかにして、その場はなんとか切り抜けて、対処したほうが良いとリュウ置場の同居人から言われました。
知りませんでした。
私としては、全く身に覚えのないことだったので、逃げも隠れもしない、どこへでも行って話をするという覚悟がありました。
でも、それが裏目に出てしまったようです。

その日もコウ留は続き、翌日、地ケンに行くことになりました。
地ケンに行くため、バスが出され、各ケイ察署を回って全部で40人くらいのヒギ者がバスに乗ります。
服はジャージに着替えさせられ、履物はサンダルがあてがわれました。
手ジョウをかけられ、腰は縄でつながれました。
自分の人生にそんな事が起こるなど想像もしていませんでした。
まさに悪夢、あり得ない出来事でした。

ケン事とのセッ見の順番を待つ間、手ジョウをかけられたまま地下の暗い独ボウに入れられました。
ずいぶん長い間待たされました。
朝食はとっていなかったのに、何故かお腹が痛くなりました。
そばに設置してあるトイレに行きましたが、手ジョウをしたままのトイレは、すべての作業が困難でした。
みじめでした。
屈辱でした。
なぜ、自分がこんな思いをしなければならないのかと思いました。

ようやく私の番になり、私を担当するケン事に会いました。
50歳代くらいの人でした。
下を向いたまま、上目遣いで人を見る人でした。

ケン事は一方的に
「やったんだろう!やったんだろう!」の一点張りでした。
こちらの言い分は全く認められませんでした。
女性の話は一点のゆるぎもなく、起ソに値すると言います。
「いくらでも否認すればいい。
どうせ起ソなんだから。」
と。
ケン事とのやりとりは、希望の持てないもので、私の言い分は全く聞き入れてもらえませんでした。

つり革につかまり、居眠りをしていた私にど、うしてそんな行為ができるのか。
両手がふさがっていたのに、どうして女性に触れることができるのか。
何を言っても、無駄でした。
私の行為は起ソに値する言われました。

悪い夢を見ているようでした。

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もしもコメントをいただけるようでしたら、最後の回にお願いします。


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