はーちゃんの気晴らし日記

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叔父の事で思う

2013年03月29日 | 思ったこと
伯父の通夜、告別式、初七日の法要が終わりました。
暗い話が続きますが、伯父の事を書いておこうと思います。

伯父は享年80歳でした。
私の父は70歳代で亡くなったので、父よりは長生きしたかなと思います。

3年前に叔父の招待で、私たちいとこが全員集まった時に叔父から聞いたのですが、その一年くらい前に叔父は心筋梗塞で倒れ、生死の境をさまよい、心臓のバイパス手術を受けてよみがえったそうです。
すっかり元気になったところで、私たち甥や姪を全員招待しようと考えたと言っていました。
ところがその集まりの後、すぐに大腸がんになったそうです。
大腸がんの手術が無事に済み、やせ細った身体も少しずつふっくらしてきて、この3月に抗がん剤の投与も終え、これからまた好きな事ができると思った矢先だったということでした。
「二つの大きな病を克服してこれからという時だったのに、いくらなんでも早すぎる。」
と、残された伯母やいとこ達は涙していました。
叔父と叔母夫婦には、二人の子供がいます。

生前、叔父は写真を趣味にしていたので、数台のカメラを持ち、あちこちを歩いては写真を撮って、気に入った写真を大きく印刷してファイルしていました。
几帳面な人で、叔父の部屋はきれいに生理整頓され、趣味のものは一箇所にきちんとまとめられていたそうです。
「結婚して家を出てから、おやじの部屋に入ったのは初めてだったけど、あまりのきれいさにびっくりした」
と、いとこは言っていました。

そのたくさんの写真のファイルが叔父の自慢の自転車と共に祭壇の横に並べられていました。



叔父はその自転車に乗ってあちこち走り回っていたそうです。
私の実家へもその自転車に乗って遊びに行っていたようです。
「80歳になる年寄りがこんな自転車で走り回っていたのよ。」
と伯母は言っていました。

お通夜の日、早めに式場に到着した私は叔父の棺の中を見て、はっとしました。
最初に目に入ったのは、二枚のコンサートのチケットでした。
そのチケットが叔父の肩の辺りに二枚重ねて置かれていました。
チケットを見た途端、私の息は止まりそうになりました。
「このチケット・・・・」
と、言って叔母の顔を見ると、叔母は
「そうなの・・」
と言って、チケットの説明をしてくれました。
叔父たちは、その日の二日後、上野公園を歩き、終わりかけの桜を見てからコンサートに行く予定だったとか・・・。
そんな話を聞き、涙でぼやけて叔父の顔が見えなくなりました。

叔父は棺の中で、帽子をかぶって眠っていました。
「普段、帽子が好きだったの?」
といとこに聞くと、帽子もよくかぶってはいたけれど、今回の事故で頭をかなり切っていたので、それを隠すために帽子をかぶせたと言っていました。

いとこは、娘さんが生まれてすぐに離婚し、その後は再婚もせずにずっと一人で娘を育ててきました。
叔父夫婦がそれを助けたのは言うまでもありません。
「私の娘は、父が育ててくれたようなものなの。」
といとこは言っていました。
そうかもしれないと思いました。
生前の叔父の話で、「孫と海外旅行をした」とか、「孫とコンサートへ行った」などと、たった一人のお孫さんを自分の子供以上にかわいがっていたのを感じました。
「何もかも父に任せて、父に頼ってきてしまったから、これからどうしたらいいかわからない。」
といとこは言っていました。
叔母も
「やさしい人だったわ。私は、主人にもっともっとやさしくしてあげればよかった。あんなにいい人は他にいないと思う。」
と言っていました。
叔父は家の中の修理などの簡単な大工仕事は自分でする人だったらしく、亡くなった日も朝の6時頃から家の棚作りを始め、叔母が
「こんなに朝早くからやることないでしょ!眠れないじゃない!」
と言って、喧嘩になったそうです。
「そんなこと、言わなければ良かった。」
と叔母は後悔していました。

今回の事故は、叔父が夜中にトイレに行ったことから起こったそうです。
トイレを済ませて階段を昇り、その一番上から落ちたらしいということでした。
トイレを済ませた後ということは、後ろ向きのまま落ちたんだろうと想像できます。
伯母は眠っていたのですが、どーん!という大きな音で目を覚まし、慌てて部屋を出ると、叔父が階段の下で倒れていたということでした。
頭を切っていて、そこからの血が顔中に流れていたそうです。
その時は「痛い、痛い」と言っていたらしいのですが、救急車の中で意識がなくなったと言っていました。

救急救命センターで医師たちが15時間の間、精一杯の努力をしてくださったらしいのですが、意識は戻らなかったようです。
叔父は、頭蓋骨がずれ、左腕は骨折、肋骨が折れ、それが肺に刺さっていたそうです。
心筋梗塞をわずらったため血液をさらさらにする薬を飲んでいたので、出血が止まらなかったのも死因の一つだったようです。

私は思いました。
人には生まれたときから決められた寿命があるのかもしれないと。
タイムスリップした現代の医者が、過去の歴史上の人物の病気を現代の医学を使って治療しようとする時、
「これから自分がしようとしていることは、歴史を変えてしまうのではないか。」
と思い悩む。
でも、歴史は変わることはなく、現在に至ります。

医学の進歩で、叔父は二度に渡ってよみがえったけれど、叔父に与えられた寿命のためにこの世を去ることになったのかもしれないと思いました。
事故に遭ってしまう人、危うく事故から逃れられる人、それぞれがその人に与えられた寿命のための結果なのかもしれないと思いました。
そう思うと父の死も母の死も二年前のハイジの死も穏やかに受け止められる気がしました。
そして、いずれ来るであろう自分自身のことも、穏やかに考えられる時が来るのかもしれないと思いました。


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