ー自由に解釈していいですよねー
「モレルの発明」アドルフォ ビオイ・カサーレス著。
ネタバレ感想です。
「私」は官憲の追求を逃れ絶海の孤島に一人やってきた。奇っ怪な疫病蔓延の噂に訪れる者は皆無だが、島には誰が建てたか知れぬ博物館、礼拝堂、プールがある。野人生活を送る私は、島にいるはずもない大勢の人々に遭遇し困惑。やがて一人の美女に恋してしまう。
1940年発表の小説にして、バーチャルリアリティを先取りしたようなお話。かなわぬ恋への慕情というより、恋慕した肖像画に自分を塗り込めるようなフェティシズム? を感じる。終始、主人公のとる行動はどこかへんてこで、不自然感がぬぐえなかった。
この島にいる人々は、モレル氏の発明した装置により立体撮影された映像であり、撮影時の時間をひたすら繰り返しているのだ。この装置は、撮影時に被写体の生物の命をうばってしまう。真実に気がついた私は、島に残された装置を使い、自らを撮影して愛する女性のいる世界に寄り添う決断をする。
映画「去年マリエンバートで」再チャレンジにあたって、影響を与えたと言われているこの作品を読んでみた。人形の様な人々というイメージは共通するかもしれないが、正直なところあんまり関係あるようには思えない。
ちょっと思ったのは、島によってもたらされる死病が、まるで重度の放射線障害のようであり、青い部屋というのがチェレンコフ光を想起させるのも不思議な符合? まあ、ただ連想しただけです。
後書きに、この小説は一人称による「信頼できない語り手」の手法であるとあり気になって仕方ない。表面的には先述のようなお話なのだが、細部にどうもしっくりこないところがのこる。
読者は細部の象徴を使い物語を再構成する自由があるわけだ。
細かい不可解な点などがしめすように、表面的な物語の背後に別の物語が仕込まれているようでもある。
そもそも大勢の貴人は何故こんな絶海の孤島に集まったのか?
僕の解釈としては、この小説の出来事はすべて「私」の仕組んだこと。命を吸い取る立体カメラの「撮影」は別の場所で行われ、「私」は撮影記録だけを島に持ち込んだ、貴人たちはこの島には来ていなかった。そんな気がする。建築物は撮影現場の複製。「私」は半永久的「パノラマ島」を作り、自らの作品に溶け入ろうとしていた。13年の間隙は準備期間。初めの動画に自分が写ってないのは後の準備が出来なくなるからなのでは。
役者を用意し、未了行為の夢想的脚本を島以外に残した。それがこの小説。
小説を読んでいると「私」は政治犯なのか思いがちだが、彼こそ吸命立体画像の発明者であり、撮影了部分の殺しの罪で追われていたのではないか。
男か女かよくわからない、映像のモレル氏は役者である。
こんなふうに、解釈してみたけれど、再度読むことがあれば違うことを考えるかもしれない。
「モレルの発明」アドルフォ ビオイ・カサーレス著。
ネタバレ感想です。
「私」は官憲の追求を逃れ絶海の孤島に一人やってきた。奇っ怪な疫病蔓延の噂に訪れる者は皆無だが、島には誰が建てたか知れぬ博物館、礼拝堂、プールがある。野人生活を送る私は、島にいるはずもない大勢の人々に遭遇し困惑。やがて一人の美女に恋してしまう。
1940年発表の小説にして、バーチャルリアリティを先取りしたようなお話。かなわぬ恋への慕情というより、恋慕した肖像画に自分を塗り込めるようなフェティシズム? を感じる。終始、主人公のとる行動はどこかへんてこで、不自然感がぬぐえなかった。
この島にいる人々は、モレル氏の発明した装置により立体撮影された映像であり、撮影時の時間をひたすら繰り返しているのだ。この装置は、撮影時に被写体の生物の命をうばってしまう。真実に気がついた私は、島に残された装置を使い、自らを撮影して愛する女性のいる世界に寄り添う決断をする。
映画「去年マリエンバートで」再チャレンジにあたって、影響を与えたと言われているこの作品を読んでみた。人形の様な人々というイメージは共通するかもしれないが、正直なところあんまり関係あるようには思えない。
ちょっと思ったのは、島によってもたらされる死病が、まるで重度の放射線障害のようであり、青い部屋というのがチェレンコフ光を想起させるのも不思議な符合? まあ、ただ連想しただけです。
後書きに、この小説は一人称による「信頼できない語り手」の手法であるとあり気になって仕方ない。表面的には先述のようなお話なのだが、細部にどうもしっくりこないところがのこる。
読者は細部の象徴を使い物語を再構成する自由があるわけだ。
細かい不可解な点などがしめすように、表面的な物語の背後に別の物語が仕込まれているようでもある。
そもそも大勢の貴人は何故こんな絶海の孤島に集まったのか?
僕の解釈としては、この小説の出来事はすべて「私」の仕組んだこと。命を吸い取る立体カメラの「撮影」は別の場所で行われ、「私」は撮影記録だけを島に持ち込んだ、貴人たちはこの島には来ていなかった。そんな気がする。建築物は撮影現場の複製。「私」は半永久的「パノラマ島」を作り、自らの作品に溶け入ろうとしていた。13年の間隙は準備期間。初めの動画に自分が写ってないのは後の準備が出来なくなるからなのでは。
役者を用意し、未了行為の夢想的脚本を島以外に残した。それがこの小説。
小説を読んでいると「私」は政治犯なのか思いがちだが、彼こそ吸命立体画像の発明者であり、撮影了部分の殺しの罪で追われていたのではないか。
男か女かよくわからない、映像のモレル氏は役者である。
こんなふうに、解釈してみたけれど、再度読むことがあれば違うことを考えるかもしれない。