私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

ちょっと思うんだけど「団塊の世代」のこれまで その1

2024年06月11日 | 自分のブログ

戦後生まれの私は「団塊の世代」と呼ばれています。自分が育った時代と今を思い出しています。

戦争(第二次世界大戦)を知らな子どもとして、親は子ともたちに自分の経験した苦労はかけさせたくない、二度と戦争には係わって欲しくないという気持ちが強かったかと思います。

居間でくつろぐ私と家族。

女房のおばあちゃんと母親と弟?。

父は2時間かけて品川まで通勤していました。朝は早く自転車で駅まで出かけ、引きずるような足音で父が帰宅するのが分かりました。電車も鉄道省(省線)から国有鉄道(国鉄)、そしてJR(民営)に変りました。

家には風呂はありましたが、上下水道はありません。飲み水は井戸で、汚水は穴を深く掘っての浸透式でした。トイレはもちろんぼっとん便所で、その汚わいは畑に捲いていました。

結果として飲み水が良くなかったのでしょう。腸にピロリ菌がある人は多くいました。私もその一人で、先日2度目の除菌処置をしました。水道水が当たり前の方は知らないでしょうね。

そう、駅前でオヤジの肩に乗って街頭テレビ(プロレス)を見ていた記憶があります。家電製品はほとんどありません。冷蔵庫だって木の箱の上段に氷を買い求めて入れていた時代です。

小学校時代

公立中学校の1学年のクラス数は13組あり、常に競争社会だったようにも感じます。生活は人それぞれですが、食べることに困った経験はありませんでした。

その後、受験戦争とかバブル期をむかえたり、崩壊したりで大きく生活様式も様変わりしたのも事実です。大きな団地建てられました。また、夫婦共稼ぎとなり「カギっ子」と言われる時代にもなりました。

高校生時代は東京オリンピック開催で、あちこちで建設ラッシュになっていました。道路も鉄腕アトムのような高架化になり都心のビルの間を抜けています。これからはこんな道路(橋梁)が主流になると思い土木工学科(橋梁工学)を目指したのです。

学生時代は学園闘争(学生運動)で、ほとんど休校状態で学生たちは茶店やマージャン店で過ごしたり、私はバイトで東名高速道(静岡県駿河小山あたり)の建設現場で、山中の半場(作業員が寝泊まりする小屋)で作業員に混じって長期間過ごしていました。渡米する資金を溜めてるためです。

そう、18歳の時に返還前の沖縄にも行きました。日本国発行の身分証明証が必要で、沖縄諸島は車は右側通行でドルを使っていた時代です。日本であっても他国でした。小笠原諸島も同じくです。

沖縄で運転するにも国際免許が必要でした。

21歳の時に1年ちょっと米国に滞在していました。一人で3か月かけ北米を一週する計画でバスの旅を実行いたしました。そして、仕送りなどはありませんので、パブリックスクールに行ったりアパートを借りたり、バイトをして生計を立てていました。金が無くなると身の回り品、ラジカセやカメラを売っては生活の足しにしていました。

パブリックスクールのリンダ・ミケルフ先生と。

帰国し卒業して、また渡米する予定でしたが、世の中はそんなに甘くはなく就職することになりました。

仕事先はいくらでもありました。バブル期まえでしたが景気は上向き、初任給が49,100円だったのを覚えています。それなりに大変な時代でしたが働けば収入はある時代です。

60歳で定年、65歳まで関連の場所でセカンドステージ。そして72歳まである企業でアドバイザーとして働いていました。今では完全に年金生活者です。(ある社会福祉法人の役員*評議員にはなっていますけど)

他界していますが、父と母(姉さまがパチリ)

いま、世界のどこかで戦争が起きています。毎日のようにその報道画面を目にします。

しかし考え方はいろいろとあるかと思いますが、今の日本はいわゆる平和ボケした時が流れています。

テレビでも大食い自慢とかで飽食の映像が流れています。良いかどうかは分かりませんが、完成したマンションが景観問題で解体するとか・・・。

あの街はよく知っていますが、駅南口は放射状にのびる道路で富士山が見える通り富士見通りと呼び、朝日が見える通りを朝日通り、一ツ橋大学のそばを直線的に伸びる道路を学園通りとしています。また、文教地域に指定してパチンコ屋など遊戯娯楽施設は出来ない街になっています。

しかし、どのチャンネルを回しても(観ても)同じような内容ばかりです。

こんなことを、独り言のようにつぶやいている自分がいますが、何もしていませんしできません。

48年前の家族写真です。

団塊世代から・しらけ世代・新人類世代・バブル世代・団塊ジュニア世代・ミレニアル世代・さとり世代・ゆとり世代・Z世代とその時代ごとに、特徴のある世代があります。

私自身、Z世代は何を考えているのか分からん!とか、モノがあるのが当たり前で、感謝の気持ちが無い!と言いがちですが、この世代も私たち団塊の世代の延長線上にあるのでしょう。

責任は団塊の世代かも知れません。

 

yuki76


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