あれから半年 2009年04月25日 | その他 去年の10月25日。 ガンとの壮絶な闘いの末、父が息を引き取りました。 あれから、今日でちょうど半年になりました。 今朝一番に母にメールをしました。 私「今日で、父ちゃんが亡くなって、ちょうど半年やね。まだたった半年?って気がするわ~」 母「そうなのよ~ ずっと前だったような気がするのよね~」 それから2時間ほどして、また母からメールが来ました。 「父ちゃんの歌声をききました。涙が出ました。恋しいと思いました」 生前、カラオケが大好きだった父。 父と母は、二人でカラオケに行き、その様子をビデオカメラに収めていました。 多分それを聞いたのでしょう。 「そっか~ なんと言っても、40数年間一緒に生きてきたんだもんね。 愛情表現は下手くそだったけど、父ちゃんが愛していたのは、母ちゃんだけだったもんね。 その母ちゃんの思いが、十分に供養になると思うよ^^」
『おもしろかったわたしのじいちゃん』 2009年02月09日 | その他 わたしのじいちゃんは、おもしろいじいちゃんです。 ときどき「そんなのかんけえねぇそんなのかんけえねぇはい、オッパッピー」や「グーグー」と、親指を立てて、わたしたちをわらわせています。それに、てさきが、きようで、こわれたいすや、じてん車を、なおしてくれます。そのおもしろかったじいちゃんは、もうこの世にはいません。 七月一日びょういんで、はいがんだとわかりました。八月八日には、ほっさをおこして、にゅういんしました。じいちゃんは、びょういんで、ほっさをおこして、くるしんでいました。わたしたちはただ「がんばれ。」としか、言うことができませんでした。じいちゃんは、何も食べることができず、てんてきをうつだけでした。だから、みるみるうちに、やせていきました。 わたしは、「じいちゃんがわたしだったら、くるしいだろうなぁ。」と思いました。 わたしが、お見まいに行って、あくしゅしたら、ガンなのに力をふりしぼってわたしたちの手を、にぎってくれました。 ガンでも、わたしたちを、わらわせてくれました。じいちゃんは、タバコが大すきです。だから、ときどき「タバコ・・・」と言ったから「だめだよ。」と、言ったら、外に出れないのに、「外に出てすえばいい。」と言いました。おもしろかったです。 わたしが、「じいちゃん。」と元気に言ったら、じいちゃんも元気に「はぁい。」と、元気に言ってくれました。うれしかったけど、しんぱいさせないように、わざと元気に言ってるんだなぁと思いました。 お母さんとおばあちゃんが、かんびょうしているから、ほっとしました。 でも、十月二十五日じいちゃんは、ひどいほっさをおこして、いきがきゅうにとまったので、死んだかと思ったけどかんごしが、きかいを、もってきてしんぞうが、動いているか、調べてくれました。見てみたら、しんぞうがまだ、動いているので、ほっとしました。でも、そのほっとした気持ちが、ずっとつづいたわけでは、なかったのです。じいちゃんはねむるように口も目もきれいにとじて、なくなりました。 わたしは、じいちゃんが大すきです。いろいろなおせて、おもしろくて、やさしいそんなじいちゃんが大すきです。でももう、この世にはいません。でも、死んだ犬のテリーとジョンと、チロといっしょになかよく楽しくくらしてほしいなぁと思っています。
作文コンクール 佳作 2009年02月09日 | その他 昨年の11月、子供達が作文コンクールに出品しました。 二人ともじいちゃんの“死”について書いていました。 そのうち娘の作品が、なんと佳作になりました~! 九州管内で行われたコンクールで、応募者322名中、入賞(1~3位)10名、佳作10名だったそうです。 そして、その表彰式が昨日福岡の柳川市で行われました。 賞品はミニバレーボールでした~ ちなみに1位はiPod、2~3位は図書券、佳作はサッカーボールorミニバレーボールでした。 次の日記で、娘の作品を原文のまま紹介します
虫の知らせ? 2009年01月25日 | その他 先週の月曜日(1月19日)、久留米に住む義父が亡くなりました。 前日の日曜日(18日)、所用で久留米に行く用事があり、帰りに実家に寄りました。 しかし義父は老人会の集まりで、近くの集会所に行っていました。 せっかく来たのだからと、小雨のなか家族四人で傘をさし集会所まで行き、 義父を呼び出してもらって5分ほど言葉を交わして帰りました。 その後、義母の眠るお寺の納骨堂にお参りをして、帰ってきました。 そしてその翌日、義父は自宅で心筋梗塞により急死しました。 実家に行ったのは、実に2年半振りでした。 大体毎年一度は帰るようにしているのですが、昨年は私や主人の体調不良などが続き、なかなか帰れずにいました。 そんな私達を、義父も心配していたようでした。 口下手な義父なので、気の利いた言葉はありませんでしたが、久しぶりに見る我が息子の顔を見て、安心したような表情を浮かべていました。 最期に元気な顔を見せる事ができて、本当に良かったです。 しかし… 虫の知らせって本当にあるんですね。 もしかしたら、亡くなった私の父が知らせてくれたのかも知れません^^
ミカンの苗 2009年01月14日 | その他 父のミカンって・・・ これなんじゃないかと、もっぱらの噂 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 今日は、我が娘の9歳の誕生日です。 父が生きてたら、おめでとうの電話でもあったのかな?
父のミカン 2008年12月14日 | その他 先日、実家のみかんの木のミカン狩りをしました。 10年ほど前、私の父が「いつか孫たちにちぎらせるんだ」と言って、小さなミカンの木の苗を買って来たらしい。 それが3~4年前から実をつけるようになり、今年もまた沢山実をつけました。 見栄えは悪いけど、甘くて美味しいミカンです。 多分父が「じゃろが、うんめどが。オイが植えたっじゃかいね!(そうだろう、美味しいだろう。俺が植えたんだからね!)」と、鼻高々で上から見てるだろうなぁ~ ミカンの木に、アゲハチョウのサナギがいました。 来年になったら、綺麗なアゲハが孵るかな
四十九日法要 2008年12月12日 | その他 10月25日に父が亡くなり、その後毎週7日ごとに地域の方が数名、わが実家に来て下さり、私たち兄妹家族も集まり、追善供養のお経を上げてきました。 そして7回目の今日は、四十九日法要でした。 四十九日法要も滞りなく終わり、後は忌明御礼の品を配り終えたら、一段落つきます 四十九日までのこの7週間、とっても長~~~く感じました。 母も同じ事を言っていました。 この期間を長く感じるという事は、父の死に対して後悔がないという証拠なんだそうです さて、父の最期の日記、年内に書けるかなぁ~・・・
兄の想い 2008年11月21日 | その他 先日の解放の記事を読んだ長兄から、こんなメールが来ました。 ブログ読んだよ。 俺は今回の事(父ちゃんの死)で、なんて言うんだろう…死に対する概念が変わったんだよね。 今までだって、人の死に直面した事(友達が死んだ事もある)がなかった訳ではないんだけど、今回のは感覚的にこれまでのものとは全く違ったね。 これまで俺は【死】というものが、とてつもなく寂しく怖いものだと思っていた。 しかし、父ちゃんの死によって「あっ…人ってやっぱり死ぬんだ。というか死ななくちゃいけないんだ」ってね。 もちろん、自分の親が不死身であったり、不老不死であるみたいな荒唐無稽な事を考えていた訳ではないが、それはどこか現実味がなく想像のつかない出来事のような気がしていたというかね。 そして今回、子供の頃強いと思っていた父ちゃんが、自然の摂理通りに死を迎えた… 死への恐怖が無くなったとかではなく、受け入れられるようになった気がする。 それぞれ、それぞれの何かを乗り越える事ができたようです
筑紫哲也氏を偲ぶ 2008年11月12日 | その他 11月7日、ジャーナリストの筑紫哲也氏がお亡くなりになられました。 今夜はその筑紫さんの追悼番組をやっていました。 1年半に渡る壮絶なガンとの闘い。 緩和療法を勧められても、最後まで諦めずに治療を止めなかったそうです。 父と1歳違いの73歳。 同じ肺ガン。 また偶然にも、筑紫さんの奥様のお名前が、我が母と同じ名前です。 何だか他人事のように思えません・・・ 筑紫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。