第0098号
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84.ちび猫が見付けた『最近』のお話し(3)と85.ちび猫が見付けた『日本の魂胆』のお話し(1)を参照して下さい。
104.ちび猫が見付けた『世界のお話し』の公開(2)へと続きます。
・平成28年度版
*『反核運動』や『パラダイム論』の真相。【9月10日・土】
これは 1000年前としてのお話しです。
≪多様性のベース“拡大”の意味≫
「【“大”全体】に於ける【多様性】が歪みの無いような【無限大】に近づく為には、《多様性のベース》がそれなりに“拡大”する事が重要である」という事が『一般理論的思考の世界観』から導き出され、その実践というのは、「《人間社会の近代化》や《核エネルギーの利用》や《宇宙への進出》などを、《元々は無かったモノ》を人間が解き放ってしまった『パンドラの箱』にダブらせて《問題の発生源》に仕立て上げてしまい、{無くてもいいモノや無い方がよかったモノなどあるハズがないのに}その《問題の発生源》を歪みそのモノ(異物)として排除してしまうコトによる、《多様性のベース》の“切り崩し”」や「過ちの繰り返しであったハズの『パラダイム変換』を理想の進歩と思い込んでしまい、【部分解禁】を繰り返されてしまうコトによる、問題の解決策の先細り」を防ぐコトでありまして、それによって問題が“包括的”に解決されるのです。
例を一つ上げますと。ある時期に於いて、「《核エネルギーの利用》を『パンドラの箱』にダブらせ、反核運動をしては、人間らしい行為をしているのだと自画自賛する」のが当然のように言われ、「『パラダイム変換』というのは{繰り返されてきた}理想の進歩であるとし、排除すべき『古い枠組み』を排除しては、人類への貢献をしているのだと悦に入る」のも当然のように言われていて、世界中に《不必要なモノ》や《古いいモノ》という{安易なレッテルの}レッテル貼りが野放図に万延した為に、真面目で優秀な人ほど殺戮やテロを正当化し、実行するのに何の抵抗も無くなってしまったのですが。その後、「自然界に“既存”している『核エネルギー』を、宇宙人から“提供”された宇宙戦艦ヤマトの『波動エネルギー』と同じように考え、『核』を{『パンドラの箱』を例に}世界の歪みそのモノな『異物』と決めつけて、{有頂天なまま}反核運動をしてしまう《排除の論理》に、{違和感を抱き}危機意識を抱くコト」や「非合理を積み重ねてきた人類の歴史に、『パラダイム論』を当てはめ、異端者(邪魔者)や浪費者(弱者)を{進歩の為の}排除すべき《古い枠組み》と決めつけて、{幸せな想いが否定されたまま}正義の試練のゴリ押しが繰り返されてしまう《強迫観念に縛られた歴史》に、{不自由感を抱き}疑問意識を抱くコト」が常識化するコトによって、《多様性のベース》の“拡大”が{世界中の人々の意識の中で}飛躍的に進み、殺戮やテロが減少した事が上げられます。
*[排除]や[争い]の正当性。【7月4日・月】
これは 1000年前としてのお話しです。
人々は、「このままでは自分はダメになる」という危機感を慢性的に抱き、「追い抜かれたら排除されるのだ」という強迫観念にとりつかれていて、「自分に試練を課し続けて緊張感を持続させる事」が止められない{病的な}症状に心身が陥っていて。それ故に、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理や『一般理論的思考の【“大”全体】な世界観』の真実に至るコトが出来ないまま、【更新する無限に多様な“大”全体】を無視した《一本の木からなる『進化の図』》で説明される『完全理論的思考の『リセットの原則』が維持される世界観』の『進化論』や、『一般理論的思考の【“大”全体な】世界観』の欠けた「核エネルギーはパンドラの箱で、無かった事にだって出来る」という『特殊理論的思考の『パラダイム変換』で閉じられた世界観』によって歪められた『E=mc²』が野放しとなり、科学技術が{病的な}憂さ晴らしの対象となる『歪んだモノ』として{形成されて}見られて、『テクノ失業』という{批判の為に造語された}言葉によって科学技術が反人間的な{排除が妥当な}モノとして{病的に}批判されていて。さらには、反面教師であるハズの『パラダイム変換』が進歩の理想形とされ、古い『パラダイム』が排除の対象となる事が{病的に}受け入れられるコトによって、{批判を口にする}批判精神ばかりかテロ行為までも、{人間社会の}進歩の為の必然として正当化されていたのです。
男性用成人誌(DVDなど)を見ていても、女性の為に普段は試練に耐えている男性から見て{制裁が必要だと感じてしまうような}変に淫らな女性が{国家戦略のごとく}一律に描かれているだけで、それによって女性への憎悪が{性欲として}男性にスリ込まれてしまい、男性のイライラが増し、{女性のあらゆる努力が}女性差別を深刻化させていたのですが。男性が、もっと自分にとっての幸せな{『お代官様娘』などの}女性像を{試練を捨てて}想い、女性も、自分にとっての幸せな{腐女子が想うような}男性像を{もっと自由に}想って、男女による『幸せの想い・想い合い』が出来ていれば、【“大”全体】の恩恵が存分に受けられ、もっと【多様】な男女関係が【更新】され続けて、{偏見によるイライラや差別を受けるイライラに陥るコトの無い}幸せな男女関係が築けたハズなのに、『試練の想い・想い合い』ばかりに{病的に}夢中になり過ぎて、それがまったく出来ていなかったのです。
1000年前には、[排除]や[争い]が『正しさの証』とされる{病的な}科学技術や人間社会や男女関係が、{病的に}一般的であったのですね。
*現代社会の問題の原点。【5月31日・火】
人間世界では、性犯罪が無くならず、イジメやパワハラやモラハラが無くならず、テロや虐殺や戦争も無くならなくて。それは、「女性という淫らな存在があるからだ」とか、「異民族という邪魔な存在があるからだ」とか、「異教徒という悪魔な存在があるからだ」とか言われているが。本当は、男性(自分たち)の清らかさと対峙した存在である女性(異民族や異教徒)というモノを卑しい者(悪)として想定し、その存在に対して洗礼(制裁)を与えなくてはならないと思ってしまうコトによって、そんな自分の試練に幸福感を失ってしまい、イライラが募って敵意が暴走するからであります。
男性用の成人向け書物や映像には、たいてい『女性とは貞操とは無縁の快楽に耽る淫らな存在であり、それに対して有志の男性が洗礼(制裁)を与えようとするのですが、元々淫らな女性はフェラチオを好み、オナニーでよがり、バイブで喘(アエ)ぎ、アナルで悶(モダ)え、SMで感じてしまって、なかなか上手く洗礼(制裁)が与えられず、手こずってしまう』という世界観が描かれていて、平穏な日常の為に普段から試練に耐えている清い男性にとってのストレス発散の場が提供されているのですが。それがかえって、男性に日常での試練を過度に強制し、想いまでも制限させてしまい、男性自身をイライラが募るほどに精神的に追い詰めてしまって、結果的に清いハズの男性を有志の男性がするDVやストーカーやセクハラなどの性犯罪に駆り立ててしまうのです。
こういった問題の原因は、自分にとっての『幸せな想い』というモノを思い描けない男性の側にこそあり、{アダムとイブを描いた聖書から始まる}女性が淫らな存在だからとするのは、【薬品耐性水】である『ハチミツ』の効果を拒絶して「酒は百薬の長」という論理をゴリ押しする『アルコール依存症』と同じであり。それは、【本流】からの【部分解禁】を有効活用する為の【淀み(澱み)】に執着し、様々な破綻を惹き起こしていながら、【無限に多様な“大”全体】による【更新する世界】という真理を決して認めず、茶番でしかない『観念論』と『唯物論』との論戦を繰り広げて満足してしまっている現代社会の問題そのモノなのです。
*『幸せな想い合い』をする人たちに道は“大”きく開かれる。【4月18日・月】
人間の誰もが、「自分ばかりが楽をして幸せを独占しよう」などという《悪い想い》は持たず、自分は{人並み以上に}苦労して(痛い目に合って)きたから、{今のように}頑張れる(我慢の出来る)人間になれたのだと、{エリートとして}『観念論』的に(女性的と言われるモノのように)思い。
そして(振り子が振れるように)、他者(後輩やパートナー)にも面倒くさがらずに{情に流されたりするコトなく}厳しく接していくのは当然だし、それが《良い想い》なのだと{知識人として}『唯物論』的に(男性的と言われるモノのように)考えてしまい。
さらには≪それを繰り返し続けて{精神の振り子状態に}悩んでしまい、ドロップアウトしてしまうコト≫や、≪そのどちらかに執着して{双方に分かれて}対立してしまい、争いを生み出してしまうコト≫や、≪精神の振り子状態に悩んだり、双方に分かれて対立したりしながらも、【部分解禁】の有用利用により既得権益を生み出し続ける『淀み』を持続させたい{『観念論』的な}思いと、『漏流』による破綻が必然である事によって監視と警告に有効性を与え続ける『淀み(=澱み)』を持続させたい{『唯物論』的な}考えが共鳴して、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理を隠蔽する『魔女裁判』に於いて共同してしまうコト≫に、{大いなる[完全性]と[『リセット』の原則]や、[特殊性]と[『漏流』による破綻の必然]を見い出して}救いを求めるように{ほとんど無自覚なまま}陥(オチイ)ってしまうものだから。
{精神や物事の}破綻と隣り合わせの『淀み(=澱み)』が、自分(自分達)の生きられる{唯一の}場所だと、人間のほとんどが{何の疑問も無く}思い込み。
世間一般で多発する[パワハラ]や[モラハラ]や[セクハラ]や、世界中で無くならない[差別]や[格差]や[テロ]や、文明社会で常態化している《公平性により“大”きな効果が引き出されるハズであった『お金』の、『淀み=澱み』でしか使えないようにする為の{永続的}再分配停止》や《“大”きな効果が封じられた『淀み=澱み』に於ける必然の破綻に対しての、 “大”きな効果を封じる『淀み=澱み』での不公平な『経済活動』による{永続的}補充》や《“大”きな効果の望めない『経済』に巻き込まれた人間に生じる、自己防衛の為の『部分暴走』としての{永続的}金銭欲》などの、人間自身や人間社会が抱える問題の多くが、一過性では終らずに{文化として}連鎖していて。
そして、〔生物世界〕での{真理である}【更新する無限に多様な“大”全体】が{一本の木のように描かれた『進化の図』に縛られて}【部分解禁】されるだけに終り、〔物理世界〕での{真理に至る為の真実である}『一般理論的思考(世界観)』が{『観念論』による}『完全理論的思考(世界観)』に対しての{『唯物論』による}『特殊理論的思考(世界観)』に置き換えられ、神が存在するという{完全性や特殊性の}縛りからの{神が死んで一般性となるコトによる}開放宣言が精神衰弱による妄言に仕立て上げられ、人間の{『淀み(=澱み)』とも言える}枠組みに縛られた進歩からの開放の為の『枠組みの論理(反面教師としてのパラダイム論)』が枠組みの変換(パラダイム変換)こそが人間の進歩の理想形だとスリ替えられてしまい。
さらには、{道徳に想いを縛られず、倫理を争いの口実にしたりせずに、『自分にとっての幸せな想い』を誰もが自由に想える}『幸せの想い合い』を無視した{人間を《女性的と言われる『自己反省』》と《男性的と言われる『反省転嫁』》の精神的振り子状態に追い詰めたり、人間社会を《有効活用の為の『観念論』を用いるエリートの側》と《監視や警告の為の『唯物論』を用いる知識人の側》に分断させたりするだけの}道徳や倫理(古典)によって人間が縛られ、そんな道徳や倫理(古典)に『魔女裁判』での共鳴や共同(真理を隠蔽する共犯関係)を付加したモノ(冤罪(エンザイ)の構造)によって{精神安定や世界平和の決め手とされて}人間社会が覆いつくされてしまうものだから、「『幸せの想い合い』についての考察や思索が無いまま性犯罪者がモラルの低い者だと決め付けられてしまう冤罪」や「公平性を失った『お金』により生み出される価値は必然的に破綻してしまいやすいものだからその回復の為の『経済活動』のしやすい『淀み(=澱み)』はそのままにしておいて強権的な主導者による独裁国家(抵抗勢力)の発生や存続が共産主義によるものだとされてしまう冤罪」や「〔生物世界〕の一般性(“大”きな仕組み)を隠蔽(インペイ)する為に【小保方 晴子】さんの『STAP』細胞が{『リセット』によって再現が出来ない様にしておいて}不正行為だとされてしまう冤罪」や「従来の一般エネルギーから核エネルギーを切り離してしまって『パンドラの箱』の様に拒絶できるモノであるとか宇宙戦艦ヤマトの波動エネルギーの様な特殊なモノであると考えるコトによって『E=mc²』が一般物理学から乖離(カイリ)したモノにされてしまう冤罪」や「反面教師としてのパラダイム論の事を無視したままで枠組み(『淀み(=淀み)』)の中で起こる破綻についてパラダイム変換が上手く出来ないでいる為だとしてしまう冤罪」などが{問題解決から遠のくばかりで}無くならないのです。
上記の事は、{『幸せの想い合い』に無関心な}人間自身や人間社会に於いて連鎖するモノであり、「以前飼っていた犬は厳しい{体罰での}躾(シツ)けをしていて凛々(リリ)しかったが、今飼っている犬は甘やかしているせいなのか{どう見ても}ダラシナク見えるので、{今飼っている犬の為にも}今後はもっと厳しく{力尽くで}躾けをしないといけないようだ」から始まって、「以前は淑女ばかりであったものが、外国の文化が入ってきてからは娼婦のような格好で奇声を上げる阿婆擦(アバズ)ればかりになってしまったので、{彼女たちの為にも、男尊女卑の言葉に屈せず}今後は女性としての正しい在り方を彼女たちに厳しく躾けないといけないし、その為には〔体罰〕や〔見せしめ〕が必要となるだろう」というレベルに、{男性ならば誰もが}簡単に飛躍(『唯物論』的突き詰めを)してしまう事でしょうし、女性にあっては{そんな道理を知らされないまま}「男女平等を主張するコトが最善であり、男尊女卑を主張する男性が出現するコトによる破綻が{必然的に}起こってしまっても、撤退はあり得ない」という様に、{近代的な女性ならば当然の事のように}安易に考えて(『観念論』的突き詰めをして)しまいますから。
{『幸せの想い合い』に無関心なままの}現代社会に於いて男性による女性への{[DV(暴力)]や[ストーカー(殺人)]や[セクハラ(嫌がらせ)]などの}性犯罪は{必然のように}減らないですし、倫理観が厳しくて男尊女卑が{その倫理観の高さに比例して}過激となっている{唯一神教の正義が浸透している}地域ほどテロリストが{無尽蔵(ムジンゾウ)に}輩出されますし、男女平等が掲げられていて経済活動のルールが厳格な{先進国と言われる}欧米諸国にあっては『淀み(=澱み)』が{パラダイム変換のように}取り替えられて【部分解禁】されるだけでして。
{全人類的な}世界中で【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が議論されたり、{真理に至る為の}真実の『一般理論的思考(世界観)』が思考に用いられたりするコトが{共鳴し共同の出来る『魔女裁判』に気を奪われてしまって}無くて、現代人や現代社会の抱える問題が{閉塞(ヘイソク)したまま}解決されるコトは無いのです。
長々と説明してきましたが、{読んでもらえれば解るように}答えは出ていますし、皆様には{抵抗を受ける事の多い}実践を求めている訳でもなくて、{『幸せの想い合い』を踏まえた}物見遊山での〔この世界〕の見物を{ただ単に}して頂きたいのです。
そして、何かを始められる余裕が{もし}生まれましたなら、資格を取得するなどの新たな勉強に、{「こんな資格が{人生に於いて}何の役に立つんだ」と言ってしまうのではなくて、「今までの学校や仕事での{縛られた}経験(我慢した自信)がどんな種類の資格の取得に於いても{レベルが高いほど}あまり役にも立たない」と知り、「自分が人生を無駄に浪費してしまっている事」に気付くだけでもいいので}挑んでみてもらいたいだけなのです。
人生は、『幸せな想い合い』をするだけで、道が“大”きく開かれますからね。
*『ファンタジー』という『夢の扉』のゴミ箱を宝の山にする。【3月19日・土】
人はなぜか当たり前のように、「人間は一人では生きていけない」などと、平気で{思慮に欠けた事を}口にするのですが。正確には、「人間とは一人で生きて行く術(生存価値の高さ:広義の【薬品耐性水】や人間世界での大前提となる【幸せの想い合い】の実践)を手放してしまった{商品価値が求められる反面、生物としての生存価値を下げてしまう}園芸品種のような生き物」でありまして。
その商品価値というのは、人の世の為に“本流”が堰(セ)き止められている『淀み』での{有用利用される}“人工流”の利権者(【完全論理的思考(世界観)】な『観念論』を駆使するエリートの側)であるという事(優位性)か、完全な堰など在りえない『澱み』での{必然な}“漏流”の監視者(【特殊論理的思考(世界観)】な『唯物論』を駆使する知識人の側)であるという事(優位性)によって認識(自覚)されるモノであり。一人では、双方から交互に攻撃されるという情況の{精神的}振り子状態に陥ってしまい、精神が病んでしまって、自分の生存価値(【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を実践する術)を見失ってしまうものですから。
人間は、目の前に【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】といった{その生存価値を高めてくれる}『夢の扉』が在りながら、{手を出せば『淀み』を壊してしまい、『淀み』でのその優位性に執着している双方からさらなる攻撃を受けてしまう恐れから}それに手が出せない『ファンタジーという言葉による封印』からは開放されず。結局は、{『観念論』を駆使するエリートの側か、『唯物論』を駆使する知識人の側かに分かれての}集団での{出来レースで良いハズの}反目をドンドン悪化させて、人間世界に深い亀裂が生じてしまい。さらには、一人では{双方からの}波状攻撃に{交互に}苛(サイナ)まれる{振り子状態の}被害妄想に陥り、精神がそれに耐えられずに破綻していって、様々な社会問題が惹(ヒ)き起こされてしまうのです。
すなわち、『ファンタジー』のカテゴリーとは、人間の生存価値を上げる『夢の扉』のゴミ箱でる反面。ファンタジーに分類される小説・映画や漫画・アニメ・ゲームなどの作品は、【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】といった『夢の扉』の宝の山でありまして。だからこそ、『ファンタジー』には真理が{隠れ}潜んでいて、『ファンタジー』を単なるウソと{馬鹿にして}言う人には、決して『夢の扉』は見えないのであります。
したがって、『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】に気が付いて、そこに手の掛けるコトが出来るようになれる{『ファンタジーという言葉による封印』を解除する}稀な人間の条件というのは、実は『ファンタジー』に深く共感できるコトであり。それによって、『ファンタジー』に秘められた{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】の}重要性に、ようやく気が付く事が出来るのであります。
しかし、単なる『ファンタジー』の愛好家というだけでは、{『観念論』を駆使するエリートの側か、『唯物論』を駆使する知識人の側かに分かれての}集団で反目していながらその優位性を守り合おうと結託して{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を拒絶する}『魔女裁判』が野放しになっている『淀み』の破綻問題や、一人の時にその{双方からの}波状攻撃に{交互に}苛(サイナ)まれる{振り子状態の}被害妄想に陥って多くの人がドロップアウトに至ってしまう『淀み』の反人間的排他性にはまったく気付けないだろうし。『ファンタジー』の評論家であっても、『ファンタジー』を「大いなるウソ」と言ってしまうようでは、『淀み』の外で流れる“本流”に於ける【更新する無限に多様な“大”全体】の真理や、『淀み』の中に“本流”を流し込む{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】の}“更新流”に於いて{『淀み』の中での反目の原因となっている『観念論』や『唯物論』のような優位性への拘(コダワ)りが排除された、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に至る為の方法論である}『一般理論的思考(世界観)』が核心を担うという真実になど、とうてい気付けるハズもないのです。
しかしまあ、{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】という}答えは既に出ていますし。しかも、{その答えというのは}誰の足元にも在って、{【更新する無限に多様な“大”全体】の事が解っていて、『一般理論的思考(世界観)』に至れてさえいれば}意外と簡単に見つけ出せるモノですから、そう焦(アセ)る必要はないのです。
{逆に}焦れば焦るほど、{漫画(映画や小説など)に耽(フケ)る子供に対しタイテイの大人がゴミ漁(アサ)りを見るような拒絶反応を示してしまうように}『ファンタジー』への共感が拒絶されて、『ファンタジーという言葉による封印』からの{大人自身の}脱出が難しくなるだけですから、{大人こそが子供に宝の山としての『ファンタジー』を実践提供するべく}のんびり行くベキなのです。
皆さま、{『ファンタジー』に親しむ為にも}取り敢えずは、物見遊山の見物と{漫画や小説を読み、アニメや映画を観るなどして}洒落込みましょう。{大人が子供に『ファンタジー』の実践提供をするなどの}行動を起こすのは、それからでも十分なのですから。
*『ファンタジーという言葉による封印』の実態(追加)。【3月16日・水】
『ファンタジーという言葉による封印』に於ける人の世(人の営み)の勘違が意味しているモノとは、
『観念論』のエリートの側は、『淀み』で“人工流”を作り出す事に一生懸命になっていて、何時も破綻の脅威にさらされているものだから。逃れようのない責任転嫁にさいなまれて、「“人工流”の可能性や進歩を信じて『淀み』をいくら維持させようとしても、少しの『澱み』によって破綻を起す“漏流”が蔓延してしまう」のだと{一方的に決め付けて}危機感が募(ツノ)り。抑えきれない危機意識にさいなまれて、「恐ろしい背徳者に付け込まれて、かっこうの餌食にされてしまう」のだと{沸き起こるように}危機感が募ってしまって。【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を自覚してしまうと、危機感が暴走して、冷静でいられなくなってしまい。
『唯物論』の知識人の側も、『澱み』での“漏流”の監視に一生懸命になっていて、何時も抗(アラガ)いようのない破綻の脅威を目(マ)の当たりにしているものだから。逃れようのない責任転嫁にさいなまれて、「“人工流”を作り出す為に『淀み』を維持しようと無理をするから、それによってより大きな破綻が生じてしまう」のだと{一方的に決め付けて}危機感が募(ツノ)り。抑えきれない危機意識にさいなまれて、「自分が傲慢な背徳者に成り下がってしまって、このままでは痛いしっぺ返しをくらってしまう」のだと{沸き起こるように}危機感が募ってしまって。【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を自覚すると、危機感が暴走して、冷静でいられなくなってしまいなして。
『ファンタジーという言葉による封印』による夢の扉が開かない原因を、{誰も彼もが}みんなして、【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】に{問答無用で}転嫁してしまい。自分(自分たち)が、夢の扉を恐がり、夢の扉が開くのを拒んでいて、『不幸の応酬』に明け暮れている事に無自覚なものですから。何時までも人の世(人の営み)には、破綻の脅威が付き纏うのです。
というコトなのです。
*『ファンタジーという言葉による封印』の実態。【3月15日・火】
『完全理論的思考(世界観)』のエリートの側は、世界に『淀み』を形成し、“人工流”をドンドン起して、{目指す扉が開けられて}導きに合致する事を目指していながら、停滞ばかりが起こっているのですが。それでも、“人工流”を思うように進歩させようとする『観念論』で励める事に、有頂天になっていて。“漏流”に足が竦(スク)んで人の世(人の営み)の進歩の足手纏(マト)いになっていると、知識人の側の{優越感に浸ってしまう}『唯物論』を非難していて。
『特殊理論的思考(世界観)』の知識人の側は、『淀み』を『澱み』と認識し、“漏流”を観察して、{必然的に扉が開いてしまって}人の世(人の営み)に破綻が起こる現象の研究・分析をしていながら、破綻をなかなか防げないでいるのですが。それでも、“漏流”を監視するのを怠らないでいる『唯物論』で頑張れる事に、優越感を抱いていて。 “人工流”を過信し過ぎて慎重さに欠けていると、エリートの側の{有頂天になってしまう}『観念論』を非難しているのです。
また、他者がその不幸を此方(コチラ)のせいだと言っているという想いを思い合ってしまう『不幸の応酬』とは、人間の心の“人工流”が{負の感情である}“漏流”によって利用不能に陥(オチイ)っている情況のモノであり。
他者が此方の貢献によって幸せになれ事に感謝をしてくれているという想いを思い合える【幸せの想い合い】とは、{人間の守るべき道理などではなく}人間の心が負の感情で満たされていたのを無効化してくれる{人間の心の【薬品耐性水】と言える}モノであります。
そして、『ファンタジーという言葉による封印』の問題というのは、≪{可能性や進歩などの}夢への扉が、『唯物論』に於いて怖気(オジケ)づいて諦(アキラ)めてしまったり、『観念論』に於いて浮かれて見過ごしてしまったりして、{現代に至っても}開けられないでいる状況(情況)≫の話しだと、誰でも思ってしまうかもしれませんが。本当は、夢の在り様の話しであり、{【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】などの}夢への扉が『茶番』などとして閉められている事が問題なのでありまして。開かれない状況(情況)の原因を見つけて、その責任を取らせればそれで済むというような、{単純な}問題などではないのです。
この勘違いこそが、人の世(人の営み)の破綻(閉塞)そのモノであったのです。
*人間世界の簡略化。【2月13日・土】
《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積しての《『学問化』により生じる『擬似進化現象』》などではない、エリートの側による《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】の中であれば、エリートの側に抵抗しようとしていた知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』が、【“大”全体の更新機能】の発動に取って代わられて、その有害性の発揮が無効化されるのですが。
しかし、《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階にあるだけで、《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】に至れていない状況の中であっては、抵抗しようとする有害性の無効化が出来なくて。それが、誰も『生きた水』の重要性に気付けない事の、要因となっているのです。
エリートの側に抵抗しようとするだけの『破綻の進化(雑菌化)』ではない、知識人の側による《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》の中であれば、【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】として切り崩されていくだけのエリートの側により《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウが蓄積されていく事による『擬似進化現象の為の学問化』が、【無限な多様性】の要因となっていって、【“大”全体の更新機能】が発動する【薬品耐性水】が作り出されるのですが。
しかし、【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されていく《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』だけであっては、《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》と似て非なる{【多様性】に乏しい為に【薬品耐性水】に至る【更新機能】が無くてすぐに破綻を招いてしまう}モノしか作り出されなくて、それが、誰も【薬品耐性水】の有効性にたどり着けない事の要因となっているのです。
すなわち、エリートの側により【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウが蓄積されていく事による『擬似進化現象の為の学問化』からは、物事の基本である《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》が作り出されず。知識人の側が『擬似進化現象の為の学問化』を取り込まないままの《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階であっては、『破綻の進化(雑菌化)』の無効化に至れなくて。その為に、何時までたっても知識人の側は『生きた水』に至れず、エリートの側は【薬品耐性水】を{『生きた水』が無い為に}作り出せなくて、『破綻の進化(雑菌化)』が止まらないまま『擬似進化現象の為の学問化』だけが進むのです。
少し言い方を変えると。物事の基本である『生きた水』とは、【無限な多様性】の可能性を持っている【“大”全体】の根幹であり、《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】を作る時の大元になるモノではあるのですが。ただそれだけでは、{可能性があるというだけで}まだ【薬品耐性水】が作りだせる【無限な多様性】には至れていないので、知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』を解消させる事は出来ないのです。
しかし、エリートの側による【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』が取り込まれていく事によって、《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階であった知識人の側が《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】に至れて、《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』が解消されていくのです。
ただし、エリートの側による【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』が、{たいてい}知識人の側による《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》でも取り込めないほどに過剰である為に、『破綻の進化(雑菌化)』に至る知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》が{必ずと言っていいほど}惹(ヒ)き起こされてしまって。{結果として}『生きた水』は作られず、【薬品耐性水】は作り出されなくて、『擬似進化現象の為の学問化』だけがドンドン進み、『破綻の進化(雑菌化)』が解消される事は無いのです。となります。
上記の事には、人間世界に於ける、{国際的な}政治経済の問題から{科学的な}自然科学の問題や{個人的な}対人関係の問題までも含(フク)まれていまして。【“大”全体】でなければ、『唯一神教』も『核開発』も『恋愛感情』も、同じ“個”であり。追求されすぎれば、単なる《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》でしかなくて、一様に問題が惹き起こされるだけなのです。
・平成27年度版
*皆さま、韓国・中国の想いに思いを到らせてみませんか。【12月15日・火】
韓国・中国は、第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争)の終結に到るまでの戦前戦中に於いて、日本にケンカを吹っ掛けられ、国土を蹂躙(ジュウリン)されたのだと想っている訳でありますから。それに対して、日本が「欧米列強に対しての《アジアの地位向上》を目指したモノであった」と{部分的に、少しでも}言い訳をしてしまうのは、まったくのナンセンスであり、愚の骨頂と言わざるを得ません。
「大義名分があれば、また侵略をする」と堂々と宣言をしてしまう様なものなのに、そんな言い訳を繰り返していながら、「韓国・中国の反日感情がシツコイ」と言う日本人の感受性の欠落ぶりには、「救いようが無い」と呆(アキ)れるばかりであり。韓国・中国の、日本(魔物)への警戒による、「魔物に気を許す訳にはいかない」という事による【精神的なストレス】や、「魔物が破滅行為をするのに恰好な口実を与えられない」という事による【様々なロス】を想うと、申し訳なくてしかたありません。
人間が普通に生活していても、{自分にとっては問題になるとはまったく思えない}些細(ササイ)な事が原因となって、{予期せぬまま}自分が一方的に被(コウム)る形で≪インネン(ケンカ)を{突然}理不尽に吹っ掛けられる≫という事は、誰の身にもチョクチョク起るコトなのですが。その時に人間は、そういった≪インネン(ケンカ)を{突然}理不尽に吹っ掛けられる≫という事態を経験しては、“不用意”に「それを防ぐ方法はあるが、それを【考えてしまったり】・【言ってしまったり】・【行動してしまったり】するのは、悪魔(魔物)の思惑通りに魂を売ってしまう事になるので、どうあってもそれは出来ない」と考えてしまいまして。そして、そういった事を繰り返しているうちに、段々と{無自覚なまま}自由を失い、誰もが{慢性的な}ノイローゼに陥(オチイ)ってしまって、すぐに切れて危険行動をしてしまう人間や、鬱病(ウツビョウ)になってしまう人間が{客観的には原因が解っていながらも}後を絶たないのです。
すなわち日本人は、国内的にはノイローゼを、国民病のように発症していて。さらには、韓国・中国に対してまでも、ノイローゼに陥るように、過去に仕掛けたケンカの正当性を繰り返していて。それによって、日本が感染源となったノイローゼの伝染が、極東地域に行き渡り、そして段々と、{今のままの【日本国(日本人)】であれば}アジアどころか世界中へと{日本発の}ノイローゼの伝染を拡大(世界の不安定要因を増加)させ兼ねない状況にあるのです。
しかしまあそうは言っても、そういったノイローゼの感染源は世界中に沢山あって、『イスラム教』と『キリスト教』・『ユダヤ教』の対立の根深さを一つ見ても判るように、日本だけを如何(ドウ)にかすれば如何にかなるというような、{『イスラム原理主義』や『IS』にも見られる「キリスト教世界を掃討(ソウトウ)し、イスラム世界が復古されれば、世界は神の祝福を受けられるのですから、テロを起こしさえすれば、その神の祝福によって世界が救われるのです」という“思い込み”が通用するような}単純な世界情勢でもありませんし。
人間が“不用意”に、《悪魔(魔物)への抵抗》に意識を占領させてしまうというのは、≪【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が隠蔽(インペイ)され、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実が『完全理論的思考(世界観)』や『特殊理論的思考(世界観)』によって歪められて、【部分解禁】によって目が暗んでしまっている『視野狭窄』な情況に誰も気付けずにいる≫という事と根源を同じくする、人間に共通した≪人間が{他のモノとは違う}人間であろうとして、【“大”全体】の要素である《他者や周囲》を{悪魔(魔物)に仕立て上げてでも}拒み、自分の範疇(ハンチュウ)である【“小”全体】で何かを仕出(シデ)かそうとする事≫によって起こしてしまう、《誇張されて“危機”を訴(ウッタ)える》や《夢が現実のコトであるかのように“チャンス”を唱(トナ)える》などの独善的な『一人相撲』とも言える《“思い込み”行為》でありまして。
【更新する無限に多様な“大”全体】の真理の掘り起こし(【薬品耐性水】に相当するモノの一般化)や、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実の修正(近代科学の『リセットの大原則』や、知識人の『波動エネルギー的科学観』への疑問の一般化)が進まないうちは、何をやっても結局は、≪【部分解禁】の切り崩しと、その先陣争いや争奪戦≫いう{努力ばかりが空回りして、状況の悪化が止まらない}袋小路からは抜け出せないのです。
『ベスト』ではないが『グッド』であるのは、そんな『先陣争い』や『争奪戦』を、{参戦せず、応戦せず、邪魔もせず}取り敢(ア)えずただ静観している事でありますし。広めるのは無理として、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理の掘り起こしや、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実の修正が始められさえすれば、『ベター』と言えるでしょう。
したがって、戦前戦中の日本軍(魔物)の在り様についての日本人の{悪魔的な}言い訳に対するモノとしての、韓国・中国の反応(反日感情)を見て、黙って静観する事から始めて。少しずつ、{日本人(魔物)に振り回される}韓国・中国の『精神的なストレス』や『様々なロス』に思いを至らせ、見た目だけの独善的な{負担ばかりが重く圧(ノ)し掛かるだけの}支援ではない、≪韓国・中国に、日本人(魔物)を意識する“縛り”からの開放(自由)をもたらすであろう「韓国・中国に起る『反日感情』の責任は【日本国(日本人)】の側にあり、日本と仲良くする手立てを講じる義務は韓国・中国には無い」という明確なメッセージ≫を発信するだけで、取り敢えずは充分なのです。
どうですか皆さま、{支援額をイヤミったらしく誇張するのではなく}ただ相手の想いに思いを到らせるコトから始めて、{札束で顔を叩(ハタ)くような支援によらない}相手の“縛り”を解きほぐして上げられるメッセージを、一つでも二つでも韓国・中国に向けて届けてみてはいかがでしょうか。
*イスラムの研究では『ノーベル賞』に受賞されないというだけ。【11月16日・月】
日本には、『サムライ(武士)』が活躍する【水戸黄門】や、【大岡越前】のような“英雄伝説”があり。イスラムにも、『ダルビッシュ』が活躍する、{アラビアンナイトに代表される}沢山の“英雄伝説”があるように。ミャンマーにも、{現代的に}軍人と呼ばれる『武人たち』が活躍する、世界に知られていない“英雄伝説”があって。そういう『武人たち』による、良い国づくり(治世・文化)の模範が、必ずあるハズなのですが。
日本人は、{『サムライ』という独自な文化を持っていながら}ミャンマーの{明治維新で【西郷 隆盛】たち武士の反乱が体制を掌握(ショウアク)しているだけのような}日本と同じ様な文化を、{『武人たち』の事を軍人と呼んで}理解できないまま無視して。ミャンマーの軍人や軍政を、一方的に、“悪”と決め付けてしまうので。ミャンマーの事が、まったく評価できなくなり、ミャンマーの事を、民主化の進まない野蛮な国だと、見下してしまうのです。
そして、キリスト教国の欧米人も、{『紳士(騎士)』という文化を持ちながら}イスラムの『ダルビッシュ』が活躍する治世・文化や、『ダルビッシュ』を根幹にした良い国づくりの模範を、{『ダルビッシュ』を自警団と訳して}理解しないまま無視して。イスラムの正義と良心を体現する『ダルビッシュ』を、{『サムライ』を軍人と言ってしまって、日本文化を軍国主義と決め付ける隣国のように}キリスト教的な法制度・治安体制に仇(アダ)なす{テロをし兼ねない}私的集団(自警団)と決め付けてしまうので。イスラムの事が、まったく評価できなくなり、イスラムの事を、テロリストを生み出す(量産してくる)野蛮な宗教(治世・文化)だと、見下しているのです。
たいていの日本人なら解ると思うのですが、日本がどんな貢献をして来ていて、何をしていようとも。日本の隣国は、【日本国(日本人)】への《地域の危険因子》という決め付けを、絶対に止められないものでありまして。それと同じ様に、イスラムが西洋の『ルネッサンス』に多大な貢献をして来ていて、現在も{富を分散するなどの、イスラムの正義と良心による}世界各地での《貧困の救済》と《地域の安定化》への貢献がありながら。キリスト教の団体である『ノーベル財団』による『ノーベル賞』では、キリスト教文化の価値観への貢献が絶対の基準となっていて、イスラムの活動やイスラムの研究が『ノーベル賞』を受賞するコトは、決してないのです。
しかしまあ、だから何だという話しでありまして。【更新する無限に多様な“大”全体】は、気長に、人間の{『完全理論的思考(世界観)』と『特殊理論的思考(世界観)』での覇権争いから、『一般理論的思考(世界観)』に至っての}復帰を待ってくれていますし。『E=mc²』とは、{核開発とは無関係に}人間にとって最も身近で、{質量とエネルギーが変換されるという}とてもイメージしやすい物理法則でありまして。ただ気付かないだけで、人間たちの周囲は『生きた水』で溢れていて、足元はすでに【薬品耐性水】で満ちているのです。
人間が、あせって何かをしたり、価値を追うから、ろくな事にならないだけでありますから。皆さんも、「国家存亡の危機」とか「地球温暖化の危機」とか「明治維新以来の革命のチャンス」とか「日本の出る幕の始まり」とかのキャッチフレーズに踊らされないで、立ち止まり、大切な事が見落されていないか、考えてみては如何(ドウ)でしょうか。
*忌まわしい連鎖。【10月21日・水】
「努力する人は未来を語り、怠ける人は過去を語る」という{世界の何処か(?)の国の}格言と、【アルフレッド・アドラー】の「人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定している」の名言(?)から、【井上 靖】の「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という言葉(造語!?)が生まれ、その後には【スティーブン・R・コヴィー】が「未来は、過去の延長線上である必要は無い」と{確か!?}語っていたりして、それらによって「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉が派生していて、テレビや雑誌などで{主に日本の}有名人が人生訓のように用いているのを時々見聞きするのですが、何と忌(イ)まわしい{世界を舞台にした}連鎖なのでしょうか。
この連鎖の果てに、【更新する無限に多様な“大”全体】の【“大”部分】である事によって【“大”更新】に参加していた人類が、【“小”全体】の【“小”部分】として【“小”更新】を担って{雑菌が薬品耐性を持って『殺人病原体』となるように}地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる存在の人間へと、{進歩と称して}変貌し続けているというのに。過去の偉人たちの{忠告の想いを込めた}理論や言葉が歪められ、{想いが隠蔽されて}地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる道具に用いられているのに、{それが目的のバトンリレーのような連鎖である為に}閉塞感に悩まされながら誰もこの歪んだバトンリレーの連鎖を断ち切れずにいて。
人間は、主流派となると『唯一神教』の【完全世界的思考(世界観)】を妄信して硬直し、抵抗勢力の知識人となると【特殊理論的思考(世界観)】を持ち出して不毛な争いを続け、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に基づく【一般理論的思考(世界観)】を悪魔的狂信として嫌悪してしまって。『唯一神教』に基づく『近代科学』は、地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる進歩を続け、『唯一神教』の内部抗争のような宗教戦争や経済戦争が{世界中で}続発して、{地球上で}多くの一般市民が犠牲となっているのです。
「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という{忌まわしい}言葉がまかり通ってしまうような主流派が牛耳る〔この世界〕と、それに反抗する勢力である知識人による{理想を大義名分にクーデターを起こす}不毛な争いが何時までも繰り返されていて。それに終止符を打とうとした様々な偉人たちによって『進化論(“大”全体での進化)』や、『E=mc²(一般理論)』や、『神は死んだ(開放宣言)』や、『パラダイム論(反面教師)』などが論じられて来たが。主流派と知識人たちは{争いながらも}結局『一本の木の様な進化の図(“小”全体での部分解禁)』や、『特殊理論(パンドラの箱)』や、『精神衰弱していたニーチェ(病人の妄言)』や、『パラダイム変換(理想の進歩)』などは共有していて、{偉人たちの}その想いは今に至っても一般庶民の耳には届く事は無いのです。
人類とは、人間となった今に至っても【更新する無限に多様な“大”全体】の【“大”部分】であり、それによって【“大”更新】を担うモノでありますから。それ故に、自分勝手に分断させた【特定の“小”全体】の【“小”部分】として振舞っても、{雑菌が【薬品耐性】を持って病原体となる様に}【更新する無限に多様な“大”全体】からの【部分解禁】となって、{一般庶民がシワ寄せを被(コウム)る}地球の自然を破滅させるような【“小”更新】を起こしてしまえるのですが。だからこそ【更新する無限に多様な“大”全体】は、{病原体が【薬品耐性水】の中では無毒なのと同じ様に}何時までも人間の【更新する無限に多様な“大”全体】への参加(人類としての復帰)を待ってくれていて。後は本当に、人間しだいなのです。
忌まわしい連鎖が長年に亘(ワタ)って世界中を駆け巡り、それが今に至って生まれた「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という{忌まわしい}言葉には、ブラックな企業(経営者)をのさばらせる{主流派と知識人の共通した}意図が見え見えで。主流派と知識人により、主導権を争っての立場の入れ替わりが{大義名分を取り替えながら}繰り返されても、{パラダイム変換は枷(カセ)の交換の繰り返しであり、一般庶民への縛りが強化されるだけなのと同じ道理で}結局は《一般庶民を食い物にする》という部分の共有は決して揺るがないのです。
「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉の裏には、≪経営者に不満を言う者は『怠け者』として断罪され、ポジティブな夢物語で部下を虐(シイタ)げる管理職が努力家として評価される≫というブラックな企業(経営者)の意図(悪巧み)が、色濃く反映されているのは確かですし。さらに問題なのは、それが《教育の場》や《家族間》・《男女間》などでも乱用されている事でありまして、世界中で人間形成に歪みが生じ、理不尽な『家・身分』や『男女差別』に苦しむ人が世界中に溢れているのです。
これほど明らかに{忌まわしい}問題を含んでいる「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉なのに、この言葉の問題を口にする人が皆無なのにはまったく驚きでありますが。こういった{忌まわしい}問題を無数に抱えて人は人類から人間となっているのに、こういった人間らしさを{獣(ケモノ)から進歩した}良いモノだと昔から世界中で言って来ていて、そういう{忌まわしい}問題に“知らんぷり”をするコトが{今に至っても世界中で}善良さの絶対基準になったままなのです。
しかしまあ、問題が山積だからこそ、【更新する無限に多様な“大”全体】には気長に人間の参加(人類としての復帰)を待っていられる余裕があるのでしょうね。
*予告【9月24日・木】
〔この世界〕の基本構造である【更新する無限に多様な“大”全体】を扱う【一般理論】を聴き取って、〔現代世界〕のつぶやきを紹介したいと思います
~~~第0098号先頭へ~~~
*****(制作終了)*****
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・平成28年度版
*『反核運動』や『パラダイム論』の真相。【9月10日・土】
これは 1000年前としてのお話しです。
≪多様性のベース“拡大”の意味≫
「【“大”全体】に於ける【多様性】が歪みの無いような【無限大】に近づく為には、《多様性のベース》がそれなりに“拡大”する事が重要である」という事が『一般理論的思考の世界観』から導き出され、その実践というのは、「《人間社会の近代化》や《核エネルギーの利用》や《宇宙への進出》などを、《元々は無かったモノ》を人間が解き放ってしまった『パンドラの箱』にダブらせて《問題の発生源》に仕立て上げてしまい、{無くてもいいモノや無い方がよかったモノなどあるハズがないのに}その《問題の発生源》を歪みそのモノ(異物)として排除してしまうコトによる、《多様性のベース》の“切り崩し”」や「過ちの繰り返しであったハズの『パラダイム変換』を理想の進歩と思い込んでしまい、【部分解禁】を繰り返されてしまうコトによる、問題の解決策の先細り」を防ぐコトでありまして、それによって問題が“包括的”に解決されるのです。
例を一つ上げますと。ある時期に於いて、「《核エネルギーの利用》を『パンドラの箱』にダブらせ、反核運動をしては、人間らしい行為をしているのだと自画自賛する」のが当然のように言われ、「『パラダイム変換』というのは{繰り返されてきた}理想の進歩であるとし、排除すべき『古い枠組み』を排除しては、人類への貢献をしているのだと悦に入る」のも当然のように言われていて、世界中に《不必要なモノ》や《古いいモノ》という{安易なレッテルの}レッテル貼りが野放図に万延した為に、真面目で優秀な人ほど殺戮やテロを正当化し、実行するのに何の抵抗も無くなってしまったのですが。その後、「自然界に“既存”している『核エネルギー』を、宇宙人から“提供”された宇宙戦艦ヤマトの『波動エネルギー』と同じように考え、『核』を{『パンドラの箱』を例に}世界の歪みそのモノな『異物』と決めつけて、{有頂天なまま}反核運動をしてしまう《排除の論理》に、{違和感を抱き}危機意識を抱くコト」や「非合理を積み重ねてきた人類の歴史に、『パラダイム論』を当てはめ、異端者(邪魔者)や浪費者(弱者)を{進歩の為の}排除すべき《古い枠組み》と決めつけて、{幸せな想いが否定されたまま}正義の試練のゴリ押しが繰り返されてしまう《強迫観念に縛られた歴史》に、{不自由感を抱き}疑問意識を抱くコト」が常識化するコトによって、《多様性のベース》の“拡大”が{世界中の人々の意識の中で}飛躍的に進み、殺戮やテロが減少した事が上げられます。
*[排除]や[争い]の正当性。【7月4日・月】
これは 1000年前としてのお話しです。
人々は、「このままでは自分はダメになる」という危機感を慢性的に抱き、「追い抜かれたら排除されるのだ」という強迫観念にとりつかれていて、「自分に試練を課し続けて緊張感を持続させる事」が止められない{病的な}症状に心身が陥っていて。それ故に、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理や『一般理論的思考の【“大”全体】な世界観』の真実に至るコトが出来ないまま、【更新する無限に多様な“大”全体】を無視した《一本の木からなる『進化の図』》で説明される『完全理論的思考の『リセットの原則』が維持される世界観』の『進化論』や、『一般理論的思考の【“大”全体な】世界観』の欠けた「核エネルギーはパンドラの箱で、無かった事にだって出来る」という『特殊理論的思考の『パラダイム変換』で閉じられた世界観』によって歪められた『E=mc²』が野放しとなり、科学技術が{病的な}憂さ晴らしの対象となる『歪んだモノ』として{形成されて}見られて、『テクノ失業』という{批判の為に造語された}言葉によって科学技術が反人間的な{排除が妥当な}モノとして{病的に}批判されていて。さらには、反面教師であるハズの『パラダイム変換』が進歩の理想形とされ、古い『パラダイム』が排除の対象となる事が{病的に}受け入れられるコトによって、{批判を口にする}批判精神ばかりかテロ行為までも、{人間社会の}進歩の為の必然として正当化されていたのです。
男性用成人誌(DVDなど)を見ていても、女性の為に普段は試練に耐えている男性から見て{制裁が必要だと感じてしまうような}変に淫らな女性が{国家戦略のごとく}一律に描かれているだけで、それによって女性への憎悪が{性欲として}男性にスリ込まれてしまい、男性のイライラが増し、{女性のあらゆる努力が}女性差別を深刻化させていたのですが。男性が、もっと自分にとっての幸せな{『お代官様娘』などの}女性像を{試練を捨てて}想い、女性も、自分にとっての幸せな{腐女子が想うような}男性像を{もっと自由に}想って、男女による『幸せの想い・想い合い』が出来ていれば、【“大”全体】の恩恵が存分に受けられ、もっと【多様】な男女関係が【更新】され続けて、{偏見によるイライラや差別を受けるイライラに陥るコトの無い}幸せな男女関係が築けたハズなのに、『試練の想い・想い合い』ばかりに{病的に}夢中になり過ぎて、それがまったく出来ていなかったのです。
1000年前には、[排除]や[争い]が『正しさの証』とされる{病的な}科学技術や人間社会や男女関係が、{病的に}一般的であったのですね。
*現代社会の問題の原点。【5月31日・火】
人間世界では、性犯罪が無くならず、イジメやパワハラやモラハラが無くならず、テロや虐殺や戦争も無くならなくて。それは、「女性という淫らな存在があるからだ」とか、「異民族という邪魔な存在があるからだ」とか、「異教徒という悪魔な存在があるからだ」とか言われているが。本当は、男性(自分たち)の清らかさと対峙した存在である女性(異民族や異教徒)というモノを卑しい者(悪)として想定し、その存在に対して洗礼(制裁)を与えなくてはならないと思ってしまうコトによって、そんな自分の試練に幸福感を失ってしまい、イライラが募って敵意が暴走するからであります。
男性用の成人向け書物や映像には、たいてい『女性とは貞操とは無縁の快楽に耽る淫らな存在であり、それに対して有志の男性が洗礼(制裁)を与えようとするのですが、元々淫らな女性はフェラチオを好み、オナニーでよがり、バイブで喘(アエ)ぎ、アナルで悶(モダ)え、SMで感じてしまって、なかなか上手く洗礼(制裁)が与えられず、手こずってしまう』という世界観が描かれていて、平穏な日常の為に普段から試練に耐えている清い男性にとってのストレス発散の場が提供されているのですが。それがかえって、男性に日常での試練を過度に強制し、想いまでも制限させてしまい、男性自身をイライラが募るほどに精神的に追い詰めてしまって、結果的に清いハズの男性を有志の男性がするDVやストーカーやセクハラなどの性犯罪に駆り立ててしまうのです。
こういった問題の原因は、自分にとっての『幸せな想い』というモノを思い描けない男性の側にこそあり、{アダムとイブを描いた聖書から始まる}女性が淫らな存在だからとするのは、【薬品耐性水】である『ハチミツ』の効果を拒絶して「酒は百薬の長」という論理をゴリ押しする『アルコール依存症』と同じであり。それは、【本流】からの【部分解禁】を有効活用する為の【淀み(澱み)】に執着し、様々な破綻を惹き起こしていながら、【無限に多様な“大”全体】による【更新する世界】という真理を決して認めず、茶番でしかない『観念論』と『唯物論』との論戦を繰り広げて満足してしまっている現代社会の問題そのモノなのです。
*『幸せな想い合い』をする人たちに道は“大”きく開かれる。【4月18日・月】
人間の誰もが、「自分ばかりが楽をして幸せを独占しよう」などという《悪い想い》は持たず、自分は{人並み以上に}苦労して(痛い目に合って)きたから、{今のように}頑張れる(我慢の出来る)人間になれたのだと、{エリートとして}『観念論』的に(女性的と言われるモノのように)思い。
そして(振り子が振れるように)、他者(後輩やパートナー)にも面倒くさがらずに{情に流されたりするコトなく}厳しく接していくのは当然だし、それが《良い想い》なのだと{知識人として}『唯物論』的に(男性的と言われるモノのように)考えてしまい。
さらには≪それを繰り返し続けて{精神の振り子状態に}悩んでしまい、ドロップアウトしてしまうコト≫や、≪そのどちらかに執着して{双方に分かれて}対立してしまい、争いを生み出してしまうコト≫や、≪精神の振り子状態に悩んだり、双方に分かれて対立したりしながらも、【部分解禁】の有用利用により既得権益を生み出し続ける『淀み』を持続させたい{『観念論』的な}思いと、『漏流』による破綻が必然である事によって監視と警告に有効性を与え続ける『淀み(=澱み)』を持続させたい{『唯物論』的な}考えが共鳴して、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理を隠蔽する『魔女裁判』に於いて共同してしまうコト≫に、{大いなる[完全性]と[『リセット』の原則]や、[特殊性]と[『漏流』による破綻の必然]を見い出して}救いを求めるように{ほとんど無自覚なまま}陥(オチイ)ってしまうものだから。
{精神や物事の}破綻と隣り合わせの『淀み(=澱み)』が、自分(自分達)の生きられる{唯一の}場所だと、人間のほとんどが{何の疑問も無く}思い込み。
世間一般で多発する[パワハラ]や[モラハラ]や[セクハラ]や、世界中で無くならない[差別]や[格差]や[テロ]や、文明社会で常態化している《公平性により“大”きな効果が引き出されるハズであった『お金』の、『淀み=澱み』でしか使えないようにする為の{永続的}再分配停止》や《“大”きな効果が封じられた『淀み=澱み』に於ける必然の破綻に対しての、 “大”きな効果を封じる『淀み=澱み』での不公平な『経済活動』による{永続的}補充》や《“大”きな効果の望めない『経済』に巻き込まれた人間に生じる、自己防衛の為の『部分暴走』としての{永続的}金銭欲》などの、人間自身や人間社会が抱える問題の多くが、一過性では終らずに{文化として}連鎖していて。
そして、〔生物世界〕での{真理である}【更新する無限に多様な“大”全体】が{一本の木のように描かれた『進化の図』に縛られて}【部分解禁】されるだけに終り、〔物理世界〕での{真理に至る為の真実である}『一般理論的思考(世界観)』が{『観念論』による}『完全理論的思考(世界観)』に対しての{『唯物論』による}『特殊理論的思考(世界観)』に置き換えられ、神が存在するという{完全性や特殊性の}縛りからの{神が死んで一般性となるコトによる}開放宣言が精神衰弱による妄言に仕立て上げられ、人間の{『淀み(=澱み)』とも言える}枠組みに縛られた進歩からの開放の為の『枠組みの論理(反面教師としてのパラダイム論)』が枠組みの変換(パラダイム変換)こそが人間の進歩の理想形だとスリ替えられてしまい。
さらには、{道徳に想いを縛られず、倫理を争いの口実にしたりせずに、『自分にとっての幸せな想い』を誰もが自由に想える}『幸せの想い合い』を無視した{人間を《女性的と言われる『自己反省』》と《男性的と言われる『反省転嫁』》の精神的振り子状態に追い詰めたり、人間社会を《有効活用の為の『観念論』を用いるエリートの側》と《監視や警告の為の『唯物論』を用いる知識人の側》に分断させたりするだけの}道徳や倫理(古典)によって人間が縛られ、そんな道徳や倫理(古典)に『魔女裁判』での共鳴や共同(真理を隠蔽する共犯関係)を付加したモノ(冤罪(エンザイ)の構造)によって{精神安定や世界平和の決め手とされて}人間社会が覆いつくされてしまうものだから、「『幸せの想い合い』についての考察や思索が無いまま性犯罪者がモラルの低い者だと決め付けられてしまう冤罪」や「公平性を失った『お金』により生み出される価値は必然的に破綻してしまいやすいものだからその回復の為の『経済活動』のしやすい『淀み(=澱み)』はそのままにしておいて強権的な主導者による独裁国家(抵抗勢力)の発生や存続が共産主義によるものだとされてしまう冤罪」や「〔生物世界〕の一般性(“大”きな仕組み)を隠蔽(インペイ)する為に【小保方 晴子】さんの『STAP』細胞が{『リセット』によって再現が出来ない様にしておいて}不正行為だとされてしまう冤罪」や「従来の一般エネルギーから核エネルギーを切り離してしまって『パンドラの箱』の様に拒絶できるモノであるとか宇宙戦艦ヤマトの波動エネルギーの様な特殊なモノであると考えるコトによって『E=mc²』が一般物理学から乖離(カイリ)したモノにされてしまう冤罪」や「反面教師としてのパラダイム論の事を無視したままで枠組み(『淀み(=淀み)』)の中で起こる破綻についてパラダイム変換が上手く出来ないでいる為だとしてしまう冤罪」などが{問題解決から遠のくばかりで}無くならないのです。
上記の事は、{『幸せの想い合い』に無関心な}人間自身や人間社会に於いて連鎖するモノであり、「以前飼っていた犬は厳しい{体罰での}躾(シツ)けをしていて凛々(リリ)しかったが、今飼っている犬は甘やかしているせいなのか{どう見ても}ダラシナク見えるので、{今飼っている犬の為にも}今後はもっと厳しく{力尽くで}躾けをしないといけないようだ」から始まって、「以前は淑女ばかりであったものが、外国の文化が入ってきてからは娼婦のような格好で奇声を上げる阿婆擦(アバズ)ればかりになってしまったので、{彼女たちの為にも、男尊女卑の言葉に屈せず}今後は女性としての正しい在り方を彼女たちに厳しく躾けないといけないし、その為には〔体罰〕や〔見せしめ〕が必要となるだろう」というレベルに、{男性ならば誰もが}簡単に飛躍(『唯物論』的突き詰めを)してしまう事でしょうし、女性にあっては{そんな道理を知らされないまま}「男女平等を主張するコトが最善であり、男尊女卑を主張する男性が出現するコトによる破綻が{必然的に}起こってしまっても、撤退はあり得ない」という様に、{近代的な女性ならば当然の事のように}安易に考えて(『観念論』的突き詰めをして)しまいますから。
{『幸せの想い合い』に無関心なままの}現代社会に於いて男性による女性への{[DV(暴力)]や[ストーカー(殺人)]や[セクハラ(嫌がらせ)]などの}性犯罪は{必然のように}減らないですし、倫理観が厳しくて男尊女卑が{その倫理観の高さに比例して}過激となっている{唯一神教の正義が浸透している}地域ほどテロリストが{無尽蔵(ムジンゾウ)に}輩出されますし、男女平等が掲げられていて経済活動のルールが厳格な{先進国と言われる}欧米諸国にあっては『淀み(=澱み)』が{パラダイム変換のように}取り替えられて【部分解禁】されるだけでして。
{全人類的な}世界中で【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が議論されたり、{真理に至る為の}真実の『一般理論的思考(世界観)』が思考に用いられたりするコトが{共鳴し共同の出来る『魔女裁判』に気を奪われてしまって}無くて、現代人や現代社会の抱える問題が{閉塞(ヘイソク)したまま}解決されるコトは無いのです。
長々と説明してきましたが、{読んでもらえれば解るように}答えは出ていますし、皆様には{抵抗を受ける事の多い}実践を求めている訳でもなくて、{『幸せの想い合い』を踏まえた}物見遊山での〔この世界〕の見物を{ただ単に}して頂きたいのです。
そして、何かを始められる余裕が{もし}生まれましたなら、資格を取得するなどの新たな勉強に、{「こんな資格が{人生に於いて}何の役に立つんだ」と言ってしまうのではなくて、「今までの学校や仕事での{縛られた}経験(我慢した自信)がどんな種類の資格の取得に於いても{レベルが高いほど}あまり役にも立たない」と知り、「自分が人生を無駄に浪費してしまっている事」に気付くだけでもいいので}挑んでみてもらいたいだけなのです。
人生は、『幸せな想い合い』をするだけで、道が“大”きく開かれますからね。
*『ファンタジー』という『夢の扉』のゴミ箱を宝の山にする。【3月19日・土】
人はなぜか当たり前のように、「人間は一人では生きていけない」などと、平気で{思慮に欠けた事を}口にするのですが。正確には、「人間とは一人で生きて行く術(生存価値の高さ:広義の【薬品耐性水】や人間世界での大前提となる【幸せの想い合い】の実践)を手放してしまった{商品価値が求められる反面、生物としての生存価値を下げてしまう}園芸品種のような生き物」でありまして。
その商品価値というのは、人の世の為に“本流”が堰(セ)き止められている『淀み』での{有用利用される}“人工流”の利権者(【完全論理的思考(世界観)】な『観念論』を駆使するエリートの側)であるという事(優位性)か、完全な堰など在りえない『澱み』での{必然な}“漏流”の監視者(【特殊論理的思考(世界観)】な『唯物論』を駆使する知識人の側)であるという事(優位性)によって認識(自覚)されるモノであり。一人では、双方から交互に攻撃されるという情況の{精神的}振り子状態に陥ってしまい、精神が病んでしまって、自分の生存価値(【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を実践する術)を見失ってしまうものですから。
人間は、目の前に【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】といった{その生存価値を高めてくれる}『夢の扉』が在りながら、{手を出せば『淀み』を壊してしまい、『淀み』でのその優位性に執着している双方からさらなる攻撃を受けてしまう恐れから}それに手が出せない『ファンタジーという言葉による封印』からは開放されず。結局は、{『観念論』を駆使するエリートの側か、『唯物論』を駆使する知識人の側かに分かれての}集団での{出来レースで良いハズの}反目をドンドン悪化させて、人間世界に深い亀裂が生じてしまい。さらには、一人では{双方からの}波状攻撃に{交互に}苛(サイナ)まれる{振り子状態の}被害妄想に陥り、精神がそれに耐えられずに破綻していって、様々な社会問題が惹(ヒ)き起こされてしまうのです。
すなわち、『ファンタジー』のカテゴリーとは、人間の生存価値を上げる『夢の扉』のゴミ箱でる反面。ファンタジーに分類される小説・映画や漫画・アニメ・ゲームなどの作品は、【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】といった『夢の扉』の宝の山でありまして。だからこそ、『ファンタジー』には真理が{隠れ}潜んでいて、『ファンタジー』を単なるウソと{馬鹿にして}言う人には、決して『夢の扉』は見えないのであります。
したがって、『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】に気が付いて、そこに手の掛けるコトが出来るようになれる{『ファンタジーという言葉による封印』を解除する}稀な人間の条件というのは、実は『ファンタジー』に深く共感できるコトであり。それによって、『ファンタジー』に秘められた{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】の}重要性に、ようやく気が付く事が出来るのであります。
しかし、単なる『ファンタジー』の愛好家というだけでは、{『観念論』を駆使するエリートの側か、『唯物論』を駆使する知識人の側かに分かれての}集団で反目していながらその優位性を守り合おうと結託して{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を拒絶する}『魔女裁判』が野放しになっている『淀み』の破綻問題や、一人の時にその{双方からの}波状攻撃に{交互に}苛(サイナ)まれる{振り子状態の}被害妄想に陥って多くの人がドロップアウトに至ってしまう『淀み』の反人間的排他性にはまったく気付けないだろうし。『ファンタジー』の評論家であっても、『ファンタジー』を「大いなるウソ」と言ってしまうようでは、『淀み』の外で流れる“本流”に於ける【更新する無限に多様な“大”全体】の真理や、『淀み』の中に“本流”を流し込む{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】の}“更新流”に於いて{『淀み』の中での反目の原因となっている『観念論』や『唯物論』のような優位性への拘(コダワ)りが排除された、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に至る為の方法論である}『一般理論的思考(世界観)』が核心を担うという真実になど、とうてい気付けるハズもないのです。
しかしまあ、{『夢の扉』である【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】という}答えは既に出ていますし。しかも、{その答えというのは}誰の足元にも在って、{【更新する無限に多様な“大”全体】の事が解っていて、『一般理論的思考(世界観)』に至れてさえいれば}意外と簡単に見つけ出せるモノですから、そう焦(アセ)る必要はないのです。
{逆に}焦れば焦るほど、{漫画(映画や小説など)に耽(フケ)る子供に対しタイテイの大人がゴミ漁(アサ)りを見るような拒絶反応を示してしまうように}『ファンタジー』への共感が拒絶されて、『ファンタジーという言葉による封印』からの{大人自身の}脱出が難しくなるだけですから、{大人こそが子供に宝の山としての『ファンタジー』を実践提供するべく}のんびり行くベキなのです。
皆さま、{『ファンタジー』に親しむ為にも}取り敢えずは、物見遊山の見物と{漫画や小説を読み、アニメや映画を観るなどして}洒落込みましょう。{大人が子供に『ファンタジー』の実践提供をするなどの}行動を起こすのは、それからでも十分なのですから。
*『ファンタジーという言葉による封印』の実態(追加)。【3月16日・水】
『ファンタジーという言葉による封印』に於ける人の世(人の営み)の勘違が意味しているモノとは、
『観念論』のエリートの側は、『淀み』で“人工流”を作り出す事に一生懸命になっていて、何時も破綻の脅威にさらされているものだから。逃れようのない責任転嫁にさいなまれて、「“人工流”の可能性や進歩を信じて『淀み』をいくら維持させようとしても、少しの『澱み』によって破綻を起す“漏流”が蔓延してしまう」のだと{一方的に決め付けて}危機感が募(ツノ)り。抑えきれない危機意識にさいなまれて、「恐ろしい背徳者に付け込まれて、かっこうの餌食にされてしまう」のだと{沸き起こるように}危機感が募ってしまって。【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を自覚してしまうと、危機感が暴走して、冷静でいられなくなってしまい。
『唯物論』の知識人の側も、『澱み』での“漏流”の監視に一生懸命になっていて、何時も抗(アラガ)いようのない破綻の脅威を目(マ)の当たりにしているものだから。逃れようのない責任転嫁にさいなまれて、「“人工流”を作り出す為に『淀み』を維持しようと無理をするから、それによってより大きな破綻が生じてしまう」のだと{一方的に決め付けて}危機感が募(ツノ)り。抑えきれない危機意識にさいなまれて、「自分が傲慢な背徳者に成り下がってしまって、このままでは痛いしっぺ返しをくらってしまう」のだと{沸き起こるように}危機感が募ってしまって。【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】を自覚すると、危機感が暴走して、冷静でいられなくなってしまいなして。
『ファンタジーという言葉による封印』による夢の扉が開かない原因を、{誰も彼もが}みんなして、【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】に{問答無用で}転嫁してしまい。自分(自分たち)が、夢の扉を恐がり、夢の扉が開くのを拒んでいて、『不幸の応酬』に明け暮れている事に無自覚なものですから。何時までも人の世(人の営み)には、破綻の脅威が付き纏うのです。
というコトなのです。
*『ファンタジーという言葉による封印』の実態。【3月15日・火】
『完全理論的思考(世界観)』のエリートの側は、世界に『淀み』を形成し、“人工流”をドンドン起して、{目指す扉が開けられて}導きに合致する事を目指していながら、停滞ばかりが起こっているのですが。それでも、“人工流”を思うように進歩させようとする『観念論』で励める事に、有頂天になっていて。“漏流”に足が竦(スク)んで人の世(人の営み)の進歩の足手纏(マト)いになっていると、知識人の側の{優越感に浸ってしまう}『唯物論』を非難していて。
『特殊理論的思考(世界観)』の知識人の側は、『淀み』を『澱み』と認識し、“漏流”を観察して、{必然的に扉が開いてしまって}人の世(人の営み)に破綻が起こる現象の研究・分析をしていながら、破綻をなかなか防げないでいるのですが。それでも、“漏流”を監視するのを怠らないでいる『唯物論』で頑張れる事に、優越感を抱いていて。 “人工流”を過信し過ぎて慎重さに欠けていると、エリートの側の{有頂天になってしまう}『観念論』を非難しているのです。
また、他者がその不幸を此方(コチラ)のせいだと言っているという想いを思い合ってしまう『不幸の応酬』とは、人間の心の“人工流”が{負の感情である}“漏流”によって利用不能に陥(オチイ)っている情況のモノであり。
他者が此方の貢献によって幸せになれ事に感謝をしてくれているという想いを思い合える【幸せの想い合い】とは、{人間の守るべき道理などではなく}人間の心が負の感情で満たされていたのを無効化してくれる{人間の心の【薬品耐性水】と言える}モノであります。
そして、『ファンタジーという言葉による封印』の問題というのは、≪{可能性や進歩などの}夢への扉が、『唯物論』に於いて怖気(オジケ)づいて諦(アキラ)めてしまったり、『観念論』に於いて浮かれて見過ごしてしまったりして、{現代に至っても}開けられないでいる状況(情況)≫の話しだと、誰でも思ってしまうかもしれませんが。本当は、夢の在り様の話しであり、{【薬品耐性水】や【幸せの想い合い】などの}夢への扉が『茶番』などとして閉められている事が問題なのでありまして。開かれない状況(情況)の原因を見つけて、その責任を取らせればそれで済むというような、{単純な}問題などではないのです。
この勘違いこそが、人の世(人の営み)の破綻(閉塞)そのモノであったのです。
*人間世界の簡略化。【2月13日・土】
《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積しての《『学問化』により生じる『擬似進化現象』》などではない、エリートの側による《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】の中であれば、エリートの側に抵抗しようとしていた知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』が、【“大”全体の更新機能】の発動に取って代わられて、その有害性の発揮が無効化されるのですが。
しかし、《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階にあるだけで、《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】に至れていない状況の中であっては、抵抗しようとする有害性の無効化が出来なくて。それが、誰も『生きた水』の重要性に気付けない事の、要因となっているのです。
エリートの側に抵抗しようとするだけの『破綻の進化(雑菌化)』ではない、知識人の側による《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》の中であれば、【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】として切り崩されていくだけのエリートの側により《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウが蓄積されていく事による『擬似進化現象の為の学問化』が、【無限な多様性】の要因となっていって、【“大”全体の更新機能】が発動する【薬品耐性水】が作り出されるのですが。
しかし、【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されていく《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』だけであっては、《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》と似て非なる{【多様性】に乏しい為に【薬品耐性水】に至る【更新機能】が無くてすぐに破綻を招いてしまう}モノしか作り出されなくて、それが、誰も【薬品耐性水】の有効性にたどり着けない事の要因となっているのです。
すなわち、エリートの側により【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウが蓄積されていく事による『擬似進化現象の為の学問化』からは、物事の基本である《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》が作り出されず。知識人の側が『擬似進化現象の為の学問化』を取り込まないままの《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階であっては、『破綻の進化(雑菌化)』の無効化に至れなくて。その為に、何時までたっても知識人の側は『生きた水』に至れず、エリートの側は【薬品耐性水】を{『生きた水』が無い為に}作り出せなくて、『破綻の進化(雑菌化)』が止まらないまま『擬似進化現象の為の学問化』だけが進むのです。
少し言い方を変えると。物事の基本である『生きた水』とは、【無限な多様性】の可能性を持っている【“大”全体】の根幹であり、《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】を作る時の大元になるモノではあるのですが。ただそれだけでは、{可能性があるというだけで}まだ【薬品耐性水】が作りだせる【無限な多様性】には至れていないので、知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』を解消させる事は出来ないのです。
しかし、エリートの側による【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』が取り込まれていく事によって、《【“大”全体】の根幹ではあるが【無限な多様性】の可能性を持っているだけの『生きた水』》の段階であった知識人の側が《【無限な多様性】から生じる【“大”全体の更新機能】の発動》としての【薬品耐性水】に至れて、《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》である『破綻の進化(雑菌化)』が解消されていくのです。
ただし、エリートの側による【更新する無限に多様な“大”全体】が切り崩されるだけの《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》のノウハウを蓄積していく事による『擬似進化現象の為の学問化』が、{たいてい}知識人の側による《【“大”全体】の根幹であり【無限な多様性】の可能性を持っている『生きた水』》でも取り込めないほどに過剰である為に、『破綻の進化(雑菌化)』に至る知識人の側の《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》が{必ずと言っていいほど}惹(ヒ)き起こされてしまって。{結果として}『生きた水』は作られず、【薬品耐性水】は作り出されなくて、『擬似進化現象の為の学問化』だけがドンドン進み、『破綻の進化(雑菌化)』が解消される事は無いのです。となります。
上記の事には、人間世界に於ける、{国際的な}政治経済の問題から{科学的な}自然科学の問題や{個人的な}対人関係の問題までも含(フク)まれていまして。【“大”全体】でなければ、『唯一神教』も『核開発』も『恋愛感情』も、同じ“個”であり。追求されすぎれば、単なる《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》でしかなくて、一様に問題が惹き起こされるだけなのです。
・平成27年度版
*皆さま、韓国・中国の想いに思いを到らせてみませんか。【12月15日・火】
韓国・中国は、第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争)の終結に到るまでの戦前戦中に於いて、日本にケンカを吹っ掛けられ、国土を蹂躙(ジュウリン)されたのだと想っている訳でありますから。それに対して、日本が「欧米列強に対しての《アジアの地位向上》を目指したモノであった」と{部分的に、少しでも}言い訳をしてしまうのは、まったくのナンセンスであり、愚の骨頂と言わざるを得ません。
「大義名分があれば、また侵略をする」と堂々と宣言をしてしまう様なものなのに、そんな言い訳を繰り返していながら、「韓国・中国の反日感情がシツコイ」と言う日本人の感受性の欠落ぶりには、「救いようが無い」と呆(アキ)れるばかりであり。韓国・中国の、日本(魔物)への警戒による、「魔物に気を許す訳にはいかない」という事による【精神的なストレス】や、「魔物が破滅行為をするのに恰好な口実を与えられない」という事による【様々なロス】を想うと、申し訳なくてしかたありません。
人間が普通に生活していても、{自分にとっては問題になるとはまったく思えない}些細(ササイ)な事が原因となって、{予期せぬまま}自分が一方的に被(コウム)る形で≪インネン(ケンカ)を{突然}理不尽に吹っ掛けられる≫という事は、誰の身にもチョクチョク起るコトなのですが。その時に人間は、そういった≪インネン(ケンカ)を{突然}理不尽に吹っ掛けられる≫という事態を経験しては、“不用意”に「それを防ぐ方法はあるが、それを【考えてしまったり】・【言ってしまったり】・【行動してしまったり】するのは、悪魔(魔物)の思惑通りに魂を売ってしまう事になるので、どうあってもそれは出来ない」と考えてしまいまして。そして、そういった事を繰り返しているうちに、段々と{無自覚なまま}自由を失い、誰もが{慢性的な}ノイローゼに陥(オチイ)ってしまって、すぐに切れて危険行動をしてしまう人間や、鬱病(ウツビョウ)になってしまう人間が{客観的には原因が解っていながらも}後を絶たないのです。
すなわち日本人は、国内的にはノイローゼを、国民病のように発症していて。さらには、韓国・中国に対してまでも、ノイローゼに陥るように、過去に仕掛けたケンカの正当性を繰り返していて。それによって、日本が感染源となったノイローゼの伝染が、極東地域に行き渡り、そして段々と、{今のままの【日本国(日本人)】であれば}アジアどころか世界中へと{日本発の}ノイローゼの伝染を拡大(世界の不安定要因を増加)させ兼ねない状況にあるのです。
しかしまあそうは言っても、そういったノイローゼの感染源は世界中に沢山あって、『イスラム教』と『キリスト教』・『ユダヤ教』の対立の根深さを一つ見ても判るように、日本だけを如何(ドウ)にかすれば如何にかなるというような、{『イスラム原理主義』や『IS』にも見られる「キリスト教世界を掃討(ソウトウ)し、イスラム世界が復古されれば、世界は神の祝福を受けられるのですから、テロを起こしさえすれば、その神の祝福によって世界が救われるのです」という“思い込み”が通用するような}単純な世界情勢でもありませんし。
人間が“不用意”に、《悪魔(魔物)への抵抗》に意識を占領させてしまうというのは、≪【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が隠蔽(インペイ)され、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実が『完全理論的思考(世界観)』や『特殊理論的思考(世界観)』によって歪められて、【部分解禁】によって目が暗んでしまっている『視野狭窄』な情況に誰も気付けずにいる≫という事と根源を同じくする、人間に共通した≪人間が{他のモノとは違う}人間であろうとして、【“大”全体】の要素である《他者や周囲》を{悪魔(魔物)に仕立て上げてでも}拒み、自分の範疇(ハンチュウ)である【“小”全体】で何かを仕出(シデ)かそうとする事≫によって起こしてしまう、《誇張されて“危機”を訴(ウッタ)える》や《夢が現実のコトであるかのように“チャンス”を唱(トナ)える》などの独善的な『一人相撲』とも言える《“思い込み”行為》でありまして。
【更新する無限に多様な“大”全体】の真理の掘り起こし(【薬品耐性水】に相当するモノの一般化)や、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実の修正(近代科学の『リセットの大原則』や、知識人の『波動エネルギー的科学観』への疑問の一般化)が進まないうちは、何をやっても結局は、≪【部分解禁】の切り崩しと、その先陣争いや争奪戦≫いう{努力ばかりが空回りして、状況の悪化が止まらない}袋小路からは抜け出せないのです。
『ベスト』ではないが『グッド』であるのは、そんな『先陣争い』や『争奪戦』を、{参戦せず、応戦せず、邪魔もせず}取り敢(ア)えずただ静観している事でありますし。広めるのは無理として、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理の掘り起こしや、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれる真実の修正が始められさえすれば、『ベター』と言えるでしょう。
したがって、戦前戦中の日本軍(魔物)の在り様についての日本人の{悪魔的な}言い訳に対するモノとしての、韓国・中国の反応(反日感情)を見て、黙って静観する事から始めて。少しずつ、{日本人(魔物)に振り回される}韓国・中国の『精神的なストレス』や『様々なロス』に思いを至らせ、見た目だけの独善的な{負担ばかりが重く圧(ノ)し掛かるだけの}支援ではない、≪韓国・中国に、日本人(魔物)を意識する“縛り”からの開放(自由)をもたらすであろう「韓国・中国に起る『反日感情』の責任は【日本国(日本人)】の側にあり、日本と仲良くする手立てを講じる義務は韓国・中国には無い」という明確なメッセージ≫を発信するだけで、取り敢えずは充分なのです。
どうですか皆さま、{支援額をイヤミったらしく誇張するのではなく}ただ相手の想いに思いを到らせるコトから始めて、{札束で顔を叩(ハタ)くような支援によらない}相手の“縛り”を解きほぐして上げられるメッセージを、一つでも二つでも韓国・中国に向けて届けてみてはいかがでしょうか。
*イスラムの研究では『ノーベル賞』に受賞されないというだけ。【11月16日・月】
日本には、『サムライ(武士)』が活躍する【水戸黄門】や、【大岡越前】のような“英雄伝説”があり。イスラムにも、『ダルビッシュ』が活躍する、{アラビアンナイトに代表される}沢山の“英雄伝説”があるように。ミャンマーにも、{現代的に}軍人と呼ばれる『武人たち』が活躍する、世界に知られていない“英雄伝説”があって。そういう『武人たち』による、良い国づくり(治世・文化)の模範が、必ずあるハズなのですが。
日本人は、{『サムライ』という独自な文化を持っていながら}ミャンマーの{明治維新で【西郷 隆盛】たち武士の反乱が体制を掌握(ショウアク)しているだけのような}日本と同じ様な文化を、{『武人たち』の事を軍人と呼んで}理解できないまま無視して。ミャンマーの軍人や軍政を、一方的に、“悪”と決め付けてしまうので。ミャンマーの事が、まったく評価できなくなり、ミャンマーの事を、民主化の進まない野蛮な国だと、見下してしまうのです。
そして、キリスト教国の欧米人も、{『紳士(騎士)』という文化を持ちながら}イスラムの『ダルビッシュ』が活躍する治世・文化や、『ダルビッシュ』を根幹にした良い国づくりの模範を、{『ダルビッシュ』を自警団と訳して}理解しないまま無視して。イスラムの正義と良心を体現する『ダルビッシュ』を、{『サムライ』を軍人と言ってしまって、日本文化を軍国主義と決め付ける隣国のように}キリスト教的な法制度・治安体制に仇(アダ)なす{テロをし兼ねない}私的集団(自警団)と決め付けてしまうので。イスラムの事が、まったく評価できなくなり、イスラムの事を、テロリストを生み出す(量産してくる)野蛮な宗教(治世・文化)だと、見下しているのです。
たいていの日本人なら解ると思うのですが、日本がどんな貢献をして来ていて、何をしていようとも。日本の隣国は、【日本国(日本人)】への《地域の危険因子》という決め付けを、絶対に止められないものでありまして。それと同じ様に、イスラムが西洋の『ルネッサンス』に多大な貢献をして来ていて、現在も{富を分散するなどの、イスラムの正義と良心による}世界各地での《貧困の救済》と《地域の安定化》への貢献がありながら。キリスト教の団体である『ノーベル財団』による『ノーベル賞』では、キリスト教文化の価値観への貢献が絶対の基準となっていて、イスラムの活動やイスラムの研究が『ノーベル賞』を受賞するコトは、決してないのです。
しかしまあ、だから何だという話しでありまして。【更新する無限に多様な“大”全体】は、気長に、人間の{『完全理論的思考(世界観)』と『特殊理論的思考(世界観)』での覇権争いから、『一般理論的思考(世界観)』に至っての}復帰を待ってくれていますし。『E=mc²』とは、{核開発とは無関係に}人間にとって最も身近で、{質量とエネルギーが変換されるという}とてもイメージしやすい物理法則でありまして。ただ気付かないだけで、人間たちの周囲は『生きた水』で溢れていて、足元はすでに【薬品耐性水】で満ちているのです。
人間が、あせって何かをしたり、価値を追うから、ろくな事にならないだけでありますから。皆さんも、「国家存亡の危機」とか「地球温暖化の危機」とか「明治維新以来の革命のチャンス」とか「日本の出る幕の始まり」とかのキャッチフレーズに踊らされないで、立ち止まり、大切な事が見落されていないか、考えてみては如何(ドウ)でしょうか。
*忌まわしい連鎖。【10月21日・水】
「努力する人は未来を語り、怠ける人は過去を語る」という{世界の何処か(?)の国の}格言と、【アルフレッド・アドラー】の「人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定している」の名言(?)から、【井上 靖】の「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という言葉(造語!?)が生まれ、その後には【スティーブン・R・コヴィー】が「未来は、過去の延長線上である必要は無い」と{確か!?}語っていたりして、それらによって「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉が派生していて、テレビや雑誌などで{主に日本の}有名人が人生訓のように用いているのを時々見聞きするのですが、何と忌(イ)まわしい{世界を舞台にした}連鎖なのでしょうか。
この連鎖の果てに、【更新する無限に多様な“大”全体】の【“大”部分】である事によって【“大”更新】に参加していた人類が、【“小”全体】の【“小”部分】として【“小”更新】を担って{雑菌が薬品耐性を持って『殺人病原体』となるように}地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる存在の人間へと、{進歩と称して}変貌し続けているというのに。過去の偉人たちの{忠告の想いを込めた}理論や言葉が歪められ、{想いが隠蔽されて}地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる道具に用いられているのに、{それが目的のバトンリレーのような連鎖である為に}閉塞感に悩まされながら誰もこの歪んだバトンリレーの連鎖を断ち切れずにいて。
人間は、主流派となると『唯一神教』の【完全世界的思考(世界観)】を妄信して硬直し、抵抗勢力の知識人となると【特殊理論的思考(世界観)】を持ち出して不毛な争いを続け、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に基づく【一般理論的思考(世界観)】を悪魔的狂信として嫌悪してしまって。『唯一神教』に基づく『近代科学』は、地球上の〔この世界〕を破綻へと追いつめる進歩を続け、『唯一神教』の内部抗争のような宗教戦争や経済戦争が{世界中で}続発して、{地球上で}多くの一般市民が犠牲となっているのです。
「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という{忌まわしい}言葉がまかり通ってしまうような主流派が牛耳る〔この世界〕と、それに反抗する勢力である知識人による{理想を大義名分にクーデターを起こす}不毛な争いが何時までも繰り返されていて。それに終止符を打とうとした様々な偉人たちによって『進化論(“大”全体での進化)』や、『E=mc²(一般理論)』や、『神は死んだ(開放宣言)』や、『パラダイム論(反面教師)』などが論じられて来たが。主流派と知識人たちは{争いながらも}結局『一本の木の様な進化の図(“小”全体での部分解禁)』や、『特殊理論(パンドラの箱)』や、『精神衰弱していたニーチェ(病人の妄言)』や、『パラダイム変換(理想の進歩)』などは共有していて、{偉人たちの}その想いは今に至っても一般庶民の耳には届く事は無いのです。
人類とは、人間となった今に至っても【更新する無限に多様な“大”全体】の【“大”部分】であり、それによって【“大”更新】を担うモノでありますから。それ故に、自分勝手に分断させた【特定の“小”全体】の【“小”部分】として振舞っても、{雑菌が【薬品耐性】を持って病原体となる様に}【更新する無限に多様な“大”全体】からの【部分解禁】となって、{一般庶民がシワ寄せを被(コウム)る}地球の自然を破滅させるような【“小”更新】を起こしてしまえるのですが。だからこそ【更新する無限に多様な“大”全体】は、{病原体が【薬品耐性水】の中では無毒なのと同じ様に}何時までも人間の【更新する無限に多様な“大”全体】への参加(人類としての復帰)を待ってくれていて。後は本当に、人間しだいなのです。
忌まわしい連鎖が長年に亘(ワタ)って世界中を駆け巡り、それが今に至って生まれた「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という{忌まわしい}言葉には、ブラックな企業(経営者)をのさばらせる{主流派と知識人の共通した}意図が見え見えで。主流派と知識人により、主導権を争っての立場の入れ替わりが{大義名分を取り替えながら}繰り返されても、{パラダイム変換は枷(カセ)の交換の繰り返しであり、一般庶民への縛りが強化されるだけなのと同じ道理で}結局は《一般庶民を食い物にする》という部分の共有は決して揺るがないのです。
「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉の裏には、≪経営者に不満を言う者は『怠け者』として断罪され、ポジティブな夢物語で部下を虐(シイタ)げる管理職が努力家として評価される≫というブラックな企業(経営者)の意図(悪巧み)が、色濃く反映されているのは確かですし。さらに問題なのは、それが《教育の場》や《家族間》・《男女間》などでも乱用されている事でありまして、世界中で人間形成に歪みが生じ、理不尽な『家・身分』や『男女差別』に苦しむ人が世界中に溢れているのです。
これほど明らかに{忌まわしい}問題を含んでいる「努力する者は夢を語り、怠ける者は不満を語る」という言葉なのに、この言葉の問題を口にする人が皆無なのにはまったく驚きでありますが。こういった{忌まわしい}問題を無数に抱えて人は人類から人間となっているのに、こういった人間らしさを{獣(ケモノ)から進歩した}良いモノだと昔から世界中で言って来ていて、そういう{忌まわしい}問題に“知らんぷり”をするコトが{今に至っても世界中で}善良さの絶対基準になったままなのです。
しかしまあ、問題が山積だからこそ、【更新する無限に多様な“大”全体】には気長に人間の参加(人類としての復帰)を待っていられる余裕があるのでしょうね。
*予告【9月24日・木】
〔この世界〕の基本構造である【更新する無限に多様な“大”全体】を扱う【一般理論】を聴き取って、〔現代世界〕のつぶやきを紹介したいと思います
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