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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、ヴェニス ①

2022年09月06日 07時52分47秒 | 田辺聖子・エッセー集










・ヴェニスというのは、
晴れた日に訪れるべき都市である。

更には、この町は、夏の都市のように思われる。
海に浮かぶ町なのだから。

残念ながら、当方の都合で、
その頃にヴェニスを訪問出来ない。

3月29日、という中途ハンパな時期になってしまった。

なぜ中途半端かというと、
案内書によればヴェニスの料理店や社交場は、
「四月から十月まで開店」というところが多い。

ヴェニスの観光時期は、その七カ月なのであって、
三月終りはまだ、海風も冷たいのだ。

私はちょうど十年前、ヨーロッパへ行ったが、
その時もヴェニスへ来た。

しかしここでは、水に濡れた汚い路地を歩き、
ガラス細工を買ったという印象しかない。

私はカナヅチであるので、水恐怖症だから、
ホテルの窓からすぐ下が川なのに動転して、
「キヤッ!」といったなり、
窓を閉めて震えていたのであった。

水上バスで飛行場まで行く時は、幸い満員で、
人ごみの中に立って、
手荷物を足元へ置いてとられないように気を配っていたから、
水が目に入らずにすんだ。

ガイドが、

「運河が市中を縦横に流れ、四百の橋がかかり・・・」

といっても、大阪は八百八橋やないか、
珍しくもない、と思ったりして、
多分、その頃に、団体旅行の疲れが出ていたのだろう。

ゴンドラに乗ってる人もあったが、
その時の相棒は私のお袋であった。

お袋とゴンドラに乗って月夜の海へ漕ぎだしてもいかにせん、
私は美空ひばりではないのだ。

嬉しくも悲しくもない、
張り合いのないことである。

お袋と旅して張り合いのあるのは、
ショッピングのときだけであった。

買い物好きの私(ゲテモノ、ガラクタ好き)に、
おなじく金使いのあらいお袋(ブランドもの、高級品好き)は、
互いの買い物、互いの金使いについて、
ケンケンゴウゴウとやりあうのであった。

そうして風景絶佳とか、世界の奇観、
とかいうところへまいりますと、
片やお袋は疲れてぐっすり寝込み、
私は水の上に漂ってるような心もとなさに、
四方の川をみて、
「キャッ!」といって窓を閉めるのであった。

しかしまあ、ヴェニスは世界の奇観というには、
やぶさかではない。

こんな特徴ある町はどこにもない。
かつ海に浮かぶ町であれば必然的に、
住民は海のモノを口にしているのであろう、と、
私は今回、もう一度ヴェニスを見直そうと、
ローマから飛んできたのであった。

ローマから空路一時間、
ヴェニスのマルコ・ポーロ空港へはお昼前に着いた。

空から見るヴェニスは、
飛行機の窓に、絵葉書を貼りつけたかと思うばかりである。

群青から濃紺、紺碧と、
光と色が屈折して見えるアドリア海のただ中に、
町が浮かんでいるのだ。

淡褐色の屋根、淡黄色の屋根の町が、
海上に忽然とあらわれる。

建物の裾は、すぐ青い海である。

私は南海諸島の奄美あたりへ飛行機で飛ぶと、
(島へ来た)という感じがする。

緑濃い島が洋上に浮かび、
そのまわりを白いレースのような波が縁取り、
更にそのひとまわり外側を珊瑚礁が取り囲み、
(納得!)という感じで、そこに島はある。

飛行機はそこへ羽をすぼめた蝶が舞い下りるように、
ス~ッと下降してゆく。

しかしヴェニスでは、波打ち際も海岸線もなく、
建物からすぐ海である。

おびただしい財宝と過去の栄光と、
現在の活気、それらを詰め合わせた、
美しいチョコレートボンボンが、
海上にばらまかれた、という感じである。






          


(次回へ)


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