むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

3、蜻蛉日記  ②

2021年06月25日 08時11分35秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・蜻蛉のお父さんも娘が兼家と結婚したせいでしょう、
日が当たってきまして陸奥守に任命されて、
任地へ行くことになりました。
陸奥の国(今の東北地方)へ行きます。

彼女は結婚したばかり、頼りの父に行かれてしまうと
この上なく淋しく心細い思いで沈んでいます。

「兼家さんに見せなさい」

と、歌を書いて父は発って行きます。

<君をのみ頼むたびなる心には ゆくすえ遠く思はゆるかな>

(行き先遠い旅に出ます。
どうぞ娘のことは末長くよろしくお願いします)

兼家に見せますと、

<われをのみ頼むといへばゆくすえの 松のちぎりを来てこそは見め>

(私を頼むと言われるお言葉、確かに引き受けました)

しばらくの間は幸福な月日だったと思われます。


~~~


・蜻蛉というのは求めるところが大きい。
つまり、兼家に始終自分の側にいてほしいのです。

蜻蛉の姉妹に結婚している人がいます。
姉か妹か不明ですが、
この人のもとへは結婚相手の男がまめに通ってきます。

姉妹で同じ邸内に住んでいますから、
手にとるようにわかります。

別に張り合うわけではないのですが、
やはり辛かったのでしょう。

新婚当時は兼家は大変やさしかった。
そのうち、蜻蛉は懐妊しました。

物心両面にわたって頼りになる父がいない所で、
出産するのはどんなに心細かったか。

兼家は出産までの間、親切に面倒を見てくれました。


「そのほどの心ばへはしも ねんごろなるやうなりけり」


と書いています。

蜻蛉にプライドがあったのと、
私(田辺さん)が思うに身分が夫より低いという、
コンプレックスがあったのじゃないか・・・と。

結婚するまで蜻蛉は宮仕えというものをしていません。
たくさんの人の中でもまれることもなく、
気苦労も知りません。

自分は大事にされて育ってきた、
そして教養もある、美貌もある。
ことに歌を作る才能がある、というプライド。

蜻蛉が結婚した時分は天暦のころ、
村上天皇の時代で文化の発達した時代でした。


~~~


・「蜻蛉日記」の文章は難しいと言いましたが、
王朝文学の特質として直接表現を避けていることがあります。

妊娠、出産を、


「なほもあらぬことありて 春夏悩み暮らして
八月つごもりに とかう物しつ」


(普通じゃない状態がありまして、
春から夏とずっと具合が悪くて、
八月つごもりには、旧暦ですから今の九月ごろ、
まあ、何とかお産が済みました)

「とかう物しつ」・・・
千年の間、代々の国語学者の先生方が、
この意味を解き明かして下さった。
注釈書がないと私たちはこんな原文は読めません。

本当に学問の道は、
数知れない研究者の尊いお姿があることを、
思わないわけにはいきません。


~~~


・子供が生まれて、

「そのほどの心ばえはしも ねんごろなるやうなりけり」


(そのころの夫、兼家は大変親切にしてくれました)

夫は親切にしてくれる。
蜻蛉にとっては女の幸せを強く感じたでしょう。

兼家がやさしく世話をしてくれている頃、
彼が留守をした時がありました。

その辺の手筥を開けますと兼家の手紙が入っていまして、
どうも新手の女にやる文らしい。
蜻蛉が妊娠している間に別の愛人を作ったらしい。

それを読んで素知らぬ顔をしていれば、
しおらしい女なんですが、黙って引っ込む女ではありません。

「疑はし ほかにわたせるふみ見れば 
ここやとだえに ならむとすらむ」


(どうもあやしいですね。
私の所へはもう帰って来ないつもりでしょ)

そんなことがあって、
十月末ごろ三夜続けて夫が来ないことがありました。

今から宮中へ参内しないといけない、
などと言って出て行くのであとを尾けさせると、
町中の家へ入ったという。やっぱりだわ。

二~三日して夫が来ます。

「開けないでおきなさい」

「いいわよ、開けなくても」

と突っ張っておりますと夫は例のところへ行ったらしい。

あくる朝、このまま黙っていられないとやった歌が、
前に言いましたね。


<なげきつつ独りねる夜のあくる間は いかに久しきものとかは知る>


ですね。
きつい性格の裏にしおらしい所が出ていて、
女の歌としては古今の名歌です。






          



(次回へ)

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